白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

禁句

2025年01月28日 21時58分55秒 | 日記
 テレビでソロキャンプなどの放映をしていることがある。『ぼっちキャンプ』などと呼ばれることもある。だが、この『ぼっち』という言葉が、一年半ほど前に中野市で起きたあの四人殺害事件のキッカケとなったことを考えると、これはもう禁句だなと思う。少なくとも自分では使わない。 今の社会ではジェンダー平等とやらで、使えない言葉や使いにくい言葉がやたらと増えた。相手の人格や尊厳を傷付けないことが一番大事なことだと思うけれど、時と場合、相手との関係性によるところも大きいと思っている。
 そば打ちをしていて捏ねた生地の状態を瑞々しい柔肌と(恐る恐る)言ってみる。「あたしんのはまだ七十代だな」とご婦人が言う。「これが十八歳」と自分の生地を見せる。「それじゃ触れないな」と老紳士が言う。多分、時と場合によっては立派なセクハラなのだろうなあ。 
話は変わって「毎日何してるの?」とリタイアした人に向かって訊くのも禁句だと思う。だって、自分でも答えようがないもの。


心癒されるひと時

2025年01月23日 19時14分05秒 | 日記
メディアの在り方が鋭く問われている。
物事の真実よりSNSやメディアを上手く操った方が選挙に勝ってしまう。
テレビ局の姿勢の問題も問われている。
何よりも自分の信念を持ち、科学的な知見や常識を持ち、批判的に物事を見る事を忘れてはならない、と自分に言い聞かせる日々。

長野駅前で通り魔事件が起きた。亡くなられた犠牲者の方にはご冥福を祈る。
この田舎で事件が起きる怖さ。社会が酷く病んでいる。

庭先にエサ台を設えてある。
いつもはスズメやシジュウカラが主だが、最近はメジロも来てくれる。
心癒されるひと時。

そばの写真を旨そうに撮る、というのが今年のテーマ。
粗挽きそば粉を打ったものだが、少しは旨そうに見えるだろうか。

リタイアした身は自由で悠々自適の暮らしができると思っていたが、それはぼくらの世代の10年位前までのことだ。
年金は減らされ、支給時期も大幅に繰り下げられた。
世の中が明るい方ではなくどんどん暗くなっていく。
人類は21世紀に滅亡するなどと、物騒な記事もネットに登場している。
このまま行けばそれもあながちあり得ないことではないかもしれない。

ぼくらは間もなく去っていく身だ。
後は野となれ山となれ、我亡き後に洪水よ来たれ!
とばかりは言っていられない。
眼に入れてもいたくない孫たちがいる。
わずかばかりでも社会が良くなるよう微力を尽くそうとは思っている。


西山大豆

2025年01月21日 20時58分22秒 | 日記
味噌の寒仕込みの時期になった。
材料の大豆の買い出しに西山地域へ出かけた。
西山とは長野市の西側に広がる里山。
そこは良い大豆が採れるので西山大豆と呼ばれている。

この地域の代表的な山、虫倉山。山姥伝説の里。

唐松から五竜へ続く稜線。

遠見尾根の奥に後立山の盟主、五竜岳。

双耳峰、鹿島槍。

山村と後立山連峰。

小さな縄文遺跡公園がある。



住居跡。

竪穴式住居。


縄文。なんて魅力的な時代。
一万五千年前から二千七百年前。
弥生時代になり生産力が上がり、貧富の格差が出来始めた。
それが現代では極限まで膨れ上がっている。
現代は極めて野蛮な時代だ。

目的の大豆は、昨年の天候不良で品薄だという。
温暖化の影響がここにも。
値段も一キロ百円位上がっている。
昨年は五キロ購入したが、今回は四キロ。西山大豆はこれしか無かった。
大豆は数年前まで栽培していたが、買った方が楽なので作らなくなった。
やっぱり自分で作るようにしないと駄目かな。

縄文の人たちも必要なものは自分で作っていたのだろう。
立春が過ぎたら味噌を作ろう。



里山に遊ぶ

2025年01月20日 16時57分12秒 | 日記
山一つ越えた向こうの里に小さな山がある。
名前は離山。
少し離れたところにある臥竜山と対になる山で、こちらはあまり有名ではない。

晴れた日、気軽に歩きに行くには格好の山。

登り口。

北側には雪が残って、近所の保育園の子供たちがそり遊びをしている。
のどかな、のどかな山村の風景。

尾根には雪があり、踏み跡はない。
そうそう物好きはいない。
子供たちの遊ぶ風景は平和そのもの。

ここのほうがいいな。

冬枯れの山は明るい。

北アルプスの展望台。



奥にはお宮(神社よりはお宮がふさわしい)

一応お賽銭を入れて参拝。














今では上流にダムが出来たが、かつては暴れ川であったであろう百々川(どどがわ)は頻繁に氾濫を起こしたのだろう。
百々川の流域にできた二つの小さな山を、このような民話にしたご先祖様にはただただ感嘆するのみ。

今はもう寒村としか言いようがないこの村にもそれなりに心豊かな生活があったのだな。

山頂のお宮から反対側の道を下り、ふもとをゆっくり半周して戻った。


春になれば子供たちの姿が見れるのだろうか。

春、桜が咲くのだろう。


イヌフグリの花がひっそりと咲いていた。



精神修養がなってない

2025年01月14日 19時28分05秒 | 日記
「えーと、175-110、。念のためもう一度測ってみましょう。うーん、183-114、高血圧ですね。」
いつも繰り返される村の健康診断風景。
自宅では130-80以下がほとんど。
最近でこそ家庭血圧が優先となってきたが、以前はそうではなかった。
それでも、一応精密検査を受けてくださいと言われ、受けてきた。
診断名白衣高血圧。
そういうお墨付きを頂いて村の保健予防課に提出してきた。
自分は精神修養がなっていないせいで、病院などで測ると高くなるのではないかとへこんでいる。
気が弱かったり緊張しいの原因もそこにあるのではないかと。
先日、高血圧予防教室があるので参加するようお達しが。
3回あり、2回参加してきた。
高齢者の9割が高血圧とか。
色々怖い話も聞いてきた。
その中で?と思ったこと。
高血圧の基準がコロコロ変わり、今の値が信じるに足るのかどうか。
(昔は年齢+90といわれていた時もある)
塩分は1日6gを目安にという。
そんな指導をしながら、夏場には横の方に熱中症予防のため塩分と水分を取りましょうのポスターが張られていたりする。
夏場汗をかきながら見躯体労働をする人と、空調の効いた部屋で過ごす人を区別しないで一律というのはおかしくないか?
そんなことも質問してみたが、現代の栄養学を刷り込まれた保健士さんや管理栄養士さんからは納得する答えが得られなかった。
そもそも9割の人が高血圧なんて、普通に考えたら基準がおかしくないか。
一生懸命村の人のためにがんばってくださっているのはありがたいことだが、
基準値一点張り、一律の指導というのはいかがなものか。

モノに動じない強い心を持てば、白衣高血圧は治るのだろうか?