宿泊したホテル朋泉草加は大きな看板もなく、派手なところのない自分たちにはとても好ましいホテルだった。
ロビーで無料のコーヒーを頂き、ほっと一息ついた。
無料のバナナも置かれていた。
基本的にはビジネスホテルだが、男性用の風呂場があった。5人も入ればいっぱいだが、ユニットバスが苦手の自分にはありがたい。朝食付き、ツィンベッドの部屋で5,550円。とてもリーズナブル。
朝食がとても素晴らしかった。
作りたての暖かい丁寧に作られた和食。
このほかにも別に好きなものを持ってこられる料理も用意されている。
観光ホテルのバイキングに比べればこんなにうれしいことはない。
ホテルの中にある居酒屋ならぬ居食屋で、夕食もここで食べられるらしい。
古の旅人もこのような和食に舌鼓を打ったのであろう。
この旅に先立って、宿泊処を色々調べた。
街道筋で、値段が手ごろで、駅に近く、ツインベッドか和室でという条件のあったのがこのホテル。
気に入ったので日光街道の拠点にしようと決めた。
幸いこの街道筋は東武鉄道がほぼ並行して走っている。
1泊または2泊しながら日光に向けて歩を進めていこうと考えている。
電車で北千住まで戻り、旧街道筋に戻る。
鴎外が住んだ町やね。
荒川。
富士山。
スカイツリー。結構歩いたつもりなのにすぐ近くに見える。
耳の病に効能あらたかと言われる石地蔵。
細君が熱心に祈っていた。
鷲神社。
罰当たりなことに、神社仏閣にそれほど興味がないので由緒は忘れたが、とりあえず参拝した。
ここはまだ江戸。足立区は長い。
梅島駅近くの商店街。よそよそしくない人々の暮らしが身近に感じられた。
ようよう江戸脱出。
武州。草加市。
草加と言えば、草加せんべい。もう一つ思い出すのは草加次郎事件。あれはもう何年前になるのだろうか。もう知っている人は多分少数派。
本日も10キロ少し歩いたところで終了。まだ昼前だが帰らねばならない。
草加市の最初の駅、谷塚でアイスコーヒーとケーキパンで一休み。
ここからが大変だった。
高崎までの経路と時間、乗り継ぎを調べ、真剣勝負のような緊張の中、知らない駅でカツカツの時間で数回乗り継ぎ午後3時過ぎ、無事高崎駅にたどり着いた。
ほとんど電車など乗らない田舎者の爺さん婆さんにとって、都会の駅は戦場。
持って1年だが、こんな時はスマホがなければどうにもならない。ありがたい文明の利器なのであった。
旅の恥は掻き捨てという言葉があるが、反省点も多々ある旅であったが、今後に生かせる。
車で伊勢崎まで行けば東武鉄道で草加まで行ける。どちらかと言えば裏街道だが、自分らの旅に合っている。
もう次の旅に思いを馳せている。
旅した日:5月14日
日光街道から奥州街道へと続く旅、先が楽しみです。以前は攻めるように先を急いでいましたが、もうゆっくり味わいながら歩くことにしました。
コメントありがとうございました。
日光街道を踏破したときのことが走馬灯の様に蘇りました。
ありがとうございました。