しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

人間をたいせつにする国に

2008-11-17 22:28:07 | 経済
 経営不振におちいる会社が急増していますね。
 年末に向けてさらに倒産が増えるでしょう。
 政府もとうとう景気後退をおおやけに認めざるをえない状況にいたっています。

 むろん世界的な経済悪化が背景にあるわけですが、日本の企業の体質がもろくなっていることも見逃せないように思えます。
 かつてのような粘り腰がないように見受けられます。

 自民党政権とりわけ小泉内閣の弱肉強食政策のツケがいまになって表れているのではないでしょうか。
 小泉さんは、人間のつながりを大事にしてきた従来の日本の経営姿勢をもう時代遅れだと批判して、とにかく効率第一主義、競争第一主義を経済界の中心に持ち込みました。
 金もうけのウマイやつこそがすぐれた国民で、それができないやつは足手まといだ、といわんばかりの政策でした。

 しかしそこで実は重要なものが失われていたのです。
 企業への忠誠心です。
 人間の使い捨てを徹底する経営者(大胆にリストラをする経営者)こそがいい経営者のようにもてはやされたわけですから、そんなところで従業員に忠誠心が生まれるわけがありません。

 日本は物質的な資源の少ない国です。
 唯一確かな資源というのは人間です。
 日本の成長をささえてきたもっとも大きな資源は、日本人というこの人間なのです。
 それなのに、小泉さんはその人間を使い捨てにするようなひどい政策を推し進めたわけですから、日本経済の核の部分を壊してしまったのです。
 戦後最低の首相でした。

 人間を大切にする社会を再構築しなければなりません。
 それなくして日本という国は成り立ちません。

消費が落ちたのはだれのせい?

2008-10-01 23:00:38 | 経済
 景気が悪くなっている、と日本銀行が発表しました。
 国民の消費が落ちていることを一つの理由にあげています。
 国民の消費が落ちているのはどうしようもないことのような言い方です。
 けれど、やっぱりこれも政府の政策の失敗の結果でしょう?

 前々々首相の小泉さんは、日本の経済を立て直さなければならない、そのためには構造改革や規制緩和をやらねばならない、国民は痛みに耐(た)えなければならないが、やがて経済が上向いたときには給料が上がって、生活も豊かになる、今はしんぼうのときだ、とさかんに主張したんです。
 しかし、国民がしんぼうして、働いて、それどころか大量にリストラされて、確かに数字(統計)の上では経済が上向きましたが、さて国民がそれでほんとうに豊かになったかといいますと、結局のところかんじんの利益のほうは大株主(大口投資家)や大きな企業の経営陣らが独り占めにしてしまって、一般の国民にまではほとんど下りてこなかったのです。

 一般の国民が豊かになっていないのに、そこで消費が伸びるわけなどないじゃないですか。
 ぼくらアホな国民は小泉さんの煽(あお)りに乗せられて、けっきょくダマされたというわけです。
 今から振り返ると、小泉さんは大金持ちをいっそう大金持ちにして、それに引き替えふつうの国民をぐいぐいと貧困へ追いやる首相だったわけですね。

 それに大株主(大口投資家)たちへ流れた金というのは、金貸しのシャイロックがやったみたいに、また投機のほうへ動きますから、消費の力にはならない。
 金は日本の国にダブダブにダブついているのに、一般の国民のなかにはむしろ貧しさが広がっているという、ばかげた社会になってしまっているのです。

 ぼくらアホな国民は早くカシコくならんといかんでしょうね。
 でないと、このさきも貧乏クジを引かされるばかりです。

 カシコい国はカシコい国民でないとつくれません。
 でも、ぼくら日本の国民はそれができるはずなんです。

新しいもの

2006-11-17 07:48:10 | 経済
携帯電話がクレジットカードのように使えるという話題。テレビのニュースで。
その企画に携わった携帯会社の人のインタビュー。
「回線使用による収益の限界は見えてきた。いまの収益を維持するために少しでも新しいサービスを開発しなくてはいけない。そうしないと企業として存続できない。」
たいへん率直なコメントで、つまり彼らもそんな新しい企画に意味を感じていないということ。
新しいものを生みだすためだけに新しいものを生みだしているという状況。必要かどうかは問題じゃない。
これは企画者にしても、穴を掘るために穴を掘るというある種の刑に処せられているのと同じで、追い詰められた心理が想像できる。
一方で、消費者が新しいものに飛び付くその仕方は以前ほど活気があるようには思えず、飽和ムードの中で新商品への反応はもっと鈍くなっていくのではないかと、これは希望的観測だろうか。
またいつか景気が良くなって、同じことの繰り返しだろうか。
もし、新しいのに不要な物があるというこの驚くべき事実を、とりわけ10代の人たちが知ることができれば、いくらか様子も変わってきはしないものか。
そんなふうに、ゆるやかな不買運動を組織していくということの可能性は?