しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

高級娼婦? それとも仏様?―能勢母娘二人展

2009-03-29 19:36:00 | 美術
 能勢寛子・能勢伸子展が神戸のサーカス・サーカスで3月31日まで開かれています。
 寛子さんは伸子さんの長女。
 ともに現代美術家の母娘展です。

 寛子さんは生命力にあふれた地母神のような手作りの人形を並べました。
 以前に赤フンドシをつけた女力士のような作品を発表して、みんなをびっくりさせましたが、今回は19世紀末パリで活躍したドゥミ・モンド(高級娼婦)のようなかわいい四人の女が登場しました。

 ホワイトな髪にブルーな羽根飾りを小粋に差した、ストッキングもこれまたブルーの、これはちょっと自意識の強そうな、ネエ、見て見て見て、タイプ。
 それから黒い髪の、こちらはシッカリものの顔をした、黒いストッキングで巧妙にアピールする、だからさあ、この世はお金なんだから、というタイプ。
 そしてモヘアのようなやわらかな髪を積み上げた、若い後輩になにか教訓を垂れそうな姉御タイプの、こんな生活はやく足を洗わないとダメよ型。
 最後は、ピンクの髪の、なんにでもすぐ酔いそうな、ああ、この世はなんてロマンティックなのかしら、あたしはもうダメになっちゃいそうタイプ。

 けれどじっと見つめているうちに、なんだか密教のマンダラに四人ワンセットで登場する、豊麗なホトケ様に見えてくる、この不思議。

 いっぽう、母親の伸子さんは、しばしば画廊いっぱいに紙のインスタレーションを繰り広げてきましたが、今回は比較的小さな、けれど密度の高いアクリルの抽象作品の発表です。

 心の奥底にも、奥底に特有の時間の推移があるのかもしれません。
 闇や夜明けやたそがれのイメージが重なる作品が多いのですが、それらは現実の時間の抽象化というよりは、心の底で人知れずに吹き荒れているデモーニッシュな時の嵐が浮き出ているように見えるのです。

 荒れ狂う時化(しけ)にかすかに射す晴朗な光が、救いを暗示して心をうちます。
 無限旋律が鳴り響くワーグナーの音楽を「見る」ようです。



この、精神の疾走!―兵庫県立美術館 ピカソとクレーの時代

2009-03-28 22:04:00 | 美術
 絵画という芸術が全力で疾走(しっそう)した時代がありました。
 精神のなかを猛然と駆けたのです。
 マティスやピカソやカンディンスキーやクレーたちが波状的にひとびとを仰天(ぎょうてん)させ続けた時代です。
 そのはなばなしい時代を今に体感しようという展覧会が神戸の兵庫県立美術館で4月10日から始まります。
 「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展です。

 今から振り返ってみますと、20世紀の大衆的な芸術と文化には二つの大きなピークが見えます。
 近いほうから言えば、ひとつはプレスリーとビートルズとカラヤンで代表される1950年代半ばから1960年代半ばにかけてのまさしくポップ(大衆的)な10年です。
 そしてもうひとつは、ピカソやカンディンスキーやクレーの名前とともに浮き上がる1900年代後半から第一次世界大戦(1914年―1918年)前後までの、こちらはレボリューショナル(革命的)な10年です。
 ザ・ビートルズの「ラヴ・ミー。ドゥ」(1962年)がひとつの時代を象徴する歌だとすれば、パブロ・ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」(1907年)もまたひとつの時代の幕開けをしるす大きな記号になったのでした。

 魂が炸裂(さくれつ)した時代です。
 野獣派といういささか物騒(ぶっそう)な名でよばれた画家マティスがシンプルでリズミカルな「ダンス」を描いて、いよいよ本領を発揮しつつありました。
 変身の天才ピカソがついにキュビスムの原点となる「アヴィニヨンの娘たち」に行き着きます。
 インテリ画家のカンディンスキーが抽象画の草分けとなる「コンポジション」にかかるのです。
 澄明な色彩と明晰な線の作家となるパウル・クレーがチュニジアへの旅行で、まさしく色彩に目覚めたのもこのときです。
 そしてシャガールは愛の絵を旺盛(おうせい)に発表し、一方ミロやマグリットが本格的活動への準備を進めていたのです。
 日本でもファンの多いモネやドガやルノワールら印象派の画家の時代をかりにモダンアートへの助走の時代と読み替えれば、ピカソやクレーの時代はまさしくその全力疾走の時代だったともいえるでしょう。

 精神的な疲弊(ひへい)が深まるばかりの今の時代から見れば、なんとも贅沢(ぜいたく)な時代です。
 現代になお清新な衝撃を呼び起こす芸術の風。
 むしろ、旋風…。
 神戸でその風に触れることで、わたしたちの魂をみずみずしく甦(よみがえ)らせようではないですか。

 兵庫県立美術館の展覧会には上記の巨匠たちを含め23作家の64作品が並べられます。
 ピカソの「二人の座る裸婦」「鏡の前の女」「ひじかけ椅子に座る女」、クレーの「リズミカルな森のラクダ」、シャガールの「バイオリン弾き」、マティスの「午後の休息(サン=トロペ湾)」、そしてベックマンの「夜」…。
 みんなデュッセルドルフ(ドイツ)のノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館のコレクションです。
 州立美術館の改修休館を機に神戸で紹介されることになりました。
 20世紀の100年間を生き生きとさせたモダンアートの、その骨格を知るうえでも格好の企画です。
  
 会期は4月10日(金)―5月31日(日)。原則として月曜休館。一般1300円(前売1100円)、大高生900円(700円)、中小生500円(300円)。℡078.262.0901
 http://www.artm.pref.hyogo.jp/

魂の王国へ最短距離―フラメンキスト東仲一矩

2009-03-26 22:40:00 | 舞踊
 フラメンキスト東仲一矩さんの踊りを西宮の兵庫県立芸術文化センターで久しぶりに見ました。
 声楽、ピアノ、フルート、ギターとともに構成された「スペインへの想い―クラシック音楽とフラメンコ」(3月24日)のプログラムでした。
 やっぱりすごいダンサーです。

 じぶんの行くべき場所、つまり魂のアルカディアをがっしりと持っていて、そこへ最短距離で行けるのです、このひとは。
 決して迂回(うかい)しないし、道草もしない。
 すとんと精神の王国へ入ってしまう。

 こんな男、今の世に、ちょっと、いない。

 日本に長く居ると、ねばねばするものがいっぱい体にまといついてきて、それがたまらない、と言っては、まるで隣の家へでも行くようにスペインへすっ飛んでいってしまうひとですが、踊りを見ると、言ってることが100パーセントわかるんです。
 周りに押し寄せてくるものをパッと脱ぎ捨てるみたいにして、ステージに上がるんです。
 すると、そこにはもうぎりぎりに切り詰めたひとすじの精神が残るだけ。

 爽快(そうかい)で、明晰(めいせき)で、しかし悲劇的で、けれど突き抜けていて。
 しかも、とてもデリケートで。

 こんな精神、今の世に、ちょっと、ない。

 今年の夏にはリサイタルを開くそうですから、ぜひお見逃しなく。

 東仲さんのサイトは http://www1.ocn.ne.jp/~kazu-h/

日韓カミ一重―ワールド・ベースボール

2009-03-25 23:12:00 | スポーツ、オリンピック
 日本の代表チームと韓国の代表チームのWBC優勝戦(ロサンゼルス)、すばらしいゲームでしたね。
 紙一重でしたね。
 ほんとに、どっちが勝ってもおかしくないゲームでした。

 両チームの選手とも、もうプロ野球の選手とは思えないような、まるで少年のような懸命さでぶつかり合って。
 
 韓国の選手たちには、負けたあとでも何かすがすがしい空気が漂っていましたが、日本が負けていても、おそらく同じようにさわやかな空気があったでしょうね。
 あんなふうに全力を出し合ったあとには、そのように心が明るんでくるんでしょう。

 それにしても、ベースボールのメッカでその頂点で戦ったのが、アメリカ大陸のチームではなく、アジアの東端の、それも隣同士の二国だったというのは…。
 しかも、あんな美しい試合を。

 紙一重でした、ほんとうに。

美しい水の作品―藤田佳代舞踊研究所

2009-03-22 22:51:00 | 舞踊
 藤田佳代舞踊研究所の「創作実験劇場」が神戸の兵庫県民小劇場で開かれました(3月21日)。
 研究所のメンバーがそれぞれのオリジナルな振り付け作品を発表する舞台です。
 見ごたえのある作品がそろいました。

 主宰者の藤田さんが作舞した「運ぶ」は宇宙的スケールを持った作品で、舞踊を根本から問い直すほどの大きな問題をはらんだステージになりました。
 その衝撃を掘り下げるためにこのブログの姉妹サイトの「Splitterecho Web版」に特に評論を掲示しました。
 ご関心のあるかたは http://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/ をご訪問ください。

 寺井美津子さんの「川―海をみた」は、水の流れそのものを見事に写し取った作品になりました。
 そのものがまるで目に浮かぶように舞うというのは、そのことだけですでに大きな価値なのです。
 見る者がそこから豊かなイメージを引き出します。
 オフェリアが流されていった水が見えます。
 オルペウスの首が歌いながら流されていった水が見えます。
 カロンが死者を乗せて渡っていった冥府の水が見えます。
 そういえば、スメタナはモルダウの流れを水源から海へと追って、不朽の名曲を書きました。

 金沢景子さんの「花筏」も水にまつわる美しい作品になりました。
 延々と水の流れを流れる花びら。
 金沢さんはそれを宗教的なビジョンにまで高めました。
 涅槃に入ったブッダの体には無数の花びらが降り注ぎ、けれどそれらの花びらは一枚としてブッダの体にとどまらず、サラサラと流れ落ちたといわれます。
 そのように清らかに滑っていく花筏になりました。

 向井華奈子さんの「凍蝶」も、蝶の姿そのものの舞踊化です。
 手の“はばたき”がとても印象的でした。
 フォーキンの「瀕死の白鳥」が重なりました。
 化身もまた、それがひたすらな心から生まれると、深い意味をはらむのだと知りました。

 若い谷岡亮さんが、初めての振り付け作品という「響く森」を発表しました。
 懸命な姿が、見るひとの心をうちました。
 じぶんの世界を誠実に深めていってもらいたいと思います。

 またダウン症のダンサー・安田蓮美さんが、藤田さんの振り付けで「ハスミ in winter」を踊りました。
 拍手のいちばん大きいのがこのひとです。

 ほかに、かじのり子さんが「ぼくたちのアジール」、菊本千永さんが「Carry me」、灰谷留理子さんが「カメレオン」、そして向井さんがもう一つの作品「幻影」を発表しました。

 創作実験劇場は大震災以来、兵庫県民小劇場をフランチャイズに数々の新作を舞踊ファンに送り出してきましたが、その小劇場がこの春、老朽化で閉鎖されることになりました。
 今回、力作がそろったのには、ホールとの別れに際して、ダンサーたちの暗黙の感謝の心もあったようです。

藤田佳代舞踊研究所は http://www2s.biglobe.ne.jp/~fkmds/

上手に負けた?韓国―ワールド・ベースボール

2009-03-20 23:15:00 | スポーツ、オリンピック
 WBCで侍ジャパン(日本代表)が韓国に上手に勝ちましたねえ。
 でもそれよりもっと上手に韓国は日本に負けたのかもしれません。
 準決勝で当たる相手のことを考えれば。

 日本は韓国に勝ったおかげで、アメリカとぶち当たることになったでしょう。
 いっぽう、韓国の対戦相手はベネズエラ。
 ハカリにかけたら、さて、どっちが有利になったでしょう。

 もっとも、もし今日の試合で日本が韓国に負けていたら、もう韓国には歯が立たないという気分になってしまっていたでしょうから、日本には勝つほか道がなかったわけですが。

 ところで、今回のWBCで日本と韓国の対戦を見ていて、勝っても負けてもちょっとうれしいことがあります。
 以前のような民族の怨念(おんねん)がぶつかり合うような暗い雰囲気が消えて、お互いにええゲームをやるなあ、といった感じのカラッとした気分に両国とも変わってきたということです。
 むしろ決勝ラウンドにアジアから二国がそろって上がったことに、なにかしら喜びを感じません?

 日本と韓国は過去にうんとさかのぼれば、もともと同じ流れの民族ですからねえ。
 ザクッといえば、同じ民族のうち、朝鮮半島に残ったものが韓国人になり、日本列島に渡ったものが日本人になったんでしょう。
 
 日本語の文法は世界の言語のなかでは特殊だというようなことを言われますが、韓国の言葉とは構造がまったく同じですからねえ。
 だから単語さえ覚えれば、韓国の言葉は日本人にもじき話せるようになるんです。

 ゲームを見ていても、試合の運び方が似てますし。
 心の奥底に共通に流れているものが出るんです。
 WBCで互いの理解が深まれば、それは優勝することより大きいな、とそんなふうに思うんです。

あたたかい息子夫婦

2009-03-19 23:15:00 | くらし、商品
 息子夫婦が誕生日祝いだといってプリンを贈ってくれましてね。
 2歳の孫が部屋へ持ってきてくれて。
 うれしかったですねえ。

 ぼくらの世代はたぶん多くがそうなのだと思いますけど、親に誕生日を祝ってもらったことなどないんですね。
 誕生日のお祝いなんてのは、一部のお金持ちの家のことだと思ってました。
 それだけになにかちょっと恥ずかしい気持ちもあるんですが、こうしてあたたかい気持ちに触れますとねえ、よけいうれしくって。

 ありがたいですねえ。
 大げさではなく、世界観が変わりますよ。

サイフのヒモは締めましょう―定額給付金

2009-03-15 22:09:00 | セイジ
 定額給付金を国民すべてにばらまきますから大いに買い物をして大いに景気をつけてください、と首相の麻生さんは言いますけどね。
 まあ、お金持ちのみなさんは麻生さんのお先棒をかついで、おガンバリになるといいですけど。
 あまり豊かでないひとは、クチグルマに乗せられないほうがいいですよ。

 日本の政府ばかりでなく世界中の政府が、財政出動と称して、いま民間の会社にさかんにお金をつぎ込んでいるでしょう。
 景気はよくなるどころか、悪くなる一方なのに、お金だけはどんどん社会にあふれていくってわけですよ。
 この調子でいけば、地球上はやがてお金でジャブジャブの状態になるでしょう。
 けっきょくはみんな金持ちのところへ流れていくわけですから、貧しいひとはいつまでも貧しいばかりか、もっと貧しくさえなるのですが、そういう状況でお金だけはもうジャブジャブ。

 すると、この先どういう結果いなると思います?
 ちょっと景気が回復しはじめたかに見えだすと、今度はそこから間違いなく猛烈なインフレ(物価高)ですよ。
 なにもかもが突然ウナギのぼりに上がり始める。
 しかも麻生さんはその時期に消費税を大幅に上げると断言してるでしょう。
 たとえ昇給があるとしても、サラリーマンの財布に実際に届くまでにはずいぶん大きなタイムラグ(時間差)がありますから、おおかたの庶民の生活はたちまち火の車になりますよ。

 麻生さんの無責任な言葉に乗ったら、またエラい目にあいますよ。
 痛めつけられるのは、いつも庶民。
 ウマいことごまかされて、政治に利用されるんです。
 小泉さんにさんざんっぱら利用されて、それでもまだ理想の首相(世論調査)の第1位に小泉さんの名が挙がるんですから、マア、庶民もそうとうテイドにアホですけど…。

 マジメな話、なんとも消極的ですが、どんなことがあってもこの先しばらくはサイフのひもをしっかりと締めておくこと、それが庶民のただひとつの哀れな防衛手段です。

 もちろん金持ちさんはお好きになさっていいですよ。
 大金持ちさんっていうのは、不況でも好況でも、どっちに転んでも政府から甘いシルを吸える構造になってんです、今の社会は。

ネコはおシリから年をとる?

2009-03-14 22:38:00 | 猫の町
 ネコって、おシリから年をとるのかしら。
 わが家のひとり娘は「ゆめ」っていいましてね、アメリカン・ショートヘアとチンチラの混血らしいんです。
 大震災(1995年)のあと街で迷い子になってるところを愛護団体のひとたちに保護されて、わが家に落ち着くことになったんです。

 顔はね、まだ娘のころそのままのベッピンさんなんですけど、うしろからながめますとね、おシリのあたりがいささかワビしくなってきて。
 おバアさんがちょっとガニマタかげんで歩いている感じ。

 ああ、もう、そうか、彼女と14年も一緒にいるのか…。
 震災のあと、山アリ谷アリだったなア。

 でも、まだやっぱりヒモが好きで。
 ハコの中が大好きで。
 荷物が配達されてくるたびに、好奇心を爆発させて。
 
 ネコジャラシのオモチャもどこからか探しだしてしつこいくらい、遊べ、っていうんです。
 心は永遠のみずみずしさ。

 でも、ゆめと歩調を合わせてわが家の夫婦も年とって、最近つくづくこう思っているんです。
 ひともネコと同じだなあ、心に年がない点では。
 鏡を見ると、レキゼンと高齢者なんですが、心をのぞくと年少者。

 ゆめと毎日、きゃっきゃいいながら、遊んでます。

豊麗な色彩―栃原敏子さんに赤そう社賞

2009-03-12 22:41:00 | 美術
 神戸を拠点に軽井沢のアトリエで制作に取り組んでいる画家・栃原敏子さんに、兵庫県芸術文化協会から「亀高文子記念―赤そう社賞」が贈られることに決まりました。
 赤そう社賞は、すぐれた創造で実績を積み上げてきた兵庫県の女性洋画家に贈られます。
 
 栃原さんは抽象性の強い画面に、大胆な表現を繰り広げている画家です。
 とりわけ色彩の豊麗さには独特のものがあります。
 トチハラレッド、トチハラブルー、トチハラブラックといってもいいでしょう。
 伸び伸びとした構成とあいまって、どれにも生命の躍動力、自然の底知れない深さ、宇宙の無限の創造力が現れているように見えるのです。

 10年ほど前にニューヨークへわたって作品を発表したのをきっかけに広く真価を認められ、帰国後は制作集団「ポウ」を主宰して、多くの後進にも大きな刺激を与えてきました。

 この賞は草分け時代の女性の洋画家・故亀高文子さんの基金で運営されています。
 亀高さんのアトリエが赤い屋根をそなえていたことから、赤そう社賞の名がつけられました。
 3月26日に兵庫県民会館で授賞式がおこなわれます。

 なお、栃原さんの作品についての評論が、本ブログの姉妹サイト・SplitterechoのWeb版にあります(KOBECAT 0030)。
 Splitterechoは http://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/