しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

小さな心の大きな痛み―死に脅えるこどもたち

2011-07-31 19:06:00 | くらし、商品
 幼稚園が夏休みで、孫が泊まりに来てましてね。
 かわいいんですよ。
 孫がかわいいというのは、たぶん遺伝子にすりこまれてるんでしょうね。
 理屈ではない。

 その孫が晩ごはんを食べていて、言うんです。
 猫ちゃんが死んでしまった、って。
 ママの実家の猫ちゃんが老衰で旅立ったらしいんです。

 みんなにかわいがられて、ありがとうっていいながら天国へ行ったよ、って慰めたんですが…。

 それで終わってたら、まあ、それで終わりだったんですが、そこで孫が言ったんです。
 わたし、死ぬの、こわい。
 ちょっと涙を浮かべましてね。
 びっくりしました。

 まだ5歳で、もう死のことに心を痛める。
 あわてましたよ。
 あなたにはまだまだ数えることもできないほど先のことで、そんなこと今はぜんぜん考えることなんかない、とかなんとかワイワイ言って。
 正直にいえば、ごまかして、まるめこんだというわけで。
 ほかにどうしようもないでしょう。

 だって、ありのままをいえば、こどもが小さな心で死のことをひとりで考えているときのその深い孤独、その深い孤独はどんな大人であっても手のほどこしようがないですから。
 どんな手も届かない。
 人間が生まれながらにしてもっている根源的なつらさ、といえばいいか。

 そして、ああ、そうだった、と思い出しもしたんです。
 そういえば、ぼくも幼稚園のころに死をとても恐れていたな、と。
 母親がね、よく言ってたんです、
 お母ちゃんはほんとうは死んでしまいたい、って。
 おまえがいるから仕方なしに生きてるけど…。

 のちになって母から聞いたところでは、そのころ、父親が浮気してたり、祖母との仲がうまくいかなかったり、経済的に苦しかったりで、母親自身が追いつめられていたようなんです。
 それで5歳の長男にぐちをこぼしていた。

 でも、こどものほうは本気で聞きますからね。
 あしたにでも不意に母親が死ぬのではないか。
 母親が家を留守にしたりしてると、もう死んだんじゃないかと思えてきて、泣きだしてしまうんです。
 ワアワアと大声で。
 思えば、近所迷惑なことでした。
 
 それに、自分が母親の重荷になっていると思いこんで、なにかヒリヒリするような日々を送ってたなあ、と。
 
 とにかく身につまされる気がします、こどもが死に心を痛めている姿というのは。
 5歳にして味わっているどうしようもない根源の孤独。
 孤独という言葉さえ知らないのに。

 いや、ぼくの孫だけじゃないですね。

 大震災と原発災害で苦しんでいる東北には、そのようなこどもたちがいっぱいいるんです。
 大人たちが復興へ没頭しているときに、こどもたちはそれぞれの深い孤独にひっそりと耐えている。
 今の日本の大きな不幸ですね。

 こどもが死におびえなくていい国へ。
 それはぼくら大人の責務ですね。

もう逃げ場はない、知恵を―原発災害

2011-07-24 22:18:00 | 社会
 牛肉の放射能汚染で騒いでいますけど。
 でも騒ぎかたが変ですよね。

 汚染牛肉さえ封じ込めたら、それで肉は安心だと、政府もマスコミもそんな言いかたしてるでしょう。
 けれど、それって、考えかたが逆ですよね。
 表にあらわれてくるのは、いつも氷山の一角。
 あれだけの牛肉から出るようだと、汚染はすでにはかりしれない規模で広がっている。
 そう考えるのがふつうでしょ?

 一億を超える国民が住む小さな列島の国ですよ。
 食材の流通速度はすごいものです。
 体のどこかが毒蛇に噛まれたら、猛スピードの血流に乗ってたちまち毒が全身に広がっていく、あれと同じことですね。
 一億の国民が毎日毎日胃に入れている食べ物と飲み物を全部検査するなんて、そんなことどだい不可能でしょう。
 検査の届かない圧倒的な領域で、もうぼくたち国民の全員が、せっせと放射能を摂取している。
 常識的に考えたら、そんなこと、なんなくわかることでしょう。

 放射能の拡散は気象条件によってとても流動的に動きます。
 ところが気象ほどわからないものもまたとない。
 地域ごとの微気象なんか、てんでわかっていないんです。
 無限に変容しますから。
 要するにカオス理論の世界です。

 無限は文学者には夢ですが、科学者には悪夢です。
 正確な方程式が作れない。
 政府や電力会社の発表するデータで、ぼくらの頭の中にはついなにか固定的なイメージがつくられますが、それはもうほとんど幻想です。
 自然はそんなおとなしいものではない。
 無限に暴力的で、無限に繊細。
 極大と極小の間をめまぐるしく揺れ動く。

 安全基準といったって、だいたいこうだろうというだけで、確実なことはわかっていない。
 ましてや個人個人では放射能の感受性も違いますから、ほんとうのところ影響はわからない。
 明らかになるのは30年後。
 個々人の肉体に異常が現われて、ようやく、ああ、これがあのときの原発災害のほんとうの結果なんだ、と。

 要するに、ぼくたちが、子供の世代や孫の世代に残す、これが最大のプレゼントだというわけです。
 
 これがぼくたちが今、現在進行形で共有している原発災害というものです。
 じっさいのところ、大騒ぎしてもぜんぶ手遅れ。
 もう逃げ場はありません。
 これがそうなんだと肝をすえて今後のエネルギー政策に取り組むほか、もう未来への道はないでしょう。
 国民全員が頭と心をクリアにして、知恵を働かすときなのです。

カッコよく脱原発いったけど―なんで菅さん腰砕け

2011-07-17 18:52:00 | セイジ
 菅首相がはっきりと「脱原発をめざす」と記者会見で言って。オッ、と思わせたんですけどね。
 民主党議員もやっぱりヘナチョコが多いんですね。
 脱原発へ続こう、という人がもういない。
 民主党内部の権力抗争にみんな浮足立ってしまっている。
 定見のない烏合(うごう)の衆なんですね、民主党も結局は。
 菅さんも舌の根が乾かないうちに「あれは私の個人見解でした」とたちまち戦線縮小。

 政界もそれを取り巻くマスコミも、もう小ネズミの集団みたいなものですね。
 ワイワイやかましく言うけれど、みんな核心からは逃げている。
 ズルいのは共通していて、カッコをつけることだけは忘れない。

 7月16日付けの読売新聞社説。
 「首相は脱原発への、夢のような構想を語っている場合ではない」

 7月14日付けの朝日新聞の論評。
 「首相はそれ(脱原発への具体的な方法とそれを支える根拠)をまったく示さなかった。これでは国民はついてこない」(東京・科学医療エディター)

 危機を乗り越えるのは、過去のワク組を超えた「夢のような構想」でしょうに。
 首相はまず「鈴をつけろ」と命令するのが仕事でしょう。
 肉付けはブレーンやスタッフがやればいい。

 「国民はついてこない」というその「国民」とは、だれのことをいってるんでしょう。
 菅さんがハラをすえたら、国民のひとりであるこのぼくはとことんついていきますよ。
 「国民」のなかにそういう人はけっこう多いんじゃないですか。
 朝日新聞の社員のなかの「国民」にだってそういう人はいるでしょう。
 それとも「国民」って、この記者さんが属している部の部員のこと?

 みんなでワイワイいってるうちに、危機だけは着々と広がり、深まり続けている。
 放射能の汚染から逃れられる人なんて、日本の四島にはだれもいません。
 なにも驚くことはありません、それが原発災害のごく当然のなりゆきです。
 こういうことになる、このこれが、原発事故というものです。
 
 しかし、菅さんという人、ここぞというときに腰が引けてしまうんですね。
 いずれにしても首相としてはもう風前の灯なんですから、自分の信じる方向へスパッと進めばいいですのに。

菅さん、事実上の白旗

2011-07-10 19:00:00 | セイジ
 菅さんが原発を争点に国会解散はしない、と言い切ってしまいましたねえ。
 最後の切り札を自分から捨ててしまった。
 もう終わりですね。

 結局、松本復興相の任命が命取りになりました。
 あれで党内がバラバラになってしまって、もう解散・総選挙のエネルギーもなくなった。
 事実上の白旗ですね。

 しかし、電力会社の腐り方はもう救いようがないですね。
 今度は九州電力でしょう。
 原発の再開を九州の人々が望んでいるようにみせかけるため、下請けの会社の社員たちに大量の賛成メールを出させていた。
 九州電力はこういう手をこれまでも使ってきていたようですね。
 オクの手が今度ばかりはバレちゃった。

 社長や会長は、自分たちトップは知らなかったとシラをきっていますけど、代々使われてきたオクの手をいまさら知らなかったって言ったって、そりゃあ、信じるほうがバカでしょう。

 原発の建設・運営には自民党政権いらいの政府が巨額の補助金(結局は国民の税金)を出し続けてきてますねえ。
 原発が造られた地域の住民にも多額の金がばらまかれてきています。
 金まみれの原発事業ですからねえ。
 腐らないわけがない。
 気高い起業家精神とか、高い企業倫理とかからは一番遠いところにいる。

 そんな腐敗企業が世界で最も危険な核産業をやっているというこの皮肉。
 いったん事故が起こったらどうなるか、それはもう東京電力にいやというほど見せられている。

 しかし菅さんのあとの首相がだれがなっても、原発には今より甘くなるでしょう。
 原発災害のこの悲劇的な現状を見て、なおかつ原発を維持するなんて、ふつうの心で考えれば、これはもう狂気の沙汰(さた)ですけどねえ。
 狂気の沙汰へ復帰していくことになるでしょう。
 
 一千年後にはまた今回と同じような大津波が襲ってくるという計算ですが、そのころ日本という国はもう無いんと違います。

無礼傲慢な松本大臣―菅首相の命取りに

2011-07-04 21:59:00 | セイジ
 ひどいですねえ、あれはひどい。
 復興担当大臣の松本さんのことですよ。
 被災二県の知事さんたちへの、あの無礼な態度。

 「知恵を出すやつは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」
 まるで小さな町工場のオヤジさんが、酒を飲みながら新人に説教するような。
 それも、知事さんを見くだすような傲慢(ごうまん)な口調で。

 被災地の知事さんたちがどれほど必死に復興に当たっているか、ふつうの心をもつ人なら自然に想像できることでしょう。
 これは政治家以前の問題。
 人間性の問題。

 こんな思いやりのない大臣に被災地の復興ができるものか。
 復興とは、人間の復興ですからね。
 究極的には心の復興。

 なんで菅さんはこんな人を大臣に選んだんでしょう。
 やっぱりワキが甘いんですね。

 これは菅さんの命取りになりますよ。
 がっかりですね。

菅さん、解散・総選挙へ決断を―原発国民投票へ

2011-07-03 17:53:00 | セイジ
 脱原発のことはマスコミも正面から書くのを避けていて、ぼやけたものになっています。
 最初は威勢(いせい)よく脱原発を説いていた新聞も、どんどん言い方が弱められて、今はもうヨレヨレです。
 カッコばかりの日本のマスコミのいいかげんさが、またしても表にはっきり出てきました。
 こんな記者たちがかつて日本を戦争へ巻き込んでいったのです。

 けれど、原発災害の発生からそこそこの時間がたって、おのずと全体の見取り図が見えてきました。

 電力会社は原発擁護(ようご)を貫こうとますます態勢を固めています。
 強硬な発言を繰り返す関西電力の八木社長を旗頭に、「国民が苦しむのは原発が動かせないからだ」という論法を全面に押し出して、反原発の流れを封じ込める構えです。

 原発を地元にもっている町村のほとんども、今ははっきり原発擁護を出しています。
 地域振興には原発から得る金が欠かせないというのです。
 人の命より経済のほうが大切だという論理です。
 大阪府の橋下知事が「それは本末転倒だ」と批判した論法です。

 さて肝心の政界はというと、ここもおおむね輪郭が描けるようになりました。
 自民党は原発を推進してきた張本人ですから、これが原発擁護なのはむしろ当然のことでしょう。
 問題は民主党ですが、大半の議員はどうやらはっきりと立場を表明したくない雰囲気です。
 ぼかしておくほうが保身のために安全だと、そういう本能が働いているのでしょう。
 マスコミのずるさと似ています。

 そんななかで比較的明快に見える唯一の政治家が首相です。
 脱原発への道しるべになるエネルギー法案にかける姿勢は、ほんものと考えていいでしょう。
 周りがみんなへっぴり腰でいるときに、首相ひとりが突出しているというのは少々異常な光景ではあるのですが、それがつまりは菅流なのかもしれません。
 しかし、脱原発に未来への夢をたくす国民にとっては、菅さんひとりが頼りです、という構図にますますなってきています。

 自民党と民主党のどちらに政権担当能力があるか、というようなぼんやりした争点で国会解散がやられるのなら、そんな解散はまっぴらです。
 どっちがやっても復興政策に大きな差が出るわけではありません。
 しかし、脱原発が争点なら、むしろ解散・総選挙に踏み出すべきだと思います。
 これはこれからの国づくりの根幹をどうするかという、今最大の緊急の課題です。
 国民すべてがかかわって早急に決定すべき問題です。
 原発解散と総選挙は国民投票としても最重要な意味を発揮することになるでしょう。

 かつて小泉さんは郵政民営化に絞って国会解散と総選挙をやりました。
 郵政という個別の問題で解散までするというのは、常識はずれの強引なやりかたでした。
 しかし今度の原発解散は、もし実行されるならまさしく国家的問題をめぐって行われるわけですから、大義もじゅうぶんあるわけです。

 あとは菅さんの決断です。