幼稚園が夏休みで、孫が泊まりに来てましてね。
かわいいんですよ。
孫がかわいいというのは、たぶん遺伝子にすりこまれてるんでしょうね。
理屈ではない。
その孫が晩ごはんを食べていて、言うんです。
猫ちゃんが死んでしまった、って。
ママの実家の猫ちゃんが老衰で旅立ったらしいんです。
みんなにかわいがられて、ありがとうっていいながら天国へ行ったよ、って慰めたんですが…。
それで終わってたら、まあ、それで終わりだったんですが、そこで孫が言ったんです。
わたし、死ぬの、こわい。
ちょっと涙を浮かべましてね。
びっくりしました。
まだ5歳で、もう死のことに心を痛める。
あわてましたよ。
あなたにはまだまだ数えることもできないほど先のことで、そんなこと今はぜんぜん考えることなんかない、とかなんとかワイワイ言って。
正直にいえば、ごまかして、まるめこんだというわけで。
ほかにどうしようもないでしょう。
だって、ありのままをいえば、こどもが小さな心で死のことをひとりで考えているときのその深い孤独、その深い孤独はどんな大人であっても手のほどこしようがないですから。
どんな手も届かない。
人間が生まれながらにしてもっている根源的なつらさ、といえばいいか。
そして、ああ、そうだった、と思い出しもしたんです。
そういえば、ぼくも幼稚園のころに死をとても恐れていたな、と。
母親がね、よく言ってたんです、
お母ちゃんはほんとうは死んでしまいたい、って。
おまえがいるから仕方なしに生きてるけど…。
のちになって母から聞いたところでは、そのころ、父親が浮気してたり、祖母との仲がうまくいかなかったり、経済的に苦しかったりで、母親自身が追いつめられていたようなんです。
それで5歳の長男にぐちをこぼしていた。
でも、こどものほうは本気で聞きますからね。
あしたにでも不意に母親が死ぬのではないか。
母親が家を留守にしたりしてると、もう死んだんじゃないかと思えてきて、泣きだしてしまうんです。
ワアワアと大声で。
思えば、近所迷惑なことでした。
それに、自分が母親の重荷になっていると思いこんで、なにかヒリヒリするような日々を送ってたなあ、と。
とにかく身につまされる気がします、こどもが死に心を痛めている姿というのは。
5歳にして味わっているどうしようもない根源の孤独。
孤独という言葉さえ知らないのに。
いや、ぼくの孫だけじゃないですね。
大震災と原発災害で苦しんでいる東北には、そのようなこどもたちがいっぱいいるんです。
大人たちが復興へ没頭しているときに、こどもたちはそれぞれの深い孤独にひっそりと耐えている。
今の日本の大きな不幸ですね。
こどもが死におびえなくていい国へ。
それはぼくら大人の責務ですね。
かわいいんですよ。
孫がかわいいというのは、たぶん遺伝子にすりこまれてるんでしょうね。
理屈ではない。
その孫が晩ごはんを食べていて、言うんです。
猫ちゃんが死んでしまった、って。
ママの実家の猫ちゃんが老衰で旅立ったらしいんです。
みんなにかわいがられて、ありがとうっていいながら天国へ行ったよ、って慰めたんですが…。
それで終わってたら、まあ、それで終わりだったんですが、そこで孫が言ったんです。
わたし、死ぬの、こわい。
ちょっと涙を浮かべましてね。
びっくりしました。
まだ5歳で、もう死のことに心を痛める。
あわてましたよ。
あなたにはまだまだ数えることもできないほど先のことで、そんなこと今はぜんぜん考えることなんかない、とかなんとかワイワイ言って。
正直にいえば、ごまかして、まるめこんだというわけで。
ほかにどうしようもないでしょう。
だって、ありのままをいえば、こどもが小さな心で死のことをひとりで考えているときのその深い孤独、その深い孤独はどんな大人であっても手のほどこしようがないですから。
どんな手も届かない。
人間が生まれながらにしてもっている根源的なつらさ、といえばいいか。
そして、ああ、そうだった、と思い出しもしたんです。
そういえば、ぼくも幼稚園のころに死をとても恐れていたな、と。
母親がね、よく言ってたんです、
お母ちゃんはほんとうは死んでしまいたい、って。
おまえがいるから仕方なしに生きてるけど…。
のちになって母から聞いたところでは、そのころ、父親が浮気してたり、祖母との仲がうまくいかなかったり、経済的に苦しかったりで、母親自身が追いつめられていたようなんです。
それで5歳の長男にぐちをこぼしていた。
でも、こどものほうは本気で聞きますからね。
あしたにでも不意に母親が死ぬのではないか。
母親が家を留守にしたりしてると、もう死んだんじゃないかと思えてきて、泣きだしてしまうんです。
ワアワアと大声で。
思えば、近所迷惑なことでした。
それに、自分が母親の重荷になっていると思いこんで、なにかヒリヒリするような日々を送ってたなあ、と。
とにかく身につまされる気がします、こどもが死に心を痛めている姿というのは。
5歳にして味わっているどうしようもない根源の孤独。
孤独という言葉さえ知らないのに。
いや、ぼくの孫だけじゃないですね。
大震災と原発災害で苦しんでいる東北には、そのようなこどもたちがいっぱいいるんです。
大人たちが復興へ没頭しているときに、こどもたちはそれぞれの深い孤独にひっそりと耐えている。
今の日本の大きな不幸ですね。
こどもが死におびえなくていい国へ。
それはぼくら大人の責務ですね。