現代美術家の嘉納千紗子さんの個展「INNER MIND」がcity gallery 2320(神戸市長田区)で開催されました(2020年3月7日~3月22日)。
圧巻は、近年制作されているストローの構造体のシリーズです。
接着されて束になった無数のストローが堅牢かつ柔軟な塊へと生まれ変わって、これは何という存在感でしょう。
そして「柔軟な」というのは、作品は確かに大きく形を変えるのです。
実際に嘉納さんが目の前で持ち上げ、その自在な変形ぶりを見せてくださいました。
また、ストローですから、正面から穴を覗けば向こうが見えます。こちらの眺める位置によってあちらの透ける場所が変わる、非常に表情豊かな構造物です。
そして、この色。
今回、白や黒のストローで作られた作品も展示されていましたが、やはり赤の存在感は圧倒的です。
血の色?
というより、これは肉の色、何か巨大な身体からえぐり取られた筋肉の塊がドカッとそこに横たえられているようにも思えます(その柔軟さを目にしたあとはなおさらのこと)。
これが噂の使い捨て文明、大消費社会の腹の肉? 証文が確かに物を言い、将来への借金のカタに取られた「心臓すれすれ」の1ポンド? いや、10ポンドは優にありそう……
それにしても面白いのは、この肉、肉体の部分を思わせる塊の核を成すのがストローの外側の部分なのか、それともこの穴なのか、という問題です。
そして私たちは嘉納さんの作品を前に、やはり直感的にそれは穴、あるいは空なのだと感じているのではないでしょうか。
さて、今回ギャラリーの2階では、以前に制作されていた「beyond a wire fence」のシリーズも展示されていました。
このシリーズについてはシュプリッターエコー Web版に山本忠勝が書いた記事があります(嘉納千紗子展「beyond a wire fence」http://splitterecho.web.fc2.com/backnumber.html#0005)
このとき山本忠勝記者(故人)の頭にあったのはまずカント(1724-1804)でした。
カントにおいては、時間と空間を形式とする感性を通じ、まず一定の内容が私たちに与えられ、それが純粋悟性概念(カテゴリー)という一種の篩(ふるい)にかけられ整理されることで、認識が成立するとされます。
その一連のプロセスというのは、この無限の奥行きをもった世界に格子、あるいは座標軸を重ねていくことだと、記者は話していました。
その格子のイメージは、つまりカントに限らず、概念による世界の把握という作業一般の比喩ともいえるのですが、むしろ言いたかったのは、その格子の目をどんなに細かく小さく厳密なものにしていったとしても、どこまでも空隙は、穴は残り、そこに世界の豊饒さ、無限性こそがかえって示されるということでした。
そしてこの嘉納さんのストローのシリーズを前にして、やはりその穴を、無限をめぐる問題が一貫して現われていることに気づき、ハッとさせられるのです。
圧巻は、近年制作されているストローの構造体のシリーズです。
接着されて束になった無数のストローが堅牢かつ柔軟な塊へと生まれ変わって、これは何という存在感でしょう。
そして「柔軟な」というのは、作品は確かに大きく形を変えるのです。
実際に嘉納さんが目の前で持ち上げ、その自在な変形ぶりを見せてくださいました。
また、ストローですから、正面から穴を覗けば向こうが見えます。こちらの眺める位置によってあちらの透ける場所が変わる、非常に表情豊かな構造物です。
そして、この色。
今回、白や黒のストローで作られた作品も展示されていましたが、やはり赤の存在感は圧倒的です。
血の色?
というより、これは肉の色、何か巨大な身体からえぐり取られた筋肉の塊がドカッとそこに横たえられているようにも思えます(その柔軟さを目にしたあとはなおさらのこと)。
これが噂の使い捨て文明、大消費社会の腹の肉? 証文が確かに物を言い、将来への借金のカタに取られた「心臓すれすれ」の1ポンド? いや、10ポンドは優にありそう……
それにしても面白いのは、この肉、肉体の部分を思わせる塊の核を成すのがストローの外側の部分なのか、それともこの穴なのか、という問題です。
そして私たちは嘉納さんの作品を前に、やはり直感的にそれは穴、あるいは空なのだと感じているのではないでしょうか。
さて、今回ギャラリーの2階では、以前に制作されていた「beyond a wire fence」のシリーズも展示されていました。
このシリーズについてはシュプリッターエコー Web版に山本忠勝が書いた記事があります(嘉納千紗子展「beyond a wire fence」http://splitterecho.web.fc2.com/backnumber.html#0005)
このとき山本忠勝記者(故人)の頭にあったのはまずカント(1724-1804)でした。
カントにおいては、時間と空間を形式とする感性を通じ、まず一定の内容が私たちに与えられ、それが純粋悟性概念(カテゴリー)という一種の篩(ふるい)にかけられ整理されることで、認識が成立するとされます。
その一連のプロセスというのは、この無限の奥行きをもった世界に格子、あるいは座標軸を重ねていくことだと、記者は話していました。
その格子のイメージは、つまりカントに限らず、概念による世界の把握という作業一般の比喩ともいえるのですが、むしろ言いたかったのは、その格子の目をどんなに細かく小さく厳密なものにしていったとしても、どこまでも空隙は、穴は残り、そこに世界の豊饒さ、無限性こそがかえって示されるということでした。
そしてこの嘉納さんのストローのシリーズを前にして、やはりその穴を、無限をめぐる問題が一貫して現われていることに気づき、ハッとさせられるのです。
(takashi.y)