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ブログ版 シュプリッターエコー

『南ラオスへの旅』付録 お友だちインタビュー “アジアの旅人” アサオさんにきく!

2020-05-16 00:45:00 | 地球
――アサオさん、ラオスへ行ったのは何度目ですか。

憶えてないですね。いっときは毎年行ってたから、たぶん15回以上…。



――確かに、アサオさんのブログ「63 Scott Street」のラオスの記事は現時点で21本、いちばん多いですね。

新婚旅行や家族旅行は記事にしてないから、それを含めるともっと多く行ってますかね。



――ラオスの魅力って何ですか。

何も無いことが魅力だとよく言われますね。隣国のタイには無数にあるコンビニが、ラオスには一店舗もありません。静かな環境と、そこに住む人の素朴な人柄に癒されます。タイには仕事で毎月行きますが、タイと比べればラオスは貧富の差があまりなくて、むしろみんな貧しいから平和です。



――記事を読んでいると、意外にというか、自然とか景観についての話が少なくて、人との一期一会的なエピソードが多い印象ですね。

そう言われてみると確かにそうですね。旅の移動中の出来事を書く方がテンションが上がるからかもしれません。目的地に到着したあとのことは、あまり記憶に残らないのかも…いや、残ってるんですけど、記事にするほどではないというか…単純に、自然環境にはあんまり興味がないってことですかね。



――自然に興味がないというより、人に強く興味があるということかなと思ったんですけど。

あ、そう! それ!



――日本や中国、タイにはいない人たちがラオスにはいるということ? たとえば日本の「田舎」に住む人々の「素朴さ」ともちがう…。

のんびりしているという意味では、日本の地方の人以上かも。玄関に鍵かけないお婆ちゃんみたいな。



――個人的には「2」の、小さな女の子の運転するバイクに乗って連れられて行くところが映画のシーンみたいで本当に好きです。写真もすごくいいし。あのときは怖くなかったんですか。

ぜんぜん。慣れたものでしたよ。免許もいらないような島ですから、おそらく親から乗り方を教わってるんでしょうね。まぁ実際には免許要るはずですが、取り締まる警察もいませんしね。



――面白い、と言っては、そんな幼い身で労働しているのは、本当は気の毒なことなのかもしれないけれど…

彼女は喜んでましたけどね。乗ってもいいんだ、という感じで。きっと昼間は父親が仕事で使ってるから乗せてもらえないんでしょう。ちなみに、食堂のテーブルで何か書いてたのは、宿題でもやってたんじゃないかな。レストランを経営してるので、学校に通えないほど貧乏ではないんじゃないかと。



――東南アジア随一ののんびりさかげんなんでしょうか、ラオスは。

ですね。
ただまぁ、ラオスも北部と南部とでは、だいぶ事情が異なるようです。山に囲まれた北部の人に比べると、南部の人は明るいというか大雑把というか、あまり細かく考えてないんじゃないかと思わされましたね。シーパンドンまで連れてやるとか言いながらバスターミナルに案内したり(「1」参照)。
スペインなんかでも北部と南部ではぜんぜんちがいますしね。カミュじゃないですが、太陽のせいなのかもしれません。
あと、ラオス北部の「暗さ」はベトナム戦争に巻き込まれた歴史があるからかもしれません。今でも山中で不発弾で死んだり、腕や脚を失う人がいるそうです。



――まだ「未踏」のアジア国はありますか。

バングラデシュとかネパールとかブータンですかね。
でも、行き慣れたラオスでもまだまだ行ったことのないところがあるので、そういう意味では心惹かれる未踏の地がラオスにもあります。
実際、他の国はあまり興味がないですね。自分にとっては行く意味がない、と思ってます。



――「行く意味」って? もう少し詳しく。

メコン川に惹かれるんですよ。一度ブログに書いたけど、なぜだか自分のルーツがそこにあるような…すごく懐かしいような気がするんです。鮭が遡上するような感じでしょうか。



――そう、さっき自然はあんまりって話してたけど、メコンについて訊きたいって思ってたんです。ガンガー(ガンジス川)に行ったけど何も感じなかったと前に話してましたよね。

そうなんです。ガンガーは何だか違うんです。
遺伝子に刻まれた何かがメコンに反応するような、そんな気がしています。



――不思議ですね、でも人間というか人類の歴史を考えると不思議ではないのかもしれませんね、それより、幸福ですね、自分のふるさとのようなものが見つかったのなら。

そういえば、神社の鳥居のルーツはメコン流域に住む少数民族の集落にあるという説を聞いたことがあります。ルアンパバーンでは、狐が2匹一対になって大きなお寺を守ってるんですよ。



――そうだ、訊きたいんですけど、「3」でお財布盗られたというのは、置き忘れたってことですか。

盗られたのか紛失したのか本当のところは分からないんですけどね。



――そうなんですね。

そっちの財布にはタイバーツとラオスキップ(ラオスの通貨)しか入れてなかったので、軽く考えて寝室まで持って入らなかったんですよね。日本円やクレジットカード、それと会社のお金は後生大事に寝室の枕元まで持って入ったので、それだけで安心してたんです。



――ふんふん。

財布はバンガローを出る時には既に無かったんだと思うんですけど、夜、電気点けっ放しでろくに寝られなかったので、半分寝ぼけてたかなとも思います。で、隣なんて無いと驚いて財布のことを思い出した次第でした。
思い返すと、母屋から離れてポツンと建ってる小屋に泊まる外国人なんて、良いカモですよね。



――なんかときどき…いえ、わりと、うっかりエピソードないですか。

うっかり多いんですよ。インドではパスポートを移動前の町に忘れてきたり、中国の雲南省では山中で遭難しかけたり…



――いや…そんなトラブルに見舞われても無事帰国できたというのは、旅のエキスパートというべきなのか何だかよくわかりませんが、さてさて、今回で「南ラオスへの旅」のシリーズは完結だそうですが…

はい、終わりです。



――楽しみにしてた連載なんで寂しいです。はやく次のシリーズをお願いします。

しかし家族や会社のことを考えると、若い頃のようには行けませんから、次の旅はいつになることやらですね。



南ラオスへの旅3

2020-05-04 17:58:00 | 地球
小さな集落に入って程なく、目的の宿「ポメロゲストハウス」に到着した。
素朴な看板に導かれて数歩歩いたところで、小さな門扉の向こうにウッドデッキのテラスが広がっていた。
すぐ手前に西洋人のカップルが向かい合って座っていた。
 「Hi.」
と声を掛けられ、
 「サバイディー。チェックインしたいんだけど、何処に行けばいい?」
と尋ねたところ、
 「ようこそ。ここでいいわよ。」
と女性が答えた。
 「え、オーナーは何処に?」
 「彼女さ。ぼくはスタッフさ、何もやらないけどね。」
と男が言ったが、冗談なのか女が笑った。
テラスはメコン川に向かって迫り出すように造られていた。屋根は無く、夜気を含んだ心地よい風が昼間の暑さを忘れさせる。中央にはウッドデッキの下から大きな樹が伸びていて、大きな緑の実を成していた。なるほど、ポメロゲストハウス。樹に成っているのは正しくポメロだった。
ポメロとは日本で言うところのザボンに該当するだろうか、とにかく大きな柑橘類の果物だ。タイではよく薄皮を剥いた実をプラスチックの食品トレイに並べて売っている。果実を構成する一粒々々がとにかく大きく、しっかりと固いので食べ応えがある。そして頬張った時に拡がる爽やかな、しかし甘過ぎない風味が私を虜にさせた。それだけにこの宿が気になっていたのだった。

 「あら、日本人?あちらの方も日本人よ。」
テラスのソファーで寝転びながら本を読んでいる男がいた。こちらを向く訳も無く、恐らくは人里離れた所を好んでここまで来たのだろう。こんな辺境まで来て日本人と会う不運を呪っているに違いない。同国出身の客に声を掛けない私に、彼女は不思議に思ったらしい、一瞬の間が空いた。
 「貴方がたは何処から?」
 「スイスよ。」
 「なんでまたこんな所に宿を?」
 「あら、多いのよ。あっちの島でも欧州人が開いている宿いくつか知ってるわ。」
北部ラオスでは中華系の宿をいくつも見たが、陽を浴びられるこちらでは欧州人の人気が高いということだろうか。もっとも北部に中華系が多いのは、中国からタイへ抜ける交通の要衝としての理由だろうが。

 「部屋に案内するわ。」
と女主人から電気ランタンを渡され、テラスから外に出た。民家の窓から灯りが漏れているものの、周囲はほぼ闇に近い。慎重に足元を確認しながら歩く。
母屋から2~30メートルぐらい歩いただろうか、思っていたより距離がある。私の部屋は一軒のバンガローだった。二部屋から成るスイートで、リビングと寝室、浴室と連なった手洗い。浴室の床板には敢えて隙間を空けていて、水はそのまま地面に落ちる。テラスには小さなテーブルと椅子が二脚。カンボジアへ続くメコン川の水平線を眺望できる。こんな部屋で一泊しか出来ないのはなんと惜しいことか。

 「ところで、明日の帰り道にコーンパペンの滝を見たいんだけど。」
 「コーンパペンはちょっと遠いわね。朝7時にここを出ることになるけど、それで良ければタクシーと船を手配しておくわ。」
 「幾らぐらいだろう。」
 「調べておくわ。」
 「後で夕食を食べに行くから、その時に教えてもらえたら。」
そう行って彼女が去った後、堪らずすぐに服を脱いで、シャワーで昼間の汗を洗い流した。

夜、財布をリビングの机の上に置いたまま床に就いた。日本に持ち帰るべくバンコクで引き出した会社の金はリュックに入れ、寝室に持ち込んだ。隣のバンガローにも客がいるのか、遅くまで2~3人の男の話し声が聞こえていた。気味が悪く、寝室の照明をずっと点けたまま眠りに就いた。

朝7時、リュックを持って母屋へ向かおうと外に出て初めて気付いた。隣にバンガローなど無い。私の部屋は全くの一軒家だったのだ。昨夜の男の声は何処から聞こえていたのだろう。すぐに戻ってリビングに置いた筈の財布を探したが、忽然と無くなっていた。

母屋へ行き、女主人に理由を話し、日本円を入れていた別の財布から宿泊代を出そうと思って1万円札を見せた。
 「日本円で払わせてもらえないかな。」
 「ごめんなさい、日本円は扱っていないの。これが幾らかも分からないの。」
と言われても、タイバーツは幾らも残っていない。リュックの中の会社の金を調べると、バンコクで両替した大量の日本円と半端なタイバーツがあった。パクセーに帰るには何とか足りる。流用した分はバンコクで自分の金から補填すれば済む。しかし宿泊代は…
と肩を落としている間に、男が女主人を呼んでパソコンを見せた。
 「えっ!」
と彼女は声を上げ、慌ててレジを引き出し紙幣を数え始めた。
 「両替レートで日本円を調べたわ。幾らお返しすればいいかしら。」
と私は逆に訊かれる立場となった。
しかし財布を失ったのは明らかに自分の過失だ。盗られたという証拠が無い以上、自分が紛失したことに違いはない。
 「財布を失くしたのは私のミステイクだから、このまま受取って下さい。」
 「そんなの申し訳ないわ。」
 「いやいや、申し訳ないのは寧ろ私ですから、どうぞこのまま。」
と押し問答になって、彼女は何度も「ごめんなさい」と謝った。彼女らを逆に恐縮させてしまい、申し訳ない気持ちを残したまま、迎えに来たシクロで宿を後にした。
人柄がとても良い、フレンドリーな宿だった。また必ず来よう。今度は3日は泊まるつもりで是非来たい。そう思わせる、素晴らしい宿だった。


余談:
冷房付きのバスでパクセーに帰って驚いた。
ターミナルでも何でもない住宅地で、バスは終点となった。
「バスターミナルは幾つもある」とはこのことだったのかと、漸く納得した。

(アサオケンジ)



桃栗三年柿八年 椿もどうやら七、八年?

2020-05-03 18:03:00 | 都市
今から7年前、こどもを幼稚園に送り迎えしていた頃、たくさんの椿の木が植えられている小道を毎日通って通園していた。

瑞々しさを感じる艶やかで深い緑色の葉。
透明感のある花びら。黄色い糸のような雄しべが筒状に集まっているその可愛らしい姿。

椿の木達は日陰に楚々と慎ましく植わっているのだが、白に赤を散らした大輪の花をつけていたり、幾重にも重なる品の良い薄い桃色の花びらをお椀の形に整えて咲いていたり、花々を溢れんばかりに咲かせて壁のような生垣になっていたり、姿形もそれぞれ違ってたいへん魅力的である。



そんな素敵な小道を通りながら、実は私は虎視眈々と狙っていたのである。そう、眺めるだけでなく手に入れたくなる強い欲望をかきたてられていたのだ…!
花はたくさん咲いているからといって摘んでいいものでは断じてない、と思っている。
挿し木とか言って人んちに咲いた花の枝を切って自分ちに移植してる方もいらっしゃいますが、された方としては毎年咲いてるのを見る度に何だかちょっと釈然としないものです。
しかし手を出して許されるものが唯一あるんじゃあないかな、とも常々思っていて、何かと言うとそれは種子。実の状態もやはり手を出してはいけなくて、からからに乾いたタネがもうすぐ地面に落ちますよ、あるいは落ちている、その状態の種なら手に入れても構わないのではないかという、マイルールに則るわけである。だって落ちてるもん。ほっとくと芽吹いちゃうから。すでに芽吹いてるやつがほらあっちにもこっちにも。

日時を見計らったある日、団栗を拾うかのごとく落ちまくっているタネを園児に集めてもらい、一目見ただけでそのタネの価値がわかる保護者にも「おっいけるクチですね」みたいな調子でそれを譲り、何種類かのタネを手に入れた。

拾った椿のタネは水に沈めておくと発芽率がいいと教えて貰い、小さな庭に植えて今年で7年。毎年葉のみを愛でる形になっていたのだが、ようやく、ようやくひとつだけ蕾をつけたのである!
しかし咲く前に何かに食べられてしまった。僅かに残った花色の部分からみて私のいちばん欲しかった椿ではなさそうなのだが、来年は無事に咲かせられたら、と思う。


さな