しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

豪栄道と安美錦の“五月の風”

2015-05-12 13:11:00 | スポーツ、オリンピック
 夏場所の二日目、今の季節の風のようなさわやかな土俵を見ました。
 取組も終盤の、大関・豪栄道と前頭二枚目・安美錦の対戦でした。
 勝負は立ち合い間もなく、豪栄道のはたき込みで決まったのですが、目をみはらされたのはその直後のことでした。
 安美錦がつんのめって土俵を割り、下へ落ちようとするのを、豪栄道がうしろからまわしをつかんで止めたのです。
 こんな場合、ダメを押すためにうしろからもう一発ドンと突くというのは、これまでに何回も見てきましたが、引き止めるのを見たのはこれが初めてでした。

 土俵は土を相当に高く盛って造られています。
 勢いがついたまま転落して大ケガをした力士を何人も見てきました。
 それで関取人生を縮めてしまった人も少なくはありません。
 そんな危険が豪栄道の頭を一瞬かすめて、思わず腕を伸ばしたのではなかったでしょうか。

 近年は外国人力士がふえるにつれ、土俵の上にも、とにかく勝つ、なりふりかまわず勝つ、という風潮が顕著になってきたように思えます。
 もとをたどれば神に捧げるためにおこなわれた相撲ですが、祈りの型も清めの型も、いまはただ形式として残っているだけのようにしか見えません。
 まあ、娯楽としてのプロスポーツですから、そのことに目くじらを立てるつもりはありませんが、ただ国技とまで言われる相撲が心をすさませるような殺伐(さつばつ)なものになっては寂しいと思うのです。

 
 豪栄道も安美錦もふだんからさわやかな雰囲気をはなつ力士で、もともとぼくはふたりとも好きなのです。
 ですから、ああ、やっぱりこのふたりだからこういうことも起こるんだなあ、とも思ったのですが、ほんの一瞬、土俵の隅に吹いた、深くて大きくて、そして救いにきらめく薫風でした。

美学に敗れた白鵬

2015-05-10 21:29:00 | スポーツ、オリンピック
 横綱の白鵬がいきなり小結の逸ノ城に敗れました(夏場所、初日)。
 立ち合いからがっぷり右四つになったとたんに、逸ノ城が右を抜いて突き落とし。
 ほとんど動きというような動きのない、むしろなにかの間違いのような、あっけない一番でした。

 いかに白鵬とはいっても、相手はマンモスのような怪物です。
 四つに組んでしまっては、ちょっと勝ち目がありません。
 立った瞬間に、ぼくのようなシロウトでも、あっ、やばい、と思わずうめいたのでした。

 白鵬もむろん危険は承知の上だったことでしょう。
 どんなワザでもやわらかくこなせる白鵬です。
 これまでどおり、その気になれば一蹴する方法はいくらでもあったのです。
 それでも四つにいきました。

 やっぱりそこには理由があったのだと思います。
 ぼくも、やばい、と思うその裏で、そうだな、これしかないな、と納得してもいたのです。
 そう感じさせるものが、かれの体が濃厚に発散していました。

 夏場所の初日です。
 横綱にふさわしい姿で堂々と受け止めたい、それがかれの心にみなぎっていた強い意志だったと思います。
 それがかれの美学です。
 美学を貫きたかったのです。

 しかし逸ノ城には美学などという余計なものへのこだわりはありません。
 勝機があればなんでもやるのが、このハングリーな若者の流儀です。

 近衛部隊の美しい大佐がゲリラと戦うようなものでした。

 白鵬のこの初日の敗戦は、今場所をとても難しいものにするでしょう。
 いつかどうしても来ることになる引退を一、二年早めることになるかもしれません。
 しかし近来まれに見るこの美しい横綱には、そうするほかなかったといえるでしょう。

 それが白鵬という男の宿命でもあるのです。

落合さんはどこへ行く

2011-11-19 21:46:00 | スポーツ、オリンピック
 今年の日本シリーズでもそうですが、ドラゴンズの落合監督はピッチャーの交代を審判に告げてベンチへ帰ると、そのまま奥の小さな出入り口から出ていきますよね。
 毎度、決まってそうですね。

 どこへ行くんですかね、あれは。
 トイレですかね。
 気になりますね。

 うちのカミさんはこう言うんです。
 トイレじゃないわよ、決まってるじゃない、奥さんに報告に行かはるんよ、ピッチャーをだれそれに替えました、よろしくご了解ください、って。
 すると奥さんがこう言わはるの。
 よろしい、では霊力を送ります、がんばりなさい。

 どうですかねえ。

いいじゃない、ガッツポーズ―朝青龍

2009-09-29 22:06:00 | スポーツ、オリンピック
 朝青龍が優勝のうれしさから土俵上で思わずガッツポーズをしたってこと。
 なんで、あれが悪いんです?

 横綱審議委員ムラでは、国技の品格を壊す、というような意見が出されたそうですが。
 でも、ぼくらにはごく自然に見えました。
 むしろ朝青龍の大きな喜びがありありと伝わって、ああ、苦しかったんだなア、と感動さえしましたよ。

 正直いって、今の相撲を「国技」と意識したことなんか、あまりないですね。
 たくさんあるスポーツのうちの一つとして楽しんでいる、それだけですね。

 相撲の世界に日本人としてのお手本のマナーがあるなんて、そんなこと、もうだれも考えてはいないでしょう。
 そうだとしたら、かえってキショクワルイ。
 要するに、親方―子分のムラ共同体でしょう、いまだにあそこは。
 でなきゃあ、朝青龍の親方がわざわざ「うちの横綱が土俵でガッツポーズをしたこと、もうしわけありませんでした」なんて父兄会みたいに謝る必要もないでしょう。

 コクギ、コクギ、とやかましく言うんなら、そもそも外国人の力士をスカウトしてくるのが間違っている、とうちのカミさんなんかは言いますね。
 「立派な日本人になっていただくために、貴殿(きでん)を日本の相撲界にお招き致したい」なんて、そんなギョウギョウしい注文をつけて外国人力士を入門させるわけじゃないでしょう。

 みんな裸一貫で一攫千金の夢が果たせるジャパニーズ・ドリームをめざして来るのだし、スカウトする親方にしても、じぶんの部屋から幕内力士を出して部屋の収入と名声を高めたいというのがホンネでしょう。

 「国技」なんて、有名無実ですよ、もう。
 柔道ではなにがなんでも日本が金を取らなきゃいかん、というのと同じように、時代錯誤(じだいさくご)。

 もっと明るく、もっと開放的に、もっと国際的に、楽しめばいい。
 でなきゃあ、大相撲じたいが生き残れない。

 いまや、朝青龍や白鳳や日馬富士や琴欧州のいない大相撲なんて、なんかチマチマして、面白くもないでしょう。
 お客さんも呼べません。
 形ばかりの神事みたいになっちまう。

日韓カミ一重―ワールド・ベースボール

2009-03-25 23:12:00 | スポーツ、オリンピック
 日本の代表チームと韓国の代表チームのWBC優勝戦(ロサンゼルス)、すばらしいゲームでしたね。
 紙一重でしたね。
 ほんとに、どっちが勝ってもおかしくないゲームでした。

 両チームの選手とも、もうプロ野球の選手とは思えないような、まるで少年のような懸命さでぶつかり合って。
 
 韓国の選手たちには、負けたあとでも何かすがすがしい空気が漂っていましたが、日本が負けていても、おそらく同じようにさわやかな空気があったでしょうね。
 あんなふうに全力を出し合ったあとには、そのように心が明るんでくるんでしょう。

 それにしても、ベースボールのメッカでその頂点で戦ったのが、アメリカ大陸のチームではなく、アジアの東端の、それも隣同士の二国だったというのは…。
 しかも、あんな美しい試合を。

 紙一重でした、ほんとうに。

上手に負けた?韓国―ワールド・ベースボール

2009-03-20 23:15:00 | スポーツ、オリンピック
 WBCで侍ジャパン(日本代表)が韓国に上手に勝ちましたねえ。
 でもそれよりもっと上手に韓国は日本に負けたのかもしれません。
 準決勝で当たる相手のことを考えれば。

 日本は韓国に勝ったおかげで、アメリカとぶち当たることになったでしょう。
 いっぽう、韓国の対戦相手はベネズエラ。
 ハカリにかけたら、さて、どっちが有利になったでしょう。

 もっとも、もし今日の試合で日本が韓国に負けていたら、もう韓国には歯が立たないという気分になってしまっていたでしょうから、日本には勝つほか道がなかったわけですが。

 ところで、今回のWBCで日本と韓国の対戦を見ていて、勝っても負けてもちょっとうれしいことがあります。
 以前のような民族の怨念(おんねん)がぶつかり合うような暗い雰囲気が消えて、お互いにええゲームをやるなあ、といった感じのカラッとした気分に両国とも変わってきたということです。
 むしろ決勝ラウンドにアジアから二国がそろって上がったことに、なにかしら喜びを感じません?

 日本と韓国は過去にうんとさかのぼれば、もともと同じ流れの民族ですからねえ。
 ザクッといえば、同じ民族のうち、朝鮮半島に残ったものが韓国人になり、日本列島に渡ったものが日本人になったんでしょう。
 
 日本語の文法は世界の言語のなかでは特殊だというようなことを言われますが、韓国の言葉とは構造がまったく同じですからねえ。
 だから単語さえ覚えれば、韓国の言葉は日本人にもじき話せるようになるんです。

 ゲームを見ていても、試合の運び方が似てますし。
 心の奥底に共通に流れているものが出るんです。
 WBCで互いの理解が深まれば、それは優勝することより大きいな、とそんなふうに思うんです。

美しい鬼だった―清原選手引退

2008-10-02 00:36:41 | スポーツ、オリンピック
 ゆうべのことです。
 JR三ノ宮駅の角の交差点に人だかりができていました。
 テレビに見入っている人びとでした。
 
 テレビの画面では大映しになって男の顔が泣いていました。
 鬼のようなコワい顔をくしゃくしゃにして泣いていました。
 野球の鬼となった男です。

 鬼は、京セラドームの、その上の、夜空に向かって叫びました。
 「天国の仰木監督、ありがとうございます」
 しぼりだすように叫びました。

 23年前、甲子園球場で笑顔を輝かせていた高校球児。
 あのさわやかな若者が、あのあとプロ野球の世界に数々の記録を残し、そして鬼のような顔になって、いま現役を去ろうとしているのです。
 プロ選手としての闘いの年月が、闘いの人生が深く、深く、刻まれた顔なのです。 
 退場の花道では、5歳と3歳になる彼のこどもが待っていました。

 清原選手の涙をテレビで見たのは二度目です。
 
 一度目は20年ばかり前の秋、西武ライオンズの選手として日本シリーズで読売ジャイアンツと対戦し、優勝を決めた日のことです。
 勝利が決定的となった最終回、彼は一塁ベースを守りながら、ハラハラと、まるできらめくような大粒の涙を落としました。
 その瞬間をテレビカメラがクローズアップでとらえました。

 プロ世界の入り口で清原選手はいきなり残酷な裏切りに遭いました。
 ジャイアンツが指名を約束しておきながら、ドラフト会議では清原選手の親友の桑田投手を選びました。
 清原選手は大阪の生まれですが、心からジャイアンツにあこがれていたのです。
 最も愛するものからの思いもかけなった裏切り。
 日本シリーズの落涙には、二重にも三重にも、あるいは四重にも五重にも、複雑な心の動きが見えました。

 けれど少年時代に心にはぐくまれたあこがれは、彼じしんにさえどうすることもできないほど強く、深く、熱いものだったのでしょう。
 1996年、FAを取得してついにライオンズからジャイアンツに移ります。
 タイガースの当時の吉田監督が、タテジマのユニホームをヨコジマにしてもいい、清原を大阪に迎えたい、と申し出たのさえ蹴って、です。

 しかしその夢のジャイアンツがまたしても裏切ります。
 年齢を重ねるに従って故障が出はじめ、往年の活躍ができなくなるのはプロの選手の宿命です。
 衰えていく力を取り戻すため、選手もひそかに自分との死闘を繰り広げていくのです。
 清原選手が鬼の顔になったのも、そのころからのことでした。
 けれどジャイアンツはとうとう彼を放り出してしまうのです(2005年)。
 キャリアも誇りも大きな傷を受けました。
 
 救ったのは、オリックス・バファローズの仰木監督(故人)でした。
 「おまえの花道はボクが絶対につくってやる。大阪へ帰ってこい」
 
 だが、ヒザの故障が悪化して、出場もむずかしくなってきました。
 復帰をかけて、手術、トレーニング、とそこにどんなに人知れない苦闘があったか…。
 鬼の形相が深まりました。

 しかし人間とは不思議なものです。
 そんな彼に昔のような罵声(ばせい)を浴びせるものはもういませんでした。
 三振にも大きな拍手が飛ぶようになりました。
 彼がバッターボックスに戻ってくれば、ファンはそれで満ち足りました。

 「大阪、そしてオリックスバファロ-ズのみなさん、思うように活躍できず、申し訳ありませんでした」
 あの大選手が、なんと長い時間、ダイヤモンドの真ん中で頭を下げていたことでしょう。
 
 テレビの前の男たちからもあちこちで鼻をすする音がたちました。

 みなが心のなかでこんなふうに言っているように見えました。
 鬼よ。
 もう鬼でなくていい。
 小さなふたりの少年のパパに帰れ。

 美しい鬼でした。 

坊さんチームで戦おう!

2008-08-30 21:47:00 | スポーツ、オリンピック
 星野ジャパンの敗退を、代表選手の精神力が弱いからだ、と批判する人たちをヤユして、プロ野球解説者の一枝修平さんがラジオで実にウマいことを言っていました。

 「精神力で野球が勝てるものなら、お坊さんを送りだしたらええやないですか」

 ムベなるかな。

 でも、まっ黒なユニホームにケサをかけて丸坊主の選手たちがグラウンドに出てきたら、相手はびっくりするでしょうね。

楽しかった、と言っておくれよ星野さん

2008-08-25 23:13:00 | スポーツ、オリンピック
 野球の日本代表が帰国しました。
 星野監督以下、選手全員がまるで総謝罪、総懺悔(そうざんげ)のありさまです。
 しかし、なにも悪いことをしてきたわけではないのですから、そこまでシリアスな謝罪や懺悔は必要ないと思います。
 負けたけれど、楽しかった、とそういう顔で帰ってくればいいんです。

 むしろ負けたら懺悔しなければならないような、そんな心理に追い込んでしまうこの国の精神状態が、選手たちを呪縛(じゅばく)、自縛(じばく)することになって、日ごろの実力を発揮できなかったのではないかとも思います。
 結局、ぼくらはぼくら自身に負けたんじゃないですか。

 だいたい、韓国もキューバもアメリカも、みんな命がけの連中ですからね。

 韓国は、もし3位以内に入れたら選手の兵役を免除すると、政府がそんな約束をしていました。
 こんな不気味な世界情勢のなかで兵隊にとられるなんて、そりゃあ、本気でいやですよ。
 日本の選手だって、そういう状況の中だったら、韓国の選手のように自分からボールに当たりにいっても塁に出ようとしたでしょう。

 キューバは野球が国技で、野球チームは国家の宣伝隊なんです。
 国の税金から一般の国民では考えられないような高額の給料をもらって、特権的な暮らしをしているわけですから、凡プレーをしてそれで負けたりすれば、いい生活も名誉も恵まれた社会的特権もぜんぶ失ってしまいます。
 生存がかかっています。
 必死ですよ。

 アメリカは日本でいえば二軍にあたる3Aの選手でチームをつくっていました。
 大リーグ(一軍)の選手たちだったら、まあプライドの問題はあるでしょうけど、必死のパッチというようなことにはならないでしょうから、前回のワールド・クラシックのような番狂わせも起こったろうと思いますが、二軍の選手にとってはオリンピックで活躍すれば、大リーグに上がるチャンスが開かれるわけですから、これは必死のパッチになりますよ。
 ハンバーガー暮らしから脱出して、贅沢なメニューをたらふく食って高級車に乗って豪邸に住める生活が北京のあのワビシい野球場にぶらさがっていたというわけです。

 まあ、こんな命がけの連中が相手なんですから、勝ちを譲ってもいいでしょう。
 ナントカという団長さんが言ったような、早くから統一チームを作って、みんなでオリンピック村で共同生活をしたら勝てる、なんてそんな簡単な問題ではありません。
 むしろよく4強の一角にまで食い込んだと、ほめはしないまでも、ねぎらいの拍手を送ってあげてもいいんじゃないですか。
 ぼくはそう思いますけどね。

 もっとも、もし日本が金メダルを取っていたら、ただただ名誉のために、主体的な人間の集団が、主体的に力を尽くして世界野球の頂点に立った、ということで、これはもう、まったく美しいことでしたが…。

おめでとう、韓国野球

2008-08-23 23:45:00 | スポーツ、オリンピック
 野球は韓国代表がキューバを破って優勝しました。
 3-2で迎えた9回裏のキューバの攻撃では、プエルトリコ人のアンパイア(球審)がキューバに勝たせようとして、ド真ん中の球をボールと宣告するような、そんなひどい判定で1死満塁まで詰め寄られましたが、監督を先頭にそれを冷静に乗り越えてダブルプレーで乗り越えました。
 見事な闘いでした。
 韓国の皆さん、おめでとう。

 決勝トーナメントでのイ・スンヨプ選手の活躍が印象的でした。

 イ選手は韓国の主砲ですが、日本との準決勝に臨むまでは打率1割台という不調に苦しんでいました。
 しかし自分の立場を見失うようなことはなかったのです。
 日本戦を前に若手の選手の中にはさすがに不安感が漂っていたようですが、イ選手は4番バッターとして、そして先輩選手として「ぼくを信じろ」と言ったそうです。
 韓国の選手にとって3位内にはいることは、兵役を免除されて野球に専念することを約束されるわけですから、その切実さはぼくらの想像をはるかに超えたものなのです。
 イ選手の一言でようやく若手の中に落ち着きが戻りました。

 実際、日本戦では8回一死一塁から勝利を決定づけるホームランを打ったのです。
 そしてキューバとの決勝戦では1回にいきなり2ランホームランをかっとばして、ゲームの主導権を握りました。

 さて優勝戦は終始緊迫したシーンの連続で、すばらしいゲームになりました。
 しかし最終回になっていよいよキューバの敗戦が濃くなると、プエルトリコの球審が露骨にキューバ寄りの判定を始めました。
 韓国投手の投げる球をなんでもボールと言い出したのです。
 四球が続いて、満塁にまでなりました。
 韓国の捕手がたまりかねて、ひとこと審判に言ったのですが、たちまち理由も告げずに退場が命じられました。
 
 偏った判定はテレビでも歴然としていました。
 一方、ラジオを中継していたNHKアナウンサーの松本秀夫さんと解説者の野村謙二郎さん(元広島カープ)は、この審判の暴挙を的確に放送しました。
 このような判定がまかり通っていては、野球はやはり世界では二流のスポーツと見られ続けます。
 真実を電波に乗せた両氏の勇気は、オリンピックの陰の金メダリストです。

 おそらくラジオを聞いていた日本のすべての野球ファンが、最後は韓国を応援していただろうと思います。
 ぼくたちもそうでした。
 韓国の皆さん、おめでとう。

 そして逆境にも冷静に対処してチームを勝利に導いた韓国の監督に心からの敬意を送ります。
 おそらく敗北も覚悟しての静けさではなかったかと思います。
 立派でした。

 イ・スンヨブ選手は韓国に凱旋したあと日本に戻って、また読売ジャイアンツでプレーをします。
 タイガース・ファンのぼくらとしては、手ごわい選手が戻ってくるわけですが、しかしそれはそれとして、よくやった、と拍手で迎えたいと思います。
 イ・スンヨプさん、おめでとう。