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ブログ版 シュプリッターエコー

裏返ったアメリカ…新大統領の就任式

2017-01-21 18:19:00 | 国際
 ハメルンの笛吹き男という民話があります。
 男が笛を吹くと町じゅうのネズミが憑(つ)かれたようにそれに従い、やがて町じゅうの子供たちもそれに乗って、踊りながらどこかへ消えてしまったというのです。
 ドイツでほんとうにあったことだといわれています。

 アメリカの新大統領の就任式でトランプさんが演説するのをながめていて、すぐに重なったのがこの笛吹き男のことでした。
 新大統領は怒鳴るように「アメリカ第一」を繰り返し、それに煽られた参会者が怒号するように歓呼の叫びを上げるのです。
 「アメリカ第一」の笛の音にみなが酔いしれるようでした。
 理性の声は吹き飛ばされたようでした。

 黒人大統領の歴史的な誕生となったオバマさんの就任式が、理性の勝利を強く印象づけたのに比べると、この変わりようはどうでしょう。
 同じ国の出来事とはとても信じられません。

 むしろなにか暗いものの大きな噴出のようでした。 
 オバマ政権のもとで抑えられてきた憎悪や嫉妬や怒りや欲望の巨大な噴出のようでした。

 
 トランプさんには“隠れ支持者”が多かったといわれます。
 損得勘定を露骨に訴えるかれの言葉にはさすがに恥ずかしさを覚え、おもてむきは距離をとっていた人たちです。
 そこではそれなりに理性が働いていたのです。
 ところが結局はみなが、これは恥ずかしいことだ、と抑えていたその暗部が表に出ることになったのです。
 国が裏返ったのでした。

 どうやらアメリカの光の象徴だった大統領が、アメリカの闇の象徴になりかねない気配です。

 ハメルンに笛吹き男が現われて暗い伝説を残したのは13世紀のことでした。
 その7世紀後には似たことが今度はドイツの国家規模で起こります。
 ヒトラーの登場です。
 かれの煽動に国民がこぞって酔い、熱狂的にかれに従うことになったのです。

 さて。
 21世紀のアメリカは20世紀のドイツではないと、そう希望しはしますけど。 

21世紀を開く試練―尖閣問題

2010-10-03 22:09:00 | 国際
 尖閣諸島での中国の挑発に乗って、日本も憲法9条を改定して、他国に戦争を仕掛ける権利(交戦権)を回復すべきだ、との声が高まりをみせています。
 絶対に戦争はしないと言ってしまっているので、こんなにまで中国からバカにされるのだ、というわけです。

 そういう考えにも理由がないわけではありません。
 心情としてはわかります。
 しかしもし今、日本に交戦権があるとすれば、早晩、日本の海軍と中国の海軍が尖閣の海域で砲火を交えることになるのは明らかです。
 すぐには本格的な戦争にまではならないにしても、どちらかの艦船が、あるいは双方の艦船が火を噴いて、そこで何人かの兵士が死んだり、傷ついたりすることになるでしょう。
 それは、ぼくらの息子かもしれないし、親類の息子かもしれないし、隣人の息子かもしれません。
 日本と中国の双方で、苦しむ人、悲しむ人が出てきます。

 日本が交戦権を自分から放棄しているそのことは、じつは日本の国民も中国の国民も同時に救っているのです。
 
 日本の国防が試練に立たされているのは事実です。
 しかし、これが世界の未来を占う試練であることも事実です。
 軍事力を封印して、ひたすらに世界の理性を信じながら、ことばで、説得で、局面を打開すること。
 それに成功すれば、それは新しい外交の時代を切り開くことになるでしょう。
 人類への信頼を回復する端緒にもなるでしょう。

 尖閣の問題はぼくらをトゲのように刺しますが、しかしこれは未来への入り口で起こっているのです。
 理性的にものごとを見る人は、日本にも中国にもいるのです。
 21世紀は20世紀よりも両国でそういう人たちがふえている、そのことも確かです。
 中国の政治家のなかにも中国の危うさを洞察している人がいるはずです。
 今世紀をそういう人たちの時代にしなければなりません。

 煽動家の、威勢のいい大言壮語に安易に乗っては、それは20世紀への逆戻りです。
 力には力で、の論理では、未来は破滅に進むしかありません。
 賢明な国として生きること、それこそが日本の歴史的使命です。
 ね、そうではありません?