しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

小泉首相を支持したツケ―派遣キリ

2008-12-25 22:58:53 | 社会
 ボクら日本の国民は、多くが長い間アホでした。

 たくさんの失業者が出てますね。
 おそろしいことです。
 なかでも派遣キリは残酷です。

 派遣労働者をこんなにも簡単に切れるようにしたのは、自民党から首相になった小泉さんですね(規制緩和政策)。
 このたび失業した人のなかにも、小泉さんにシンパシー(共感)を感じていたひとが結構いるでしょう。
 なんであんなに人気があったのか、ぼくにはとても不思議ですが、とにかく事実として、世論調査のたびに国民的な支持を受けていた首相でしたから。

 小泉フィーバーに乗って小泉さんを応援して、そのあげく、今になって小泉さんが作った制度(法律)であっけなく首を切られて。
 つきつめて言えば、めぐりめぐって自分で自分のクビを絞めることになってしまった悲劇です。
 いまさらウソをつかれたと言っても、悲しいあとの祭りです。
 なんとも大きなツケですね。

 政治家をばくぜんとした印象や口車やスタイルなんかで判断してると、あとでエラい目にあいます。
 ヒトラーもそうでしたが。
 ヒトラーは性的な魅力も大きくて、彼の演説を聴いてエクスタシーまで起こしている女性の顔が記録フィルムに残っています。

 日本民族というのは、もっとかしこい国民のはずなんです。
 ぼくら国民が頭を賢明にはたらかせ、国の予算(税金)を良心と冷静な計算に従って配分できるような仕組み(制度)にすれば、この社会はたちまちよくなっていくんです。
 道路族のように利権にからむ政治家(屋)や私利私欲の官僚がそうはさせじと立ちはだかってくるでしょうが、そういうひとは、権力の亡者や金もうけの政治屋として、実像を遠慮なくあばいていけばいいんです。
 
 よくしましょう。
 きっと。

田辺眞人さんに神戸・ロドニー賞

2008-12-16 15:26:15 | 都市
 神戸には「ロドニー賞」という不可思議な賞があります。
 ふつう賞というと、国とか自治体とか大きな企業がつくる財団とか、そのような権威のある機関が設けるものですが、「ロドニー賞」というのは権威というものとはまったく無縁な賞なのです。
 神戸の市民が神戸の街をおもしろくしてくれた人に「ありがとう」と心を込めて贈る賞です。
 正賞は地元の六甲山から採れた美しい御影石(花崗岩)の彫刻(抽象)です。

 18回目を数える今年は歴史学者の田辺眞人(まこと)さんに贈られました。
 神戸・元町の神戸凮月堂ホールで授賞式と田辺さんの記念講演が行われました。

 田辺さんは歴史学や比較文化論の分野で幅広い活動を繰り広げている学者(園田学園女子大教授)ですが、なかでも神戸の地域史に関しては生き字引のような人で、しかも驚くべきは、その膨大な知識が強靭(きょうじん)な構造をかたちづくっていることです。
 「神戸」のイメージを根底から変えてきた研究者として、多くの神戸っ子の尊敬のまとになっているのです。

 たとえば、源平の合戦のなかで語られる有名なトピックに「ひよどり越えの逆落とし」というのがあります。
 一ノ谷の合戦で義経が用いた奇襲戦法ですが、ただ現在の地図で見ると「ひよどり越え」は六甲山の奥にあたる神戸市北区にあり、一方「一ノ谷」は須磨区の海辺にあって、おそらくは10キロくらいは開いているこの距離をどう解釈したらいいか、長い間、神戸の市民を悩ませてきたのです。

 けれど田辺さんの新説は明解でした。
 源平合戦の当時、今の神戸市域のいろんな場所で源氏と平氏の衝突が起こるのですが、当時の人びとはその合戦のすべてを一ノ谷の戦いとして理解していたというのです。
 ある象徴的な一点を指し示すことで、その周辺の広大な地域も併せて語るということは、言われてみればよくあることです。
 細部を凝視しながら、しかし全体をも展望する歴史学者のみごとな解でした。

 それまでの市民の悩みは、しぜん現在のワク(地図)にとらわれて思考していた、その“常識”のせいでした。

 さて、ロドニー賞の「ロドニー」とは、神戸の開港時(1868年)に、その開港を祝うために訪れたイギリス艦隊の旗艦の名です。
 祝砲をドカンと撃って、そのころの神戸の町(村?)の人びとをびっくりさせたわけですが、来年もまた神戸の目をドカンと覚ましてくれた人にこの賞は贈られます。
 ちなみにあの大震災(1995年)の直後には、当時のブルーウェーブで大活躍を見せてくれたイチロー選手(現大リーガー)に贈られました。

澄明な光、晴朗な空気―小林欣子展

2008-12-04 19:34:28 | 美術
 小林欣子さんの個展を神戸・三宮のギャラリーほりかわで見てきました(2008年11月27日~12月7日)。
 女性の肖像と花々が中心的なモチーフですが、その両方に共通するのが澄明な光と晴朗な空気です。

 肖像の方は海がテーマになりました。
 「潮騒」と「貝の詩」は大作です。
 若い女が海を見つめる目をしています。
 心のなかに広がる海です。
 美しい海に戻ってもらいたいという願いを込めた、と画家は言います。

 花はどれもすばらしい出来といっていいでしょう。
 ミモザがまるではじけるようにそこにあります。
 夏の終わりの一陣の風が、立ち枯れのアジサイに吹きつけます。
 青いアジサイに青い風です。
 清明な風でした。