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ブログ版 シュプリッターエコー

重松あゆみ展「Jomonの面影」

2018-09-21 01:58:00 | 美術
たいへん大きな対象ですから、こちらもじっくり記事を書かなければと思っていたのですが、やはりまず、ぜひご自分でみにいっていただきたい作品展です、会期の終わり(9/26)が迫っていますので、あわててご紹介をします。



神戸・北野のギャラリー島田で重松あゆみさんの作品展が開かれています。
写真をご覧になっても、素材が何か見当がつかないかもしれません。陶器です。
実際に作品を前にしても、一見、陶芸作品とはわからないかもしれません。
一般に陶芸の世界では「よく焼けている」というのが褒め言葉になるそうですが、重松さんの作品はそういう陶をめぐるオーソドックスな観点、もしくは臆見を静かに撥ね付けます。そしてその価値観と美意識を流動化し、熱く再活性化させるのです。

まず色。これはその作品自体を色付けるためというより、いかにその周囲の空間を染め上げるかということが目論まれているようです。
釉薬ではなく化粧土を塗り、比較的低温で焼いて着色する技法ですが、ここは陰影かと思うとそうではない、配色の妙に、淡い色彩が香りのように周囲に漂い出します。

そして形。「クラインの壺」というタームも出ましたが、内と外が分かち難くからみあっています(これが昔ながらの手びねりの手法でどう作られているのか想像がつきません)。
何かに似ているといえば、様々なものが連想されます。たとえば菅楽器。
しかしむしろ「楽器のようだ」ではなく「音楽のようだ」という印象。ここに重松作品を考えるひとつの鍵があるかもしれません。つまり、視覚的な表象を逃れ去るものの造形(心の中で思わず「オドラデク」とつぶやきました)。



作品展は「Jomonの面影」と題されています。
これは重松さんにあって、プリミティブなものへの憧憬ということとはちがうようです。
縄文土器を借り受けて、それをモデルに実際に制作をしてみたそうです。そして再現を試みる中で、明確な造形への志向、自覚的な美意識と知性を指先で感じたと。
重松さん自身、たいへんに知的な方ですが、タヒチへ行ったゴーギャンのような「野生コンプレックス」とでもいうべきものから縄文土器にひかれたのではなく、むしろ古代からの制作的知性の遍在を実感したことが、ご自身の制作に新しい局面をもたらしました。
知性が知性によって活気づけられ流動化し、作家自身の以前の作品が端正とさえみえてくるような激しいメタモルフォーゼを展開しています。


9月22日(土)15:00から、同じく陶芸作家である須浜智子さんとのギャラリートークが予定されています。
ギャラリー島田→http://gallery-shimada.com

(takashi.y)



北村美和子展

2018-09-06 22:15:00 | 美術
北村美和子さんから個展のお知らせが届きました。

2004年に神戸・三宮のギャラリーほりかわでみた個展 every horizon のアクリル画のシリーズはとても鮮烈でした。

その後、生い繁る植物、というより繁茂・繁殖のイマージュを植物の形象に託して定着させたような油彩、西宮 船坂ビエンナーレでの廃校の教室を使ったインスタレーションなどを発表されています。

2014年からは生まれ故郷の高知県に拠点を移して制作をつづけながら、去年は神戸・熊内のギャラリー 6丁目の花野で個展を開かれました。

今度は高知で2回目の個展。期間は10/6~10/21。会場はギャラリー 星ヶ丘アートヴィレッヂ。北村さんのお手紙によると「高知市内中心部から少し離れたお庭のあるゆったりとした空間」だそう。

DMの写真の「コンポジション」、とても気になります。





シュプリッターエコーに掲載させていただいた2007年の北村さんの個展評(山本忠勝)をこちらからお読みいただけます→「北村美和子 ゆらぎ 屈折 なること」

(takashi.y)