先週に引き続き、某ふぇいふふっふに投稿した「7日間ブックカバーチャレンジ」の2冊目をここに転載させていただく次第です。
きのうフラバルの紹介をしながら、つらつらとジョン・アーヴィングのことを考えてしまいましたが、アーヴィングが在籍していた大学の創作科でヴォネガットが教えていたのは有名な話です。
ヴォネガットの(読んだ中で)いちばん好きな作品です。
カート・ヴォネガット『スラップスティック』
朝倉久志 訳、早川書房
1976年に発表された小説です。
ヴォネガットの姉アリスは41歳で病死したといいます。そして彼女の亡くなる2日前に、その夫が事故死したと。それが何と「開いた可動橋から転落した」列車の事故に巻き込まれて。
ヴォネガットも兄も、姉にそのことは話さなかったが、姉は新聞でそれを知ってしまう。
姉夫婦の死後、ヴォネガット夫妻は遺児たちを引き取って育てる…
そんな印象的な回想が冒頭に置かれています。
また、ヴォネガットの兄バーナードは気象学の科学者で、ヨウ化銀を使った人工降雨の方法の発明者でもあるそうです。
その兄をヴォネガットは「ありふれた親切をいちばん長く経験した相手」だと。
この「ありふれた親切」こそがヴォネガットが至上の価値を置くものです。
「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに(Please ―― a little less love, and a little more common decency.)」というわけです。
さて、そんな導入から物語は本編へと入っていきます。
登場するはアメリカ史上最後の大統領ウィルバー・スウェイン。身長2メートル。御年100歳。
変調をきたした重力と、蔓延する謎の死の病「緑死病」。マンハッタンは「死の島」として取り残されています。
彼は孫娘のメロディーとエンパイアステートビルに住み、いま自伝をしたためはじめます。…
エッセイ集『パームサンデー』の中でヴォネガットは『スラップスティック』をA~DのランクのDとしています。
僕なんかもうひとつだなと思う『ガラパゴスの箱舟』などは自己評価が高いようですが、たぶんごく単純に言って『ガラパゴス~』はまとまりがあるけれど『スラップ~』はまとまりがないという評価ではないでしょうか。
作者というのはに自分のコントロールが行き届いていないと不安に感じるものかもしれません。
ですがまとまりが何だという奇跡みたいな作品だと思います、『スラップスティック』。
その次に好きなのは『母なる夜』です。これはもう構成の妙そのものというか。
そして『スローターハウス5』も捨てがたい。
これはとりわけヴォネガットが捕虜として居合わせることになり、生き延びたドレスデンの大空襲の体験が色濃く反映した作品です。
『スローターハウス5』は映画も有名ですね。
監督は「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒル。
そして音楽は、あのグレン・グールド。
(ジョージ・ロイ・ヒルは、ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も撮っています。あれを見て以来、ガープはもうどうしたってロビン・ウィリアムズのイメージになってしまったし、ビートルズの"When I'm Sixty-four"は「ガープの曲」になってしまいました。)
『スラップスティック』に話を戻すと、孫娘メロディーがスウェインのもとにたどり着くまでの道ゆきを回顧的に描いた、最後の章を思い出すたび激しく心が震えます。
アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』に「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」という論考がありますが、その最後に示されたメルヒェンによる救済というプログラムに、それがあまりにあざやかに対応するように思われて。
「だが、凶行においてもなお希望のかけられる点は、それがもはや久しい以前の出来事であった、というところにある。原始と野蛮と文化との絡み合いに対してホメーロスのさし伸べる慰めの手は、『昔々のことでした』という回想のなかにある」(徳永恂 訳)
そうそう、きのう「大事な」ことを書き忘れていたのにあとで気づきました。
これも有名な話のようですが、フラバルの伝説的な死に様。
入院していた病院で、ハトに餌をやろうとして5階から転落したとか。
これは現実でしょうか。
こんな美しい死のイメージがあるものでしょうか。
その死が悲劇なのか救済なのか、もうわかりません。
『スラップスティック』の表紙、ちょっと汚れてしまっていますが、ハヤカワ文庫のヴォネガットはずっと和田誠さん。
去年亡くなられましたね。(5.14投稿)
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7日間ブックカバーチャレンジ②
きのうフラバルの紹介をしながら、つらつらとジョン・アーヴィングのことを考えてしまいましたが、アーヴィングが在籍していた大学の創作科でヴォネガットが教えていたのは有名な話です。
ヴォネガットの(読んだ中で)いちばん好きな作品です。
カート・ヴォネガット『スラップスティック』
朝倉久志 訳、早川書房
1976年に発表された小説です。
ヴォネガットの姉アリスは41歳で病死したといいます。そして彼女の亡くなる2日前に、その夫が事故死したと。それが何と「開いた可動橋から転落した」列車の事故に巻き込まれて。
ヴォネガットも兄も、姉にそのことは話さなかったが、姉は新聞でそれを知ってしまう。
姉夫婦の死後、ヴォネガット夫妻は遺児たちを引き取って育てる…
そんな印象的な回想が冒頭に置かれています。
また、ヴォネガットの兄バーナードは気象学の科学者で、ヨウ化銀を使った人工降雨の方法の発明者でもあるそうです。
その兄をヴォネガットは「ありふれた親切をいちばん長く経験した相手」だと。
この「ありふれた親切」こそがヴォネガットが至上の価値を置くものです。
「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに(Please ―― a little less love, and a little more common decency.)」というわけです。
さて、そんな導入から物語は本編へと入っていきます。
登場するはアメリカ史上最後の大統領ウィルバー・スウェイン。身長2メートル。御年100歳。
変調をきたした重力と、蔓延する謎の死の病「緑死病」。マンハッタンは「死の島」として取り残されています。
彼は孫娘のメロディーとエンパイアステートビルに住み、いま自伝をしたためはじめます。…
エッセイ集『パームサンデー』の中でヴォネガットは『スラップスティック』をA~DのランクのDとしています。
僕なんかもうひとつだなと思う『ガラパゴスの箱舟』などは自己評価が高いようですが、たぶんごく単純に言って『ガラパゴス~』はまとまりがあるけれど『スラップ~』はまとまりがないという評価ではないでしょうか。
作者というのはに自分のコントロールが行き届いていないと不安に感じるものかもしれません。
ですがまとまりが何だという奇跡みたいな作品だと思います、『スラップスティック』。
その次に好きなのは『母なる夜』です。これはもう構成の妙そのものというか。
そして『スローターハウス5』も捨てがたい。
これはとりわけヴォネガットが捕虜として居合わせることになり、生き延びたドレスデンの大空襲の体験が色濃く反映した作品です。
『スローターハウス5』は映画も有名ですね。
監督は「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒル。
そして音楽は、あのグレン・グールド。
(ジョージ・ロイ・ヒルは、ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も撮っています。あれを見て以来、ガープはもうどうしたってロビン・ウィリアムズのイメージになってしまったし、ビートルズの"When I'm Sixty-four"は「ガープの曲」になってしまいました。)
『スラップスティック』に話を戻すと、孫娘メロディーがスウェインのもとにたどり着くまでの道ゆきを回顧的に描いた、最後の章を思い出すたび激しく心が震えます。
アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』に「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」という論考がありますが、その最後に示されたメルヒェンによる救済というプログラムに、それがあまりにあざやかに対応するように思われて。
「だが、凶行においてもなお希望のかけられる点は、それがもはや久しい以前の出来事であった、というところにある。原始と野蛮と文化との絡み合いに対してホメーロスのさし伸べる慰めの手は、『昔々のことでした』という回想のなかにある」(徳永恂 訳)
そうそう、きのう「大事な」ことを書き忘れていたのにあとで気づきました。
これも有名な話のようですが、フラバルの伝説的な死に様。
入院していた病院で、ハトに餌をやろうとして5階から転落したとか。
これは現実でしょうか。
こんな美しい死のイメージがあるものでしょうか。
その死が悲劇なのか救済なのか、もうわかりません。
『スラップスティック』の表紙、ちょっと汚れてしまっていますが、ハヤカワ文庫のヴォネガットはずっと和田誠さん。
去年亡くなられましたね。(5.14投稿)
(takashi.y)