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ブログ版 シュプリッターエコー

カート・ヴォネガット『スラップスティック』

2020-06-21 00:03:00 | 本、文学、古書店
先週に引き続き、某ふぇいふふっふに投稿した「7日間ブックカバーチャレンジ」の2冊目をここに転載させていただく次第です。

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7日間ブックカバーチャレンジ②


きのうフラバルの紹介をしながら、つらつらとジョン・アーヴィングのことを考えてしまいましたが、アーヴィングが在籍していた大学の創作科でヴォネガットが教えていたのは有名な話です。
ヴォネガットの(読んだ中で)いちばん好きな作品です。




カート・ヴォネガット『スラップスティック』
朝倉久志 訳、早川書房


1976年に発表された小説です。
 
ヴォネガットの姉アリスは41歳で病死したといいます。そして彼女の亡くなる2日前に、その夫が事故死したと。それが何と「開いた可動橋から転落した」列車の事故に巻き込まれて。
ヴォネガットも兄も、姉にそのことは話さなかったが、姉は新聞でそれを知ってしまう。
姉夫婦の死後、ヴォネガット夫妻は遺児たちを引き取って育てる…
そんな印象的な回想が冒頭に置かれています。
 
また、ヴォネガットの兄バーナードは気象学の科学者で、ヨウ化銀を使った人工降雨の方法の発明者でもあるそうです。
その兄をヴォネガットは「ありふれた親切をいちばん長く経験した相手」だと。
この「ありふれた親切」こそがヴォネガットが至上の価値を置くものです。
「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに(Please ―― a little less love, and a little more common decency.)」というわけです。
 
さて、そんな導入から物語は本編へと入っていきます。
登場するはアメリカ史上最後の大統領ウィルバー・スウェイン。身長2メートル。御年100歳。
変調をきたした重力と、蔓延する謎の死の病「緑死病」。マンハッタンは「死の島」として取り残されています。
彼は孫娘のメロディーとエンパイアステートビルに住み、いま自伝をしたためはじめます。…
 
エッセイ集『パームサンデー』の中でヴォネガットは『スラップスティック』をA~DのランクのDとしています。
僕なんかもうひとつだなと思う『ガラパゴスの箱舟』などは自己評価が高いようですが、たぶんごく単純に言って『ガラパゴス~』はまとまりがあるけれど『スラップ~』はまとまりがないという評価ではないでしょうか。
作者というのはに自分のコントロールが行き届いていないと不安に感じるものかもしれません。
ですがまとまりが何だという奇跡みたいな作品だと思います、『スラップスティック』。
 
その次に好きなのは『母なる夜』です。これはもう構成の妙そのものというか。
 
そして『スローターハウス5』も捨てがたい。
これはとりわけヴォネガットが捕虜として居合わせることになり、生き延びたドレスデンの大空襲の体験が色濃く反映した作品です。
『スローターハウス5』は映画も有名ですね。
監督は「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒル。
そして音楽は、あのグレン・グールド。
 
(ジョージ・ロイ・ヒルは、ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も撮っています。あれを見て以来、ガープはもうどうしたってロビン・ウィリアムズのイメージになってしまったし、ビートルズの"When I'm Sixty-four"は「ガープの曲」になってしまいました。)
 
『スラップスティック』に話を戻すと、孫娘メロディーがスウェインのもとにたどり着くまでの道ゆきを回顧的に描いた、最後の章を思い出すたび激しく心が震えます。
アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』に「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」という論考がありますが、その最後に示されたメルヒェンによる救済というプログラムに、それがあまりにあざやかに対応するように思われて。
 
「だが、凶行においてもなお希望のかけられる点は、それがもはや久しい以前の出来事であった、というところにある。原始と野蛮と文化との絡み合いに対してホメーロスのさし伸べる慰めの手は、『昔々のことでした』という回想のなかにある」(徳永恂 訳)
 
そうそう、きのう「大事な」ことを書き忘れていたのにあとで気づきました。
これも有名な話のようですが、フラバルの伝説的な死に様。
入院していた病院で、ハトに餌をやろうとして5階から転落したとか。
これは現実でしょうか。
こんな美しい死のイメージがあるものでしょうか。
その死が悲劇なのか救済なのか、もうわかりません。
 
『スラップスティック』の表紙、ちょっと汚れてしまっていますが、ハヤカワ文庫のヴォネガットはずっと和田誠さん。
去年亡くなられましたね。(5.14投稿)

(takashi.y)



ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』

2020-06-14 23:59:00 | 本、文学、古書店
某SNSで「7日間ブックカバーチャレンジ」のバトンが回ってきました。

これは、

「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ ②その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。」

…というもので、①の規定通りに行けばさらっと終わるものを、しかしそれなりに思い入れのある本をカバー写真だけで済ませるわけにはいかないものです。

とかやってたら、5月13日にはじめて、まだ4冊分しか投稿できていないという。

しかも②の規定は完全無視。

1冊目をここに転載させていただく次第です。

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7日間ブックカバーチャレンジ①


はて、何を…と考え込みそうになってしまいましたが、あまり考えずに選ぶことにします。
昨去年の年末に没頭した小説です。
 
 

ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』
阿部賢一 訳、河出書房新社

 
チェコの作家フラバルの1971年の作品。
勤めの帰りに図書館へ寄って、本棚にあるときはパラパラと数ページ読む、誰かが借り出しているときは別の本を持って席へ、というような付き合い方をしていた本です。
 
ところが、ある時点から猛烈に引き込まれ、一気に集中して読んでしまいました。
読んだという丁寧なものでもなく、本当に貪ったという感覚。
しばらくは何だか精神的に不安定になって、周囲にも若干迷惑をかけてしまったような。
 
結局、手もとに置いておきたくて、あとで古本を注文した次第です。
 
「これからする話を聞いてほしいんだ」ではじまり「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」の言葉で終わる5つの章からなる小説。
ストーリーをかいつまんで話しても、この作品の魅力をうまく伝えられる自信がありません。
おそろしく大雑把に言えば、ユーモラスに描かれたホテルの給仕人の一代記。
そんなのタイトルを見れば想像がつきます。
 
だけど、よく言われるように、次から次へとあらわれる奇想天外なエピソードというものがこの作品の魅力の核心なのだとしたら…それはそれですごいことですが、それはまたそれだけのことで…
 
俄然この物語に引き込まれたのは、当時のチェコスロバキアがナチス・ドイツによる併合・解体の時代を迎えるあたりから。
歴史が、エピソードとしてではなく、巨大なかたまりとして、にゅっと現われてくる。そう、エピソードとしてではなく。
そこからはもう、本を手放せない。
 
高校の頃、ジョン・アーヴィングを続けて読んだ時期がありました。
「プロットの復権」なんて言葉があって。
いちばん好きな『ウォーターメソッドマン』が、『わたしは英国王に給仕した』とほぼ同じ1972年。
その後『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』と力強い作品が続き、しかし『サイダーハウス・ルール』に来るともう、エピソードのためのエピソード、プロットのためのプロット、その息苦しさに、21世紀になる前につき合うのをやめてしまいました。
 
アーヴィングは繰り返しウィーンを描きます。
フラバルを読んで、あるいはアーヴィングは歴史を欲していたのだろうかと思います。
『ウォーターメソッドマン』は、主人公の友人メリルが、戦車が沈んでいると言って飛び込んだあの夜のドナウ川の雰囲気を忘れがたく記憶に刻んでいます。
ですが、アーヴィング作品の、あの娼婦たちの都市ウィーンは、結局のところエピソードの域を出るものではないでしょう。
あれほど愛し、執拗に描いたウィーンだのに、歴史は「部外者」に何と冷たいことかと。
 
ただ、フラバルも決して翻訳が多くはなく分からないのですが、もしかしたら『わたしは英国王に給仕した』が(自分にとって)唯一特別に特別な作品だった、ということもあるかもしれません。
その後『剃髪式』を読みましたが、『英国王』ほど没頭することはありませんでした。
そしていま『時の止まった小さな町』を借りていますが、なかなか読み進みません。(5.13投稿)

(takashi.y)