しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

スタンドから和田批判の大合唱

2015-05-24 23:07:00 | 阪神タイガース
 ベイスターズとの試合中にタイガースのファンの中から和田批判の大合唱が起こりました(24日、横浜)。
 四回表、タイガースの攻撃中のことです。
 2アウト走者なしから9番打者の桑原投手が打席に向かおうとしたところ、レフトスタンドでウォーッと地響きのような“大カン声”が起こったのです。

 むろん桑原投手への声援ではありません。
 この日のタイガースは一回表にいきなり3点を入れて、幸先のよいスタートを切ったのですが、先発の岩貞投手がたちまち4点を失い、急きょリリーフに立った桑原投手もふがいない投球で1点を奪われていたのです。
 そんなたよりないピッチャーをそのまま打席に送る和田監督の策の無さに、ファンがとうとうゴウを煮やして不満の叫びをあげたのでした。

 ABCラジオの解説を担当していた有田さんも「こんなの、わたしは初めて見ました」と驚くほどの心の爆発だったのです。

 タイガースのオールドファンの生き残りにとって、最近のファンの従順さはまさに隔世の感があります。
 タイガースを日本一に導いた元監督の吉田さん(現解説者)も「今のお客さんはおとなしいですなア」と、いくらか皮肉が混じっているような口調で述懐しておられました。
 けれど、どうやらカンニン袋も限界に近づいているようです。

 阪神球団の経営者には、伝統的にファンをナメているようなフシがあります。
 負けてもファンは来るさ、とタカをくくっているように見えてしかたがないのです。
 むしろ本心では優勝してほしくないと思っているようにさえ感じられます。
 球場にお客さんがたくさん入って、そのうえ優勝しないで終わったら、選手の年俸も上げなくてすみますから、球団まるもうけですからね。
 そういう球団の空気に和田監督もすっかりつかってしまっているんじゃないですか。

 しかし、こんなナメた試合をいつまで続けられるものなのか。
 働いたおカネのほとんどをタイガースの応援につぎ込んでいる熱烈なトラファンをぼくも何人か知ってますが、この人たちを本気で怒らせたら甲子園球場もたちまち批判のるつぼになるでしょう。
 いいかげんに、ちゃんとしたゲームをしないと。

女神さまが微笑を送る関本選手

2015-05-21 21:28:00 | 阪神タイガース
 今シーズンの関本選手は不思議な星の愛を受けているようです。
 打つほうはあまりかんばしくないのですが、ヤマ場できわどくフォアボールを選んだり、デッドボールをぶつけられたりして、チームを勝利へ導いているのです。
 きょうのジャイアンツ戦でも、この神話は生きていました。

 1点のビハインドで迎えた8回の裏。、
 ヒットで出た福留選手(代走・上本選手)を二塁に置いて、代打で出た関本選手はまるでジャイアンツの投手に魔法でもかけたようにまたまた四球、満塁への足がかりを作ったのです。
 関本選手の死四球がしょちゅう満塁に絡むのも今シーズンの不思議です。
 そのあと代打新井選手の同点犠飛、続く一番鳥谷選手タイムリーで計2点。
 これが決勝点になりました。

 タイガース2-1ジャイアンツ(甲子園球場)

 関本選手はタイガースのなかでもベテラン中のベテラン内野手です。
 好選手の定評はありながら、その年その年の内野布陣のからみから、レギュラー定着にはいつも微妙な位置にありました。
 けれど決して腐ることなく、一試合一打席の代打稼業でしばしば劇的な仕事をしてきました。
 かれの口ぐせの「必死のパッチ」は、そのガケっぷちの生きざまにピッタリの言葉です。

 まさしく苦労人だといえるでしょう。 
 今年の不思議なめぐり合わせは、そんなかれへの女神さまの微笑のように思えるのです。

 ベテランでありながらひたむきにゲームに打ち込む関本選手。
 そんな選手がいるチームなのです、タイガースは。
 一球一球に全員一丸となってもっと誠実に試合を運んでもらいたいと思うのです。

末期症状

2015-05-19 21:19:00 | 阪神タイガース
 無残ですなあ、ばらばらになってしまったチームというのは。
 タイガース0-8ジャイアンツ(甲子園球場)
 ただ漫然と打席に立ち、ただ漫然と守るだけ。
 からっきし安打が出ないし、守ってはミスだらけ。

 いまは評論家になっておられる元監督の岡田さんがきのうのデイリースポーツに書いておられました。
 「タイガースはひとつの方向を向いてない」
 そのとおり。
 空中分解。

 和田監督は打順を組み替えてトップバッターにマートン選手を据えましたが、そんな小手先の細工ではねえ。
 そんなことしかできない悲しさ。
 五月にして早くも末期症状。
 どうします?

ユルフン監督のダラゲーム

2015-05-17 21:06:00 | 阪神タイガース
 チームにもう緊張感というものがないですね。
 ドラゴンズ6-1タイガース(ナゴヤドーム)
 ピッチャーもフォアボールの連発なんですから。

 4回裏、ドラゴンズの攻撃。
 タイガースの岩崎投手はトップバッターの荒木にストレートの四球を与えると、続く二人の打者にも連続四球。
 あれで一軍のピッチャーですかね。
 無死満塁にしてしまって、ふたつの当たりそこねの内野ゴロで、あっというまに3点献上。
 プロの野球じゃないですよ。

 ユルフン監督のユルユルナインのダラゲーム。
 ここまでバラバラになっちゃったのを、どう立て直しますかねえ。
 9割がた、もうムリじゃないですか。

悲しき猿芝居…集団的自衛権

2015-05-16 11:03:00 | セイジ
 集団的自衛権なんて、ずいぶんザラザラした日本語ですよねえ。
 字ヅラを読んだだけでは、どういう意味なのかさっぱりわからない。
 だいたいウシロメタイことは、むりにでもむずかしく言う。
 それが政府の手なんですね。
 民衆にはできるだけ理解しにくいようにする。

 簡単に言おうとすれば言えるんです。
 「アメリカ軍の手先になって戦争に行く法律」
 こう言えばだれにでもはっきりわかる。

 結局アメリカの圧力に負けて、こういう法律を作らないといけなくなった。
 お前んとこは、自分では危険なところへ出向かないで、アメリカの世話になっているだけじゃないか。
 おれと一緒に戦争ができる、そういう国になれよ。

 ほんとうなら、それにはこう反論すべきなんですよ。
 いや、おれたちは平和憲法を貫いて、戦争ではなく平和を世界にもたらすように努力する。
 あんたこそおれたちとこの理想を分かち持って、未来の世界をつくる努力をすべきです。

 しかし、まあ、あれですよ。
 首相がアメリカの議会でアメリカにおべっかをつかうような演説をしてそれで得意になっている、そいいう国ですからねえ。
 
 アメリカの圧力に屈していながら、そこは隠して、自分で自分の道を主体的に選んだように演技する。
 猿芝居ですね。

 といっても決して首相ひとりが浮き上がっているわけではない。
 その猿芝居に、国民もかなりの人びとがそれでいいと思っている。
 共感し、安心している。
 やむをえないとも思っている。

 首相も猿芝居なら、国民も猿芝居。
 そこがこの国の悲しさですね。

 ほんとうにスジガネの入った日本人はどこにいる。

豪栄道と安美錦の“五月の風”

2015-05-12 13:11:00 | スポーツ、オリンピック
 夏場所の二日目、今の季節の風のようなさわやかな土俵を見ました。
 取組も終盤の、大関・豪栄道と前頭二枚目・安美錦の対戦でした。
 勝負は立ち合い間もなく、豪栄道のはたき込みで決まったのですが、目をみはらされたのはその直後のことでした。
 安美錦がつんのめって土俵を割り、下へ落ちようとするのを、豪栄道がうしろからまわしをつかんで止めたのです。
 こんな場合、ダメを押すためにうしろからもう一発ドンと突くというのは、これまでに何回も見てきましたが、引き止めるのを見たのはこれが初めてでした。

 土俵は土を相当に高く盛って造られています。
 勢いがついたまま転落して大ケガをした力士を何人も見てきました。
 それで関取人生を縮めてしまった人も少なくはありません。
 そんな危険が豪栄道の頭を一瞬かすめて、思わず腕を伸ばしたのではなかったでしょうか。

 近年は外国人力士がふえるにつれ、土俵の上にも、とにかく勝つ、なりふりかまわず勝つ、という風潮が顕著になってきたように思えます。
 もとをたどれば神に捧げるためにおこなわれた相撲ですが、祈りの型も清めの型も、いまはただ形式として残っているだけのようにしか見えません。
 まあ、娯楽としてのプロスポーツですから、そのことに目くじらを立てるつもりはありませんが、ただ国技とまで言われる相撲が心をすさませるような殺伐(さつばつ)なものになっては寂しいと思うのです。

 
 豪栄道も安美錦もふだんからさわやかな雰囲気をはなつ力士で、もともとぼくはふたりとも好きなのです。
 ですから、ああ、やっぱりこのふたりだからこういうことも起こるんだなあ、とも思ったのですが、ほんの一瞬、土俵の隅に吹いた、深くて大きくて、そして救いにきらめく薫風でした。

美学に敗れた白鵬

2015-05-10 21:29:00 | スポーツ、オリンピック
 横綱の白鵬がいきなり小結の逸ノ城に敗れました(夏場所、初日)。
 立ち合いからがっぷり右四つになったとたんに、逸ノ城が右を抜いて突き落とし。
 ほとんど動きというような動きのない、むしろなにかの間違いのような、あっけない一番でした。

 いかに白鵬とはいっても、相手はマンモスのような怪物です。
 四つに組んでしまっては、ちょっと勝ち目がありません。
 立った瞬間に、ぼくのようなシロウトでも、あっ、やばい、と思わずうめいたのでした。

 白鵬もむろん危険は承知の上だったことでしょう。
 どんなワザでもやわらかくこなせる白鵬です。
 これまでどおり、その気になれば一蹴する方法はいくらでもあったのです。
 それでも四つにいきました。

 やっぱりそこには理由があったのだと思います。
 ぼくも、やばい、と思うその裏で、そうだな、これしかないな、と納得してもいたのです。
 そう感じさせるものが、かれの体が濃厚に発散していました。

 夏場所の初日です。
 横綱にふさわしい姿で堂々と受け止めたい、それがかれの心にみなぎっていた強い意志だったと思います。
 それがかれの美学です。
 美学を貫きたかったのです。

 しかし逸ノ城には美学などという余計なものへのこだわりはありません。
 勝機があればなんでもやるのが、このハングリーな若者の流儀です。

 近衛部隊の美しい大佐がゲリラと戦うようなものでした。

 白鵬のこの初日の敗戦は、今場所をとても難しいものにするでしょう。
 いつかどうしても来ることになる引退を一、二年早めることになるかもしれません。
 しかし近来まれに見るこの美しい横綱には、そうするほかなかったといえるでしょう。

 それが白鵬という男の宿命でもあるのです。

選手も監督もみな無気力…最下位転落

2015-05-09 22:59:00 | 阪神タイガース
 カープを相手に本拠地甲子園で0-10の惨敗。
 ついに最下位転落です。
 この記念すべき日、お祝いをしなければなりません。

 無気力な選手はただいたずらに9回の回を消化していくだけでした。
 敗戦の弁を語る監督もまるで評論家のような抽象的なコメントを力なく繰り返すだけでした。

 どうももうチームに中心というものがありません。
 ユルユルの監督ではむろん軸にはなれません。
 ナインのなかにも核となる選手がいないのです。
 金本さんが去ったあとのなんと穴の大きいこと。

 和田監督が誠実な人がらだということはじゅうぶんにわかっていますし、社会にある人としては敬意さえ感じていますが、いかんせん、勝負師はそれだけではあかんのですね。

 もう分解寸前。
 球場を満員にして必死で応援を続けるファンこそいいツラの皮。

ファンを小バカにする藤波投手

2015-05-08 21:54:00 | 阪神タイガース
 カープに打ち込まれて4回までで7点も取られた藤波投手が、降板後のコメントで「調子はよかった」と言ってるんですね(きょう、甲子園球場)。
 試合をブチこわしておいて、調子がよかったタア、よく言えたもんですよ。
 そこまでファンをバカにできますかねえ。

 まあ、言った藤波も藤波ですが、若造のピッチャーにそんなことを言わせてしまう今のタイガース。
 チームの中はゆるみきっているんじゃないですか。

 マートン選手が勝手をやっても、和田監督も関川コーチも、本人には何もよう言わんのでしょう。

 
 毎試合ミスも多いですしね。

 タイガースのシーズンはもう終わったみたいじゃないですか、まだ五月に入ったばかりだというのに。
 今年は長いなあ。
 早くオフになって、スカッと監督の交代が決まらんですかねえ。

古村先生のひと言…憲法の日に

2015-05-03 13:15:00 | 社会
 中学3年の社会科の担当は古村先生でした。
 どちらかというと単元をたんたんと教えていくクールなタイプの先生でした。
 その先生が一度だけ気持ちを表ににじませて語られたことがありました。
 憲法がテーマに出てきたときでした。
 このように言われたのです。
 「前文と第9条、この二か所は空(そら)で言えるようになってもらえると、ぼくはとてもうれしいね」

 瀬戸内海に浮かぶ小さな島の学校でした。
 漁業と農業と造船業が産業で、まだ大半の生徒が中学校だけで学業を終え、その多くが就職列車で大阪へ旅立っていきました。
 憲法などまったく遠いところにあるもので、ほとんどの生徒が聞き流しただけだったと思います。

 ただ、旧海軍の基地があった呉から転入してきた生徒がぼくの友達仲間にいて、どういうわけかかれが本気で前文から暗記しはじめたものですから、ぼくもつられて憶えました。
 通学の小さな巡航船に乗るたびに、教科書の資料のページを開いては、何度も読み返して憶えました。

 憲法の前文と9条の戦争放棄の条文が試験に出てきたことなんかまったくありませんでしたから、それで得をしたことは残念ながらついになかったというわけです。
 けれど、大学に入って憲法と正面から向き合うこととなったとき、いつのまにか日本国憲法の核心部に深くなじんでいる自分に出遭って、すこしばかり驚きました。

 憲法の草案を書いた中心的な人たちが、アメリカ政府の官僚たちというよりも、むしろ理想主義を担ったアメリカの若い研究者たちであったこと。
 かれら研究者たちが、自分たちのめざす人類の普遍の理想をこの憲法に入れるために、労を惜しまず献身的に働いたこと。
 それら憲法成立の背景もこの大学時代に知りました。

 おそらく古村先生もそうしたことをすでにご存じだったのでしょう。
 日本一国のことを超えて、世界の理想としてこの憲法を起草した、それら若い学究者たちと同じところにおられたのだと思います。
 その理想と、そしておそらくは誇らしさがあってこそ、あの日、ぼくたちにあのように率直に思いを語られたのではないでしょうか。
 ご自分が信じる希望をそっとぼくたちにたくされたのです。

 いかにもぼくたちの憲法は世界の未来を描き出している世界のかけがえのない財産だと思います。
 この国にこの憲法があることで世界のどれだけの人びとがこの地球を生きるにあたいする惑星とみているか、それははかりしれません。
 この憲法にはまだまだすることがあるのです。
 簡単に死んでもらってはこまるのです。

 そんな古村先生のことをふと思い出したきょう5月3日、憲法記念日なのでした。