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ブログ版 シュプリッターエコー

国境を越えたラーガ音楽 フラメンコは実はインドからだった #2

2019-03-16 00:35:00 | 音楽
4月6日に神戸市の「海外移住と文化の交流センター」で「国境を越えたラーガ音楽 フラメンコは実はインドからだった #2」が催されます。

娘の東仲マヤさんと共演した「オイディプス王~最後の日~」(原案は鈴木創士さん!)の鮮烈な印象が記憶に新しいフラメンコ・ダンサー、東仲一矩さんが出演します。

「ラーガ」とはインド音楽におけるメロディーの呼び名だそうです。

下の動画はTED TALKのレクチャー付きの演奏。

インド音楽の演奏会に何度か行ったことがありますが、小さな会場(床だったか畳だったか直接座って聴きました)で催されたある演奏会では、奏者の方が「眠ってしまうお客さんが多ければ多いほど良い演奏ができたなと思うんです」と話していたのをおぼえています。

悠久の時の流れを思わせる反復は、演奏を聴かせるというよりは、聴き手の緊張をほどき、心そのものを解き放つことを目指すのかもしれません。

しかしそんなインド音楽で、東仲さんはいったいどんなフラメンコを踊るのでしょう。

あの力強くも繊細な踊りが、いつもとは違った趣をみせるのでしょうか。

それにしても彫刻界のスター、植松奎二さんがゲストとは、これまたいったい何が起こるのでしょうか。

【出演】東仲一矩/フラメンコ 国光秀郎/ギター 二宮光彦/カンテ HIROS/バーンスリー グレン・ニービス/タブラー 植松奎二/彫刻家(スペシャルゲスト)

予約2500円/当日3000円

予約・問合せはC.A.P.事務局(10:00-19:00/月曜休み)
電話 078.222,1003
メール info@cap-kobe.com



(takashi.y)



中央区小学校連合音楽会

2015-12-03 01:14:00 | 音楽
神戸文化ホールに「中央区小学校連合音楽会」をみにいきました(残念ながら後半のプログラムだけ。2015年11月26日)。これは神戸市中央区の小学校10校の代表学年が、一曲ずつ合唱か合奏を披露するという催しです。

「ぼくのおうえんか」を歌ったなぎさ小学校5年生はたぶん100人を超えていたと思います。力強い合唱でした。練習を積んできたのでしょう、しっかりとまとまっていて。よく響くホールで、みんな歌っていて気持ちがよかったのではないでしょうか。貴重な体験ですね。

上筒井小学校4年生は60人ほどで、なぎさ小学校のあとではずいぶん少なく見えましたが、合奏「エル・クンバンチェロ」に会場はおおいに盛り上がりました。ラテンの情熱的なリズムにのせ、少し哀愁を帯びた旋律が繰り返される名曲です。何より演奏している生徒たちが楽しそうでした。

山の手小学校5年生の合奏「碧空へ」は緊張感のある演奏でした。途中、曲調の変わるところで何ともいえない感動が湧き起こりました。変化といったって、そこまでの丁寧で熱のこもった積み重ねがあってこその解放感なんだなぁと、そんな発見がありました。下手(しもて)側で和太鼓を打つ女の子の構えがとても堂に入っていて、ずっと目が離せませんでした。

それにしてもお客さんの拍手というのは残酷で、小学生の演奏でもやっぱり出てしまうものです、つまり、受けたよろこびの大きさが。ですから、というわけでもありませんが、やはり曲選びは大切です。もちろんチャレンジは大事ですが、あまり先生方の趣味や思い入れで難しい曲をさせるというのは……まあ、実際そういうことがどの程度あるのかはわかりませんが。

楽しく歌ったり演奏した曲は、大人になっても胸の中で口ずさみつづけるものですから。

輝かしく高貴な時間―F.ノボトニー 伊藤ルミ デュオ

2013-06-22 18:39:00 | 音楽
 光の流れと交わったような高貴な時間。
 そんな輝かしい時間と出遭うことは幸福なことです。
 つらいことの多い毎日ですが、ほんとうはすばらしい世界にぼくらは生きているんだと、そのことを鮮やかに思い出させてくれるのです。
 ヴァイオリニストのフランティシェック・ノボトニーさんとピアニストの伊藤ルミさんのコンサートは、そんな珠玉のような時間をぼくらに与えてくれました。(2013年6月22日、神戸新聞松方ホール)

 ノボトニーさんはチェコを代表するヴァイオリニストのひとりです。
 伊藤さんは神戸を拠点にして日欧で活躍を続けてきたピアニスト。
 伊藤さんが初渡欧した1988年に交流が始まったということです。
 日本ツアーは今回でもう16回目になるのです。

 おそらく今回のこの「デュオ2013」は、たゆまず続けられてきたこの長期シリーズのひとつの頂点ではなかったでしょうか。
 ここにきてふたりの心のありようがいよいよくっきりと現われてきたように見えるのです。
 くっきりと現われてきたことで、アンサンブルがいっそう水際立ったものになったのです。
 円熟のひとつの極点に到達した、とそう言ってもいいでしょう。

 ノボトニーさんは、天空を鋭く翔ける精神のようなのです。
 いえ、すでに精神そのものです。
 高貴な輝きを放つのです。
 伊藤さんは、大洋を悠然とめぐる大きな情感の海流です。
 温かで豊麗な風をつくります。
 高い精神と奥深い情感とが呼応して大きな世界を築くのです。

 ヘンデル(ヴァイオリンソナタ第4番)とバッハ(カンタータ147番より「主よ、人の望みの喜びよ」)のプログラムは、この天空の精神と大洋の情感とを堅実な響きのなかに表現しました。
 バロックの堅牢な鼓動が、いのちの流れを確かな軌道と無限の広がりのなかで感じさせてくれたのです。
 鋭く翔けるものとゆったりとめぐるものの均衡と調和の極致がそれを感じさせてくれたのです。
 
 そして大曲「クロイツェル」(ベートーヴェン「ヴァイオリンソナタ第9番」)では、この均衡と調和が単に表面でかたちづくられただけの風景ではないということ、その内部には確かな空間と大きな沸騰があるということ、そのことがはっきりかたられたのでした。
 第一楽章で明快に提示される鋭さ(第一主題)と穏やかさ(第二主題)の対峙、そしてその融合と超克。
 その実り豊かな交錯を、ヴァイオリンとピアノの緊密な演奏が、明晰に、揺るぎなく、情熱的に、しかも艶麗に繰り出していったのです。
 表の風景の美しさがまさしく構造的に開示された、とそう言っていいでしょう。

 しかし真実の相のなかにはいつもなにがしか悲劇への予感があります。
 完璧に晴朗な青空には、ときとして雷霆(らいてい)への不安がよぎります。
 ラヴェルの「ツィガーヌ」は、じっさい、ぼくたちを稲妻のように撃ったのです。

 ふたりの演奏家は、この曲が求める超絶技巧に猛烈な速度と精緻な振動で対応しました。
 それは天空に突き立った危険な尾根を微妙なバランスで進んでいく命しらずの冒険家のようでした。
 それは、このふたりの演奏家が、実は極限的な数々の瞬間をどんなに大きな勇気で乗り越えてきたか、そのことを如実にあかしもしたのです。

 すばらしい均衡と調和には、そうです、いつも恐ろしいクレバスが隠されているのです。
 あるいはむしろ、そのすばらしい構造は、無数のクレバスの危険な集積で成っているのかもしれません。
 危険こそ、たぶん、均衡と調和の母なのです。

 この日、ぼくたちは時間が光になるのを感じました。
 演奏者たちがまぶしく輝き、それに呼応してぼくたちも輝きました。
 この世界に真実の相があるということ、そのことを確かめることができました。 

永遠のみずみずしさ―F・ノボトニー&伊藤ルミ デュオ

2012-06-24 21:02:00 | 音楽
 チェコのヴァイオリニストのF・ノボトニーさんと神戸を拠点に演奏活動を続けている伊藤ルミさんのリサイタルが神戸新聞松方ホールでありました(2012年6月23日)。
 二つの「アヴェ・マリア」が弾かれました。
 一つ目はプログラムのトップに置かれたグノーの曲で、二つ目はアンコールで採り上げられたカッチーニの曲でした。
 ともに、とてもシンプルで、とても心に響く作品です。
 端正な音楽です。
 ノボトニーさんと伊藤さんがその二つをまことに端正に弾きました。

 二人の共演は23年目を迎えます。
 端正な音の中に23年の歳月が深い奥行きで見えました。

 不思議なビジョンでもありました。
 音楽の中では時間が過ぎ去ったり消え去ったりすることがないようです。
 この二つの「アヴェ・マリア」のように、いっさいの夾雑(きょうざつな)な音をそぎとった、純粋な音楽ではなお一層そうなのでしょう。
 弦の澄んだ震えの中に、そして鍵盤の繊細な響きの中に、ひとがその人生で最も純粋であったときどきが、あざやかに甦ってくるのです。
 少年のみずみずしさ、少女のやさしさ、青年のころの一徹さ、すでにかなたに去ったはずのそれらのものが、今そこにあるものとして起き上がってくるのです。

 聖母へのあこがれが高揚の極みに至るとき、ノボトニーさんはなんと少年であったことでしょう。
 伊藤さんはなんと少女であったことでしょう。
 世界で起きるすべてのことに濁りのない心で鋭敏に反応した、その輝きときらめきが音の奥からあふれ出してきたのです。

 と同時に、そこには少年期や少女期にはまだ全部が得られるわけではない音楽への理解そして高い技術が円熟した形で寄り添っているのです。
 人生への愛、知恵、敬意、驚き、そのような豊かな地層がゆったりと響き渡っているのです。

 「アヴェ・マリア」は、感傷的な旋律です。
 いえ、感傷的な、と的をつけて言うのは、正確ではありません。
 感傷そのものの旋律です。
 感傷の究極です。
 純粋な感傷です。
 つまり、心の流れそのものです。

 だからそこには奏者の心がそのまま投影されるのでしょう。
 音楽家のなかに純粋な心がいきいきと生きていること、それを聴くことができるというのは、わたしたちにとって、大きな、大きな幸福です。
 人間というものが、実はいつまでも内面に美しいものを持ち続けることができるということ、そのことのそれはゆるぎない証明です。
 そしてその美しさは、たぶん、人間がこの宇宙にあるかぎり永遠に生き続けるものでしょう。

 伊藤ルミさんは http://rumi-itoh-pianism.com/

男の心を歌う女性歌手―草別ひろみコンサート

2008-11-30 21:12:51 | 音楽
 シャンソン歌手・草別(くさわけ)ひろみさんのコンサートが神戸・御影の神戸酒心館ホールで開かれました。
 酒心館では3年ぶりのステージですが、歌の幅、深さ、説得力が前にも増して大きくなっているように感じられました。

 プログラムは1部と2部に分けて15曲で構成されました。
 とりわけ20世紀を代表するシャンソン歌手のひとり、ジャック・ブレル(1929―1978)の作品を歌った「ジャッキー」と「北の大地」は圧巻でした。
 草別さんはもともとシャンソンの中でも男の歌に惹(ひ)かれて歌手になられたそうで、それを聞くと、なるほどと納得されることでした。
 低音域に力がみなぎって、魂が伝わってくるのです。

 ここ数年のうちにお父様を送られ、今はお母様の介護に打ち込んでおられるそうですが、そこから人間の命の深さ、心の深さも学ばれているとおっしゃっていました。
 それが、歌の魂の厚さにもつながっているに違いありません。

 聴衆の中には涙ぐんでいるかたもおられました。

神戸国際芸術祭2008“美しき青きドナウ”/7/16(水)「ドナウのさすらい」

2008-07-16 22:51:45 | 音楽
一流の優れた音楽家達が集まり、
馴れ合いややっつけ仕事ではなく、
各自が全ての音楽性を出しきった演奏は
想像を超えるくらいに聴衆を魅了する。
当たり前だが実際にはなかなか巡り会えない
その音楽的瞬間に出会えた、
そんな音楽会だった。


神戸国際芸術祭2008~美しき青きドナウ~
「ドナウのさすらい」
7/16(水)14:00開演
神戸市西区民センター・なでしこホール


曲目は以下。

J・シュトラウス
◆美しき青きドナウ〈ピアノ三重奏版(編曲者不明)〉
 ヴァイオリン
  アレクサンダー・シトコヴェツキー
 チェロ
  ヘーデンボルク・直樹
 ピアノ
  ダイアナ・ケトラー
R・シュトラウス
◆歌劇「薔薇の騎士」よりワルツ
 ヴァイオリン
  川田知子
 ピアノ
  ダイアナ・ケトラー
◆ピアノ四重奏のための2つの小品(1893年)
『アラビア風舞曲』『愛らしい歌』
 ヴァイオリン
  アレクサンダー・シトコヴェツキー
 ヴィオラ
  ラズヴァン・ポポヴィッチ
 チェロ
  遠藤真理
 ピアノ
  ダイアナ・ケトラー
F・シューベルト
◆弦楽五重奏曲 D.956
 第一ヴァイオリン
  川田知子
 第二ヴァイオリン
  アレクサンダー・シトコヴェツキー
 ヴィオラ
  ラズヴァン・ポポヴィッチ
 第一チェロ
  ヘーデンボルク・直樹
 第二チェロ
  遠藤真理


まず簡単に音楽家の紹介を。
ヘーデンボルク・直樹(チェロ)、
ダイアナ・ケトラー(ピアノ)、
アレクサンダー・シトコヴェツキー(ヴァイオリン)、
ラズヴァン・ポポヴィッチ(ヴィオラ)
は「アンサンブル・ラロ」のメンバーである。
勿論アンサンブルだけではなく、
各自がそれぞれ世界的な活躍をしている。
加えて神戸国際芸術祭に第1回から参加している
ソロ、アンサンブル、オーケストラでも活躍する
川田知子(ヴァイオリン)、
2006年「プラハの春」音楽コンクール第3位で
ザルツブルグ在住の遠藤真理(チェロ)、
(この日は出演しなかったが)
神戸市室内合奏団ヴィオラ奏者で
神戸国際芸術祭には第1回より参加している
中島悦子(ヴィオラ)
以上である。


演奏評に戻ろう。
最も圧巻だったのは
やはりシューベルトだろう。
弦楽五重奏曲というと
2つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、
1つのチェロという編成が多いが、
この曲はヴィオラが1つで
チェロが2つである。
当然低音部が強化されている訳で
重い暗めの響きになる。
如何にも?シューベルトらしいのだが
聴いている内に私なりにだが
この編成はシューベルトにとって
必然性があったのではないかと
思えるようになった。

その必然性とは何か?
それは「哀しみ」だと感じる。
勿論明るい長調の部分もある。
しかし全部を聴き終わった後に
残る印象は「苦悩を引きずるシューベルト」である。
これはシューベルトの楽曲全てに言えると
大胆にも言ってしまうと
彼の頭を巡り巡り、決して解決しない
うつ病的な気分の重み、
そしてそこから生まれる「諦念」である。
その心理を表現するために
シューベルトはこの編成を取ったのではないかと
思われてならない。

演奏は熱演・力演を超えた「情念」の演奏。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた
アンサンブルの糸が緊張感をもたらす。
第一ヴァイオリンと第二チェロが合わす
ピチカートの連続にも
アンサンブルの糸がピーンと張り巡らされている。
またハーモニーのバランスが
絶妙のバランスで作られている。
そして、誰かスターがいる演奏ではない。
五人が正に結集して奏でられる響き。

約50分という長い曲だが
聴いている間はその長さを感じない。
しかし一聴衆として音楽家と真剣に対峙していると
演奏が終わった後に、
音楽家がアンコールを弾けないまでに疲弊するのと同様に
聴衆もその50分に疲弊する。
しかし一瞬はドドッと出る疲れだが
何か「満足」を得た後の疲れである。
聴覚は勿論だが、それだけではない
五感で得られる疲れの「満足」である。

その他の曲も小気味の良い演奏。
「美しき青きドナウ」は
神戸国際芸術祭2008の三公演で
全て違うアレンジ。
R・シュトラウスのワルツの川田も
カフェで気楽に聴けるような
ウィットに富んだ演奏。
ロマンスもヘーデンボルク・直樹の
丸みを帯びた柔らかい音色と響きが
曲にマッチする。
そしてダイアナ・ケトラーのピアノは
軽やかで柔らかい。
アレクサンダー・シトコヴェツキーの
ヴァイオリンは非常にアンサンブル、
特に途中からの入り方が絶妙。
ラズヴァン・ポポヴィッチのヴィオラは
今回も内声の美しさを
存分に味合わせてくれた。

神戸国際芸術祭2008は
あと7/18(金)の子ども対象の音楽会、
7/19(土)の舞子ビラ・あじさいホールでの
演奏会が残っている。
「超お薦め」である。
詳しくはHP http://kulturtage.jp/ja/
を参照されたい。












コルネリア・ヘルマン ピアノ・リサイタル/2008年6月20日(金)神戸新聞松方ホール

2008-07-14 12:40:49 | 音楽
何ヶ月ぶりだろうか…、
久しぶりにナマを聴きに行った。

コルネリア・ヘルマン ピアノ・リサイタル
2008年6月20日(金)神戸新聞松方ホール

訳あって音楽会に行くのをためらっていたのに
彼女のリサイタルに行ったのには訳がある。

友人でウィーン在住のクラリネット奏者、
ブルガー美和(日本ではブルガー高木美和として活動)さんと
コルネリアが友人で(つまり友人の友人という訳)、
しかも去年美和さんから神戸か加古川で
コルネリアと学校でレッスンや演奏会をしたいという
話が舞い込み、それを企画制作してくれないかと
頼まれたのだが、私が体調がすぐれず
企画はお流れになってしまったのです。

コルネリアが神戸に来ると聞き
速攻チケットを取りました。

演奏評の前に楽屋話を。
ホールで美和さんのご両親と会い、
終演後楽屋へ行きました。
嬉しいことにコルネリアは
去年のその話を憶えていてくれて
とてもフレンドリーでした。
記念撮影も。
ちなみにコルネリアは日本人とドイツ人の
ハーフなので日本語もOK!
来年はオーケストラ・アンサンブル・金沢と
全国?をまわるらしく
大阪には来るそうです(残念ながら神戸はない)。
はっきりいって『超お薦め』です。

さて本題の音楽会の話に。
プログラムは以下。

J.S.バッハ   パルティータ第2番
シューマン   アベッグ変奏曲 作品1
メンデルスゾーン  厳格な変奏曲作品54
       休憩
ベートーヴェン  ロンド・ア・カプリッチョト長調
         「失われた小銭への怒り」作品129
武満徹  フォー・アウェイ
ベートーヴェン  ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」
         作品27-2
         
まず冒頭のバッハはその躍動感が良かった。
さすがJ.S.バッハ国際コンクールで最年少最高位を
受賞しただけのことはある。
最近チェンバロや古楽器のバッハばかり聴いていたので、
一瞬違和感があったが、
現代のピアノの性能を十分に使っての
ダイナミクス溢れる演奏も
現代のバッハ演奏として充分認められる
のではないかと思った。

シューマンは瑞々しい演奏。
今回の音楽会ではシューマンとベートーヴェンが
特に良かったと感じている。
アベッグという架空の伯爵令嬢に献呈した曲で
アベッグから「ABEGG」の音のモチーフから出来ている。
初期の作品だがシューマンの舞踊のような音楽が
ピアノから流れた。

メンデルスゾーンは主題と17の変奏で出来ている。
面白い曲だった。

ベートーヴェンの「ロンド…」はベートーヴェンらしからぬ?
面白い曲だった。
ベートーヴェン自身が「ハンガリー風に、
奇想曲(カプリッチョ)のように」
と記しているらしいが、
確かに当時言われていたジプシー(ロマ)音楽で
かつ自由に書かれている。
ベートーヴェン的には軽やかな曲なのだろうが
やはりベートーヴェンはベートーヴェン、
構築感のあるコルネリアの演奏とともに素晴らしかった。

武満徹は武満が初めて作曲したピアノ独奏曲。
コルネリアの演奏は、あくまで日本人の私の感覚としてだが
外国人が演奏するタケミツであった。
良い悪いの問題ではない。
大きくは言われないが武満はやはり日本人だ。
曲にも日本人の感性が充満している。
この曲はガムラン音楽から想を得ているようだが、
やはり根底はある意味「日本的」である。
俗に「タケミツトーン」などと言われるが、
そこに「日本人」作曲家・武満徹がいる。
そういう意味ではコルネリアの演奏は
日本人が想起する日本的「武満」ではない、
グローバル化された「タケミツ」の音楽であったように思う。

武満から間を置かずに最後の曲、「月光」へ。
私はこの曲を聴くといつもドビュッシーの「小舟にて」
(「小組曲」より)を思い出す。
と、思っていたらプログラムに
レルシュタプールという人が
「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」
と言ったことに「月光」というタイトルが出来たとあった。
ベートーヴェンがつけた訳ではないと。
初めて知ったが言い得て妙である。
この言葉がベートーヴェンと
ドビュッシーをつないでいるようだ。
この曲は俗にベートーヴェンの3大ソナタと言われる内の1つ
(後の2つは「悲愴」と「熱情」)。
コルネリアの演奏は非常に美しい。
構築感のあるベートーヴェンも素晴らしいが
私にはコルネリアはむしろ叙情的に
この曲をとらえているかのように思えた。
シューマンと並んで特に素晴らしい演奏だった。

コルネリアの演奏は全体に明るい月のようである。
明るい月を見ながら「夢だけ見てる」ような。
そんな気分にしてくれた音楽会だった。








バッハからのメッセージ特別企画「バッハのフルート作品」バルトルド・クイケン/エヴァルト・デメイエル

2008-02-04 18:55:01 | 音楽
巨匠ほど作品に対して真摯な態度で臨む。
そしてこのフルートの巨匠は何処か「旅人」に見える。

トラヴェルソ
(バッハ時代のフルートで現在のフルートの原型)の
世界的第一人者、バルトルド・クイケン氏の演奏を聴いて
上のようなことを思った。

決して作品を完全に我が物にしたという演奏ではない。
常に初めて演奏に臨むような態度で
演奏前に楽譜を見る。

そして第一音が響く。
バルト(氏の愛称)はその響きを
僅かにいる2階席の人々に届けるかのように吹く。
まさに「バッハからのメッセージ」を我々に届ける。

弦楽器奏者と比べて管楽器奏者というのは
ソロ的要素が強いためか「孤高」を感じる時がある。
バルトがまさにそうだった。

「笛吹き」というのは気持ちのおもむくまま、
あちらこちらと行っては木陰で笛を響かせる。
「自由」という言い方も出来なくはないが、
「自由」よりもより何か運命を背負わされた
「孤高」を感じる。
そしてその笛の音は時に寂しい。

勿論伴奏のチェンバロとの息は合っている。
しかし単に伴奏と合っているか否かということではなく、
「笛吹き」は笛を一本持って何処でも
自らやバッハからのメッセージを伝える。

テクニック論は言うに及ばずである。
しかし不安定な楽器であるトルヴェルソが
よくもあんなに均質でかつふくよかな音色が
出るものだと感心した。

ちなみに既知の方も多いだろうが、
氏は現代の古楽の第一人者である
クイケン兄弟の一人である。

2008年2月3日(日)の加古川カトリック教会は
まさに「バッハからのメッセージ」と
バルトの音楽に包まれていた。


演奏者
トルヴェルソ:バルトルド・クイケン
チェンバロ:エヴァルト・デメイエル

曲目
オール・バッハ・プログラム
○フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1034
○フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816
○フルートと通奏低音のためのソナタ ホ長調 BWV1035
○フルートのための無伴奏パルティータ イ短調 BWV1013
○フルートとオブリガードチェンバロのためのソナタ ロ短調
 BWV1030


魂の財産―西宮混声合唱団

2007-10-16 21:55:54 | 音楽
 西宮混声合唱団の第52回定期演奏会が阪神西宮駅前の市民会館アミティホールで開かれました(9月30日)。
 1953年にまず今津小学校の講堂を練習場につつましくスタートして、でももう半世紀を超える歴史です。
 地域社会を一緒に支える隣人たちによって構成され、けれど音楽への誠実な取り組みと熱心な努力によって、見事な水準を保っている合唱団です。
 市民の中に深く根を下ろしていることを如実に示して、1200人収容のホールがほとんど満員になりました。

 もちろん1983年いらい指揮者を務める八木宣好(のぶよし)さんの高い志と強い指導力があってこその今日のすばらしい力量だと思います。
 内外にわたって幅広いレパートリーを持っていて、今回のプログラムもハイドンのミサ曲から日本のわらべうた、そしてディズニーの映画音楽まで、おとなもこどもも一緒に楽しめる内容になりました。

 とりわけ輝きを放ったのは、合唱団オリジナルの新曲が晴れて初演されたことです。
 千秋次郎さん(豊中市在住)に委嘱されて作られた混声合唱組曲「良寛詩抄~富貴はわが願いにあらず」です。

 江戸時代の禅僧・良寛さんの漢詩に曲を付けたものですが、まず胸をうたれたのは、良寛さんの悠然たる精神がくっきりと音楽の表面に浮き上がってきたことです。
 遠い遠い宇宙の地平線へ広がっていくような大きな心、それが曲の中に透けて見えたと言ったらいいかなあ、とも思います。

 日本の合唱団がヨーロッパの曲を演奏するとき、技術はもう十分だと思うのですが、いぜん微妙な違和感を覚えるのは、歌の精神的な方向性がまだどうも定まりきらないような、そういう感じがあるからではないでしょうか。
 ヨーロッパの合唱団は、この神が遠ざかる時代にあってもなおキリスト教文明が体の奥にしみこんでいるからでしょう、団員個々人になんの指図をしなくてももう分かりきったこととして声があの聖堂のクーポラ(ドーム)の方、すなわち天上の方へ方向づけられ、そうして大きな調和と統一が高い次元で達成されるように思えます。

 一方、わたしたち日本人の発声は自然の状態ではどうやら水平の方向に進みます。
 西方浄土が西の地平線の向こうにあるという仏教のビジョンもあるいは影響しているかもしれませんが、それよりもむしろ今日わたしたちが歌というものを考えるとき、それを人から人への世俗のメッセージとみなす、この水平の構造が大きな役割を演じているのではないでしょうか。
 むろんこれはどちらが優れているかとか劣っているとかとかいう問題ではありません。
 そういう文化の形を持っていて、そこにはそれぞれの形にかなった表現があるだろうということです。

 その点で西宮混声合唱団の今回の「良寛詩抄」は、水平方向への奥行きがまさしく広大無辺に広がっていく、そのような無限の空間感覚がありました。
 わたしたちの胸にスーッと入ってきたのです。
 スーッとごく自然に入ってきて、わたしたちの心を誘って、世俗を超え、魂の清浄な世界へ連れ出していったのです。
 そして水平方向へ無限に広がっていくということは、それだけ垂直方向にも高く、深くなっていったということです。
 宇宙に壁を立てない良寛さんの生き方が現代にあざやかなリアリティーを持ちながら曲の中に甦ったと、そう言ってもいいでしょう。

 合唱団に大きな財産が生まれました。
 なににも代えがたい魂の財産です。

 さて西宮混声合唱団は来年の定期演奏会を兵庫県立芸術文化センターの大ホールで開く予定で、千秋次郎さんは今度は江戸・元禄時代の歌謡集「松の葉」に作曲して、「江戸の恋唄」を発表する計画です。
 大きな楽しみができました。
 同合唱団はhttp://www9.plala.or.jp/nishikon/

                ☆
 なお「良寛詩抄」の論評をこのブログの姉妹編「批評紙Splitterecho(シュプリッターエコー)Web版」に掲載しています。ご訪問ください。
 Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/


ラ・ビッシュ・アンサンブル/2月26日(月)伊丹アイフォニックホール

2007-02-27 04:24:52 | 音楽
久しぶりに理屈抜きに楽しめた!!
そんな音楽会だった。
演奏者全てが室内楽が好き、音楽が好きといった
プロには珍しい?ピュアな気持ちが
とても伝わってくる近年稀な音楽会だった。

ラ・ビッシュ・アンサンブルは
京都市交響楽団(京響)と
大阪シンフォニカー交響楽団団員で
構成されたのオクテット(八重奏団)。
1stウ゛ァイオリン,2ndウ゛ァイオリン、ウ゛ィオラ、チェロ、
コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンの編成。

今日の音楽会は『「対」の響奏』と題して、
ベートーウ゛ェンと同時代の作曲家・ウ゛ィットと
現代作曲家・ティシュハウザーの
八重奏曲(日本初演)の「対」、
アイネムの管楽器の三重奏と
コダーイの弦楽器の三重奏の「対」という趣向。
このコンセプトは平易だが
とても多様な室内楽の宇宙を楽しむことが出来た。

メンバーは比較的若い演奏家が中心だが、
この日の最も素晴らしい演奏家はファゴットの仙崎和男。
唯一のベテランで2006年3月まで
京響首席奏者を務めており、
現在も後進の指導に当たっている。
仙崎の素晴らしさの一点目は
ソロの時のエッジの効いた鋭敏な音色と
伴奏に回った時の周囲に溶け込む音色。
またそのソロの音色やフレージングが極めて多彩。
ウ゛ィットにもアイネムにも多数のソロがあったが
(特にアイネムの第二楽章の冒頭は無伴奏で1分近い)、
ベテランらしさと一流演奏家らしさの
両方が備わった存在感ある演奏だった。

他の演奏家もよい。
1stウ゛ァイオリンの田村安祐美
(大阪シンフォニカー交響楽団コンサートミストレス)は
全体をよく統率していたし、
他の演奏家も自発性と合致性を
合わせ持った演奏を展開していた。

皆オーケストラ所属のため、
なかなかこうした音楽会を続けるのは大変だろうが
更なる期待を寄せたい。

【曲目】
○フリードリッヒ・ヴィット
 七重奏曲ヘ長調
(※七重奏と書いてあるがこれはチェロとコントラバスが
同じ声部を担当するため。実際は8人で演奏される)
○ゴットフリート・フォン・アイネム
 ねずみとビーバーと熊のセレナーデ作品84
 (クラリネット・ファゴット・ホルン)
○ゾルターン・コダーイ
 2つのヴァイオリンとヴィオラの為のセレナーデ作品12
 (ヴァイオリン2台・ヴィオラ)
○フランツ・ティッシュハウザー
 八重奏曲(1953)〈日本初演〉

【メンバー】
ヴァイオリン:田村安祐美
ヴァイオリン:片山千津子
ヴィオラ:高村明代
チェロ:渡辺正和
コントラバス:神吉正
クラリネット:鈴木祐子
ファゴット:仙崎和男
ホルン:小椋順二