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ブログ版 シュプリッターエコー

日本はもう安眠できない…集団的自衛権の成立

2015-09-27 20:32:00 | セイジ
 アメリカの戦争に加担する安保法制(いわゆる集団的自衛権)が国会で成立しました。
 自民党の数の力がブルドーザーみたいに反対意見を押し潰してしまいました。
 前回の総選挙で自民党が圧勝した、これがそのごくシンプルな結果です。
 なんの不思議もありません。

 各種の世論調査では、いまなお半数近くか半数を超える人が、安保法制に警戒感や不安感を持っています。
 前回の総選挙で自民党に投票した人のなかでもかなりの人が、おだやかな心になれないままでいるわけです。
 こんなに早く、こんなに簡単に、自民党が戦争体制を作ってしまうとは思わなかったというのが正直な気持ちなのではないでしょうか。

 あとはもうなし崩し状態になるでしょう。
 自民党は公明党などに配慮して、安保法制にいくつかの制約を設けましたが、いったん事態が緊迫すればそんな制約は吹き飛んでしまいます。
 これからは事実が先行するのです。
 自衛隊がすでにアメリカの第二軍になってしまっていることも、早晩あきらかになるでしょう。
 日本の大衆はこれから、アメリカの戦争にいつ巻き込まれるか、その不安に苦しめられ続けることになるでしょう。

 自民党を選挙に勝たせたのもわれわれ大衆なわけですから、結局は大衆が自分たちのまいた種を自分たちの血で償うことになるのです。

 ドイツを呪われた国に変えてしまったヒトラーも、なにも非合法に権力を強奪したわけではないのです。
 民主的な選挙を通して大衆の支持を広げ、民主的な法律にのっとって政権の座についたのです。
 理性がつくったシステムを、理性的に利用して、理性のシステムを徐々に壊していったのです。

 安倍さんも、合法的に活動しながら、彼のその行動を守っている根幹の法律を壊すのです。
 憲法のもとで政権を獲得して、その憲法を空洞化するのです。

 きのうまで戦争はだめだといっていた憲法が、安倍さんの巧妙な策略でいまはもう戦争を許す憲法になったのです。  
 日本の大衆はもう安眠できません。

戦争状態へ着々…統幕の内部資料

2015-08-23 20:05:00 | セイジ
 自衛隊の最高幹部たちが、戦争状態へ向けて着々と態勢を整えていることがわかってきました。
 自衛隊とアメリカ軍がいっしょに軍事行動に出るときに両国の連絡はどうするか、そのような問題が自衛隊の心臓部にあたる統幕(とうばく、統合幕僚監部)で詳細に研究され、資料が作られていたのです。
 安保法案(集団的自衛権)が国会を通ることを、すでに見越してのことでした。
 それも安倍さん(首相)や中谷さん(防衛大臣)に知らせないままの、隠密行動だったのです。

 安倍さんは「研究は防衛大臣(中谷さん)の指示のもとに行われていた、問題ない」と語っています。
 けれどそれはたぶんウソなのです。
 中谷さんは国会の答弁で、自分が統幕に資料があると知ったのは「8月11日だ」と答えています。
 けれど資料が作られたのはその3か月も前の5月中のことでした。
 3か月間の空白は、防衛大臣がないがしろにされていたことの明白なあかしです。

 防衛大臣の下にはピラミッドのような巨大な防衛省の組織があって、そこでは省の幹部たち(高級官僚)が大きな権限をもっています。
 表向きは、民間から出た文民政治家の大臣が、防衛省ないし自衛隊の幹部官僚をコントロールすることになっていて、これを特に文民統制(シビリアンコントロール)と呼んでいます。
 軍部の独走にブレーキをかけるためのシステムです。
 しかし防衛官僚をコントロールできる大臣など実際にはいやしません。
 官僚たちのほうがはるかに専門知識に長(た)けていますし、経験も豊かで、しばしば頭もいいのです。

 残念なことにコントロールされているのはたいがいは大臣のほうなのです。
 安倍さんが、自衛隊幹部の独走を批判するどころか、「統幕が法案の内容や政府の方針を分析・研究するのは当然だ」と、逆に追認、弁護するところなど、政府と官僚の逆転を、ある意味ではみごとに象徴しているといえるでしょう。

 雲はますます不気味な方向へ行くようです。
 巧妙にもわたしたち大衆には見えないところで、わたしたちを戦争へ運ぼうというプログラムが進行しているけはいです。

中学生の歴史のおさらい…安倍談話

2015-08-16 18:58:00 | セイジ
 戦後70年の区切りに、安倍さんが首相談話を発表しました。
 首相官邸は「出すぞ」「出すぞ」と前評判をあおっていましたし、マスコミも「出るぞ」「出るぞ」と盛んに言い立てていましたから、安倍さんの主張や意見が濃厚に出るのではないかと、ぼくもいつもより少し構えて待ってました。
 けれど実際は、首相らしい強力な主張や意見は、談話にありませんでした。
 思っていたよりずいぶん希薄(きはく)なものでした。
 せいぜい中学生の歴史のおさらいのようでした。

 戦争で命を落とした人びとへの追悼、戦争を起こしてしまったことへの反省、戦後の復興に努めてきた先人たちへの感謝、アジアの国々を侵略したことへの謝罪、今後の世界平和に貢献するという決意、おおよそそういう文言(もんごん)が記憶に残りましたが、いろんなことがつながれつながれ、平坦(へいたん)に語られたという印象で、なにかきわだって心を打つものがあったかというと、そういうものはほとんどありませんでした。

 およそ首相談話といわれるかぎりは、安倍さん独自の強力な主張がせめて一つくらいはあって当然のことでしょう。
 歴史上の出来事は、その強力な主張をそばから支える傍証として述べられるものでしょう。
 それが安倍さんの談話では、ほとんど傍証ばかりが並んでいるように見えました。

 
 考えれば、アメリカ政府から許されることしか言えない首相ですから、それも無理のないことです。
 秋には国連で核廃絶の提案を行う、とこれがほとんど唯一の具体的な行動計画でしたが、それとてもオバマ大統領がすでにヨーロッパでの演説で基本線を打ち出していることなのです。
 首相が強力な主張を表明するには、アメリカも他の国と同等の一国に扱うという、強い主体性がどうしても必要になるのです。

 結局のところ、安倍さんがめざす安保法制(集団的自衛権)も、アメリカ政府がそれを望んでいるからその成立に必死になっているのですし、次にめざす改憲も、アメリカ政府が今の日本国憲法を変えたがっているから、それに力を注ごうとしているのです。

 こんなことを考ええました。
 もし今の憲法を貫くことに情熱を傾ける首相だったら、どんな談話になるだろうか、と。
 
 おそらくかれは日本国民がこの70年間、この平和憲法を懸命に守り、いっさいの戦争に手を貸さずにきたことに、大きな誇りを語ったことでしょう。
 いま世界中が苦しんでいる恒常的な戦争状態に対して、平和を切り開くための大いなる理性の行使を、すべての国に情熱的に訴えたことでしょう。
 核廃絶ももっと人びとの心に響く声で強調したことだと思います。

 そういう首相談話なら、ぼくはきっとそれを誇りに感じただろうと思います。
 そういう人を首相に選んだこの国の国民のことも誇りに思い、そういう人びとにあらためて感動を感じさえしただろうと思います。

 そういう首相談話なら、世界中の人々も真剣に聴いてくれたのではないかと思うのです。

戦争を嫌うのは利己的か…武藤発言

2015-08-09 18:22:00 | セイジ
 若者が戦争に行くのは当然のことではないか、とそのような考えをおおやけにしてはばからない国会議員が、ついに自民党議員の中に出てきました。
 衆議院議員の武藤貴也さんです。
 安保法制(集団的自衛権)に反対している学生たちの組織「自由と民主主義のための学生緊急行動」の運動を批判して、ツイッターにおおよそ次のような書き込みをしたのです。
 政府を批判する学生たちの行動は、戦争に行きたくないという自己中心、極端な利己的考えから出ている、と。

 
 おそろしく短絡的(たんらくてき)な考えで、これが国会議員の言葉かとあきれますが、少し気になるのは、武藤さんを選出した滋賀四区の選挙民の心です。
 武藤さんを選んだ人たちは、そりゃあそうだ、武藤さんの言う通りだ、と納得しているのでしょうか。
 その人たちはすでに戦争を従順に受け入れる構えで、開戦すれば、若者は率先して戦場におもむくし、親たちは喜んで息子を戦地へ送り出すのでしょうか。

 少なくとも、ぼくの選挙区でこういう代議士が出てきたら、次の総選挙ではずいぶん苦戦することになるだろうと思います。

憲法を邪魔に思っている人びと…礒崎発言

2015-08-02 21:30:00 | セイジ
 安倍さん(首相)の側近中の側近の礒崎陽輔さん(いそざき・ようすけ、首相補佐官)がどえらい発言をしました。
 「法的安定性は関係ない」と、そこだけ取り出しては何のことか分かりませんが、要するに、今は自衛隊がアメリカ軍と一緒に戦えるようにすること(集団的自衛権)が最も大事なことで、そのためにはいつまでも憲法にこだわっていることはない、憲法の解釈をどう変えようとそれはわれわれ為政者の自由ではないか、というのです。
 政府のそのときの思いひとつで憲法がさまざまに解釈されては、私たち大衆の運命も政府の思いひとつで変えられることになるでしょう。
 そんな憲法はもう憲法とは言えません。

 しかし礒崎さんの発言は、実は、権力を握っている人たちが、憲法をどんなふうに考えているか、そのことをとても分かりやすい形で私たちにあらわに見せてくれたのです。

 近代の憲法はもともと国王や政府など、そのときの為政者が勝手な政治をしないよう、かれらの権力を制限するために生まれてきました。
 大衆の日々の暮らしを権力者から守るために作られたのです。
 戦前の明治憲法は、日本が近代国家の外観を整えるために急いで「上から」作ったものですが、これは近代憲法のほんとうのあり方からすれば、逆立ちの憲法だったというわけです。

 ですから、権力を握っている人たちにとって憲法というものは、もともとうるさいものなのです。
 じっさい、今日の日本国憲法の、とりわけ第九条があるおかげで、日本の権力者は日本の大衆を兵士に仕立てて海外へ送り出すことができません。
 中国や韓国との間で起こっている領土問題も、昔ならすぐ軍隊派遣ということになっていたでしょうが、それができないので、外交に知恵を絞って解決を目指すことになるのです。
 日本の外務省にもっと知恵のある役人がいれば、もっとスムーズに解決へ向かって進むでしょうが、そんな有能な人材がいないものですから、いつまでもモタモタを続けているのです。

 むろん安倍さんにとっても憲法は目の上のたんこぶで、ほんとうは憲法を変えて日本をアメリカと一緒に戦争のできる国にしたいのでしょうが、当面それが無理だと分かってきたので、まずは憲法に都合のいい解釈をほどこして、戦争への道を広げようとしているのです。
 礒崎さんの発言は、今のところ周りの高官たちの画策で、政府の中でも浮き上がったものに見えるよう、さかんにカモフラージュがほどこされていますが、実際のところは、安倍さんの思いをもっとも率直に述べたものだといえるでしょう。

 私たち大衆は、憲法がもともと権力者のためのものではなく、私たちのためのものだということをこの機会にもういちど確認して、この問題を考えてみる必要があるのでしょう。  

危機意識をあおる安倍さん…中国ガス田

2015-07-26 18:38:00 | セイジ
 中国のガス田開発を証拠づける写真が防衛省からマスコミに発表されました。
 むろん安倍さん(首相)の指示があってのことです。

 安倍さんの狙(ねら)いはみえみえです。
 安保法案(集団的自衛権)を衆議院で強行採決してから、安倍さんの支持率(各種世論調査)はガタ落ちです。
 国民は自分についてくるとタカをくくっていた安倍さんにとって、これはずいぶんとアテはずれのことでした。
 こういう場合、権力を握っている人のやることは、いつの時代も同じです。
 外国からの脅威(きょうい)を強調して、わたしたち大衆の危機意識をあおるのです。
 中国が日本の国益を侵(おか)そうとしている、だから私(首相)の言う通り、集団的自衛権を確立して、日本を守らなければならない、私についてきなさい、私に間違いはありません、というわけです。

 中国のガス田開発はむろんとうからわかっていたことです。
 航空自衛隊の調査能力は優秀です。
 写真資料もワンサと蓄積されているはずです。
 それをどう利用するかは、こんなふうに権力を握っている人の心ひとつで決まるのです。

 さて、安倍さんの意図はみえみえですが、それを投げつけられた私たち大衆はちょっと悩ましい立場に立たされました。
 いささかきたない日本の首相のやりかたなのですが、じゃあ中国の首相がきれいかというと、決してそんなわけではありません。
 むこうにも政府の高官や軍部の指導者や富豪の思惑(おもわく)も含めて姑息(こそく)な計算があるのです。
 私たち大衆は、こちらのきたない政府とむこうのずるい政府とのその間で、両方の政府からのはさみ討ちにあっているというわけです。

 そこで、さあ、どうするか。
 やることはひとつです。
 わたしたち大衆ひとりひとりが自分の頭で考えること。
 この頭で主体的に考えること。
 そのことです。

 安倍さんの策略に乗ってここでドドッと走り出せば、行く手にはまた戦争の不安が押し迫ってくるでしょう。
 取り返しのつかないことになるでしょう。
 脳ミソはあちらのほうがいいかもしれませんが、こちらは日々の生活実感をもとに、ここはじっくり考えるところです。
 急ぐことはありません。
 劣った脳ミソでも時間をかければきっと妥当な判断に導かれていくはずです。 

国立競技場で安保問題ウヤムヤに?

2015-07-19 21:03:00 | セイジ
 政治家には確かに運の強い人と弱い人がいるようです。
 首相の安倍さんはきっと運に恵まれた人でしょう。
 国立競技場のぶざまな建設費騒動が、安倍さんには逆にいい風になりそうです。

 安倍さんは自衛隊を屈辱的(くつじょくてき)にもアメリカ軍の番犬におとしめる法律(集団的自衛権)を、衆議院の本会議でむりやりに可決させてしまいました。
 アメリカ政府にそれほどいい顔がしたいのでしょう。
 自民党の中でそれほど権力を大きく広げたいのでしょう。

 しかしいくら政治的に幼稚な日本の大衆といっても、ここのところの安倍さんのゴリ押しにはさすがに警戒心を高めたようです。
 内閣支持率が日に日に下がってきたのです。
 最近の調査ではついに37%(共同通信社)にまで落ちました。

 そこでにわかに政治の中心に登場してきたのが国立競技場の建設費問題です。
 大向こうをうならせる大胆デザインを決めたまではよかったのです。
 しかしその建設費が最初の予算を900億円近くもオーバーすることがまもなくわかってきたのです。
 いくらオリンピックのためとはいえ、それはあまりに無節操だ、と批判の声が前から上がっていたのです。

 それにしても安倍さんの発言は唐突(とうとつ)でした。
 ツルの一声とばかり、いきなり「建設を白紙に戻す」と言ったのです。

 日本経済新聞はその背景をおおよそこんなふうに述べています。
 安保法案(集団的自衛権)で支持率が低下して、そのうえ国立競技場の問題がこじれてきたら、与党にとって危機的な状況にならないとも限らない、早く手を打つ必要があった、と。

 しかし意地悪な見方かもしれませんが、安倍さんんにはもっと深い計算があったのでは、とぼくは思っているのです。
 国立競技場で民意に沿うようなポーズを印象づけて、集団的自衛権の強い批判をかわそうとしているように見えるのです。
 いくら大きな騒動とはいっても、しょせんは一競技場の問題にしかすぎません。
 首相が前面に立たないといけないような重大事件ではないのです。
 そこへ自分からしゃしゃり出た安倍さんには、心に期した計算があってのことだと思うのです。
 集団的自衛権という防衛の大問題で出してしまった失点を、一個の競技場の問題で回復することができたなら、これはメダカでタイを釣ったようなものでしょう。

 じっさい、ものごとを論理的に掘り下げるより、感覚的に判定することが多い日本の大衆です。
 安倍さんの狙いが図に当たることもなきにしもあらずです。

 安倍さんんも安倍さんなりに一つの賭けに出たのでしょうが、わたしたち大衆も政治的な意識の高さ(低さ?)が測られそうです。

民族の誇りを傷つける安倍首相

2015-07-12 20:23:00 | セイジ
 あくまで個人的な見方ですけど、安倍首相の最も大きな罪は次の点にあると、私は考えているんです。
 誇り高いこの列島の民族を恥知らずにもアメリカ政府に隷属(れいぞく)させようとなりふりかまわず突き進んでいる、その点です。

 集団的自衛権はこの国を守るために必要だ、と安倍さんは強調しますが、それは表向きの理由にしかすぎません。
 集団的自衛権がめざすのはなによりもまずアメリカの防衛です。
 アメリカ政府が陰で日本政府に圧力をかけて、それで生まれてきたんです。

 集団的といえば、何カ国かが集まって防衛網を作るというイメージを持たせますが、実際ここで考えられているのはアメリカと日本の二国のことです。
 オーストラリアとだって連携(れんけい)すると政府は言ってますが、そんなのは付け足しです。
 アメリカに危険が迫れば、日本の自衛隊が番犬になってアメリカを守るというのが、この法律の最大のねらいです。
 給油や輸送や経済的支援の範囲を超えて、現実的な戦力となって自衛隊がアメリカのために出動する、それが最大の眼目です。
 日本を守るだけだったらこれまでの個別的自衛権でじゅうぶんです。
 大騒ぎまでして法律を変えることはありません。

 とにかくアメリカ政府の顔色を気にしてばかりいるのが安倍さんです。
 私たち日本民族の誇りなど首相の頭にはないようです。
 集団的自衛権が憲法に反していないと言わせるために、論理学のイロハも身につけていないようなお粗末な学者を引っ張り出してくるんです。
 一国の最大政党のやることですか。
 民族の知性も品性も台無しです。

 民族を恥辱にまみれさせてもアメリカ政府に媚(こ)びようとする首相。
 そんな人に権力の最高ポストにすわり続ける資格がどうしてあると言えるでしょう。

絶対中立と自主防衛と自由・平和

2015-06-28 14:07:00 | セイジ
 日本民族をより美しくするためだったら、私は今の日本国憲法を変えてもいいと思っているのです。
 この点では、このブログによく投稿しておられる邪狗さんとはだいぶん違う立場です。
 けれど、安倍さん(首相)が進めようとしておられるような、アメリカにすりよるための改憲には、これはもう真正面から反対です。
 この点では、邪狗さんとまったく同じ立場です。

 私が思っている改憲には、三つの原則があります。
 
 その第一は「絶対中立」をかかげることです。
 第二次世界大戦後しばらくのあいだ、日本を永世中立国のスイスのような国にしようという構想がありました。
 しかし朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)など東西の対立が厳しくなるにつれて、日本を西側に組み込もうというアメリカの戦略が強化され、この構想は立ち消えになってしまいます。
 (日本人の心の中にスイスを理想の国とみる見方が長いあいだ生きていましたが、それはこの消えた構想の燃え残りだったのです)
 「絶対中立」は、そのかつての理想の原点に今あらためて立ち戻ろうというものです。

 その第二は「自主防衛」をはっきりと打ち出すことです。
 自国の防衛を超大国の軍隊にゆだねているようでは、絶対中立を貫くことなどできません。
 自国は自国の軍隊で守り抜くという体制を整えてこそ、動乱の続く世界のなかで日本民族の中立を完遂することができるのです。
 今の自衛隊のような、どこか後ろめたさ(ごまかし)が残る日陰の存在ではなく、誇り高い日本の国軍を正式に再建することが欠かせません。

 その第三は「平和と自由」の強調です。
 新しい軍隊は、旧日本軍のような侵略の軍隊ではないということ、国土防衛のための限られた戦力であるということ、この二つを明確に内外に示すことです。
 そしてその行動の基盤は、国民の自由そして世界の自由の上にあること、そのことをまっすぐ確認することです。

 安倍さんの改憲が、わが民族をアメリカの世界戦略の一翼に組み込むためのプログラムであることは、なりふりかまわず集団的自衛権の成立を急ごうとする今の内閣の姿勢を見てもわかります。
 さすがの安倍さんも、憲法本体を変えるのにはまだかなりの時間がかかるとみて、まず集団的自衛権で憲法九条の実質的な骨抜きをはかる方向へ政治的エネルギーを向けたのです。

 私は、この民族の兵士たちをアメリカ軍の番犬にするような法律には絶対に反対です。
 そのような屈辱的な憲法を頭上にかかげることには耐えることができません。

 日本民族は2000年にわたって誇りある歴史を築いてきましたし、これからも築いていかねばなりません。
 とりわけ超大国のしもべとなるような、そんな卑(いや)しい姿を世界にさらすようなことは、決して許してはなりません。

 「絶対中立」「自主防衛」「平和と自由」、この三つの原則を掲げる政党が現われれば、そしてそれが私心のない誠実透明な政党であれば、たとえ邪狗さんとの友情が壊れるようなことになったとしても、私はよろこんで支持したいと思っています。

民族の品性と知性の衰退…集団的自衛権

2015-06-21 20:06:00 | セイジ
 どこかの大学の教授だか名誉教授だかの学者さんがラジオ放送のインタビュー番組で喋っていました。
 集団的自衛権は合憲だというのです。
 それがまた粗雑このうえない論理で。

 憲法第九条は、その前提として自衛権を認めているのだから、集団的自衛権もすでにその前提に含まれている、というのです。
 法律が何も言ってないことを、前提という名目で、無謀にもあとからねじこもうというわけです。
 そんなことが許されるなら、これも前提にあったはずだ、あれも前提にあったはずだ、と法律をいくらでも広げていける、そんなめちゃくちゃな世のなかになってしまうことでしょう。

 
 声から推してだいぶん歳のいったベテランの学者さんのようでしたが、論理というものがそもそもどういうものなのか、このかたはどうもわかっておられないようです。
 前提をきっちり定めておかなければ、スジ立った論争などできるものではありません。
 このかたの言い方はこどものけんかと同じです。
 もう一度、論理学のイロハを勉強してもらう必要があるでしょう。

 いまや学者と呼ばれるひとにしてこうなのかと、腹立たしさを通り越して物哀しい思いです。
 この国の知の衰退、知の惨状に、寒ざむとしたものを感じます。

 それもこれもアメリカにすり寄ろうとする自民党政府の姿勢から出ていることを考えると、政治が知の世界を腐らせる、その罪もけっこう深いものだと見えてきます。
 集団的自衛権は、他国の民の血を一滴も流さないできた自衛隊の隊員たちを血まみれのアメリカ軍の手先にしようという、まさに呪われた法律です。
 それは、わたしたち歴史のある民族の品性を壊すばかりではありません。
 この民族の知性をも腐食させるものなのです。