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ブログ版 シュプリッターエコー

現代を逆照射―豪玉万里紀行「トイレはこちら」

2009-11-01 21:22:00 | 演劇
 劇団・豪玉万里紀行Ⅱの公演「トイレはこちら」(原作・別役実)を神戸・三宮の小劇場イカロスの森で見ました。
 劇団主宰・武谷嘉之さんの演出で、出演は衣川佳子さんと田中孝命さん。
 首つりのロープと首つりのための踏み台とそしてなんだか憂鬱げなベンチという、少々ブラックな道具立ての、ブラックな喜劇です。
 衣川さんと田中さんの好演で、きりっと切れ味のいい舞台に仕上がっていました。

 自殺を敢行しようとしている女の前に、変な男が登場します。
 男は公衆トイレの案内人になって、ひともうけしようとそこへやってきたのです。
 噛み合っているようで、噛み合わない、いやむしろ歴然と噛み合っていないのに、どこかこの世界ならぬ彼方の次元で噛み合っている、そのようなおかしな会話が進行します。
 女はどうやら最後には自殺を思いとどまるようですから、混沌(こんとん)の調和といったものが地平線のあたりで微妙に動いたのかもしれません。

 別役さんの作品をいま見て、きわだって感じるのは作品を絶え間なく流れる繊細な精神です。
 初演当時にはむしろスパッと切ったように聞こえていた会話が、世紀が変わっていまあらためて耳にすると、とてもデリケートに響くのです。
 つまり生から死へとつながる言葉のゆるやかなグラデーションが一語一語、丁寧に追跡されているように見えるのです。、

 これはおそらく、ぼくらの気持ちがもはやそのような丁寧な心の追跡を行う力を失っている、そのことの裏返しでもあるのでしょう。
 とりわけ2001年の9.11ニューヨーク・テロのあと、ぼくらの感受性は「先に死にゆく者」と「後に生き残る者」の二極に截然(せつぜん)と分けられてしまっているような気がします(ちなみに「トイレはこちら」は1988年の作品です)。
 かんがえれば怖いことです。

 演出の武谷さんは「優れた創作は常に歴史的文脈の中でうまれる」と語っています。
 あるいはそれが、現代という時代を逆照射してみせるのかもしれません。
 そこに見えるのは、深刻な精神の衰弱ではないでしょうか。