朝青龍が優勝のうれしさから土俵上で思わずガッツポーズをしたってこと。
なんで、あれが悪いんです?
横綱審議委員ムラでは、国技の品格を壊す、というような意見が出されたそうですが。
でも、ぼくらにはごく自然に見えました。
むしろ朝青龍の大きな喜びがありありと伝わって、ああ、苦しかったんだなア、と感動さえしましたよ。
正直いって、今の相撲を「国技」と意識したことなんか、あまりないですね。
たくさんあるスポーツのうちの一つとして楽しんでいる、それだけですね。
相撲の世界に日本人としてのお手本のマナーがあるなんて、そんなこと、もうだれも考えてはいないでしょう。
そうだとしたら、かえってキショクワルイ。
要するに、親方―子分のムラ共同体でしょう、いまだにあそこは。
でなきゃあ、朝青龍の親方がわざわざ「うちの横綱が土俵でガッツポーズをしたこと、もうしわけありませんでした」なんて父兄会みたいに謝る必要もないでしょう。
コクギ、コクギ、とやかましく言うんなら、そもそも外国人の力士をスカウトしてくるのが間違っている、とうちのカミさんなんかは言いますね。
「立派な日本人になっていただくために、貴殿(きでん)を日本の相撲界にお招き致したい」なんて、そんなギョウギョウしい注文をつけて外国人力士を入門させるわけじゃないでしょう。
みんな裸一貫で一攫千金の夢が果たせるジャパニーズ・ドリームをめざして来るのだし、スカウトする親方にしても、じぶんの部屋から幕内力士を出して部屋の収入と名声を高めたいというのがホンネでしょう。
「国技」なんて、有名無実ですよ、もう。
柔道ではなにがなんでも日本が金を取らなきゃいかん、というのと同じように、時代錯誤(じだいさくご)。
もっと明るく、もっと開放的に、もっと国際的に、楽しめばいい。
でなきゃあ、大相撲じたいが生き残れない。
いまや、朝青龍や白鳳や日馬富士や琴欧州のいない大相撲なんて、なんかチマチマして、面白くもないでしょう。
お客さんも呼べません。
形ばかりの神事みたいになっちまう。
なんで、あれが悪いんです?
横綱審議委員ムラでは、国技の品格を壊す、というような意見が出されたそうですが。
でも、ぼくらにはごく自然に見えました。
むしろ朝青龍の大きな喜びがありありと伝わって、ああ、苦しかったんだなア、と感動さえしましたよ。
正直いって、今の相撲を「国技」と意識したことなんか、あまりないですね。
たくさんあるスポーツのうちの一つとして楽しんでいる、それだけですね。
相撲の世界に日本人としてのお手本のマナーがあるなんて、そんなこと、もうだれも考えてはいないでしょう。
そうだとしたら、かえってキショクワルイ。
要するに、親方―子分のムラ共同体でしょう、いまだにあそこは。
でなきゃあ、朝青龍の親方がわざわざ「うちの横綱が土俵でガッツポーズをしたこと、もうしわけありませんでした」なんて父兄会みたいに謝る必要もないでしょう。
コクギ、コクギ、とやかましく言うんなら、そもそも外国人の力士をスカウトしてくるのが間違っている、とうちのカミさんなんかは言いますね。
「立派な日本人になっていただくために、貴殿(きでん)を日本の相撲界にお招き致したい」なんて、そんなギョウギョウしい注文をつけて外国人力士を入門させるわけじゃないでしょう。
みんな裸一貫で一攫千金の夢が果たせるジャパニーズ・ドリームをめざして来るのだし、スカウトする親方にしても、じぶんの部屋から幕内力士を出して部屋の収入と名声を高めたいというのがホンネでしょう。
「国技」なんて、有名無実ですよ、もう。
柔道ではなにがなんでも日本が金を取らなきゃいかん、というのと同じように、時代錯誤(じだいさくご)。
もっと明るく、もっと開放的に、もっと国際的に、楽しめばいい。
でなきゃあ、大相撲じたいが生き残れない。
いまや、朝青龍や白鳳や日馬富士や琴欧州のいない大相撲なんて、なんかチマチマして、面白くもないでしょう。
お客さんも呼べません。
形ばかりの神事みたいになっちまう。