しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

いいじゃない、ガッツポーズ―朝青龍

2009-09-29 22:06:00 | スポーツ、オリンピック
 朝青龍が優勝のうれしさから土俵上で思わずガッツポーズをしたってこと。
 なんで、あれが悪いんです?

 横綱審議委員ムラでは、国技の品格を壊す、というような意見が出されたそうですが。
 でも、ぼくらにはごく自然に見えました。
 むしろ朝青龍の大きな喜びがありありと伝わって、ああ、苦しかったんだなア、と感動さえしましたよ。

 正直いって、今の相撲を「国技」と意識したことなんか、あまりないですね。
 たくさんあるスポーツのうちの一つとして楽しんでいる、それだけですね。

 相撲の世界に日本人としてのお手本のマナーがあるなんて、そんなこと、もうだれも考えてはいないでしょう。
 そうだとしたら、かえってキショクワルイ。
 要するに、親方―子分のムラ共同体でしょう、いまだにあそこは。
 でなきゃあ、朝青龍の親方がわざわざ「うちの横綱が土俵でガッツポーズをしたこと、もうしわけありませんでした」なんて父兄会みたいに謝る必要もないでしょう。

 コクギ、コクギ、とやかましく言うんなら、そもそも外国人の力士をスカウトしてくるのが間違っている、とうちのカミさんなんかは言いますね。
 「立派な日本人になっていただくために、貴殿(きでん)を日本の相撲界にお招き致したい」なんて、そんなギョウギョウしい注文をつけて外国人力士を入門させるわけじゃないでしょう。

 みんな裸一貫で一攫千金の夢が果たせるジャパニーズ・ドリームをめざして来るのだし、スカウトする親方にしても、じぶんの部屋から幕内力士を出して部屋の収入と名声を高めたいというのがホンネでしょう。

 「国技」なんて、有名無実ですよ、もう。
 柔道ではなにがなんでも日本が金を取らなきゃいかん、というのと同じように、時代錯誤(じだいさくご)。

 もっと明るく、もっと開放的に、もっと国際的に、楽しめばいい。
 でなきゃあ、大相撲じたいが生き残れない。

 いまや、朝青龍や白鳳や日馬富士や琴欧州のいない大相撲なんて、なんかチマチマして、面白くもないでしょう。
 お客さんも呼べません。
 形ばかりの神事みたいになっちまう。

賀川豊彦の精神どこに―神戸・コープの墜落

2009-09-22 13:12:00 | くらし、商品
 神戸の青谷にコープミニ青谷という店があるんですが。
 今年はこれで2回も商品棚の表示価格と違う値段を請求されました。
 いえ、たいした品物ではないんですがね。
 コープ自身が発売しているカン入りのトマトジュース(食塩添加分)。

 棚の表示価格が68円だったので、200円の梨といっしょにカウンターに出したら、278円の請求が来たんです。
 あっ、ぼくが棚で見間違えたんだ、とそのときはそういうふうに思って、言われるとおりに払いましたが、どうもシックリしないので、帰りにもういちど棚を見にいったら、やっぱり68円なんですね。

 ああ、またか、と思いました。
 ちょっと前にも同じようなことがありましたから。
 組合員向けにけっこう大きく割り引いたくだものが売り出されましてね。
 で、ぼくは組合員証を出してそれを買ったんですが、店員さんが求めたのは一般の顧客向けの高い金額だったのです。
 ずいぶん額が違いましたから、そのときはもう一目瞭然(いちもくりょうぜん)で、すぐ訂正してもらいましたが、けど、気がつかないでいたらそのままですよね。

 今回はたった10円のことだったし、お客も混んでいたので、店員さんに口で注意しただけで、そのまま帰ってきましたけどね。

 店員さんがタルんでいるのか、それともコープもムリな合理化を進めて、人員不足から目が届かなくなっているのか。

 コープというのは、もともと神戸で貧民の救済に専念した賀川豊彦(神戸生まれ)が、貧しいひとびとの生活を守るために創設したものです(1920年、神戸購買組合)。
 神戸では生活協同組合(灘神戸生協、コープ)といえば、市民の尊敬さえ受けてきたのです。
 長年にわたって神戸市民がコープを支えてきたのは、単に商品が安く手に入るというだけではありませんでした。
 そこには賀川豊彦の精神に対する深い敬意が脈々と流れていたのです。

 じっさい、神戸ではまだ多くの市民が「コープさん」とサンづけで呼ぶほどです。

 しかし、コープが全国規模になって、いまや不祥事も珍しいことではなくなってしまいました。
 信用をどんどん食いつぶしている格好です。

 昔の生協を知るものには、今のこのテイタラク、さびしいかぎりです。
 賀川豊彦は資本主義の暗部と懸命に闘いましたが、いまのコープは、賀川が闘ったその資本主義の暗部に巻き込まれていく気配です。

やまだ書店(二)

2009-09-18 07:39:00 | 本、文学、古書店
やまだ書店のことは以前にも紹介したことがある。

夕方も7時をまわって、自転車で中央図書館に出かけた。もう6時を過ぎると暗い。

3冊借りている本を、3度目に延長する。図書館の用事はそれだけ。

図書館を出たのが7時半。やまだ書店に行くことにした。自転車なら近い。

憂鬱な神大病院の脇を通り過ぎ、有馬街道が山越えの道に入る少し手前、平野(ひらの)の交差点。いつも遅くまで店は開いている。

壁と垂直に置かれた、大きな移動式の書棚をひとつひとつ動かし、そこへ分け入るたびごとに、三面にそびえる山積みの本。文庫用の小さな棚は、また増えているようだった。

会計を終えて

「三宮の後藤書店が店を閉めて、これだけ専門書を置いている店というのは……」

僕がそう言ったところで

「ないですね」

と店主が受けた。(後藤書店でも、これほどマルキシズムの専門書は多くはなかった、とは結局言わなかったけれど)

そして

「時代遅れなんですけど」

店主は付け加えた。

時代があとに残していったものを売るのが、古書店である。とすれば、これは店主の矜持である。また、たとえああして店主が微笑んでいようと、これは穏やかな話では到底なく、ほとんど刺し違える覚悟というのが、そこにある。


僕自身、最近はインターネットで古書を注文することが多い。

「インターネットでは…?」

「やってないんです、店頭だけ」

値段も安く、出品すれば売れそうなものは多い。


とはいえ、今日は専門書は買っていない。



「家畜人ヤプー」(沼正三、角川文庫版)¥200-

これをここに書くのは本当は恥ずかしい。半端なサブカル愛好者っぽくて。まあ、ご愛嬌ということで。



「ジャン・ジュネ全集2」(堀口大學他訳)¥800-

これに入っている「花のノートルダム」は読んでいる。持っているのは同じ堀口訳の新潮文庫版。最近、河出文庫で新訳も出た。もう一本収められている「ブレストの乱暴者」は未読だが、これも河出文庫で簡単に手に入る。いっとき、ジュネはずいぶん読みにくかったが、いまはちょっとしたブームなのだろうか? それにしても今日みつけたこれは三刷の68年出版だが、びっくりするぐらいきれいな本で、真っ白で、思わず買った。家に帰って本棚をみると、忘れていたが、1巻と3巻をもっていて、カンチャンがきれいにはまった。全4巻。



「もつれっ話」(ルイス・キャロル)¥500-

これこそさがしていた本というわけで、この数日キャロルの本をインターネットで検索していた。やはり古書店で出会い、その出会いの喜びの中で買うのが何といっても楽しい。

以上3冊。

しかし店を出て、店の前のワゴンの中からもう一冊。



「ドイツ文學小史」(ルカーチ)¥100-

これはいろいろな意味で記念として。それにしても、ルカーチ、グラムシら、正統派に近い人々というか、西欧マルクス主義の草創期の人々の文献は目についても、たとえばフランクフルトのマルキストたちは並んでいない。単に品薄というだけの話か、それとも店主のこだわりだろうか。それにしても、本当のところは、何かもう一度ご店主の顔がみたい気がして、ワゴンの中からこの一冊を取って店に引き返したわけだった。

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街を自転車で走るにはいい季節になった。

平野の交差点をわたって坂を上れば、この神戸の祇園神社があって、7月には祇園祭りも開かれる。何年か前、何も知らずにやっぱり自転車でフラフラとやって来て祭りにかち合った。坂に沿ってどこまでも軒を連ねる屋台の光景、それから、祭りを口実に浴衣を着て初々しいデートをする中学生の恋人たちの姿。

もともと方向音痴だが、方向も何も考えず、快さに任せてペダルをこいだ。山が近く、カーブも、起伏も多い。暗い住宅地を旋回しながら、すこしずつ街へ下りていった。

やがて、湊川の商店街の近く、深いコンクリートの川の岸に出た。初めて来る場所ではない。というより、ときどきこの川の光景を夢にみる。なぜかはわからない。自分がこの場所に何か思い入れをもっているとは思えないのだけど。

僕にとってこうも疎遠であり、僕が懐かしみながら夢にみるもの。

こう思いながら、同時に、図書館から借りているムージルの作品の言葉が、ふと理解されたような気がした。

「ウルリヒとアガーテがあの頃話し合ったことは、今ではたいていもちろん古臭くて、子供っぽい暇潰しだったように思われていた。だが、あの状態にいて彼らが格子塀にその象徴性のゆえに与えた名称、そして同じく、いま彼らがいる場所全体にその位置の有利さゆえに与えた名称、つまり「分けられないが、また一つにもなれないものたち」という名称は、以来ますます彼らにとって内容豊富なものになっていった。なぜなら、分けられないが、また一つにもなれないものたちは、彼ら自身だったのだし、またこの世にあるその他一切のものも、やはり分けられないが、また一つになれないものであることが、おぼろげながらも認められると思ったからである。」(『ムージル著作集第6巻 特性のない男Ⅵ』加藤二郎訳、松籟社 p.85)

「分けられないが、また一つにもなれないものたち」を、ウルリヒとアガーテの兄妹のような、すでに充分に親密な二つに、ただ当てはめて考えていた。しかし必ずしもそうではないのだろう。疎遠であるというのは、ただそうであるということにすぎない。

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以前やまだ書店について書いた記事は、もう3年も前のものだった。読み返すと、仲間のKと行ったとある。

Kは今年、ずいぶん遠いところに旅に行ってしまった。帰ってくるつもりはないらしい。すると、もう一緒にコーヒーを飲んだり、古本屋に行くこともできないわけか。いつかこちらから出向くしかないのだろうが、それも、いつのことになるかわからない。




サイコーに面白い解説者・岡田さん

2009-09-15 22:16:00 | 阪神タイガース
 プロ野球の解説者のなかで今いちばんおもしろいのは、去年までタイガースの監督をしていた岡田さんではないでしょうか。
 今夜の巨人―阪神戦(東京ドーム)は、総力戦の激闘を延長11回5-3で阪神が制して、エキサイティングなゲームでしたが、岡田さんの解説(ABCラジオ)はまるでベンチからじかに試合にかかわっているような臨場感。
 セッパクした場面になると、激戦の渦中にいる調子で、オレは、オレは…、いつしか作戦指揮に乗り出しているような空気になってくるのでした。

 ゲームは巨人が先制して阪神が追いつき、次には阪神が先行してまた巨人が追いつくという、めまぐるしい展開。
 「もう、こうなったら、試合の流れも読めませんねえ」と、ソッチョクにお手あげを認める岡田さん。「こういうゲームはツーアウトからポコンとホームランが出て、それで決まるようなことがようありますね。まあ、勝ったほうは運がよかった、とそういうことで…、ハハハハハハ」
 
 その岡田さんが、真剣になって声を荒げたのが、11回の表。ようやく2点を勝ち越して、ストッパーの藤川投手に打席が回ったとき。
 巨人のストッパーのクルーン投手は失点の直後でカッカしていて、今ひとつ球道が定まらない。
 右投げ左打ちの藤川選手が左のバッターボックスに入ると、
 「あかんがな。(投球が乱れて)右手に当たったらどうすんねん。もう打たんでええねんから、右のバッターボックスに入らな…。ベンチがちゃんと指示したらな」
 一塁ランナーに出ていた浅井選手が二塁へ、三塁へと盗塁すると、
 「もう、いらんことせんでエエ。クルーンがよけい乱れるやないか。アブナイがな。この回はもうこれでスンナリ終わって、ハヨ裏に行かな」

 ソウカ、監督ゆうのは、そんなとこまで気をつかうのか、とそのシュンカン当方はイタク感動。
 「野球はいらんことしたら、流れが向こうへいってまう」

 ぼくらには単純なゲーム展開に見えていても、ベンチの監督がどんないボウダイなことを、それもコマゴマと考えているか、そのことがありありと伝わってくるのでした。

 それにしても、勝負を決めたのは、11回の表、2アウトから矢野選手がポコンと打ったライトスタンドへの2ランホームラン。
 「流れが読めない」といいながら、しっかりと読んでいた岡田さんではありました。

 …しかし、現役の監督時代には、言語回路にどこか欠損があるのではないかと、ファンをヤキモキさせたあの岡田さんの変わりよう。
 ひとはわかりませんねえ。

童話の童話―三匹の子ぶた

2009-09-10 23:27:00 | ノンジャンル
 木の家を作った子ぶたとレンガの家を作った子ぶたは、待ちかまえていました。

 ワラの家を作った子ぶたを襲った例のぶた食いオオカミが、もうぼちぼちこちらへやってくるころだと考えていたのです。

 でもオオカミはなかなか襲ってきませんでした。

 そこでシビレを切らした二匹の子ぶたが様子を見にいくことにしたのです。

 すると、途中でオオカミが死んでいました。

 ワラの家の子ぶたを襲ったまでは「三匹の子ぶた」の言い伝えどおりに運んだのですが、その子ぶたを食ったおかげで、このわれらが時代のオオカミ氏はぶたインフルエンザにかかって、死んでしまったのでした。

 そこで生き残った二匹の子ぶたが言いました。

 「なんだ、手間のかかる家なんか作って、損したなあ」 

日本の新聞記者のズルさ―鳩山論文問題

2009-09-06 19:59:00 | セイジ
 読売新聞が二日にわたって民主党の外交政策を批判する記事を載せました。
 9月3日のスキャナー欄の「鳩山論文 米欧に波紋」(3面)と、翌4日の社説「信頼構築へ言動が問われる」(3面)です。

 鳩山論文というのは、新首相になる鳩山さんが、月刊誌「VOICE」の9月号に寄稿した「日本の新たな道」のことで、そこで鳩山さんはアメリカの世界政策(グローバリズム)にただただ追随(ついずい)するばかりだったこれまでの日本外交を批判しています。
 自民党のヘイコラ外交にウンザリしてきたぼくら市民には、鳩山さんの批判はしごく当然のことだと思うのですが、その論文がニューヨークタイムズ紙に抜粋(ばっすい)で紹介され、これがもとでアメリカの日本研究者あるいは日本専門家たちの間で論議が起こっているというのです。

 アメリカの論客たちは、多くのひとが日本の国民は超大国アメリカのいうことをきいて当たり前と心の底で思っていますから、アメリカで出される意見の大半が鳩山さんを批判する形になるのは、これもまた当然のことです。

 ところが読売新聞のふたつの記事は、どうもアメリカのシリ馬に乗っているようにしか読めません。
 3日の記事はこんなふうに締めくくっています。
 「今回の論文問題はそうしたムード(執筆者注=日米外交を楽観的にみるアメリカのムード)に冷や水を浴びせる形となった」
 そして4日の社説はこう主張しているのです。
 「鳩山代表は、もはや単なる野党の党首ではなく、次期首相の立場だ。その発言の重みを自覚し、行動することが求められる」

 まるで新聞じしんが、鳩山さんのおかげでアメリカで大騒ぎになっている、エライコッチャ、とアワテフタメイテいるような気配です。
 これは、これまでの自民党のヘイコラ外交と基本的にあまり変わりがありません。
 いざというときになって、新聞も地金が出てきたようです。

 それにとてもズルいと思うのは、じゃあ、新聞記者として自立的な外交をどうとらえるか、という基本的なところで、記事がひとことも言っていないことです。
 アメリカの一部の意見と鳩山さんの論文の間に立って、自分はひとつも傷つかずに、ただ、エライコッチャ、エライコッチャとあおっているとしか見えません。
 まあ、そういう無責任なありかたが、今の日本の新聞記者の大半の姿勢ですが…。

 どうやら国が自立を遂げるためには、記者の自立も不可欠のようです。

美学がなかった麻生さん―総選挙敗北

2009-09-01 22:08:00 | セイジ
 総選挙敗北後の初めての閣議で、麻生さんは、現閣僚がみなここに戻ってくることができてうれしく思う、というようなことを語ったそうです。
 内輪のひそひそ話でそういう本音をもらしたというのならまだしも、報道にのるような形でそんなことを言ったというのは、まったく感覚を疑います。

 落選した自民党の前議員たちは、これを聞いてどんな気持ちになったでしょう。

 やっぱり、「私の非力のために、みなさんに苦戦を強いて、申し訳ない」というぐらいのことは言うべきでしょう。
 そうして頭を下げるのが敗軍の将の美学でしょうし、いやしくも保守本流を自称するなら、それこそ保守の美学でしょう。
 昔の自民党のリーダーたちはそのくらいの感受性は最低限の条件として持っていました。

 麻生さんは最初から最後まで美学のない首相でした。

 現実を見据えたリアル・ポリティクスも大事ですが、鳩山新首相には政治家としての美学も求めたいものです。
 いわば日本の美しい男であってほしいと思うのです。

 日本人の多くが人間としての美学を失ってしまったかに見える今日、新首相にはやはり国の顔として、だれよりも美しい日本人であってほしいと願います。