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ブログ版 シュプリッターエコー

がんばれ!若い芸術家たち―亀井純子文化基金15年

2007-07-28 23:45:50 | 文化芸術一般
 神戸で市民の中から生まれたユニークな芸術家応援システム「亀井純子文化基金」が創立から15年目を迎えました。
 15周年を祝う記念パーティーが8月3日午後6時半から神戸・元町商店街の神戸凮月堂本店・地下ホールで開かれます。

 この基金は、厳しい条件にもへこたれないで自分の道を切り開いている若いアーティストたちを市民の力で支援しようと1992年に設立されました。大震災の3年前のことでした。
 芸術を志している人ならだれでも申し込めるオープンなシステムで、委員会が活動の内容を審査して、一人(もしくは一団体)当たり20万円から10万円が完全に無償で贈られます。この15年間は、年に5件ないし6件が対象になってきました。

 さかのぼれば若くして亡くなったひとりの女性の熱い思いが、この運動の大きな礎(いしずえ)になりました。
 その女性とは、オランダの神戸領事館のスタッフだった亀井純子さんです。
 純子さんは芸術に深い愛情を持っていて、オランダの美術家を日本に紹介するなど文化交流にも情熱を傾けていましたが、ゆくゆくはもっと幅広く芸術の発展に力を尽くしたいという夢をはぐくんでいたのです。
 コツコツと資金も蓄え、“芸術通帳”はいつしか1000万円にもなりました。
 けれど、まだ40歳だというのに夢半ばで病魔に命を奪われることになったのです。

 遺志を継いだのは夫の健さんでした。
 妻の思いをなんとか生かしたいと考えた健さんは、芸術に造詣(ぞうけい)の深い画廊主・島田誠さん(ギャラリー島田社長)に相談を持ちかけて、島田さんや文化プロデューサーの中島淳さんらの奔走で、純子さんの夢はやがて正式な「基金」として形に現れることになりました。
 純子さんの夢に動かされた男たちが、バトンをつないだというわけです。
 基金の創設に当たっては、趣旨に共感したたくさんの市民が協力を申し出て、ほかの都市では例のなかった芸術の「市民メセナ」がスタートすることになったのでした。
 美術に、音楽に、あるいは舞踊に、そして思いがけない方向としては芸術批評に、基金の活動は文化のいろんな分野を刺激して、その波及効果はますます拡大しています。

 妻の夢を実現した健さんもすでに亡くなってしまいましたが、記念のパーティーではその純子さん・健さんを偲びながら、芸術神戸の来し方行く末を語り合います。楽しい“芸術的演出”もはさんで交流を深め、これを機会にまたいちだんと大きな夢に進みます。会食はビュッフェスタイルで、会費5000円。事務局は090.1914.4907(中島淳さん)

希望を忘れない子らに―上月倫子バレエスクール公演

2007-07-22 23:44:50 | 舞踊
 上月倫子(こうづき・みちこ)バレエスクールの公演が神戸文化ホールでおこなわれました。
 今年でもう25回目を迎えた発表会です。
 いつもエレガントな舞台をつくるスクールです。
 今回はジュニア向けの創作「チルチルミチルの青い鳥」とシニアの「バルセロナの広場にて~ドン・キホーテより」の二本がプログラムの中心に置かれました。
 両方とも気もちのいい作品になりました。

 「チルチルミチルの青い鳥」は、春田愛さん、真来佐和子さん、山崎由加里さんといった助教師の先生がたが力を合わせて振り付けたそうです。
 こどもたちの中にいつも希望を忘れない心が根付いてくれるように、とそんな願いが作品の隅々にまでしみわたっているように見えました。
 いちばんちっちゃなダンサーは、あれは、さて、何歳くらいの子だったのでしょう。
 ストーリーのすじは、たぶんまだじゅうぶんに理解できていないでしょうが、ただただ踊るのがうれしくてならないというようすで舞台に飛び出してきたのです。
 なんともいえない喜びのざわめきが客席にひろがって、みんなの心がそのときどんなに動いたか、それがありありとわかりました。
 むしろおとなたちの心の中で大きな希望がゆらり動いたようでした。
 
 「バルセロナの広場にて」は原曲の「ドン・キホーテ」の中からダンスの場面を抽出(ちゅうしゅつ)して、それらをつないでいく形に再構成して上演しました。
 主役のキトリを春田愛さんが、そして街の踊り子を真来佐和子さんが務めるなど、先生格のバレリーナたちがしっかりと軸を固めて、稽古(けいこ)に励んだダンサーたちがエレガントなステージをつくりました。

 とくに印象深く感じたのは、おそらくスクールの誠実で懸命な舞台づくりがみんなに響いたからでしょう、ゲストの男性ダンサーたちの輝きです。
 キトリの恋人バジルは、人気者の恵谷(えや)彰さん(赤松優バレエ団)が踊りましたが、得意の高いジャンプで客席を沸かせました。
 エスパーダの川村康二さん(貞松・浜田バレエ団)は、持ち前の誠実なダンスでステージを引き締めました。
 上月倫子バレエスクールの宮村岳さんに、大平哲滋さん(フリー)、藤田崇光さん(赤松優バレエ団)、金子俊介さん(貞松・浜田バレエ団)を加えた街の若者“四人衆”は、なかなか粋(いき)な組み合わせで、ちょっと無頼(ぶらい)でしかし端正な男たちを実に見事に表現しました。
 なかでも金子俊介さんは高い気品があるうえにすばらしい切れ味で、恵まれたスタイルとあいまってこれからの活躍をたっぷりと予感させました。
 上月さんのゆるぎない審美眼が若者を引き立つ場に誘い出したといえるかもしれません。  


宇宙へのいざない―藤本由紀夫展

2007-07-21 21:51:42 | 美術
 阪神電車を香櫨園(こうろえん)駅で降りて少し西へ歩いたところに西宮市大谷記念美術館があります。
 昭和電極社長だった大谷竹次郎が西宮市に寄贈した美術コレクションと宅地をもとに1972年にオープンした美術館で、豊かな緑と水の庭園でも有名です。
 そこでいま藤本由紀夫展が開かれています。
 「哲学的玩具(がんぐ)」と銘(めい)打って「音」が主役の展覧会です。

 どれも端正な、むしろ小ぶりの作品です。
 見る人、というよりこの場合は、聴(き)く人、といったほうがいいでしょう。
 聴く人は、その精巧な作品の前にたたずんでは、ネジのツマミをコリコリと巻いて、しばらく耳を傾けます。
 音を出すのは、ミニ鍵盤(けんばん)みたいな金属板とシリンダーを組み合わせた、ちょっと夢の世界のような、あのオルゴールの器械です。
 それがそのまま音のお城のように幾つもの皿に載っていたり、箱の中に仕込まれていたり、ときにはテーブルの中に埋め込まれていたりして、魔法のようなきれいな響きを立てるのです。

 強調しておかないといけないのは、多くの場合、一つのオルゴールが放つ音は、ごく限られた音程の、ほとんど単発的な「音」そのもので、決してメロディーを持った「音楽」ではないということです。
 人びとはちょうど地下に埋められた水琴窟(すいきんくつ)のかすかな水滴に聴き入るように、作品の澄んだ響きに耳を傾けるというわけです。

 不意に気づかされるのは、ぼくたちはその純粋な一滴の音とともに、圧倒的な沈黙を、まさしく同時に「聴いて」いるということです。
 そしてその沈黙は、この美術館の中だけではなく、地平線を一気に超えて、宇宙の果てにまで広がっている沈黙です。
 ちょっとめまいを感じます。
 だって、その無限大の沈黙は、音のその一しずくを外から包んでいるようにみえるのですが、ひょっとしたらその一しずくの内部にあるかもしれません。
 だとすると、針先ほどの音の一瞬の現れに、無限の宇宙がそっくりはいっているということになるのです。

 ぼくは宇宙の中にあって、けれど、その宇宙はぼくの中にあって…?
 ぼくらは宇宙と入れ子構造にあるのかもしれません。
 心をそんな迷宮へ誘ってくれる展覧会です。

                  ☆
 藤本由紀夫展「哲学的玩具」は8月5日まで西宮市中浜町4の西宮市大谷記念美術館で。一般500円、大高生300円、中小生200円。水曜休館。電話0798.33.0164


舞い立つ命と輝く心―並田佳子展

2007-07-15 19:49:59 | 美術
 台風一過、六甲山も神戸港も真っ青でした。
 JRで芦屋まで出かけました。
 駅ビルのモンテメールギャラリーで開かれている並田佳子展を見るためです。
 すばらしい絵と出合えました。

 そのひとつは、まず2枚のチョウの絵です。
 陽光のまぶしいきらめきのようでした。
 そしてもうひとつは、3枚の黒猫のマリーの絵です。
 月光のなかにただよう深い影のようでした。

 チョウの絵の前ですぐ思い出したのはインカの壮麗(そうれい)な石の神殿のことでした。
 インカの人びとはチョウを神さまに供(そな)えました。
 アンデスのチョウは金属片のようにきらきらと輝きます。
 まるで太陽の分身です。
 ですから光を神さまの前に捧(ささ)げて、命(いのち)を高めようとしたのです。
 佳子さんのチョウも青に、赤に、紫に、光のように輝きます。

 黒猫マリーの絵の前では、絵の下のコメントに見入りました。
 マリーは佳子さんが7歳のときに、生まれてまもなく並田さんチに加わりました。
 ダウン症を担(にな)っている佳子さんはひと一倍の努力をしながら成長を重ねましたが、マリーもその横でいっしょに大きくなったのです。
 心のかようきょうだいのようでした。
 そのマリーは去年、15歳で死にました。
 月へ旅立ったかのようにマリーは月とともに描(か)かれます。

 佳子さんのきらきらときらめくチョウは、まさしく真昼に舞い立つ命の輝きのようなのです。
 月の光のなかによみがえる黒猫マリーは、夜になっていっそうはっきりと見えてくる心の深みのようなのです。

 そうなんです。
 奇跡のようです。
 佳子さんの作品には命と心が自然に現れてくるんです。
 それがぼくたちに勇気を与えてくれるんです。

 このような作品と出合えることはほんとうに幸せです。

               ☆
 なお並田佳子展「光の散歩道」はモンテメールギャラリーで16日まで。電話0797.32.8011

金本捨て身、阪神優勝へ

2007-07-15 14:38:34 | 阪神タイガース
 タイガースが立ち直るけはいです。
 金本選手が捨て身で動いたからです。
 岡田監督には選手全体を統括(とうかつ)するほどの力がありませんから、監督がどれほど号令をかけようと選手が命がけになるようなことはありませんが、選手たちの尊敬を一身に集める金本選手が本気でリーダーシップに乗り出すとなると話はぜんぜん違ってきます。
 おそらく目に見えてゲームに変化が出てくるでしょう。

 金本選手の捨て身第一弾は7月8日の対ドラゴンズ戦でのことでした。
 満塁のチャンスに四番金本がレフト前へクリーンヒットを打ったにもかかわらず、二塁走者の鳥谷が緩慢(かんまん)な走塁でホームによう還らなかったのです。
 それを指して金本が「集中力を欠いている」と注文を出したのです。
 金本がナインに苦言を呈(てい)したのは異例のことです。
 異例どころか初めてのことです。
 この一言で鳥谷はじめタイガースの若手選手全員がピリッと背筋を立て直しました。
 鳥谷もそのあとの巨人戦で見違えるような鋭い打撃と鋭い走塁と鋭い守備を見せました。
 金本は鳥谷を叱(しか)ることで、鳥谷を輝かせることにもなったのです。
 この中日戦は結局6-3で勝ちましたから、金本選手の一言がなければ、監督ともどもにただ「よかった、よかった」だけで終わったでしょう。
 しかし勝った試合でなおかつチームに緊張が生まれたことで、次の対ジャイアンツ戦3連勝につながっていくのです。

 金本選手の捨て身第二弾は7月14日に、彼がヒザの半月版に重症を負っているそのことをついに公表したことです。
 いつも全力で打撃に臨み、全力で走り、全力でボールを追っている金本選手が実はヒザに鋭い痛みをかかえていたなんて、これは周りのだれにも大きな驚きとなりました。
 隠しておけばやがていろんな憶測(おくそく)が飛んでみんなが勝手なことを言い始める、それを避けるために公表に踏み切った、と金本選手はそう胸のうちを明かしていますが、それはだれの想像も超えるほどの大ケガでした。
 公表すれば敵チームはその弱点に攻撃を仕掛けてきますから、ほんとうはとても不利になるのですが、金本選手はそれを承知でなお全力プレーを誓っています。
 この姿を見て奮(ふる)い立たない選手がいるとしたら、それはもうスポーツ選手ではないでしょう。
 タイガースは確実に団結することになるでしょう。

 昨年は藤川の涙の訴えでチームが一丸になりました。
 岡田監督にカリスマ的なリーダーシップはありませんが、代わってカリスマを持つ藤川が主体的に動いたとき、ナインの団結が実現したのです。
 だれもが少年時代には天才と言われた選手の集団であるプロ野球チームのことです。
 チーム間には、実はそんなに大きな力の差はありません。
 ペナントレースは、一丸にまとまったチームが勝つのです。
 今年はそのきっかけが藤川よりもっと大きなカリスマを持つ金本のこの「二言」になりそうです。
 団結したタイガースは個々の選手が野武士のような力を発揮しながら優勝という一点に進みますから、これは強くなります。

 目下タイガースは首位へ6.5ゲーム差のBクラスですが、にわかに優勝への望みが高まってきました。

やさしさを心に届ける絵―並田佳子展覧会

2007-07-10 23:15:56 | 美術
 体の働きに障害を担(にな)いながら、けれど世の中にすばらしい光を放っている人が、ようやくはっきりと見える時代になってきました。
 並田佳子さんはダウン症で生まれましたが、絵に深い表現力を持っています。
 心にとてもやさしい絵を描(か)くのです。
 こんなやさしい絵を描く人がこの世界にいるのなら、わたしたちもやさしい心を持ってまっすぐに生きていけるんじゃないか、とそういうふうに勇気をもらえる絵なのです。
 7月14日(土)から16日(月)までJR芦屋駅のモンテメールギャラリー(大丸芦屋店内)で個展「光の散歩道」を開きます。

 この佳子さんの個展のことを教えてくださったのは、芦屋に住む画家の松本伸子(しんこ)さんですが、松本さんは5年ほど前に初めて佳子さんの絵を見て、たちまちその絵のとりこになったようです。
 生き生きとした線、佳子さんならではの独特の形、あざやかな色彩感覚、それら豊かな表現力で、佳子さんの心の世界が描(えが)かれていくのです。
 展覧会の案内状には黒い大きなネコちゃんの絵が印刷されているのですが、月に向かってゆったりとすわっているそのネコちゃんは、黄色い月光をいっぱいに浴びながら、なにかうっとりと遠くの出来事を考えているようなけはいです。
 このネコちゃんのモデルは、佳子さんが愛し続けた黒猫のマリーだそうです。
 マリーはもうこの世から去ったのですが、佳子さんの心のなかでまだ元気に生きているのです。

 佳子さんは知的な障害のほかに視力にもハンディキャップがあって、ですから作品のまぢかまで目を近づけてけんめいに描くのだそうです。
 でもすごい集中力で自分の世界を築き上げていくのです。
 彼女のやさしさと明るさにわたしも心を癒(いや)されているひとりです、と松本さんはそう言います。

 赤ちゃんのときからいろいろな治療を受け、訓練に励み、お母さんとそれこそ二人三脚で、大きな努力をはらいながら佳子さんはいま23歳になりました。
 深い愛に育てられた佳子さんは、その愛をいま世界に向けて放つようです。

 モンテメールギャラリーは0797.32.8011


森本秀樹さんという画家―特攻隊だった父の優しさ

2007-07-07 23:24:24 | 美術
 森本秀樹さんという画家がいます。
 船橋で制作をしておられますが、生まれは四国の宇和島です。
 お父さんは旧日本軍の特攻隊の指揮官でした。
 死ぬ機会を失ったことに苦悩(くのう)しながら、残酷な短い半生を生きられました。
 父のその苦しみを思い出して森本さんはいま父と過ごした故郷の絵を描きます。
 心の深い、優(やさ)しい絵です。
 展覧会が7月14日から長野県の東御市(とうみし)梅野記念絵画館で開かれます。

 特攻という展望のない作戦へ絶望的な出撃を強(し)いられた若者たちの悲劇はぼくらの記憶に焼き付いています。
 けれど若者たちに死の命令を下した上官たちの心の闇(やみ)はなかなかつかむことができません。
 場当たり的な指令を大本営から出し続けた中央の将官たちにどれほどの痛みがあったか、そんなものをぼくはどうもあまり信じる気にはなれませんが、でも最前線で死の飛行を命令した現場の指揮官たちがどんな負い目を担って戦後を生きたか、それは心にとどめておきたいと思います。

 森本さんのお父さんも隊の上官として若者たちと出撃を重ねました。
 しかし彼の責務は死の世界に突入しながらただひとり死んではならないことでした。
 攻撃の結果を確認して、報告のために帰還する任務があったのです。
 その悲痛な立場を支えたのは、やがて番が来れば自分も戦艦に体当たりして彼らの後を追うという、死を先取りした厳粛(げんしゅく)な覚悟でした。
 ところがいよいよ彼の突入が目前に迫ったとき、日本の敗戦が決まります。

 森本さんの幼年時代の記憶は、苦悩する父の姿とともに始まります。
 父の奥底に近寄りがたい闇があるのを、こども心にも感じました。
 出撃で負った頭の負傷で頭痛に苦しむ父の姿は、父の体でまだ戦争が続いているように見えました。
 心の痛みと体の痛みをやわらげる唯一の方法は酒でした。
 地獄のような日々だったといえるでしょう。

 ですがいま森本さんの記憶にもっとも強くよみがえってくるのは、そんな父がときおり示してくれた底知れないやさしさです。
 人生に絶望しながら、しかし闇の奥の炎のように、せめてわが子にだけは光を届けようと必死に務めた父の心、その心をもっと理解すべきだったといまになって思うのです。
 できればその父ともう一度生き直したいと考えながら故郷の絵を描くのです。
 森本さんは今回の展覧会にこんなタイトルをつけました。
 「父の見ていた風景―宇和島」と。

 東御市梅野記念絵画館は0268.61.6161 http://www.umenokinen.com/
 

金田弘さんという詩人―孤高の人

2007-07-03 16:54:45 | 本、文学、古書店
 梅雨の龍野は揖保川(いぼがわ)の水量が豊かです。
 町をめぐるかんがい用の水路もことのほか深い流れで、いたるところで涼しい水音が聞かれます。
 金田弘(かなだ・ひろし)さんはこの町で詩を書き続けている詩人です。
 ことし86歳。
 この1年足らずの間に2冊の詩集を出しました。
 「旅人は待てよ」(2006年6月)と「青衣(しょうえ)の女人」(2007年3月)の2冊です。
 その出版を祝って「金田弘さんを囲む会」が6月26日に揖保川河畔のガレリア(アーツ&ティー)で開かれました。

 現代最高の詩人に数えられてしかるべき人です。
 むろん知る人ぞ知る、ですが、一般にそれほど知られていないのは、作品がこの浅い時代にあまりに深いからでしょうか。
 頑健な哲学性、高い宗教性、鋭い洞察、そして強じんな文学構造、それらを堅固な骨組みにしてひとつひとつの作品がまるで大聖堂のように作られます。
 その近寄りがたさも確かにあると思います。

 けれどやはり、みずから名を追うこともなく、ふるさと龍野にじっくりと身を置いて文学の営みを続けてきた、その孤高のあり方、その潔いあり方が、金田さんの知名度を限定したものにしてきた、そのことも大きいように思えます。
 詩人としてのもっとも美しい生き方が、世間からもっとも深く詩人を隠すことになったのです。
 じっさい、金田さんがもし東京や大阪や京都の詩人なら、メディアはもっとしばしば取り上げてきたことでしょうし、もっと数多くの論評が書かれることになったでしょう。
 そのほうがよかったと言いたいわけではありませんが、これほどの大きな詩人の作品がその示唆(しさ)を十分に汲まれないままで来ているのは、やはり現代の損失だと思うのです。

 でもいま輝かしい2冊の詩集が生まれました。
 これはほうっておいても確実に龍野から広大な世界へ流れ出ていくことでしょう。

 金田さんのお話から推察しますに、詩人は日々ご伴侶の看護に尽くされながらその間に時間をつむいで、さながら血を搾り出すように詩句を生み出しておられるようです。
 「もう金田弘は死んだ」とそう洩(も)らされる言葉にも実感があります。
 「負けてたまるか」と語られる、その言葉にも実感があります。
 それにしても金田さんのファンたちはとても熱烈で、残酷です。
 この「囲む会」を「私への送り火」だと言う金田さんに「いや、これは迎え火だ」と言い返して、早くも次の新しい詩集の出版を待つと言い張って引き下がろうとしないのです。  
                 ☆
 なお詩集「旅人は待てよ」と「青衣の女人」はいずれも湯川書房刊。3000円。同書房は〒604-8005京都市中京区河原町三条上ル恵比須町534-40 電話075-213-3410
 また「青衣の女人」の論評をこのブログの姉妹版の「Splitterecho」Web版のCahierに掲載しています。お立ち寄りください。
Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/

VALUESTAR(NEC社製)の故障記録 7月1日~

2007-07-02 10:23:21 | パソコン
 1、1回の操作では起動できず、3回も電源を切りなおして、やっと立ち上がりました。
 2、塔載テレビで野球の実況を見ている途中で、勝手に切れてしまいました。
 3、nano向けに投稿原稿を書いていましたら、とつぜんerror表示が出て、まもなく再起動に入ってしまいました。原稿は失われ、おかげで投稿ができませんでした。
 4、ホームページのほうで始める新シリーズのレイアウトを作成していたところ、完成したその瞬間にフリーズして、もう元には戻りませんでした。

 (注)ソフマップで購入して1年の保障期間が過ぎたと思ったら、たちまち故障しはじめたVALUESTAR(NECのパソコン機種)です。最終的に壊れるまで毎日しつこく報告を続けます。この第1回の報告も途中で一度消えてしまって、これが二度目の原稿です。

 【続報】
 ▼7月11日 ●起動時にエラー。電源を3度も入れなおしてようやく起動●文章作成の最中にエラー。再起動でもエラー。そのために約半時間をロス。
 
 よくもまあ、NECはこんな不完全な機種を恥知らずにも市場に出したものです。製造企業の保障期間は5年くらいが必要だと思いますねえ。

 ▼7月12日 ●午前10時15分 文章作成中に故障。電源を切って対処。文章の一部が失われる●午前10時40分 また故障。所用があるので、文章作成を断念。
 ▼7月14日 ●午前10時 起動の段階でいきなり故障して、故障―再起動―故障―再起動を何度か繰り返すうちに、ウィンドウが正常に開いたのはようやく10時55分になってからのことでした。なんと1時間近いロス。●午後9時 劇評のリード部分をようやく三分の二ほど書き上げたときに故障。記事消失。起動もまたうまくいかず、約20分のロス。
 ▼7月16日 ●午後1時40分 ブログを開こうとしたらいきなり故障●午後9時30分 起動しようとしたらいこなり故障。
 ▼7月17日 ●午前10時 起動いきなり故障。仕事の出鼻をくじかれる。
 ▼7月20日 ●午後零時35分 文章作成中にひらかなを漢字に変換しようとしたら、そこで故障。文章をやり直し。

  ☆週刊誌の報道によりますと、NECは内部にお家騒動をかかえているそうですが、この報道が真実なら、欠陥パソコンの販売もむべなるかな、と思いますね。お家騒動の企業というのは、人事案件に大きなエネルギーを割かれてしまうものですから、現場での商品管理がどうしてもゆるくなってしまうんです。

 ▼7月21日 ●午前11時30分 文章の作成中に、それと並行して必要事項を検索するためにグーグルを開いたところ、項目を入れた途端に故障。複数の機能を並行して使うと、故障する傾向にある。●午後零時 キーをいつもより心持ち速くたたいたら、それでダウン。再起動もスムーズに進まず、仕事の再開までに40分間の時間ロス。●午後8時40分から9時5分にかけて故障を何度も繰り返す。お蔭で文の作成がまったく進まず。●午後11時 文章の作成を中断してVALUESTARをスタンバイ状態にした場合、再開にさいして正常に起動してくれることは、まずありません。今回もそのアクシデントでずいぶん時間をムダにしました。
▼7月23日 ●午前9時30分~10時15分 最近は1回の起動ですんなりページが開くことはまずありません。起動しかけては故障、起動しかけては故障の連続で、けさはひとまず正常に動くのに45分も空費しました。

 とにかく売って、1年間の保障期間さえ持たせばいい、とそんな態度で作られたパソコンのような気がします。

 ▼7月24日 ●午前11時 文章の作成にかかって半時間ほど経った時に突然ダウン。これは自動的に再起動。上書きしながら仕事を進めていたので、失われた文章は少し。●午前11時50分 またダウン。今度は「NEC」のロゴマークが出たままフリーズ。手動でシャットダウン、起動。この間、20分のロス。
 ▼7月25日 ●午前10時から仕事を始めて、10時30分に故障すると、あとは再起動、故障、再起動、故障を繰り返して11時20分まで仕事にならず。
 ▼7月26日 ●午前10時20分 起動不全。まともに動き始めるまでに20分をロス。●午後8時30分 6時から始まった野球中継(阪神―中日)を観戦していて、突然故障。順調に働いていても3時間前後たつと故障する傾向にあります。パソコン本体がとても熱くなっていますが、この熱と関係があるのでしょうか。

VALUESTAR恨み節

2007-07-01 14:54:24 | パソコン
 きょうはVALUESTAR(NEC製)に備わっているテレビの故障の報告です。

 いま、阪神―横浜の実況を見てたんです。
 前にも言いましたように、画像がカクカクして、スムーズに映らないんですがね。
 まあ、我慢して見てたんですよ。

 1-1で5回表を迎えましてね。
 阪神の攻撃です。

 結局、この回に3-1と逆転するんですが、回が始まったとたんに、球場の映像がなんの断りもなく消えましてね。
 ディスプレイにはズラッと横文字が並んで、放送はアナウンサーと解説の佐々木さんの音声だけ。

 というわけで、いちばんいい場面は画像なし。
 そのうち音声も消えてしまって、代わって現れたのは「NEC」のロゴマーク。
 つまりブシツケにもNECのコマーシャルが始まったという形。

 野球の最高の場面で、グラウンドの画面を消されて、なんで「NEC」のロゴマークとにらめっこせにゃならんのですか。
 こんなパソコンをつかませたニクタラしい会社のロゴマークと。