しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

猫婆日記 7…勇気ある裁判官のこと

2016-03-13 18:11:00 | 猫の町
 わたしたちネコ族とヒト族のあいだにはたくさんの違いがありますけど、なかでも奇妙なのは、知識階層という風変わりなグループがヒトの世界にあることです。
 アイマイモコとしたひとびとの集団で、ああいうかたがたのヌエのような生きかたはとうてい猫の性にはあいません。
 なかんずくこの国のあの階層は、どうもクラゲみたいにフワフワしていて、正体をつかむにはずいぶん骨が折れそうです。
 あてもなく漂いながら一生を終えるのなら、いなくてもいいようなものですが。

 ただ最近はちょっと骨のあるひとも階層の中から出始めているようで、これはこの国のヒト族にもネコ族にもいい材料になりそうです。
 原発の運転をあっさりと止めてしまった裁判長の山本善彦さんなんかもそのひとりだといえるでしょう。
 電力会社さんは安全だ、安全だ、というけれど、よく聴けば、ただそう繰り返しているだけで、よしわかったといえるようなしっかりとした説明はいっこうに出てこないじゃないですかと、まあ、これがおおざっぱにまとめた山本さんの主張です。

 
 電力会社さんの言い分は、なんだかんだと言ったところで、けっきょくのところ監視役の規制委員会が安全だといってくれているんだから、安全にちがいないんだ、というわけでしょう。
 この国ではおカミのオスミツキがいつも大きな役割を果たしてきて、このインロウが目に入らぬか、シモジモのものは下がりおれ流に、政治が進められてきましたから、電力会社さんは今度もそれでいけると踏んでいたんでしょうけど。
 インロウなどにまどわされない気骨のある裁判官があらわれた。

 ヒトひとりひとり、ネコ一匹一匹がじぶんの頭で考えたら、電力会社さんの言いかたではどうもチンプンカンプンなこと、それは明々白々なんですが、その道の専門家と称するひとたちが権威をタテにこうだと言えば、やっぱりそうかなあと思ってしまう弱さがこっちのほうにもあるんですね。
 それを山本さんは率直にスパッと言った。
 わたしたちの心の中をそのままそっくり言ってくれた。

 女主人のみよこさんの連れ合いのサトシさんの話だと、この国でも敗戦のあとしばらくは、信頼に足る知識層が生まれかけていたそうです。
 信頼に足る知識層とは、サトシさんのテイギでは、国の問題をヒト族の広く普遍的な目で見るひとたちをさすそうです。
 でもここ20~30年くらいのあいだにそういうひとたちがどんどん消えていったそうなんです。
 マルクスの社会主義理論をトラの皮にして、それで主体的な人間のふりをしていた学者たちが、マルクス主義の衰退とともにしょぼくれていった、それは当然のことだとしても、じぶんの頭で必死で考えていた真正の知識人たちが衰えてしまった、そのことをサトシさんはガラにもなく残念がっているんです。
 でも山本さんのようなかたがこれから次々出てきたら、また希望がよみがえってくるんじゃありません?

 (注)猫の夢がここでいっている裁判は。2016年3月9日に大津地裁で下された仮処分決定のこと。原発は関西電力が福井県高浜町に設けている高浜原発3号機と4号機のこと。  

猫婆日記 6…猫に驚いた猫のこと

2016-03-06 16:51:00 | 猫の町
 猫のわたしがこんなこと言うの変ですけど、猫という生き物をはじめて見たときは、それはもう、天地がひっくりかえったかと思うほど、心底びっくりしたんです。
 こんな不気味なものがこの世の中にいるのか、と。

 夏になりますと、わが家は入り口のドアをあけて、風を入れることにしてるんです。
 マンションですからドアは廊下に向かって開くんですが、廊下が大きくとった吹き抜けをコの字型に囲むかたちになっていて、ですから風がふんだんに屋上から吹き下りてくるんです。
 入り口には籐で編んだ屏風を立てて、すると風がひゅうひゅうと入ってきて、リビングと居間を横切り、ベランダへ抜けていくんです。
 それで、その屏風の陰がわたしには絶好のお昼寝の場所になるんです。
 真夏でも涼しさを通り越して寒いくらいなんですよ。

 で、その日もそこで気持ちよく昼寝にふけっていたんですが、なにかいつもと違う気配がして、籐の隙間から廊下を覗いてみたんです。
 すると向こうからも黒い大きな目ん玉がこっちを覗きこんでいて、その顔の怖かったことといったら。
 頭にはふたつの耳がツノみたいに立っていて、口がもう耳まで裂けているでしょう。
 毛むくじゃらで、針のようなヒゲが何本も突き出ていて。 
 食い殺すぞ、っていう感じ。
 わたし、飛びあがりざま、もう夢中で二つの部屋を走りぬけてベランダのところまで逃げたんです。

 ところが。青くなってちぢこまっているわたしをしり目に、みよこさんたら、笑うは、笑うは。
 「おまえ、猫のくせして、猫が怖いの」と言っては、また、あはは、あはは、と笑うんです。
 ええっ、と思いましたよ。
 あれが猫?

 わたしはねえ、わたしたち猫族もてっきりみよこさんやサトシさんとおんなじ顔をしてるもんだと思い込んでいたんです。
 わたしは雌だからみよこさんに似てるだろうとそう信じてきたんです。
 だって2LDKの部屋からほとんど出ることなくずっと過ごしてましたから、見るのは人間ばかりでしょう。
 猫も人間も形は同じで、ただ言葉だけが少し違う、とそんなふうに考えていたんです。
 それで平和に暮らしていたんです。

 そこへたまたま外猫の一匹がなにかの拍子に迷い込んで、廊下を渡っていきしなにわたしを見つけたんですね。
 おや、こんなところにも仲間がいる、というわけで。

 
 わたしも、まあ、とんだ深窓の佳人だったわけですねえ。

 でもよく考えたら、毛でたっぷりとおおわれたわたしたち猫の顔のほうが、やっぱり立派に見えますね。
 目や鼻の配置が少しくらいおかしくても、毛のおかげでみんな風格ゆたかに見えますし。
 人間の顔はのっぺりしていて、かわいそうに、醜く生まれついたりすると、もう隠しようもないでしょう。
 神さまは人間にいちばん残酷だったんじゃありません? 

猫婆日記 5…ひと足早く春の歌

2016-02-28 20:34:00 | 猫の町
 どうやらわたしたち猫族には春が少し早く来るみたいで。
 体がしぜんうずうずしてきて、歌なんぞ歌いたくなってくるんです。
 気がついたらよく鼻歌を歌ってます。
 とくに夜更けになるとなおいっそう。

 でも女主人のみよこさんは、鼻歌と雑談の区別がつかないみたいで。
 ときどき「近所迷惑よ、静かにしなさい」って怒るんです。

 
 ちょっと残念なんですよ。
 歌いながら、ベランダの下あたりで外猫のだれかが聴いてくれてないかなあ、って多少は期待もありますから。
 あのヴェロナのロミオさんみたいに、壁を伝ってそこまでのぼってきてくれないかなあと思ったりしてるんです。
 月の下で夜明けまでおしゃべりするって、ほんとにすてきじゃないですか。

 百四歳でも体も心もまだじゅうぶん青春です。
 恋に年齢はありませんもの。
 いまは人間さんだってそうでしょう?
 老人ホームでも痴話げんかなんかが結構あるって聞きますもの。 

猫婆日記 4…名前のこと

2016-02-21 19:27:00 | 猫の町
 あたしの名前?
 あら、言ってなかったかしら、まだ。
 ユメ。
 夢をゆめみるのあの夢のユメ。
 女主人のみよこさんの連れ合いのサトシさんがつけました。

 大震災の年の夏に神戸のこの家にもらわれてきたでしょう。
 芦屋のお屋敷でどんなふうに呼ばれていたか、はっきりとはもう思い出すことができません。
 ダリアとか、ヒマワリとか、ボタンとか、そんな名だったかもしれません。
 愛護協会のお姉さんの車でガレキの町をノロノロ走って、この家にやってきました。

 もうその日のうちにサトシさんがユメとつけてくれました。
 どうしてユメに? と訊ねられると、ヒトシさんはいつもこんなふうに答えています。
 街はもうすっかり壊滅状態でしたので、そのまっただなかで復活を夢みながら、と。
 きれいな答えなのは確かです。
 訊ねたひともそれですんなり納得します。
 でも、きれいなだけ、たぶんいくらかの嘘も混じっているのです。

 ほんとうは何も考えずにつけたんだと思います。
 ふっと思いついたことを、そのまますっとつけたんです。
 まちがいなくそんな雰囲気だったのです。
 「ユメにしよう」とサトシさんが言って、「いいわね」とみよこさんがすぐ乗って、それであっさり決まりました。
 震災からの復活を夢みてというのは、そのときの空気から言うと、あとからの理由づけだったと思います。

 でも、まあ、ふっと思いついたということが、逆にこの名前の深さを語っているのかもしれません。
 街全体に絶望の空気が漂っていて、それでひとびとの心の底にそこから脱出したいという強い希望が生まれていたのは確かです。
 絶望の街というのは、大きな希望の街でもあったのです。
 だって最も大きな絶望の時って、最も大きな希望の時でもあるでしょう?
 生き物であればこれはみんなそうなんじゃないかしら。
 底に生まれたその希望がサトシさんの心にもふっと浮かんできたんです。

 だとすると、とっても深いところから昇ってきた名前だとも言えるでしょう、これ。
 すっと軽く出てきたことが、実は考えに考えたものよりもずっと重いことだったってこと、それはよくあることでしょうし。

 いずれにしても、あたし、まあ、気に入ってます、この名前。
 よろしくね。 

猫婆日記 3…仕切りのこと

2016-02-14 20:42:00 | 猫の町
 人間ってなんでこんなふうにあっちこっちに仕切りを設けるのが好きなんでしょうね。
 ドアでしょう。ふすまでしょう。カーテンでしょう。つい立てでしょう。
 じゃまなんですねえ、わたしたち猫族にはこの仕切りが。

 わたしたち、けっこうデリケートでしてねえ。
 一日のうち何回かは、じぶんのテリトリーをこまかく巡回するんです。
 こまったことがどこかで起こってないか、それを確かめに回るんです。
 
 わたしのテリトリーは、この2LDKの部屋部屋ですからねえ。
 いつでもどこでも、歩き回れるようにしといてもらわないと困るんです。
 でもやたらと閉め回るんですねえ。
 とくに、女主人の連れのサトシさんというひとが。

 その点、ニュートンさんは理解がありましたねえ、わたしたち猫族に。
 ええ、りんごの実が木から落ちるのを見て、地球の引力を発見したあの天才科学者アイザック・ニュートンさんのことですよ。
 人間にはずいぶん気難しいかたで、論敵なんかはグーとも言えなくなるまでたたきのめさずには気がすまなかったおひとらしいんですが、わたしたちにはやさしかった。
 大きな屋敷のドアというドアに丸い穴をあけてくださって、わたしたちが好きな時にどこへでも行けるようにしてくださった。
 そればかりか、子猫が生まれたときには、その子猫のための小さな穴を、親猫の大きな穴の隣にわざわざ作ってくださった。
 (そんな第二の穴を作る必要があったのかは、別にして。…まあ、天才さんのなさることですから)

 でも、サトシさんんはニュートンさんほど偉くもやさしくもないですから、すぐわたしを閉じ込めてしまうんです。
 もちろんそうなったらわたしもおとなしく黙ってなんかいませんよ。
 思いっきり、ぎゃあぎゃあわめいてやる。

 だって、言うじゃないですか。
 自由を愛するもの、野山に戸を立てず、って。

猫婆日記 2…かりあげ君のミサイルのこと

2016-02-07 18:54:00 | 猫の町
 この家の主人のみよこさんとわたしは一日になんべんか、おたがいに呼びかけ合って、ああ、あなた、そこにいるのね、と確かめ合うんです。
 確かめ合って、安心し合うんです。

 でもときどき、わたしがいくら呼びかけても、みよこさん、いっこうに返事をしないことがあるんです。
 それどころか、聞こえないのかなと思って、わたしがいっそう大きな声で呼びかけると、やかましい、と言い返してきたりするんです。
 なんか、ムシのいどころが悪かったのかもしれませんけど。

 そんなときは、わたしだって、そりゃあ、ハラが立ちますからね。
 こんどはみよこさんが呼びかけてきたときに、黙っててやるんです。
 ダンマリを決めこんでやるんです。
 知らん顔して、そのまま毛づくろいを続けるとか。
 ぷいとあさってのほうを向いたりして。

 そんな日には、家の中がいつもより静かになって。
 ちょっぴり寂しくはなりますけど。

 けさもそういうわけでひっそりした午前だったんですけどね。

 テレビとラジオが急にやかましくなりだして。
 あのトッチャン坊やが歓力をふるっている不思議の国、かりあげ君を神のようにあがめているあのおかしな国が、実験ミサイルを飛ばしたっていうんでしょ。
 そのにぎやかなことといったら。
 …ミサイルはいま、沖縄県の上空方面へ向かっているもよう。
 いま沖縄県の上空を通過したもよう。
 いま南方の洋上に落下したもよう。

 周りの国々が大騒ぎするのをみながら、トッチャン坊やはずいぶん得意だったことでしょうね。
 坊やのオモチャをみんながあんなに注目してくれたんです。

 でも、わたし思うんですけど。
 あれはなにも、あなたそこにいるのねと確かめ合って、国民がたがいに安心し合うわけじゃないんでしょ。
 反対に、つべこべいうな、いちいちおまえのいうことは耳障りだ、あんまりうるさくいったらこいつをおたくの首都へブチ込むぞって、おどしでしょ。
 だったらいっそのこと、わたしたち猫族流にね、周りの国がみんなダンマリを決めこんでやったらどうだろうと思うんです。
 なにをやっても、ほったらかしにするんです。

 あら、ミサイルを発射したの。
 そうなの。
 で、それがどうしたっていうの? かりあげさん。
 どうぞ、どうぞ、御随意に。
 お好きなだけあなたのオモチャと遊びなさい。
 と、いうふうに。

 トッチャン坊やの戦争ごっこに律義につきあうことなんかないでしょう。
 大のおとなが。

 たまには猫族に学びなさい。
 損はしないんじゃないですか。

猫婆日記 1…歳のこと

2016-01-31 21:13:00 | 猫の町
 人間ってのはなかなかお節介な動物なんですねえ。
 猫の歳のことまで考えてくれるんですから。
 そのスジの専門家と称するひとたちが、なんか計算式のようなものを作っているらしいんですね。
 なんでも当の人間族の4倍から5倍の速さで歳を取る、とそういう勘定だそうですよ。

 それで計算すると、わたしは百四歳かそこらの歳になるそうです。
 なにしろこの家に来てもう21年になりますから。
 あの大震災の年に、芦屋で迷子になってしまって。
 びっくりしてお屋敷を飛び出したら、帰り道がわからなくなったんです。
 で、愛護協会のお姉さんに助けてもらって、神戸のこの家にもらわれることになりましてね。

 以前のお屋敷に比べたら、2LDKのちっちゃなマンションの部屋ですけど。
 まあ、女主人のみよこさんが猫好きで、住みごこちはまずまずなんだと思います。

 そのみよこさんが、わたしがやがて化け猫にならないかと、それをえらく楽しみにしてるんです。
 百何十歳かになると、猫も超能力を授かって化けれるようになると、みよこさん、どうもそう信じてるらしくって。

 でもあたしはチンチラとアメリカンショートヘアのあいのこでねえ。
 ジャパニーズキャットじゃないんです。
 日本の化け猫の血とは縁がなくって。
 ゆっくりと考えたらいずれみよこさんも気づくことだと思いますけど、さて、そうとわかったら、かの女、失望するかなあ。

縄張りにこだわるユメ様

2010-11-07 20:25:00 | 猫の町
 わが家のねこ様のユメはおかしいんです。
 部屋と部屋を仕切るドアを閉めるとうるさいんです。
 にゃあにゃあとしきりになくんです。
 ねこ語で「開けろ、開けろ」と訴えているんです。

 家のなか全体がじぶんの縄張りと思いこんでいるらしくて、それが分断されると不安になるか怒りをおぼえるかなんですね。
 以前に飼っていた黒ねこのチャチャマルなんか、息子が休暇で家に帰ってきて子供のころから使っていたベッドで寝ると、そこにわざとおシッコをしてました。
 いつもよりくさいおシッコをするんです。
 ふだんはそこでじぶんが寝ているものですから、ここはおれの場所だ、って主張するんですね、そんなふうに。

 でもねこのことだといって、笑ってばかりおれませんね。
 人間がホモ・サピエンスに進化して、長い長い歴史をつくって、この21世紀の文明を築いていても、まだ縄張り意識はねこと同じように消えませんものね。
 領土問題ってのは、要するに、二つとか三つとか四つとかの民族の縄張り争いなんでしょう?
 資源の問題とか、政治の問題とか、制空権の問題とか、制海権の問題とか、いろんなことをむずかしい論理を組み立てていいますが、結局のところ、底にあるのは。
 ねこ並みですね。

 ちゃいます?

いいとこへ行ってね、クロ

2010-07-18 21:39:00 | 猫の町
 ぼくんところでは、クロ、って、そう呼んでたんですが。
 黒光りするくらい、真っ黒な毛のネコでしたから。
 いわゆるノラネコ(野良猫)で。
 でも、ノラネコだっていうと、家内が怒るんです。
 近年は、ソトネコ(外猫)、っていうんだそうです。
 それが、ネコを愛する人間のマナー、だって。

 でも、そのクロとここ一カ月ばかり会ってなかったんですよ。
 めすネコで、たぶんこのかいわいの半径500メートルくらいを自分のテリトリーにしてました。
 うちのマンションでは裏口の階段のところがお気に入りで、よく日なたぼっこをしてたんです。
 いつもマイペースで、ですからぼくらにはちょっとブ愛想でもあるんですが、それでもなでてやると、黙ってなでられるがままになっていた。
 家内とはもう仲間どうしの付き合いで、顔を合わせると、ニャーン、とあいさつするし、いそいそとやってきて、すりよってもいましたが。
 それが姿を見せなくなった。

 さすがに気になっていたんです。

 そしたら、三日ほど前のこと。
 家内が坂を下った途中の同じようにネコ好きの奥さんから聞いてきたというんです。

 少し前に死んだ、って。

 ガンだったらしいんです。
 弱っているのを見て、獣医さんところへ連れていったひとがいるんですが、おなかの腫瘍がねえ、どうにもならないくらい大きくなって、もうそっとしておいてやるほかなかったらしいんです。

 弱りながらもしばらくは以前と同じように静かに、マイペースで生きていて、ある朝、ひっそりと息を引き取っていたというんです。

 ソトネコとして近所に現われたのは、もう10年以上も前だったと思います。
 最初は赤いきれいなリボンを首につけていましたから、ああ、ごく最近まで飼い猫だったんだと思いましたが、しかし、捨てられたことにあわてるでもなく、クロのことに気づいたときには、もう悠々とひとりで生きていました。
 リボンはまもなくすり切れてしまいましたが、けれどいつも不思議なくらい身ぎれいで。

 冬の寒い日などは、マンションの玄関口で待ってましてね(オートロックなものですから)。
 住人が帰ってくると、いっしょについて入ってきて、廊下のそこここで寒さをしのいで、また外へ帰っていくんです。
 マンションの住人もたいがいが知り合いで、とても静かなネコですから、するがままにさせておく。

 もう近所のひとりのようでした。
 自由は野山に戸を立てず、といいますが、むしろか近所でいちばん自由に、しかも愛されながら生きていたと思います。

 それがひっそりと死んじゃった。

 それで、こんど初めて知ったんですが、クロはもともと坂の上のほうのマンションで飼われていて、しかしそのマンションのひとが転居するときに、ほうっていかれたらしいんです。

 さびしい目にあっていたわけですが、そんな影はぜんぜんなかった。

 最後まで悠然と生きたネコでした。

 いいとこへ行きよ。
 ぼくは誠実な仏教徒なんかではまったくないけど、でもこれはぼくに残っている誠実さのすべて(ごく小さなものでしょうけど…)をかけて、祈ります。

猫の家出

2010-07-04 20:58:00 | 猫の町
 夢が家出しましてね。
 ええ、ユメ。
 うちのネコ。
 人間ならたぶんもう70歳前。
 おばあさん。
 それが、あなた、自由を求めて。
 ええ、そう。
 おおるど'だむ、が、らぶ、ふりいだむ。

 マンションですからね。
 出してやることができない。
 何階だという観念がどうしても習得できないらしく、よその階へ行って。西から2番目のドアの前で、入れろ、って鳴く。
 そう、うちが2階の西から2番目。
 迷惑かけるから、自由行動はもうずっと家の中だけ。
 だから、外カンがもう皆無。
 見知らぬ人と遭遇してパニクったら、迷子になってしまうのは必定。 

 でも梅雨に入ってね。
 蒸し暑いでしょう。
 風を通したいからドアを少しあけてね。
 そこにサクをめぐらしてユメが出ないように用心はしてたんですが。

 ちょっと油断してるうちに、じぶんでサクを押しあけて、出ちゃった。

 前にそういうことがあったときには、地下室に閉じこもってましてね。
 これはすぐに見つかったんですが、今度は地下室にもいない。

 家内が心配性でしてね。
 マンションじゅうをかけまわって、ユメ、ユメ、って呼ぶんですが、いっこうに返事なし。

 ぼくがね、
 家の中よりけっきょく自由がいいんだから、ほうっておくしかないよ、
 っていうと。

 妻は、
 あんたはハクジョウだ、あの子がひとりではゴハンも食べれないこと知ってるでしょう、ほんとはあんた、あの子を愛しなんかしてなかったでしょう、
 と総口撃。

 もうモノも言ってくれない。

 じっさい、赤ちゃんのときから歯の噛み合わせが悪いネコで、食べ物はそのつど細かくくだいてやらないと、食べられない。

 失踪1日、失踪2日、失踪3日…。

 そのうち、ずいぶん遠くの中学校のあたりで見た、という目撃談まで舞い込んで、
 夜の12時前に、スワッ。

 こりゃあもうマンションの周囲1キロくらいに捜索範囲を広げないといけないかなア、と。

 ぼくも散歩の方角を日々変えて、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。
 ときどき、あたりに人の途絶えたのを確かめて、一声、
 ユメーッ!
 ちょっとオカシなひとのよう。

 でも、やっぱし、
 オールド'ダム ラブ フリーダム、でもう地のハテあたりへ行っちまってるかもしれないしなア。

 じょじょに忍び寄る徒労感…。

 で、失踪4日目。
 どこやら天空のかなたのほうで、
 かぼそさこのうえない声で、
 ニヤーン。

 ネコほど耳のいい家内がそれをすばやく聞き分けて、ウサギのごとく跳び出していった先は。

 開かずの屋上の塔の中。
 
 以前は自由に上がれてたんですが、近所の中学生なんかがたまり場にしはじめて、それで進入禁止になっていた、そこにこもってたんですね、
 4日間、飲まず食わず、ウンコもシッコもしないまま。

 …ウンウン、もう何も言うな、ようガンバッタ、ようガンバッタ。

 夢帰る。
 ガブガブと水飲んで、ガツガツとメシ食って、ドッサリとウンコして、タップリとオシッコして。

 ま。とにかく、そうして、夢の大冒険は終わりまして、
 前と同じ日常が来た次第。
 まだ妻との間はちょっとギコチナイですが。

 これも、まあ、いずれ。

 で、ユメはさすがに疲れたのか、ドタッ、ドタッ、と寝ています。

 というわけで、というわけで、というわけで…。