しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

「KOBEグー」の表紙

2015-01-16 01:47:00 | 美術



地下鉄の駅でフリーマガジンの並んだラックの前を通りかかって、いつもなら表紙だけながめて通り過ぎるタウン誌だけど、そこにプリントされた絵に妙に心ひかれるものがあり手に取ってみると、井上廣子さんの作品だった。

いまBBプラザ美術館(神戸市灘区)で開催されている「震災から20年 震災 記憶 美術」に展示されている作品なのだそう。タイトルは「Mori:森/陸前高田」。

手に取らされた僕から言わせると、これほど強い作品の力の表われ方というのもない。思わず足を止め、近寄り、手に取る──。

そういえば、2006年に越後妻有(えちごつまり)トリエンナーレへ行ったときも、田んぼのなかをウロウロ井上さんの作品どこだろなーと探していたのだけど、遠くにそれがみえた途端──みえたというより、その影、その気配を感じた途端、よくわからないけど妙にはっきりと、あれが井上さんの作品だ! と分かった、分からされてしまった、そんな経験がある。

スケールが大きく、そしてまた繊細で──稀有な作家さんだ。

「KOBEグー」の表紙をめくると神戸市立博物館の廣田生馬さんの解説があった。陸前高田市の海岸で、東日本大震災の津波に流されずに残った一本の松を描いた作品だという。松はその後枯れてしまい、いまは人工的な加工を施され、モニュメントとして保存されている。

井上さんからうかがった阪神淡路大震災のお話を思い出す。

自分自身いろいろ思い出す。

「震災から20年 震災 記憶 美術」の案内は「シュプリッターエコー」ホームページの「NOTE」にも掲載されています。井上さんの他にも、榎忠、金月炤子、古巻和芳、栃原敏子、堀尾貞治、WAKKUNら、どういえばいいのか、このラインナップの確かさに唸らされる。

John von Neumann ジョン・フォン・ノイマン

2015-01-10 06:34:00 | 文化芸術一般
少し前にノーマン・マクレイという経済ジャーナリストの書いた『フォン・ノイマンの生涯』(渡辺正・芦田みどり訳、朝日新聞社)を読んだ。

ノイマンの研究の解説はあまりおぼえていない。読んでいて理解できなかったことも多かったと思う。

数学・物理学・コンピューター科学・経済学…等々、様々な分野で重要な仕事を残した人で、原子爆弾の開発にも携わった。

現在のコンピューターは「ノイマン型コンピューター」と呼ばれる。コンピューター黎明期の、その都度機械的に(それこそ歯車の位置を変えて)プログラムを組み直して、という形ではなく、プログラムをコンピューターに記憶させ、実行させるという仕組み。僕らにとってはそれ以外の形を考えられないぐらい当たり前になっている。

ただ、別の若い学者たちがある程度構想していたのを、ノイマンが明確にまとめあげたというのが経緯らしい。

ノイマンはむしろそうした能力に特に長けていた人のよう。つまりまったく新しいものを創出するというよりは、整理し、明確にし、遠くへ推し進める力。

マンハッタン計画では、長崎に投下されたプルトニウム爆弾の爆縮法の設計で大きな役割を果たした(広島に落とされた爆弾は砲撃法によってウラン235に臨界を起こさせるもの)。

原爆開発以前にノイマンは爆発理論の研究に取り組んでいる。爆弾が炸裂する際、斜行衝撃波というのが最も破壊力をもつのだそうで、最大限に破壊をおこなうには空中で爆発させるのがいいということになる。広島と長崎に投下された原爆も空中で爆発させた。

政治的にはタカ派といわれるノイマンでも、爆弾の研究において彼を衝き動かしていたのは政治信条などではなく、知的探究心、もっと無邪気に、知的好奇心だったろう。また、たとえ一人のノイマンが現われなくとも、同じく探究心と好奇心に駆られた多くの小ノイマンが時間をかけ、結局は成し遂げてしまったろう。

原子爆弾は量子物理学のひとつの成果に他ならない。兵器というのはいつもそんなふうに最先端の科学の産物だった。そして兵器の科学が目指すところを端的にいえば、いかに効率的に多く殺すかということで、そこに何の憎悪や殺意がない場合でもやはりそうなのだという、それはやはり不気味なこと。