しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

絶対中立と自主防衛と自由・平和

2015-06-28 14:07:00 | セイジ
 日本民族をより美しくするためだったら、私は今の日本国憲法を変えてもいいと思っているのです。
 この点では、このブログによく投稿しておられる邪狗さんとはだいぶん違う立場です。
 けれど、安倍さん(首相)が進めようとしておられるような、アメリカにすりよるための改憲には、これはもう真正面から反対です。
 この点では、邪狗さんとまったく同じ立場です。

 私が思っている改憲には、三つの原則があります。
 
 その第一は「絶対中立」をかかげることです。
 第二次世界大戦後しばらくのあいだ、日本を永世中立国のスイスのような国にしようという構想がありました。
 しかし朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)など東西の対立が厳しくなるにつれて、日本を西側に組み込もうというアメリカの戦略が強化され、この構想は立ち消えになってしまいます。
 (日本人の心の中にスイスを理想の国とみる見方が長いあいだ生きていましたが、それはこの消えた構想の燃え残りだったのです)
 「絶対中立」は、そのかつての理想の原点に今あらためて立ち戻ろうというものです。

 その第二は「自主防衛」をはっきりと打ち出すことです。
 自国の防衛を超大国の軍隊にゆだねているようでは、絶対中立を貫くことなどできません。
 自国は自国の軍隊で守り抜くという体制を整えてこそ、動乱の続く世界のなかで日本民族の中立を完遂することができるのです。
 今の自衛隊のような、どこか後ろめたさ(ごまかし)が残る日陰の存在ではなく、誇り高い日本の国軍を正式に再建することが欠かせません。

 その第三は「平和と自由」の強調です。
 新しい軍隊は、旧日本軍のような侵略の軍隊ではないということ、国土防衛のための限られた戦力であるということ、この二つを明確に内外に示すことです。
 そしてその行動の基盤は、国民の自由そして世界の自由の上にあること、そのことをまっすぐ確認することです。

 安倍さんの改憲が、わが民族をアメリカの世界戦略の一翼に組み込むためのプログラムであることは、なりふりかまわず集団的自衛権の成立を急ごうとする今の内閣の姿勢を見てもわかります。
 さすがの安倍さんも、憲法本体を変えるのにはまだかなりの時間がかかるとみて、まず集団的自衛権で憲法九条の実質的な骨抜きをはかる方向へ政治的エネルギーを向けたのです。

 私は、この民族の兵士たちをアメリカ軍の番犬にするような法律には絶対に反対です。
 そのような屈辱的な憲法を頭上にかかげることには耐えることができません。

 日本民族は2000年にわたって誇りある歴史を築いてきましたし、これからも築いていかねばなりません。
 とりわけ超大国のしもべとなるような、そんな卑(いや)しい姿を世界にさらすようなことは、決して許してはなりません。

 「絶対中立」「自主防衛」「平和と自由」、この三つの原則を掲げる政党が現われれば、そしてそれが私心のない誠実透明な政党であれば、たとえ邪狗さんとの友情が壊れるようなことになったとしても、私はよろこんで支持したいと思っています。

民族の品性と知性の衰退…集団的自衛権

2015-06-21 20:06:00 | セイジ
 どこかの大学の教授だか名誉教授だかの学者さんがラジオ放送のインタビュー番組で喋っていました。
 集団的自衛権は合憲だというのです。
 それがまた粗雑このうえない論理で。

 憲法第九条は、その前提として自衛権を認めているのだから、集団的自衛権もすでにその前提に含まれている、というのです。
 法律が何も言ってないことを、前提という名目で、無謀にもあとからねじこもうというわけです。
 そんなことが許されるなら、これも前提にあったはずだ、あれも前提にあったはずだ、と法律をいくらでも広げていける、そんなめちゃくちゃな世のなかになってしまうことでしょう。

 
 声から推してだいぶん歳のいったベテランの学者さんのようでしたが、論理というものがそもそもどういうものなのか、このかたはどうもわかっておられないようです。
 前提をきっちり定めておかなければ、スジ立った論争などできるものではありません。
 このかたの言い方はこどものけんかと同じです。
 もう一度、論理学のイロハを勉強してもらう必要があるでしょう。

 いまや学者と呼ばれるひとにしてこうなのかと、腹立たしさを通り越して物哀しい思いです。
 この国の知の衰退、知の惨状に、寒ざむとしたものを感じます。

 それもこれもアメリカにすり寄ろうとする自民党政府の姿勢から出ていることを考えると、政治が知の世界を腐らせる、その罪もけっこう深いものだと見えてきます。
 集団的自衛権は、他国の民の血を一滴も流さないできた自衛隊の隊員たちを血まみれのアメリカ軍の手先にしようという、まさに呪われた法律です。
 それは、わたしたち歴史のある民族の品性を壊すばかりではありません。
 この民族の知性をも腐食させるものなのです。

あの戦争の前もこうだった…集団的自衛権

2015-06-14 21:41:00 | セイジ
 思い上がりもいいとこですね、高村正彦というお人。
 自民党の副総裁ですってねえ。
 ということは、総裁の安倍さんの次にエラい人?
 おゴリたかぶる親分と、同じようにおゴリたかぶる副親分。

 アメリカ軍の手先になって戦争に行くケンリ(権利)、つまり集団的自衛権は憲法違反だと批判する憲法学者の言うことなんかに、国民は耳を貸すことなどいらぬ、とまあ、こう言うんですからね、
 憲法学者は国を守りなどしない。
 国を守っているのは、われわれ政治家だ。
 国民はわれわれの言うことを黙って聞いていればよい。
 と、なんとも乱暴な言い分で。

 「朕(ちん、われ、私)は国家なり」と公言してはばからなかったのは、フランス最大の権力者ルイ十四世でしたが、まさに「わたしが日本国だ」という態度。

 しかも、そう言ってのけるその根拠が、あわれなくらい貧弱で。
 1957年の最高裁判決(砂川事件)がその論拠だというんですが、この裁判では駐留アメリカ軍の是非が問題になりこそすれ、集団的自衛権などだれも持ち出してはいない。
 論理のスジが通らない。

 そのスジの通らないのをゴリ押ししていくこの茶番。

 自民党というのは伝統的に論理の粗雑な政党ですが、それでもここまで幼稚な言い方はさすがにあまりなかったようで。
 
 それを首相の安倍さんは、高村さんのご高説、ごもっとも、ごもっとも。
 まあ、わが民族を卑(いや)しめてもアメリカ政府にすり寄っていきたい首相のこと、すり寄る理由になるものは、なんでも、ごもっとも、ごもっとも、ということになるんでしょうが。

 それにしても、その茶番が通ってしまうこの国のブキミさ、コワさ。
 民族の悲劇となったあの戦争の前夜もこうだった。

自民大アワテ…味方のハズが大パンチ

2015-06-07 15:26:00 | セイジ
 ブサイクな日本語ですよねえ、集団的自衛権というコトバ。
 自衛隊をアメリカ軍の手先にするというのが中身です。
 それは日本の憲法をねじまげるものだ、と3人の学者がそろって主張しました。
 衆議院の憲法審査会という、ちょっとカタのこりそうな公式の会議でのことです。

 みなが驚いたのは、自民党がたのみとした早稲田大学教授の長谷部恭男さんもきっぱり憲法違反だと言ったことです。
 集団的自衛権は、これまでの政府の見解を逸脱している、外国の武力と一体化する恐れがきわめて濃い、と断言しました。

 おかげで自民党の中は、ハチの巣をつついたような騒ぎになってしまいました。
 なんであんな学者を連れてきたんだ、われわれの考えに沿う先生を選ばんとだめではないか、と頭に血ののぼったひとたちがまくしたてているのです。

 しかし、おゴリもそこまで来たか、という感じです。
 名誉と金が入るなら、ハイハイ、なんでも言いましょう、という売名学者ならいざ知らず、まともな研究者で集団的自衛権を合憲だなどと言えるひとはまずいないでしょう。
 現在の政界がいくら詭弁(きべん、言いくるめ)のるつぼだといっても、学者がつじつまの合わないことを言っては、学問そのものが成り立ちません。
 論理の一貫性をこわしては、これはもう学問の自殺というほかないのです。

 自民党にとって集団的自衛権は最重要の法案ですから、意に沿う研究者を必死になって捜したに違いないんです。
 けれど、ひとまず名の通った大学の先生でそんなことを言ってくれる研究者はいなかった、というのがたぶん実情だったのでは、と推測されます。

 自民党はどうやら次の手として、学者の研究と政治の現実は違うという主張でここを乗り切ろうとしているようですが、そうなると憲法はもう完全に無視ということになるでしょう。
 アメリカの番犬になってアメリカにシッポをふるためには自国の憲法も殺してしまう今の日本のリーダーの卑しい姿がますますくっきりと現われてくることになるでしょう。、