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ブログ版 シュプリッターエコー

ともに命を分かち合う―ひょうごゆかりの美術家展

2010-02-11 18:40:00 | 美術
 神戸の原田の森ギャラリー(兵庫県立美術館分館)で開かれている「ひょうごゆかりの美術家展」を見てきました。
 春を待つ時期にふさわしい明るい気配の展覧会です。

 どこそこゆかりの展覧会などというと、往々にしてちょっとカビくさいにおい、あるいはなにかしら鈍重な空気が漂うものです。
 すでに歴史的に評価の定まっている作家がその土地の風物を描いたお決まりの作品が並ぶとか、あるいはその土地のおヤマの大将的な作家の作品が並ぶとか、そんなイメージがどうしてもつきまとってくるからです。
 すこしあらたまった言い方をするならば、いささか普遍性に欠けた展覧会になりがちだということです。

 その点、今回の「ひょうごゆかりの美術家展」は一味違うものになりました。
 むろん近代の日本美術に巨大な足跡を残している橋本関雪や村上華丘(いずれも神戸に地縁を持つ)ら巨匠たちの作品が展覧会を引き締めていてのことではあるのですが、それとともに現役で活躍中の作家たちのみずみずしい作品が展示されて生き生きとした空気を作った、それがその一味の理由です。
 しかも大きな一味です。
 
 西田眞人の「暮らす」(日本画)は、どこか欧風の町を大胆な構図で描いた2007年の作品です。
 椿野浩二の「黙」(洋画)は、具象的な確かな作法で抽象的な暗喩を豊かにとらえた2009年の作品です。
 とりわけ陶芸部門にみなぎる鋭利な感覚は新しいビジョンが大挙炸裂しているような趣で、市野元和の「灰釉彩花器」(2008年)、重松あゆみの「Blue Orbit」(2009年)、市野雅彦の「響」(20007年)、清水一二の「吹泥金紅線文彩器」(2009年)などが並んだところは、まるでそこに光が射し込んでいるようでさえありました。

 過去の巨匠の作品には汲めども尽きない深淵があります。
 それを伝えるのは大事なことです。
 しかし今をともに生きる作家たちの作品には、やはり美のスリルが横溢しています。
 そして、スリルとは、この現代にともに命を分かち合うことなのです。
 
 地域に根差しながら、しかし同時に地域を超えて普遍性にからむことでもあるのです。

 さて、作品の選択は、兵庫県下で長い間、美術家たちの活動を見つめてきた美術館の学芸員らが担ったそうです。
 みずみずしい展覧会の背後には、みずみずしい学芸員たちの目があったというわけです。
 
 これは文化庁の「地域文化芸術振興プラン推進事業」の認定を受けて実現した展覧会だそうですが、国税がこのように精神の中枢に注ぎ込まれるのを見るのも、なかなかさわやかな感じがするではありませんか。
 ようやくモノからの離陸の時代が来たのでしょうか。
 
 展覧会は2月14日(日)まで。入場無料。☎078.801.1591

考古なのか、犯罪なのか

2010-02-04 22:56:00 | ノンジャンル
 ラジオをかけたらニュースをしていました。
 沖縄の洞窟で人骨が見つかって、調べたら2年前のものとわかったというのです。
 おっ、殺人事件か、と思いました。
 するとアナウンサーがあわてて言いなおしたのです。
 「失礼しました。2万年前の人骨とわかりました」と。
 成人の男の骨で、これまで日本で発見された人骨のうち最も古いものだということです。
 実は考古学上の新発見だったわけなのです。

 でも、ニュースが終わって、ふっと考えました。
 ひょっとしたら、2万年前の殺人の跡が洞窟で発見されたのかもしれないぞ、と。

 とすると、これは学問の分野になるのでしょうか、犯罪の分野になるのでしょうか。