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ブログ版 シュプリッターエコー

井上廣子展を中心に(2018年クリスマスの日の日記)

2018-12-25 23:59:00 | 美術
井上廣子さんの作品展「Metamorphosis」を大阪 心斎橋のYoshiaki Inoue Galleryにみにいきました。
デュッセルドルフの製鉄所とおっしゃっていましたが、溶鉱炉から火花を上げて流れ出る溶けた鉄と、地下(?)の設備に降りそそぐ冷却水という対照的な光景の写真作品、そして後者の光景を風にゆらぐスクリーンに投影した映像作品です。
精神というものをめぐって、その構造、その物語を静謐に、それでいて饒舌に語る一連の作品から、やはりなお精神性というものを問いつつ、その物語-構造から脱けでる新しい表現の方法がとられているように感じました。
このことは近いうちに記事にまとめられればと思っています。

ところで何と、こちらの井上さんの作品展、明日12/26(水)までなのです。
ご都合のつく方は、最終日にぜひ滑り込んでください。
3階の展示室で投影されている映像作品は、いつまでもその前に座っていたい気になります。


井上廣子さんの作品 Yoshiaki Inoue Gallery

今日は井上さんが在廊していらして、本当に十数年振りにお話をさせていただくことができました。嬉しかったです。
そして、以前「シュプリッターエコー」紙のインタビューで撮らせていただいた写真、「山本君が撮ってくれたあの写真が最高傑作だった」と言ってくださったのが本当に嬉しくて。
なのに、大変失礼なことに僕、その写真をお渡ししていませんでした。
データがどこかにあるはず。この年の瀬の大掃除で探し出してお送りしなくては、と。


井上廣子さんの作品 Yoshiaki Inoue Gallery

さて、今日はGallery Yamaguchi kunst-bauの三嶽伊紗展とYOD Galleryの服部正志展もみました。

三嶽伊紗(みたけ いさ)さんの作品は、雪の降りしきる池と、そこに浮かぶ水鳥たちが映される、記憶の中の光景のような「シロイ夜」が印象的です。
それと、画廊の雰囲気がいいです。特に入り口の扉が素敵で。
三嶽展の会期は2019年2/16までです。

服部正志さんの「1◯◯ × 1◯ = 1◯◯◯」展はユーモアに溢れた作品で、ぶらさがった無数のメダルのリボンに書かれた「ありがとう」と「どういたしまして」の応酬にはクスッと笑ってしまいます。会期は2019年1/19まで。


三嶽伊紗さんの作品 Gallery Yamaguchi kunst-bau

本当はGallery Nomart(ノマル)で開催されている東影智裕さんの作品展にも行くつもりだったのですが、残念ながら今日は時間が足りませんでした。こちらは2/2まで会期があるので、近いうちに必ず行きます。

夜の9時を過ぎても人でごった返す梅田から阪急電車に乗って三宮で降りると、ホームに数えるほどしか人がいないのに思わず苦笑いしてしまいましたが、うちへ帰り、今年もグザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」をみて、僕は僕でクリスマスの「儀式」を終えました。

ギャラリーで井上廣子さんの水の光景からタルコフスキーを連想したことを伝えると、井上さんもタルコフスキーが好きだとおっしゃったけれど、ロランスから送られてきた詩集をフレッドが読むシーン、これも大いに印象に残る水の場面であったことだよと思いつつ…

そんなクリスマスでした。


(takashi.y)



煙草の嗜み

2018-12-07 23:45:00 | くらし、商品
偏食家に対して「この美味しさが分からないなんて、人生損してるよ」とはよく聞くが、煙草の吸えない私も同じく、人生の幾分かは損をしているのかもしれない。
煙草が嫌いな訳ではない。むしろ煙草の薫りのしない喫茶店(カフェではない)は、なんだか物足りなく感じる部類の人間だ。
一口に煙草と言えども、その種類は数え切れない。何がどう違うのか、調べ始めたのが発端だった。煙草――知れば知るほど奥が深い。
昨今では文字通り煙たがられる存在だが、大岡昇平著『野火』では、フィリピン山中を敗走する日本兵が、生き延びる上で必要な食糧と引き替えてでも煙草を欲した。
中毒と言ってしまえば身も蓋もない。一言で片付けられない(片付けたくない)その魅力とは――。

煙草の味はブレンドによって数多の種類が作られる。栽培する土壌、乾燥・熟成の差、葉の等級、葉の刻み方、さらに香料や巻紙の風味などが煙草の味の決め手となる。
原料はニコチニア・タバカムとニコチニア・ルスチカに属する植物だが、その中でも複数の種類がある。ナス科の植物であり、花を付け実を成すが、葉に糖分を蓄えさせるために花は咲く前に剪定される。
収穫の後に乾燥されるのだが、この乾燥が煙草の味と風味を決める上で非常に大事な第一工程となる。計算された適切な温度・湿度を保ちながら乾燥させることで、葉の中のタンパク質や澱粉がアミノ酸や糖に分解される。煙草の銘柄や種類によって乾燥方法は都度設定される。
乾燥の後に出荷された煙草は、その出来具合によってリーフグレーダー(鑑定員)に等級分けされる。
乾燥した葉は葉脈と葉肉に分けられ、水分でほぐされ、品種によって熟成されることで香りはさらに深く豊かなものへと変化し、最終的に加工される。もちろん巻き煙草だけでなく、パイプ派、葉巻派のためにも分けて全工程が組まれる。
この工程が全世界的に行われている。いつ吸っても銘柄・品種の味が定まっているのは偏にブレンダーの高度な嗅覚の賜物である。
この工程を考えると、喫煙は香道に通ずるものがあると言っても過言ではないはず。

とは言え、「百害あって一利無し」が代名詞とも言われる煙草。しかし今一度考えてみたい。本当にそうなのか?

煙草の発祥はメキシコとされる。
本来は宗教儀式に用いられていたものが民衆に広まり、そこへコロンブスがやって来たことでスペインに煙草が持ち込まれ、新世界の嗜みとして貴族の間で流行した。
その珍しい習慣はシルクロードを伝って全世界に拡がり、各地でも煙草が栽培されることになった。
欧州全土に広まった要因は黒死病とも呼ばれるペストの蔓延による。煙草はペストに効くという珍説が信じられ、ペスト予防のためにこぞって煙草が買い求められた。児童をペストから守るため、小学校でも煙草の吸い方が教えられたと言う。憶測だが、ペストの次に民衆を襲ったのはきっと肺癌だったに違いない。

近年の科学者は言う、身体に悪いのはタールでありニコチンは身体に良い、と。
ニコチンには心拍数の上昇や感覚情報処理機能の向上、緊張緩和や覚醒効果など、言い換えるなら、脳を素早く活性化する効能がある。引いてはアルツハイマーの予防、パーキンソン病の進行を阻止する効能もあるのではないかと検証が進められている。
成る程、かのシャーロック・ホームズのトレンドマークがパイプ煙草である訳だ。現代ロンドンでは煙草は高額に課税され、2010年にBBC(英国放送協会)で復活したシャーロック・ホームズはニコチンパットを体に貼り付け推理に耽った。
しかし世論での喫煙=ニコチンに対しての嫌悪感は非常に根強い。
科学者たちはまた言う、「喫煙」と「ニコチン摂取」は分けて扱われるべきだと。むしろ「ライト」などと謳って健康に気遣っているような宣伝を打った煙草業界の欺瞞を厳しく指摘する。
昨今流行の電子タバコは「煙」を吸うのではなく「蒸気」を吸うものだから、身体に悪影響を与えない(のかもしれない)。タールを含まずニコチンのみを吸うのだから、むしろ身体や脳に良い(のかもしれない)。そう考えると、寝起きの一本を欲する人の気持ちが解らないでもない。
とは言え、科学者らの検証が解明された訳ではない。
実は愛煙家である科学者らの意地や執念に過ぎないのではないだろうか。

単に私は、言語を超越したタバコミュニケーションに憧れているだけなのだ。
中国を旅していると友好の印に煙草を差し出されるのだが、その度に断る際の申し訳無さと言ったらもう…。折角の友好も一気に冷める勢いに違いない。
「君、いけるクチかね?」と徳利代わりに煙草を進められたら、「いやー、嗜む程度ですが…」と応えたい。

煙草の嗜み――吸えない私のちょっとした憧れです。

(アサオケンジ)


ジョルジョ・アガンベン『瀆神』

2018-12-07 22:14:00 | ノンジャンル
ジョルジョ・アガンベン『瀆神』(上村忠男・堤康徳 訳)からの引用


「もし、書きものをするときに、きみたちが──彼が!──あの萌黄色の紙とあの特殊なペンが必要ならば、もし左側から降りかかるあの弱い照明がどうしても必要ならば、どんなペンでも字は書けるとか、どんな紙でも、どんな照明でも同じことだと言っても、せんないことである。……もしあの黒い紙の長いタバコがなければきみたちがどうしてもやる気にならないというのなら、それはただの強迫観念だとか、そろそろ道理をわきまえるときだと繰り返しても、せんないことである。ゲニウム・スウム・デーフラウダーレ〔Genium suum defraudare : 自分のゲニウスを欺く〕とは、ラテン語で、自ら人生を寂しくする、自分自身をだます、という意味である。そして、視線を死から遠ざけ、自分を生んだゲニウスの後押しにためらわずに応える人生こそ、喜ばしい(ゲニアーリス)のだ。」