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主に映画に関するツイートが多いかと思います。ちょっとした感想だったり、「みにいった」というだけの話だったり。
映画、好きですが、しかし映画がなくちゃ生きていけない、という体質でもなく、実際たいした本数をみにいくわけではないので、僕の小さなツイッター交遊圏であっても、並みいるシネフィルの皆さんの目に触れる場で映画について何か言うというのは、気が引けるものです。
だったら、よく映画を知っている人の言葉に、耳だけ傾けて黙っていればいいのでしょうが、それでも「いま」というものに、映画について何か言うことで触れたいという思いがあります──もちろん、ものを言うために映画をみるわけではない、それはそうなのですが。
技術、民衆、社会的マイノリティー、あるいは世界史的マイノリティー……いくつもの観点、問題の系がもっとも現代的な形で交錯する、もっとも現代的な芸術的事象で、映画があるとするなら。
そして、「いま」というのは、カレンダーの日付のように、みればそこにあるようなものではありません。また、僕自身20世紀に生まれ育った人間であり、垣間みたいと臨んでいるのは、21世紀というよりは、20世紀的というべき「いま」の像なんだろうと思っています(いったい、いつ20世紀が終わったというのでしょう?)。
20世紀……20世紀……やはり映画なんだろうなぁ、と。
主に映画に関するツイートが多いかと思います。ちょっとした感想だったり、「みにいった」というだけの話だったり。
映画、好きですが、しかし映画がなくちゃ生きていけない、という体質でもなく、実際たいした本数をみにいくわけではないので、僕の小さなツイッター交遊圏であっても、並みいるシネフィルの皆さんの目に触れる場で映画について何か言うというのは、気が引けるものです。
だったら、よく映画を知っている人の言葉に、耳だけ傾けて黙っていればいいのでしょうが、それでも「いま」というものに、映画について何か言うことで触れたいという思いがあります──もちろん、ものを言うために映画をみるわけではない、それはそうなのですが。
技術、民衆、社会的マイノリティー、あるいは世界史的マイノリティー……いくつもの観点、問題の系がもっとも現代的な形で交錯する、もっとも現代的な芸術的事象で、映画があるとするなら。
そして、「いま」というのは、カレンダーの日付のように、みればそこにあるようなものではありません。また、僕自身20世紀に生まれ育った人間であり、垣間みたいと臨んでいるのは、21世紀というよりは、20世紀的というべき「いま」の像なんだろうと思っています(いったい、いつ20世紀が終わったというのでしょう?)。
20世紀……20世紀……やはり映画なんだろうなぁ、と。