しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

また金本選手がすごいプレー

2008-03-29 22:06:59 | 阪神タイガース
 また金本選手の活躍です。
 まず二塁打で先制点。
 そして本塁打で追加点。
 さらにチームを救った最終回のファインプレー。

 9回表のベイスターズの攻撃を迎えた時点で、ゲームは4-3の僅差(きんさ)でした。
 マウンド上はむろん抑えの藤川。

 仁志選手が振り抜いた打球は、ぐんぐん左翼へ伸びていきます。
 金本の頭上を抜いて、フェンスを直撃するかと思ったせつな、全速力で追っていた金本選手がジャンプ一番、フェンスに衝突して倒れます。
 そして白球はしっかりと金本選手のグラブの中。
 奇跡のような一瞬でした。
 抜けていればたちまち大ピンチだったのです。

 思わず、ムリすんな、と心の中で叫んでました。
 とにかく、すごい選手だ、というほか言葉がありません。
 どうかケガがひどくなりませんように。

金本選手の三塁打に涙が出ました

2008-03-28 00:01:37 | 阪神タイガース
 金本選手って、やっぱりすごいですねえ。
 タイガースの今シーズンのオープニングゲームは、ベイスターズが相手でした。
 4回裏を迎えたときには2-0のスコアでリードされていました。
 ベイスターズの寺原投手の好投に手も足も出ないありさまでした。

 ところがその4回裏。
 一塁と二塁にランナーを置いて、金本がなんと三塁打を打ったのです。
 ヒザの故障のあと、ほんとうにプレーができるのか、すべてのタイガースファンが不安に思っている、そんな心配を吹き飛ばすように、すばらしい打球を飛ばし、全力疾走で三塁まで行ったのです。

 涙が出ました。
 ハンディを超えて、全力で打ち、全力で走る姿に涙が出ました。
 もう、すごい、というほかありません。

 金本のこの一打で同点に追いついたタイガースは、続く今岡のタイムリーで勝ち越して、オープニングゲームをものにしました。

 ホームランバッターの王選手が球界に登場したとき、人間のなかにはやっぱり天才がいるものだとさとりました。
 天才のレベルというのは、どんなに努力しても追いつくことのできない、そんな高さです。
 けれど、金本選手の登場で、人間は努力によってすごい高さにのぼるものだと知りました。
 努力の結果だけにものすごく強い手ごたえのある高さです。

 矛盾するようですが両方とも真実です。

なんでも秘密の自衛隊――中国潜水艦火災

2008-03-27 20:38:13 | 報道
 中国海軍の潜水艦が南シナ海の海中で火災を起こして、航行できなくなったことがありました。
 2005年の5月のことです。
 それをぼくらは読売新聞の報道で知りました。
 読売新聞の特ダネでした。
 自衛隊の一等空佐が読売の記者に情報を流したのですが、むろん新聞記者はふだんからいろんなところに情報網を広げておいて、このように特ダネを得るのです。
 これは記者の手柄ですし、同時に、一等空佐の勇気と協力があってのことです。

 ところが自衛隊の警務隊は、これが防衛秘密をもらした罪にあたるとして、一等空佐を検察庁に突き出した(書類送検)のです。
 防衛秘密漏えい罪を破ったことになるというのですが、これは2001年に新設された新しい法規で、それが適用されるのは今回が初めてです。

 しかし、それにしても、中国の潜水艦の事故がなんで日本の自衛隊の防衛秘密になるんでしょうね。
 しかもそれが懲罰を伴うほどの重大な秘密事項だというのです。
 
 ここには、自衛隊のことはなにも国民に知らせるな、という独善的な秘密主義があるように見えません?
 自衛隊の組織にとって、国民はなんでもゴチャゴチャじゃまをする、うるさい存在だ、という見方です。

 自衛隊はなによりも自分たちの組織を守ることが重要で、組織を守るためなら国民の知る権利など無視してしまえ、とそんなゴーマンな態度がすけ見えてきますねえ。
 漁民2人を殺してしまったイージス艦の衝突事件でもそうでしたけど。
 

 

北京オリンピックに最初の汚点

2008-03-25 17:43:48 | スポーツ、オリンピック
 ことしの夏に中国の北京で開かれるオリンピックに向けて、聖火を太陽の光から取る採火式がギリシャのオリンピアで行われました。
 ところがこの聖なる儀式の最中に前代未聞(ぜんだいみもん)の事件が起こりました。
 中国政府はこのところチベット人に大きな弾圧を加えていますが、この中国政府の政策を批判している人たちがチベット人の人権を守るように訴えて採火式の式場に乱入したのです。
 北京オリンピックは世界が注目する中でしょっぱなからつまずいた形です。

 聖火はいったん飛行機で北京に運ばれ、そこから世界を西回りで一周して、オリンピックの開会式に合わせて北京に入る予定です。
 中国の政府はこの聖火リレーで中国の名が高まるものと期待していますし、そのために聖火を世界最高峰エヴェレストの頂上に上げるという大イベントも計画しています。
 今回の乱入事件に対して、中国政府はおもてむき何食わぬ顔で通していますが、内心おだやかであろうはずがありません。

 しかしオリンピックで国威(こくい)を高めようという考えは、なにかとても古臭いものを感じます。
 だいたい聖火リレーというものが、そんなに人間的な発想から生まれたものではありません。
 オリンピックに聖火をともし始めたのは1928年のアムステル大会(オランダ)からですが、それが世界を走るリレーという大イベントに仕立てられたのは1936年のベルリン大会(ドイツ)からなのです。
 ほかでもありません、ヒトラーのナチス・ドイツが軍事帝国の発揚(はつよう)をねらってあみ出したのが始まりでした。
 聖火リレーはこのいわばナチスの大国主義的な負の遺産を引き継いで、今日に至っているのです。

 中国政府もオリンピックの最大のねらいを国威発揚に置いていますが、国家を優先させて人間性を弾圧する政府というのは、時代は変わってもどこかで似たような行動をとるように思えます。
 似たような行動を取り、似たような問題が表れます。

 世界の中で大きな地位を固めたい中国政府は、自分たちの国をいっそう世界の人びとのまなざしの中へ押し出していかねばなりませんが、それにともなって中国の影の部分もいっそうくっきりと表に出てくることになるでしょう。
 矛盾に揺れることになるでしょう。

藤田佳代舞踊研究所の創作実験劇場

2008-03-22 21:37:27 | 舞踊
 藤田佳代舞踊研究所のモダンダンス公演「創作実験劇場」が神戸の兵庫県民小劇場で開かれました。
 研究所のメンバーがそれぞれにみずからが振り付けた新作を発表するという、ちょっとほかのカンパニーでは見られない試みです。
 400席余りの客席が満員になる盛況でした。

 研究所主宰の藤田さんの作品は「ひびく」です。
 プログラムの解説では、死者と生者の時空を超えた応答(呼び掛け合い、響き合い)がテーマのようです。
 心の声が波紋となって広がるように、一つの動きが微妙なバリエーションを繰り広げながらダンサーからダンサーへ伝わっていく、その美しい伝播(でんぱ)が心を打つ舞台でした。
 音楽も丹生ナオミさんがこの舞台のために書き下ろしたピアノ曲(演奏=加島裕子、丹生ナオミ)で、舞踊家と音楽家の緊密なコラボレーションがひしひしと伝わってくるプログラムでもありました。

 他の作品にはない深い情感が心に残ったという点で、金沢景子さんのソロ「おどり場」もきわだったステージでした。
 黒い衣装で物思うように踊るダンスは、寂寥感(せきりょうかん)を放ちながらも、どこかに豪奢(ごうしゃ)さの名残りのようなものが漂っていて、エディト・ピアフやビビアン・リーやフランソワーズ・サガンら、成功の頂点を極めながら、決して晩年を幸福に終えたようには見えない、そういう曲折に満ちた女性の生き方が重なりました。

 鎌倉亜矢子さんの「Stargazer」はパントマイムとモダンダンスをミックスした独特の表現で、星の魅力にとりつかれて銀河を彷徨(ほうこう)する、いわば“星狂い”の物語のように読めました。
 宇宙の無重力空間に浮かびながら星にまみれて踊るような、不思議な解放感がありました。

 寺井美津子さんの「埋(うず)み火」は、炎が揺れるような踊りが印象的で、火の祭りのようでした。
 祈りが感じられる群舞でした。

 スペースに限りがあって全部を紹介できないのが残念ですが、ほかに菊本千永さんの「memories」、向井華奈子さんの「満ちる刻」、かじのり子さんの「コピー」、灰谷留理子さんの「残された記憶」、萩原陽子さんの「キツネノヨメイリ」が上演されました。
 また、安田蓮美さんが藤田さんの振り付けで「ハスミ in Autumn」を踊りました。

VALUESTAR故障日誌

2008-03-22 12:28:00 | くらし、商品
 ぼくのたいせつなNECのVALUESTARがマタマタマタマタ、システムエラーです。(午前11時50分)
 見たくもないのに、エラー表示とNECのロゴマークを何回も見せられて、修復に40分を空費しました。
 ぼくの人生のいったい何時間をNECさんにウバわれることになるのでしょう。
 大金を払ったうえに。

屁(へ)のようなお坊さんの声明――全日本仏教会

2008-03-20 00:14:06 | 社会
 チベットの僧侶たちが中国の支配に反抗して暴動を起こしました。
 中国には報道の自由がありませんから、実際にどの程度のことが起こっているのか、よくわかりません。
 けれど、中国の政府が言っているような、小さなものではなさそうです。
 死者も相当な数にのぼるようです。

 この反乱に対して全日本仏教会が声明を出しました。
 全日本仏教会というのは、日本の古くからの仏教に属する102の宗派・団体でつくっている大きな連合体です。
 「チベット情勢についての声明」と題されたその声明の主な部分は次のようなものです。

 「…ラサ市をはじめ中国各地において僧侶・市民と治安部隊の衝突により多くの死傷者が出ている深刻な事態に対し、私たち日本の仏教徒は深く憂慮しています。関係者に対しては、暴力に訴えることなく、対話による問題解決の可能性を模索するよう強く求めます」

 おフロの中でプッと屁(へ)をこいたような声明ですね。
 ポコッと一発アワがはじけたら、それでオシマイ。

 もうちょっと何か言いようがないものですかねえ。
 まるで他人事みたいな、おざなりな調子でしょう。
 宗教者というのは世界の苦悩を自分の苦悩としてリアルに引き受ける人のことではありません?
 この声明にはそういう痛みがまったく感じられません。

 ぼくも仏教徒のはしくれですけどねえ。
 これが今の日本の仏教の現実かと思うと寂しいですねえ。

 プッ。
 ポコッ。
 クッサ…。 

時間のロス、精神のロス――VALUESTAR

2008-03-19 23:08:28 | パソコン
 NECのパソコン機種VALUESTARを購入したのは大失敗でした。
 正常に動いたのは最初の1年だけで、あとは故障に次ぐ故障。
 仕事がはかどらないだけではありません。
 修復に要する時間のロスは相当なものです。
 また故障するのではないかという精神的なプレッシャーも相当なものです。
 時間のロス、精神のロスなのです。

宿命の女たち――河本和子展

2008-03-18 18:57:26 | 美術
 神戸・ハンター坂のギャラリー島田で河本和子さんの個展を見てきました。
 サロメのように男を破滅させてしまう女のことをファム・ファタル(宿命の女)と呼んだりしますが、そのような悪魔的な女の肖像から出発して、花へ、風景へと、制作を発展させてきた画家です。
 今回は島田さんのところで第1回の個展(1982年)を開いて以来の、その絵の推移をざっと展望する構成になっています。

 やはり女の絵にしても、花や風景の絵にしても、どこかに闇をはらんだような厚い作品が目立ちますが、最近の作品の中には「桜」と名づけられた絵のように、重厚ななかにも、ある軽やかさ、明るさがあふれでているものもあります。
 物思いにふける若い女を描いた作品「秋」は、すでに1982年の作品ですが、ここにも非常にみずみずしくデリケートな感覚がのぞいています。

 河本さんのファム・ファタルたちは、もの狂おしいたたずまいで登場してくるにもかかわらず、心のうんと奥底には、とても繊細で傷つきやすい優しさを隠しているのかもしれません。

 なお河本和子展は2月19日まで。ギャラリー島田は078.262.8058
 http://www.gallery-shimada.com/

春の喜びを分かち合う――貞松・浜田バレエ団

2008-03-16 22:30:08 | 舞踊
 貞松・浜田バレエ団の公演「ラ・プリマヴェラ~春」を明石のアワーズホール(明石市立市民会館)で見ました。
 「ラ・プリマヴェラ」は春を迎える貞松・浜田バレエ団恒例の舞台で、いつもは本拠地の神戸で上演されるのですが、今年はお隣の明石市民への初めてのお披露目プログラムになりました。
 有名バレエ曲のパ・ド・ドゥを並べる「名曲コンサート」(第一部)を皮切りに、20世紀を代表する振付家の一人バランシンの「セレナーデ」(第二部)、そして貞松正一郎さんの新作「ラグタイム」(第三部)の三本立ての構成でした。

 「名曲コンサート」ではソリスト級のダンサーや期待の星が次々と高い技術と豊かな表現力を見せてくれます。
 みなすばらしいパフォーマーですが、今年とりわけ輝いて見えたのは、「ドン・キホーテ」のキトリとバジルを踊った廣岡奈美さんと武藤天華さんのコンビではなかったでしょうか。
 武藤さんは2006年の文化庁芸術祭新人賞を受賞した、いま注目のダンサーですが、大きな賞を受賞することがダンサーをこんなにも一気に成長させるものかと、じっさい、深い驚きを経験しました。
 もとから動きのシャープな人でしたが、そこにいっそうの磨きがかかり、表現の奥行きが大きくなって、これはまさしく自信のなせるわざでしょう、気品と風格が加わりました。
 廣岡さんの伸びやかなパフォーマンスも、ひとつひとつが持続の長い残像をきれいに遺して、美しい音楽を見るようでした。

 「セレナーデ」は、ニューヨーク・シティ・バレエのプリンシパルだったジュディス・フューゲイトさんを指導に招いての上演です。
 幾何学的な美しさの奥から深い神話世界が浮き上がってくるような、モダンで神秘な作品ですが、その重層的な構造が無上の透明感とともに表現されました。
 バレエ界の世界的な遺産を、わたしたちのバレエ団がこの神戸で完璧な形で継承していく、その大きな意味は市民にとっても誇りです。(このプログラムの意味については、稿を改めてSplitterechoのWeb版に書くつもりです)。

 「ラグタイム」は、場をパーティーに設定して、そこでの集いのひとときをダンスでつづっていくという趣向です。
 テンポのいい音楽に合わせて、バレエのテクニックを思うぞんぶん駆使しながらの展開です。
 シリアスな作品ばかりではなく、こういうポップなプログラムも軽やかに明るくこなす、そんなレパートリーの幅広さを印象づける舞台でした。