しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

三宮に少し活気が…

2009-05-25 23:25:00 | 新型インフルエンザ
 週が明けて、神戸の中心地、三宮にもだいぶん活気が戻ってきました。
 先週中は九割近くがマスクをつけていましたが、きょうは7割弱くらいに減っていたでしょうか。
 季節性のインフルエンザと威力がそんなに変わらないとわかってきて、市民のなかにもこころなしか、ハラをくくったような表情が見られます。

 学校が再開されて、これを機にワッとひろがるのではないかという不安が正直いってありますが、このまま平穏に移ってほしい、とこれは祈るような気持ちです。
 ざっと1週間ほどの潜伏期があるということですから、結果があらわれるのは来週以降になるでしょうが。

 でもカラ騒ぎの気分が消えて、なにかしら謙虚(けんきょ)な気分が街に漂っているのは、結構いい感じです。
 どうやら自然への畏怖(いふ)の気持ちが戻ってくると、人間の傲慢(ごうまん)さが少し抑えられるようです。

 さて、きょうの神戸は、空にずっと薄雲がかかっていましたが、終日おだやかでした。
 海から微風があったのでしょう、港の汽笛が山麓(さんろく)の高台でもよく聞こえました。

患者実数を知りたい

2009-05-24 22:24:00 | 新型インフルエンザ
 23日時点での新型インフルエンザの感染者は、兵庫県の176人、大阪府の147人をはじめとして、全国で338人と集計されています。

 この数字をそのまま受け取ると、現在338人の新型インフルエンザ患者がいるように思ってしまいますが、むろんそうとらえるのは数字上の錯覚ですね。

 338は感染の延べ人数(この場合は累計)ですから、現時点での正確な患者数を出すには、ここからすでに治っている人の数を差し引かなければなりません。
 感染の実態はむしろこちらのほうにあるでしょう。

 いま神戸市の感染者は103人になっていますが、市民にとってほんとうに知りたいのは、実際の患者が何人になっているかということです。
 その患者実数が増えていれば、感染はまだ広がる傾向にあるということでしょうし、もしその実数が減っていけば、終息の傾向が見えてきたということになるでしょう。
 現在がどちらへ向かっているか、より現実的な判断が個々人でできることになるわけです。

 全国レベルで集計するのは手間がかかるとしても、地域社会レベルでそういう速報を流すことはそんなにむずかしいことではないように思えますが。
 市民に正確な判断ができるように、現在の感染者累計の公表とともに、患者実数の公表システムもほしいものです。

 さて、きょうの神戸はわずかに薄日が射す程度で、午後にはにわか雨がありました。
 その雨雲が東に流れて甲子園球場の阪神―ロッテ戦が降雨ノーゲームになりました。
 夕刻近くの三宮駅周辺は、甲子園から帰ってきたファンの波でひさびさに活気が出ました。
 こんなときにもタイガースは街に生気を注ぎます。

大阪の皆さん、感染高を中傷しないで

2009-05-23 23:00:00 | 新型インフルエンザ
 お隣の大阪府は新型インフルエンザの感染は峠を越えたと判断したようですね。
 しかし、集団感染を出した茨木市の高校が府民の誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を浴びているという話を聞いて、びっくりしました。
 新型インフルエンザの感染は、そんな特定の機関や特定の個人の問題ではないですからね。

 神戸で神戸高校や兵庫高校を非難するような、そんなバカな市民はいないと思いますが、もしそういう人があるとしたら、それは神戸の恥(はじ)です。
 神戸市は少なくとも日本の国内に関する限り、市民意識の抜きんでて高い街ですから、まさかそんな稚拙(ちせつ)な精神はないでしょう。

 がんばりましょう。
 市民全体で、助け合い、心に連帯意識をもって、この試練の日々を乗り越えましょう。

民族を揺るがす魔物

2009-05-23 12:22:00 | 新型インフルエンザ
 新型インフルエンザに、はじめ恐れられていたほどの破壊性がないということは不幸中の幸いというべきでしょう。

 いやむしろ、そんな月並みな言い方ではなく、自然の不気味なメカニズムをそこでとどめてくれたなにものか、むしろこの地球の善意に感謝すべきことでしょう。

 もしこれが鳥インフルエンザそのものであったとしたら、すでに惨憺(さんたん)たる状況に陥(おちい)っていたに違いありません。

 わたしたちがどれほど全力で対応しても、感染はやはり警戒網を簡単にすりぬけて都市の中心部に侵入すること、そしていったん感染が広がり始めるともはや閉じ込めることは不可能なこと、さらに医療機関もたちまち物理的にパンク状態に陥ってしまうこと、それらの事実を今回の新型インフルエンザでわたしたちは見せつけられているのですから。
 
 この状態でもしこのインフルエンザが、死者が毎日出るような強毒性のものであったとしたら、都市機能、ひいては国家機能も深刻なマヒ状態に陥っていたでしょう。
 わたしたちの恐怖もどれほどのものになったか、想像もできません。

 ひとつの大きな教訓をわたしたちは得ました。
 このような新しい感染症は、あの人がかかった、この人がかかった、というような個人の問題ではもはやないということです。
 民族全体を揺るがす巨大な魔物だということです。

 従来の病気であれば、患者と医師の一対一の対応のなかで治癒(ちゆ)にまで持っていけば、それで治療も完結していましたが、わたしたちに免疫のない今度の感染症のような場合は、民族全体が総がかりでビールスに対処しないと、防衛ができないということです。

 民族のなかでの、気配りと優しさと協力が不可欠だということです。
 民族としての賢明さが問われるということです。
 民族の中で、個々人の主体的な思考や判断や取り組みがいっそう必要になるということです。
 責任のなすり合いなどで時間を空費するようなそんな愚行をやっている場合ではないということです。
 (その点、渦中の神戸では育児や介護などの分野で市民の自発的な協力体制があちらこちらで生まれています)

 日本民族が他の民族よりも抜きん出て優秀だと公言してはばからないような“裸の王様”的民族主義は、ぼくはもういたたまれなくなるくらいイヤですが、やはり民族の内部がバラバラのままでは危機を打開できません。
 民族としてのきちっとした姿勢を、理性的に、的確に、愛情深く、打ち出していかねばなりません。
 この危機の時代に、賢明な日本人像をつくろうじゃないですか。

 さて、神戸はきょうはうす曇りで、やわらかな日差しがときどき街を満たします。
 港から微風が吹いてます。