震災復興予算の使い道が問題になっているが、本当に悪いのは官僚だけだろうか?別に官僚を弁護するわけではないが、どの世界でも「現場」を知らない人間に何ができると言うのか?竹中元大臣のように「現場を見てきた」と言って、社長や担当役員からの説明を聞いただけで、「現場」を語るのはいかがなものか?九州の阿蘇の水害でも作業服も着ずに現場を背広で訪れた国会議員への風当たりが強いのは当然であろう。まだ被災間もない時である。その背広でドロの中に入って行き手伝うぐらいのパホーマンスをしてはいかがか?田中角栄方式だ。現場に官僚が近づけなくなったのは度重なる官僚の不祥事によるところが大きい。しかし「大の虫を活かすために小の虫を犠牲にする」1000億円の予算であれば1億円ほどこのような飲み食いに使っても999億円が有効に使われる方が良い。1億円をケチり999億円を使っても効果が上がらない。これが今の社会だ。「小の虫を活かして大の虫を殺す」これが現状である。「コーヒーいっぱいご馳走になるなんて」朝日新聞グループの報道姿勢だ。しかし官僚が現場を知るはずが無い、神さまとは違うのだから。現場に入って自分が汗や油にまみれて、現場を知っているといえるのである。ここの認識がマスコミにも欠けてきた。危険な国の情報は、総て購入。それなのにナゼ各社解釈がこうも違うのか?元は同じきじである。現場にいない人間が、貧弱な想像で記事を編集するからである。現場主義がスタレて来ると民間企業は終焉に近づく、国家はどうであろうか?
大阪市の橋下市長が朝日新聞グループの取材拒否をぶち上げた。原因は橋下市長の出自を調べての批判記事。「ナチスみたい」とまで批判した。しかし朝日新聞グループの回答は未だにない。これは明らかに朝日新聞グループに非がある。しかしこのまま時を過ごし終わるか、極小さい謝罪記事を掲載し終わるかであろう。政治家を批判するのは良いがマスコミを批判する場所がネット上しかないのが現状だ。
故に既存マスコミはネットの功罪の罪を大々的取り上げる。その昔、佐藤栄作首相が「新聞は出て行けテレビは前に来い」と言ったことがあった。新聞がテレビに駆逐された時の新聞の批判を思い出す。他者を攻撃するのは得意でも自分が攻撃されるのは極度に嫌う。ホリンモン事件のヒステリックな対応がそうだ。株式の時間外取引は慣習的に行われていたが、こと自社の株式が対象となるとさも違法のごとく報道した。
今回の橋下市長への対応は多くの国民が見ている。従軍慰安婦や教科書の中国侵略→進出(捏造記事)などの問題をごり押しした行動が、このネット社会で通用するのか?見ものだ。