木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

碓氷峠アプトの鉄路の跡を歩く

2007年06月10日 | Weblog

年金の払い込み記録が消えた!で、日本中大騒ぎ。私も気になるが、今行っても混んでいて待たされるだけ。少しほとぼりが冷めたところで確かめに行こう、などと暢気に考えてしまう。
早く行こうが、遅く行こうが、消えているものは消えているわけで。
それを取り返すには、じっくり構えないと。



今日土曜日は時々雨の降る天気だったが、「碓氷峠アプトの道ハイキング」に参加。廃線になってしまった信越線横川ー軽井沢間の線路脇の遊歩道を歩いた。
1000メートル行って66メートルの勾配がある碓氷峠に鉄路を通し、列車を走らせるには大変な技術と労力がいった。
明治26年に完成した信越線のこの区間は、有名なアプト式という歯車を噛ませて勾配を上る方式だが、時間がかかり、おまけに峠を越える線路はトンネルの連続で、石炭を燃やすエネルギーで走る蒸気機関車では煙に悩まされた。
私は知らなかったのだが、この碓氷峠の区間だけは、そのために蒸気機関車の時代に電気機関車で走る方式が取られていて、そのための発電所と、それを列車に送る変電所が作られていた。
明治時代に欧米の技術者の指導で作られた鉄道を始めとした「近代の遺産」。
時代とともに技術の進歩?で過去のものになっていくものはあるわけだけど、この信越線の鉄路の寸断だけは惜しい。信越線の一番の見所、といっていい高原の風景の中を走る線だけに。
群馬県の松井田町の文化財インストラクターなるガイドの人二人が説明してくれながらの歩きだった。
今の旅は、こうした観光地にある文化遺産をガイドする人たちに、旅行社のほうも積極的に依頼する傾向になっているようだ。
「古きをたずねて新しきを知る」というが、こうした先人の労の跡を知ることで、ただ古いものを捨てて、新しいものに切り替えることが、社会の進歩だとする考え方に待ったがけられて来ているような気がする。



コメント
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