木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「裁判員制度」は公正な報道の上に

2007年12月26日 | Weblog

前のブログで、「裁判員制度」に附いて書いたが、犯罪を犯した人を裁くのはほんとにむつかしい。
「わるいことをやった奴には厳罰を」と、簡単に言うが、その犯罪に至るまでの過程を知れば知るほど、特に究極の刑罰「死刑制度」はどうなのか、考えてしまう。
マスコミが大きく取り上げるので、有名になっている山口県光市の「母子殺害事件」。
被告の言い分は、それだけを切り取ると、「常識はずれ」のなにものでもないのだが。
幼い頃から、親の愛に恵まれず、疎外されて成長した被告の運命は、もしかしたら私のものであり、あなたのものであったかもしれない。
自分がゆがんだ環境に育った場合、罪を犯さない人間に、自分の力できちんとなれると、誰が断言できるだろう。
もう処刑されてしまったが、「連続射殺事件」の永山則夫を思い出す。
ばくち好きの父は、家族を捨てて失踪。青森で極貧の少年時代をすごす。
母は、残された子供と共にがんばって生きていけるような強い人ではなく、母も子供を捨てて出ていってしまう(後に再び一緒になるが)。
永山の兄は、高校時代、交際相手を妊娠させてしまう。生まれた子供は永山の家に引き取らなくてはならなかった。
永山に優しい言葉をかけてくれる人は誰もいない。
就職のために都会へ出てきても、怒鳴られるばかり。
最近でも長崎で銃乱射事件があったし、アメリカではしょっちゅうだが、世の中の底辺で、絶望して、キレタ時、人は、せめて最後は華々しく、世間を騒がせて、逝きたい、と思うのだろうか。
永山は自殺はしなかったが。
貧しさのためにろくに学校へも行かず、自分を表現する方法を知らなかった永山だが、獄中で文章を書くことを獲得し、「書く」事が生きがいになった。
もう死ぬことを考えるより、生きることのほうに希望を見出したのだが。
永山が罪を犯した時、少年であったこと、更生のきざし、いちじるしいことをもって、「死刑判決」がくつがえったが、検察の上告で、上級審で再び「死刑」。
永山の死刑執行は、外部の者から見ると、唐突に行われた、との印象がある。



以前、NHKの「クローズアップ現代」では、知的障害者の犯罪を取り上げていた。
福祉の谷間に落ちている、主に50代以上の障害者が、重罪ではないが、犯罪を繰り返してきた現実がある。
軽度の知的障害の場合、すぐにはわからないため、「仕事が遅い」など、職場で冷たく扱われ、家族にも疎まれる。
行き場を失って、つい盗みをする、というような犯罪なのだが。
こうして見ると、厳罰以前に福祉、そして更正のプログラムこそ必要、が見えてくる。
ところで、こうした現実を、ドキュメンタリーなどとして放送してきたのがNHK。
ニュース報道は、政府広報的だが、「ワーキングプアー」の実態を、広く知らせたのもそう。
そのNHKが、財界人の新会長を、古森経営委員長の、強引と見える手法で決めてしまったのは心配。
視聴者の受信料で、経営が成り立っているNHKだからこそ、国民側の立場に立った番組を期待したいのに、財界の意向で、放送内容が捻じ曲げられ、社会の現実を報道する番組が消えるのでは?とそれも心配。



コメント
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