首相という立場は野次られる存在ではあっても、決して野次る存在であってはならない。
なんという軽い、愚かな人間を私たち日本国民は国のリーダーとしていることか。
こんな安倍政権の支持率が特に下がるわけでもないことが、何度でも書いているが不思議でならない。
当地長野市の善光寺では4月、5月は「御開帳」で賑わった。
回向柱に触れて人々が願うことは「家内安全」だが、その祈りも愚かな政治の暴走によっていとも簡単に吹き飛んでしまうことは、つい70年前の事態が教えてくれているはずなのに。「歴史に学ばない国民は救われない」。
安倍晋三の狂った頭にさらに油を注ぎ炎上させる入れ知恵をするのは誰なのか。
「戦前のような強い日本にする」という狂った信念はあっても、それを法制として具体化してくれる存在がなければ、人をけむにまくような「安保法制案」の文章は作れない。
その連中はどうやら自衛隊関係者より外務省関係者のようだ。
このブログでも何回か触れているが、外務省はまともな外交をする気は全くなくもっぱら税金をかすめ取る「害務省」でしかない。
私が最初に外務省って?と感じたのはペルーでのゲリラによる大使公邸占拠事件だった。「天皇誕生日パーティー」の最中にゲリラに襲われた。ゲリラ部隊の目的は当時のフジモリ大統領を人質に取ることだったらしいが、フジモリ氏はそのパーティー会場にはおらず難を逃れた。
「えっ、在外大使館って、そんなこと(天皇誕生パーティー)やってるんだ」。天皇誕生パーティーなどは大使館の使命ではあるまい。
そう感じていたら、元参議院議員で俳優の中村敦夫さんが自身の発行していた新聞で「在外公館の仕事といえば天皇誕生パーティーとカラオケ大会をやることぐらいだ」と暴露していた。
極めつけはアメリカのイラク侵攻に反対の提言を当時の小泉総理にして辞職に追い込まれたレバノン大使天木直人氏の「さらば外務省」という著書だ。内部事情に詳しく、誰彼をよく知っている天木氏ならではの外務省批判の書だった。
当時の外務省の悲願は「国連常任理事国」になることだった。その先頭に立っていたのが皇太子妃雅子さんの父小和田恒氏だ。
皇太子妃の父という立場で「常任理事国入り」を強力に推し進める心づもりだったのだろうが、雅子さんが長い病のトンネルに入ってしまい、小和田氏自身の影響力は薄れたように見受けられるが、その系譜は外務省の主流だ。
憲法9条の縛りが「普通の国」として日本が対等に認められない理由だと彼らは考えるのだろう。
本当は彼らの外交センスと世界的視野に立った教養の欠如が相手にされない理由なのに、自分たちは庶民とは違うエリートだと思い込んでいる。政治家同様、官僚の世襲化も進んでいて、特に外務省は閨閥官庁だ。税金をかすめ取って蓄財し、特権階級だと自認している。
集団的自衛権行使により「自衛隊員のリスク」が国会で議論されているが、私はそれ以上に自衛隊員が、そしてそれは私たち日本国民が他国の人々を、他国のために殺す罪を犯すことの現実をよくかみしめるべきだと思う。
「日米同盟」を神の意志であるかのようにあがめる安倍晋三とその取り巻きだが、アメリカほど、他国・他民族の存立を危機に陥れてきた国はない。
イギリスから渡って来たその当時から先住民を追い詰め、中南米を意のままにし、ベトナムにまで出張っていった。その後もイラク、アフガン、シリアときりがない。
「日米同盟」これしかないという連中は自分はアメリカ人だと思い込んでいるらしいが、アメリカはそうは思ってくれない。