ギリシャ緊縮策にNO。
日本ではEU側からの報道なり解説に偏っていたので、さしものギリシャ人も「緊縮策」を受け入れるのかと、反対が上回るにしても僅差ではないかと思われたが、結果は「緊縮NO」が圧倒した。
日本のバブル期やアメリカのサブプライムローンの破たんが思い起こされた。
「晴天の時に無理やり傘を押し付け、土砂ぶりに傘をとりあげる」と言われた「貸し手責任」がこのギリシャ経済の破たんの背後の問題なのだと思う。消費者金融の債務過多の地獄に落ちる事態にも似ている。
貸してくれるからといって自分の身の丈を越えて借りてしまったギリシャの政府と国民の体質も責められなければならないのだろうが、責めていても何も解決しない。
実際EU側が提示した緊縮策は低所得層により厳しい生活を強いるものだった。
そこで「反緊縮」を掲げて登場したのがチプラス政権だ。市場原理主義的なEU側はチプラス政権を嫌うが、嫌う政権を登場させてしまったのはEU側だ。
実際、とても返せないほどの借金問題を解決するのは借金を棒引きするか、返済期間を大幅に延長するしかないのだ。
それにしてもギリシャは最大の国難を迎えているときに実に力強いリーダーを得たものだ。
チプラス首相はその若さと大衆を惹きつける弁舌と雰囲気は一見、大阪をかきまわした橋下に似ていなくもない。
しかし中身が違う。チプラスは若くして左翼思想に目覚め、政治活動家としての道を歩んできたが、橋下は庶民の味方のようなふりをして、裏で権力と手を結び、自らも権力を手にした「詐欺師」だ。
チプラス首相とバルファキス財務大臣は最強コンビかと思ったが、「緊縮NO」が選択されたのを見届けてバルファキスは辞任した。
これからの再度のEU側との交渉に強面の財務大臣はふさわしくないという判断があったらしい。
マルクス経済学者ということだったが、ゲーム会社の役員の経歴もあり、人脈的には新自由主義者との交流の方が多いとされ、ちょっと謎のある人物だ。
1980年前後、30年以上前、ギリシャのピレウス港からエーゲ海の島々をめぐるクルージングに参加したことがある。
成田空港の開港直後で、日本人が大挙してヨーロッパの国々を旅し始めたころだ。ちょうど今の中国人観光客のように。
アテネ神殿には日本からの観光客がいっぱいて、別々のツアーで来て、そこで知り合いに遭遇している人もいた。
近畿ツーリストと車体に日本語で書かれたバスまであって驚いたものだ。ギリシャのバスを専用借り上げして客を案内していたのだろう。
そのころ、日本国内では日用品も電気製品も質の良いものが十分出回っていたので、今の中国人観光客のように日常生活品を「爆買い」する人はいなかったが、あか抜けない団体客であったことは間違いない。
ギリシャもスペインもイタリアもせかせかした日本と違い、のんびりした雰囲気で、だけど先進国には違いなく、いいところだと感じた。
そんな南欧諸国もグローバル資本主義に翻弄され、かえって貧しくなってしまったのだろう。
罪はギリシャ国民にあるというより、その仕掛け人の方にある。