木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

憎悪を平和で包囲

2015年09月15日 | Weblog

常総市の洪水被害
「安保法制」を云々している場合じゃないと思った。日本中あちらこちらで自然災害が次々に起こっていて、自然の摂理は防ぎようがないが、それに対処するのは人がやらねばならないことだ。
個人個人はもちろんだが、国土を守ることは国の第一義の仕事のはずだ。
それをほったらかしてというか、いい加減にしておいて、他国の紛争の加勢にでかけるなどもってのほか。
すべてがあっという間に流されていく映像に接して、このような洪水状態になったとき、原子力発電所は大丈夫なのかとまず考えた。
福島では除染した土を入れた袋が今回の大雨で流されたという。汚染物質が拡散したわけだ。

地方議員・議会の役割
私の住む長野市ではこのほど市議会議員選挙が行われた。
39名の定数にたいして41名が立候補。過去最少の立候補数だという。
議員に立候補するということが、普通に働く人にとってハードルが高く、したがって候補が固定化し、人々の関心も薄れる中で、妙な野心だけが強い、号泣議員や女性議員や職員に対してセクハラ言動を繰り返すような世間一般よりモラルの低い人間の集団になってしまっているという現実。
しかし希望がないわけではない。今回の安倍政権の強引な手法の「安保法制」ごり押しに異議を申し立て、廃案、慎重審議の意見書や議会決議を上げる市町村が増えている。
今こそ地方議会が危うい国の方向をただす旗になる時だ。
先の大戦争の時代には地方の役所が国に忠実に戦時事務をおこなったわけだが、今回の「安保法制」、たとえ数の力で押し切ったとしても、憲法違反そのものであるのだから、国のいうことを聞かなくても罪には問えない。

平和を願う人々で包囲を
私は地元の信濃毎日新聞と中央紙である朝日新聞の両方に目を通しているが、意見投稿欄を見ると、信毎のほうは「集団的自衛権で抑止力を」という意見はめったに掲載されないが、朝日では堂々と名前を名乗って「安保法制賛成」の意見を述べる人の掲載数が反対多数の中でバランスをとるかのように掲載される回数が多いように感じる。
これらの意見を読んで、この人たちを説得するより、武力より対話をと考える人を増やし、その壁で、抑止力をという勢力を包囲することのほうが生産的だと思った。
圧倒的多数の人は戦争より平和を、憎悪より融和をのぞんでいるはずなのだ。少数の憎悪待望を無力化することが大事だと感じる。

コメント
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