木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

出世をあきらめれば佐川氏にも選択肢はあった

2018年03月24日 | Weblog

官僚はAI
連日ワイドショーは財務省の役人たちが「なぜこんな誰が考えてもあり得ない犯罪を粛々と?犯したのか」をクローズアップしている。
テレビを見ている人達は官僚といえども自分達と同じ人間、と思って理解しょうとするもののわからない。私が思うに彼らはAIみたいな存在ではないかと。
AIは想定された範囲ではほぼ間違わない。しかし想定外の事が起きると急に調子が狂ってわけのわからない行動をしだす。
「官僚の皆さんは優秀な人達」と司会者は視聴者に刷り込む。確かに記憶力とか学校で勉強するような決められた範囲のことを理解する能力は人よりあるかもしれない。しかし想定外に極端に弱い種族なのだと思う。
籠池氏のような癖の強い人物が時の総理夫妻との親交を背景に「何とかならんのか」とねじ込んで来ると仰天してしまう。「何とかなりません」と答えるものの、日本会議という右翼組織や自民党の政治家などからも責められると、一役人の分際で立ち向かうことはむつかしい。
組織に所属するということは役所でも企業でもその他の団体でもその組織に逆らわず騒動を起こさず生きるという生き方を選ぶということなのだ。組織に属さずフリーで生きるということは生活の上でも精神的にも誰もが選べるものではない。
理財局長として答弁に立たされた佐川氏の答弁は「ふざけてんのか!」と全員が叫んでもおかしくない茶番劇であった。彼はそれを必死でやってのけた。出世のために。財務省に理不尽を強いた安倍政権がしばらく続くと考えたのだと思う。逃げ切れると。眼の前の出世だけを考えて生きて来た人間にとって「将来これは必ず問題になる。このような無理筋がいつか世間の前に明らかになるかもしれない」という俯瞰的な目でこの問題を考えるという選択はあり得なかったのだろう。
優秀、優秀というが、大学を出た時点で就職先に官庁を選ぶということはもう決まったコースをミスせずに出世を楽しみに生きていくという人生を選択したということで、それはそれで非難されるべきものではないが、出世のためにルールを曲げ、人々の嘲笑にさらされることはしないという選択肢は佐川氏にもどこかの時点であったはずで、彼もまた法を犯した当事者として罰を受けねばなるまい。

コメント
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