木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

最後の無頼派作家西村賢太

2023年04月30日 | Weblog

4月最終日。朝のうちは雨模様でしたが、昼過ぎは雨はやみました。花曇りでお出かけにはちょうどいい。
私は混む時期には出かけない。用もないし。
昨夜はNHKETVで、作家西村賢太の特集番組を見た。彼の人生は小学生時代父が起こした性犯罪事件(具体的にどんな事件だったか触れていなかったが)痴漢程度のものではない強姦事件だったか、で暗転した。中学時代の同級生が、とにかく自分の存在を消すかのような感じだったと回想している。
中学卒業後、高校へは進学せず、港湾労働の仕事に就き、その日暮らしの生活を送る。
西村氏に限らず、身内が重大事件を起こすと、家族はそこにはいられなくなり、それこそ生活が暗転する。西村氏もまだ子供だっただけにどうすることもできない事態だったろう。読書だけは大好きで、それだけが慰め。古本屋通いで自分を慰めた。自分の中に父と同じ血が流れているという自覚が正業に向かわせなかったのだろうと推察する。
石川県七尾市出身の大正時代の作家、藤澤正造に惹かれた。藤澤も破滅的な無頼派作家で、最後は公園のベンチあたりで横死した。私はこの作家を知らなかった。七尾に墓がある。親族が建てたのだろう。よく墓参りに訪れ、菩提寺の住職に頼んで藤澤の隣に墓を建ててくれるよう頼み、実際隣り合わせに眠っている。西村は芥川賞を受賞するという幸運にめぐまれたが、最後まで無頼の生活を送った。無理難題を言う作家で、担当編集者は悩まされるが、それでも最終的にそれに付き合い、西村の寄る辺になった。
西村の墓には花が絶えず、酒好きの彼を偲んでカップ酒が供えられ、墓の前でいっぱいやる人もいるようだ。そばにいるとやっかいだが、偲んであこがれるにはちょうどいい。最後の無頼派作家の称号がある。

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