民主党小沢代表が辞任の記者会見。
自民党との大連立を役員会で拒否され、それは「自分への不信任と受け止める」というんですが、この人の言動は、私にはよくわからない。
ただわかるのは、福田内閣は「やる気ない内閣」だということ。
前総理の安倍さんは、「やる気」だけはあった。中身がともなわなかったけど。
福田さんは全然やる気なし。お年もお年ですしね。
先週の守屋防衛省前事務次官の「証人喚問」。
10年間で200回以上のゴルフ接待。よほど接待でのゴルフが好きな方。つまり人の金で、防衛商社だから、回りまわって税金=国民のお金で遊ぶのが好きということ。
これ役人の習性ですかね。守屋氏は役人の中でも際立って、そういう意味では「鈍感力」のあるタイプ。
それほどの接待を受けて、「接待を受けた相手に便宜を図ったことはないのですか」の質問に「そういうことは一切ありません」て、言えるのも「鈍感力」。
こんなやり取りを見て、国会での証人喚問とか、参考人尋問とかのあり方を考えてしまった。
裁判所じゃないんだから、もっと別な切り込み方、質問をして欲しい。
「便宜供与をしましたか」と聞かれ、「はい、しました」と答える人はまずいないだろう。
テープとか動かぬ証拠がないのだからとタカをくくっているのだろうし、こんな問答していても仕方ない。
私は国会中継など熱心に聴くことはないが、どうも国会というところというか、地方の議会でもそうだと思うが、「形式的な場」になっている気がする。
明治の帝国議会開設以来の形式をかたくなに守っているのでは。
国会への新参者を、古手の議員や、職員は、お得意の「形式的儀式」で、煙に巻いて、おとなしくさせる手段にしているようだ。
官僚ほど無責任で、恥を知らない種族はない、ということも痛感する。
国会で尋問を受ける直前に自殺してしまった松岡農水大臣を思い出す。
別に守屋氏に「死ね!」と言ってるわけではないけれど。
松岡氏もまた、関係業者と癒着した議員だったが、政治家は官僚と違って、「選挙」で選ばれてきたという意識があり、背後の選挙民のことが頭にある。
1部の癒着業者だけの力や票だけでは、当選することはできない。
支持者の中には、松岡氏を信じて、投票したり、選挙応援活動をした人もたくさんいたわけで、それがなければ小選挙区を勝ち抜くことはできない。
その重みが松岡氏を押しつぶしたわけだが、松岡氏も政治生命を絶つ覚悟をすれば、実際の生命を絶つ必要はなかったのだが。
官僚は国民に選ばれているわけではないし、国家公務員試験で選ばれたら、後はその役所内での人間関係に気を使うことしか考えない。
防衛省と防衛商社、そして兵器製造会社は、丸ごと「身内感覚」なのだと思う。
そこは国民の生活にはなんの関係もない「聖域」だ。
武器を捨て、軍事力に頼らない、21世紀の人類の課題だ。