さて、
http://kazeninaranaika.seesaa.net/article/3975101.html
この話です。まったく彼女は鋭いというか、よく見ています。
ここの会話で、実は自分でかなりアフォだったと気がついたのです。
なんというか、お気楽あたま。
だってデッカードがレプリカントかも知れないというのはディックならやりかねないからなのだ。
というよりも、そういうことをやるのがディックなのだ。
ディックの話では確実なことなど何もないのだ。
お父さんはお父さんもどきと会話してるし、誰が死んでいるのかも、いや死んでいないのかも分からない。
実際、リドリー・スコット(監督だよ)はインタビューで、デッカードをレプリカントとして描こうとした、と言うことをはっきり言っているではないか。
ぼーー。
だいたい、私のあのディックワールドはなんなのだ?
「そこのあなた、あなたは自分のことを人間だと思っていませんか?」
「わははは。それはそう思うようにプログラムされているのです。」
と自分で書いておいて・・・。
もともとデッカードをレプリカントにするというのはは脚本家が考えていたことだったようです。リドリー・スコットはそれをはっきり出そうとしたのだ。
でも、ぼかすのがいいのではないか、ということになった。
さらには映画会社が、ハッピーエンドにしてしまった。
私がデッカードを人間だと思い込んでしまったのは、原作のエンディングと、多分、続編の小説「ブレードランナー2」を途中まで読んだせいなのだ。
(途中までしか読んでいないから、実のところよく分からないのだ。)
で、さらには私は例の学生さん以外の人とも、一緒にこれを見たことがあるんだけど(なんでだか忘れました)、その人は思いっきりヒューマンなドラマとして見ていたのだ。
そういう影響もあったに違いない。
で、私の映画の見方も問題だ。
(映画にもよるけど)本筋よりこまごましたしかもどうでもいいようなところを見ているのだ。
(もちろん、スタッフが作っているのだから意味はないわけではない。例えば本の売店らしきもの。店頭に並ぶ本の表紙はちゃんとデザインされているとか、ネオンサインの広告に乗った企業はいくつあるのかなあとか)
しかも思考していない。
本を読むときはまだしも映画を見るときはほとんど頭使ってないのだ。ううむ。
したがって、小説には求めないハッピーエンドを結構期待していたりするのだ。
(別にそれはそれでいいけど、自分としてはやはり問題なのだ)
何より酷いのは、おそらくは原作を読んでいた最中に生じたはずの疑問(あるいは期待)を、読後、すっかり忘れきっていたことだ。
内容の細かいところを忘れるならまだしも、自分の心象すら忘れるかね。
う、ひょっとしてこれもプログラムされているのか?!
(いや、私はほとんど写真は撮らないから、ちがうような・・・)
さて、再び
http://kazeninaranaika.seesaa.net/article/3975101.html
彼女はやはりレプリカントなのだろうか?
私は自分がレプリカントであることを彼女に気付かされてしまったのか。
It's time to die. という日は近いのか?
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