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昨日の道徳の教科書のバカ検定の話の続きであす。
まず参考資料。
15年5月23日に一度出していますが、首相官邸のサイトにあるページの一つを。
これは森内閣時代のものなのですが、教育改革国民会議という非常に頭の悪い会議がありまして、随分回数を重ねたようですが、第4回の時の資料。
教育改革国民会議第1分科会(第4回)
行政
子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう


昔のものではあるけれども、都合の悪いものはすぐに消す現政権が今も残しているということは「問題ない」のですよね、これ。
まず、これを踏まえて、
さらにもうひとつ前置き。

本来、倫理と道徳はだいたい同じものと考えていいかもそれませんが、ここでの「道徳」は「日本の道徳」の意味です。
倫理は倫理です。
ちょと過去ログ
倫理と費用対効果(1)
倫理と費用対効果(2)

ぼくらの社会などは基本的に継続することを前提にしていますが、その社会を(出来るだけ良い形で)継続していくためになる規範らしきものが「倫理」であるということですね。
別に「良い子でいなさい」という話ではないです。それは「日本の道徳」のほうです。

会社であれば利益は必要だけれども、そのために「ぼったくり」をやってしまっては一時的に利益は増えても後が続かないわけですから、ぼったくりは非倫理的な行為となるわけですが、そうすると顧客に対して良心的であることは倫理的だということにあるわけですが、それもただ安くすればいいというものでもないわけですね。
そこそこの利益を確保しながら顧客にも良いことをするのが正しい道でしょう。
もちろん顧客と会社の利益だけでなく、従業員に取引業者など関わる人たちの皆の利益になるというところを考えていくのが倫理的でしょう。
それは、誰かが教えてくれるものではなくて自分たちで考えて、それをを積み重ねたり修正したりして行くものですよね。
それが「倫理」です。
「国家」でも「社会」でも同じで、一人ひとりの幸福を図りつつ継続して行ける社会を考えていくわけですが、当然みんなが考えるべきですよね。
あれこれ言ってますが、重要なのは「自分で考える」「自分で判断する」なんですよね。
倫理とはそのようなものであるはずなのですが・・。

日本ではそうはなっていない。
「倫理=道徳」みたいなことになっていて、いや本来はそうですが、その日本における「道徳」が倫理とは全く異なるどうしようもない代物だと。
つまり、日本の道徳というのは「道徳の時間」なのですね。
偉い人が下々のものたちに「君たちは偉い人(私たち)の言うことをきくんだよ」というのが日本の道徳ですね。
「家畜道徳」というべきものです。
飼い慣らすための「道徳」。
しかも今度から評価が入るということで、成績に影響するわけですから大変です。
おそらくまじめにものを考える正直者が一番しんどいでしょうね。

このような「洗脳」は効果があるのか、ですが現在のアベ周辺を見れば明らかです。
自民党の議員はアベ批判すらできません。
20世紀の自民党ならこんなことはなかったですね。もちろんあんなバカを総裁にすることもなかったですけども。
この人たち、競うように忖度しますよね。
アベ様に高い評価してほしいのでしょうね。
(これからはそんな小学生が出て来るのかな・・)
官僚を見ても明らかですね。忖度しまくる官僚。
忖度するならせめて国民に忖度してほしいですが。
官僚は非常に優秀な上級家畜ですね。アイヒマン級と言えると思います。
アイヒマン級の家畜官とでもいいますか。
日本にはこういう人、たくさんいますよね。

最も下級の家畜がネトウヨ様たちですね。
搾取されるのがうれしいという洗脳度は高いといえますが。
ネトウヨというのはほんとうに政治家を自分たちの飼い主様のように見ていますからね。
だから、彼らから見た「サヨク」(つまりぼくらのようなだいたい「反アベ」な人々)にとっては野党の議員は飼い主だと思っているんですね。
ぼくらは自分(たち)が主権者であるという意識がありますからね、議員は一般市民のために働く人という認識になるんだけど、ネトウヨ様にはその認識が理解できない。

アーレントがアイヒマンについて「悪の凡庸さ」を指摘した件ですけど、多くの日本人はあれ、普通のことだと思ったのではないですかね。
この国では普通でしょ。
「偉い人」(まあ、地位の高い人とかですけど)に忖度するのは実に日本ではふつうのことですからね。
そしておそらくネトウヨの類は「それの何が悪いのか」となるのだろうと思います。
内容によりますよね。
悪いことか良いことか、倫理的に自分で判断すればいいわけですが、それが無いのが日本なのですね。

1980年ごろ
エルトン・ジョンの誕生日なんだ
Elton John- Little Jeannie

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道徳の教科書の初検定があったというニュースが。
あべチャンネルより
「道徳」教科書の初検定
小学1年生のある教科書では、申請段階では、物語に友達の家のパン屋を登場させていましたが、「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切だと意見がつけられ、教科書会社は「パン屋」を「和菓子屋」に修正しました。
これについて、教科書会社は「日本文化であることをわかりやすくするため和菓子屋に修正した」と話しています。
道徳の検定では「家族愛」や「生命の尊さ」など22の項目を国が盛り込むよう定めていて、教科書会社の中には、「家族愛」を記述するにあたり、母子家庭の増加など家族が多様化するなか、国が求めるのバランスが難しかったと取材に答えたところもありました。


パン屋が日本文化であることをわかりやすくするために和菓子屋に換えられたと話題になっております。
他にもアスレチック公園で遊ぶ子どもたちの絵が和楽器の絵に差し替えられたとかもう意味不明。
これからはラーメンが中華そばにというのはすでに結構ありますが、パスタが伊太利そばに?
ファーストキッチンは第1台所に?
森永のキャンディーが森永の砂糖漬けに?昭恵夫人はどう思うのでしょうか。

「長いのにマカロニ」ということわざは「長いものには巻かれろ」になるのでしょう。
サッポロファーストはサッポロ一番になるんですよね。
(この段落はフィクションです)

一番困るのは村上春樹でしょうか。
「パン屋再襲撃」→「和菓子屋再襲撃」
これはきつい。
いやまあ、実際にパン屋を名乗っていると襲撃される危険は出て来るかもしれませんね。
表向きは和菓子屋を名乗り店頭の硝子製の陳列窓には和菓子の標本を収めつつ、奥の方ではパンを売っているという闇パン屋など。

しかね、言葉を無理やり日本語風にするという遊びはたまにやったりしますが、これはもうビョーキですね。

「家族愛」の類というのはいかにも日本会議的ですね。
そういえば、親子断絶防止法なんてありましたね。
名前はDV加害者優遇法にすべきですよね。
絶滅危惧種の乱獲が得意な大和民族が「生命の尊さ」などというのも片腹痛いです。
今はなぜか右肩痛いですけど。

戦中のように敵性語禁止みたいなことになると、頭がおかしい人は中国と戦争中であるかのような妄想にとらわれますから、ラーメンはもちろん、音読み禁止などという事態になりかねませんね。
この場合、むしろ語彙の少ない自称愛国者様が苦しむのではないかと。
そうすると「本」(実際は知性)が気に入らないおバカ様が出てきて、焚書など始まったり。
当然彼らは韓国が嫌いですから焚書坑儒が現実に。
治安維持法で共産主義の研究していた哲学者が引っ張られて最後は獄死したことなど考えますに、外国(のあらゆること)に詳しい人が逮捕されて、わー国は閉じたバカ空間になるでしょう。

いやまじめな話、バカなイカレポンチが好き勝手にやる国になっていますね。
噂では日本会議は、一時は中川昭一を首相にしようと思ったらしいですがアベ君の方が「真っ白いキャンバス」ということでアベ君にしたと。
つまり頭空っぽということですが、空っぽすぎたんですね。
ついでに言うと、単純に頭が空っぽなだけなら、こんなにおかしい国にはならないのですけどね。
賢くても器が大きくてよい人であれば、むしろいい国になるかもしれないのですが、そもそも日本会議が実に偏狭で悪意に満ちた人たちの集まりですからね。

大幅に話がそれましたが、本題は倫理の話でした。
しかし、もうかなり長くなったので残りというか本題は全部明日。

1980年ごろ
イーグルス
Eagles - The Long Run

Eagles - Heartache Tonight
「前2作の出来が良すぎてプレッシャーがかかりまくる中、ここらでそんなに無理しないことに、というか緩くやることにしたイーグルス」と当時は思っていたんだけど、違うのかな。

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