表現の自由って、あたりまえのことなんですけど公権力から弾圧されないという意味合いですからね。
「サヨクに文句言われたくない」という意味ではないのですよ。
文句言うのも表現の自由ですよね。がはは
ようするにあの界隈の「表現の自由」というのは個人が好き勝手に何でもやりたい(しかも批判されたくない)というレベルの話で、まったく本来の「表現の自由」とは全く別物なのです。
実際にはこの国では長年に渡って左翼やリベラルが表現の自由を守ってきたのですよね。
一貫して表現規制に反対してきたのは福島瑞穂さんとかでしょ。えだのんとか。
規制したくてやまないのは自民党です。
家畜にはそれがわからんのですよ。
そもそもろくでなし子を逮捕したのは公権力ですからね。一般市民には(緊急時以外)できません。アホだからそのへんがわかっていないでしょうけど。
ナニを3Dコピーしてアダルトショップで販売したなんてことにリベラルや左翼が怒ったりしません。まあ、一部の潔癖な左翼はわからないですけど、それでもおそらくは、公権力の横暴だという批判になると思います。
誰にも迷惑かけていませんから。
当然、リベラルや左翼は逮捕に強く抗議して、右翼はおおむね「ざま~」だったのですが、まあ、アホだからわからないでしょう。
表現の自由を誰が守ってきたのか、エロい人にはそれがわからんのですよ。
しかし、津田大介でも「マイノリティ特権」という言葉が明確な差別語であるという認識にはならないのですね。これぐらいはっきりしているのは珍しいのに。
言葉の成り立ちを考えれば明らかです。
「在日特権」という言葉を踏まえて(だから思いついたわけだし。)最初から差別を目的として作られ使われた言葉です。
例えば「支那」という言葉はヤフーでNGワードになるし、今、変換できないのでコピーしてつかってますが、もともとは普通の地名だったわけですよね。
それが差別的に使われるようになって行って今では一部で禁止されるような言葉になっていますが、「マイノリティ特権」は最初から差別語です。
「ぱよぱよちーん」で叩かれて切れただけという説もありますが、叩いていたのは主に反差別クラスターであって別にマイノリティ主体であったわけではないですよね。にもかかわらず反差別クラスターに対する侮蔑ではなく、「マイノリティ」を対象にしたのは、立場の弱い相手を叩くことで一層の効果を狙ったのでしょう?さもなければそれしか思い浮かばなかったからです。
しかも、あとから反省もせず自分で説明しているではないですか。その説明文が歩道に貼られたやつですね。自分の差別の意識を明確に説明した分で、これは差別でなければ何が差別なのかね。
ろくでなし子はただバカなだけだという説もありますが、レイシストは全員もともとバカなのですよ。
その多くは頭悪いからネットで真実とか嫌韓本とか読んでまずは無自覚に差別するようになり、その後、現在にいたっているわけです。
一般的なおバカレイシストの道を歩んでいるだけです。
それとも「チョン氏ね」(変換かえてます)とか言わないとレイシストにならないとかそういう基準ですかね。
あ、もう一人の表現の自由戦士・柴田さんですが、あの人もばかなんですね。いや、自分では「芸術家だしなんかこう普通じゃないこと言って受け狙おうかな:ぐらいの認識で言っているのではなくて、ガチでおバカでした。
事実に対する認知が完全におかしい。というかネトウヨ。
さっき津田が出てきたのでついでに東ですが、安定のバカです。
マーク 千葉 東
毎度のパターンで、何かあった時に津田が素早く正しく反応すると、しばらくして東が逆張り。
アホのアイデンティティなんでしょうかね。
しかし、ツイート踏んだぐらいで何でそんなに発狂するんですかね。踏まれたら気持ちいいとか?
なんかナンシー・シナトラは踏むのが好きみたいですよ。
These Boots Are Made For Walking
お前ら、相性良くない?
ブーツのヒールで死ぬほど踏んでもらえばいいと思う。
上のもそうですがマーク・ウインチェスター氏が東のスクショ撮ってて便利。
マーク 東1
マーク 東2
これ見ると、要するに何も知らずに何も調べずに適当なことを言っているということがわかりますね。
普通、優性遺伝の「優性」が実に不適当だということぐらい知ってるだろ。
知らないと為末大みたいなことになるで。
東はアホなのでこのへんにして、運動とその主体に関する認識。
まずですね、「反差別」運動は左翼の運動ではありません。人間としての運動です。これこそ右も左もありません。
ここは人として外してはいけない部分だと思います。
実際のところ、以前活動していた「しばき隊」はむしろ右翼ですよね。
野間っていかにもそうだし、菅野もはっきりそうでしょ。
だいたいこまめに街に出てあれこれやるのは主に右翼ですよ。
だからむしろ左翼でカウンターになじまない人もいるわけですが、そういう中でカウンターのやり方に文句だけ言って行動しない人は、へサヨと呼ばれます。
再び東方面で。
ここにきて「ネトウヨはポストモダン」とか脱構築とか言い出す人が出てきましたが、パクリかよ。あ、いやそこはどうでも良くて、東を見てるとやっぱりなあと思うのであります。
やっぱりわからないから、ドッチモドッチにするんですよね。
いや、何かをやるにあたって「相対化」と言う行為は一応は必要です。
真面目に何かをやろうとした時、それがカルト宗教的なあるいはファシズム的な世界に陥らないように、どこかおかしいところはないかという確認作業をしないといけません。
その一つとして「相対化」もあります。
だから「そういう考え方もあるかもしれない」というのは常に「あり」なんですが、ドッチモドッチャーは全然どうでもいいものと比べてみたり、あるいは比べて終わり、ですからね。
ただ相対化してお茶を濁すのが目的化している阿呆なだけなんですよ。
「差別は良くないと思うけど~」で始まる言説群とか。
三浦ルーリーとか東八郎でなくて誰だっけ?とか、そういうの。
上の優性・劣性の話、なんもわからんのに口出しして間抜けなことになってますね。あれ。
「違う意見を言ってみる」と言うだけなんですね。
あれやると、ツイッターあたりではアホな賛同者が出て来るので、とにかく何でもいいから違う意見を言ってみることが目的化しているのですね。
それは変なクスリとあんまり変わらないのではないでしょうか。
もしくは変なシュ―キョ―。
ぼくちゃんタイプだと教祖は1日やったらやめられないかもしれないね。
メンタリスト見てたら、これ(第3楽章)の練習してた。
Tchaikovsky - Symphony #6 - Mravinsky
オケの人が殺された事件なのだ。
Brahms - Violin Concerto mv.3 - J.Fischer
あと、殺された人が弾いてた。


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