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仏教は平氏が活躍する平安末期でも政治とのかかわりが強く、国家を守護する祈祷を行う役目をになっていた。
その僧侶集団が朝廷と結びつき、権力を強め、さらには、荘園経営などで、財力を蓄え、強力な寺院勢力となっていった。その中で、寺院護衛の目的で生まれたのが僧兵です。
そのいでたちは、白麻の小袖に白のくずのはかまを履き、腹巻をつけ、黒麻もじの素絹を着て、右手に薙刀(なぎなた)ですが、時には大よろいを付け、太刀を持って戦うこともあったようです。
1180年の12月に平氏による南都(大和興福寺)焼き討ち事件が起こる。これによって、東大寺、興福寺が類焼、大仏殿も焼け落ちた。
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