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江戸時代の金持とは

2015-07-06 05:05:50 | 文化

小判や大判には横線が刻まれています。これは米俵からきています。当時、武士の給金は石で表されていたので、小判や大判の形も米俵を模して、楕円形に,ワラの模様を表しているのです。

井原西鶴の[永代蔵]出は銀5百貫より分限と言えり、千貫の上を長者といへりーーーとある。ここでいう分限とは分限者=金持ちのことである。銀60匁が1両として考えれば、銀500貫は8330両、銀千貫は16660両になる。つまり千両箱16個というわけである。

千両程度の資本では大した商店は開けず、借家で商売している店がほとんどであった。大店になると10万両、50万両の資本が必要であったようです。50万両といえば千両箱500個です。


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