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1943(昭和18)年4月18日
山本長官の行動予定
午前6時ーラバウル基地出発してブーゲンビル島などの前線基地を視察する山本長官のスケージュールは4桁の暗号数字で視察先に無線で知らされていたが、米軍はこの暗号電報を全て解読して、当日16機のP-38戦闘攻撃機でブーゲンビル島ブイン上空でまちかまえて、2機の一式陸功を撃墜した。
生還したゼロ戦6機のパイロット運命は悲惨であった。懲罰的な連日の出撃命令が下り、4名がソロモン沖の上空で憤死、一人が鹿屋基地上空の空中戦で死亡、残りの一人は空中戦で右手首を失った為、日本に護送され、命はたすかった。この懲罰的な勤務は現在社会に通じるものがあります。
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