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八重の桜 14年の結婚生活

2013-09-01 06:09:29 | 歴史

 新島一家は、結婚した時は京都御所の東側に位置する、新鳥丸頭町の借家で暮らしていたが、明治11年9月には南隣に完成した旧新島邸に引っ越した。

八重夫婦が新居に移ったころから襄は伝道や公演、大学設立運動で家を留守にすることが多かったが、2人で会津へ旅行もしている。

明治20年に襄の父が亡くなる。翌年の1月には襄が心臓病で倒れる。神奈川県の大磯で療養生活を送るが、23年1月23日八重に見取られ永眠する。最後の言葉は狼狽するなかれ、グットバイ、また会わんであった。


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