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16歳まで鞍馬山で過ごした牛和が五条の大橋で弁慶と出会う場面は有名ですが、しかし「義経記」では五条天神になっている。牛若産湯の井跡近くに御所の橋というのが、五条の橋に変化したとも言われている。
義経といえば弁慶ですが、この武蔵坊弁慶に関しても一般に言われているような弁慶が実在したのか疑問です。〔吾妻鏡〕に弁慶の名が残っているのは文治元年(1185年)11月3日と6日だけである。すなわち義経や弁慶一行200名が京を追われ、6日に大物浦から船で船出したが、しけにあい、離散、和泉浦に着いたとき義経に従うものは、弁慶、伊豆有径、堀景光、静の4にんだけであった。したがって、有名な鞍馬天狗の物語や北国落ち、衣川の戦いなどには弁慶の名前はまったくでてきません。
このように、義経や弁慶に関しては不明な点が多いので伝説的な物語が生まれたのかもしれません。
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