石を階段状に積む方形の墓は4~5世紀の朝鮮半島を中心に作られていたが、これまでわが国では発見されていなかった。
蘇我氏は物部氏を滅ぼし、勢力を拡大していったが、蘇我入鹿の時代に大化の改新によって中大兄皇子と中臣鎌足により滅亡される。日本書紀には蘇我一族は極悪一族のように記述されているが、後に改竄されたようだ。
今回のピラミッド型の墓が蘇我稲目のものではないかといわれるのは蘇我氏は百済からの渡来人ではないかといわれている。というのは蘇満智→韓子我→高鹿→稲目→馬子と朝鮮半島に深くかかわりのある名前が使われているからである。そして当時の朝鮮半島ではピラミッド型の墓が作られていた事と蘇我稲目の没した年代(570年)と墓の規模を考えれば一番妥当である。
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