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聚楽第は秀吉により、堀は埋められ、徹底的に破壊されたので、これまで聚楽第の遺構は見つかっていなかった。それが京都府警の宿舎立替に伴う発掘で、地下6メートルから発見されました。発見された石垣は高さ2メートル、長さは30メートルの一部と見られます。
先日行われた石垣見学会には多数の歴史マニアが詰め掛けたそうです。
淀君が秀頼を生んだ後は甥の秀次に謀反の疑いをかけ、高野山に追放、蟄居、切腹させ、女、子供を含む、関係者の数十人を惨殺し、聚楽第は徹底的に破壊されたので、これまで聚楽第の遺講波発見されていなかった。
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