一昨日、所用で上京した帰り、車中で読んだ、佐伯啓思京大大学院教授の
「昭和初期にみる二大政党政治の崩壊」(ウエッジ8月号)の中から、
…前略…
1936年には再び民政党と政友会を軸にして総選挙が行われ、政友会は敗北し、民政党が勝利した。しかし民政党も過半数を制することはできず、一方、既成政党にあきたりない新興勢力である社会大衆党が躍進したのである。新興の無産階級勢力である同党の躍進は確かに社会民主的勢力の増大を示していた。しかし、社会大衆党は、「生活重視」から国防まで含み、軍(陸軍統制派)や新官僚と提携することで経済を改造するという「広義国防論」を唱えるようになる。民政党は社会大衆党の政策に近づいてゆく。…中略…
これからわかることは、二大政党が、選挙において自らの勢力を拡大し、相互に政治的優位を過度に競うために、結果として大勢力である「軍」を政治に引き込み、自滅の道を開いた、ということだ。むろん、今日、軍は存在せず、軍事クーデターが起きる心配はない。
では、二大政党は安泰かといえばそういうわけでもない。ポイントは、「軍」にあるのではなく、二大政党が本当の「国難」に対処できずに、相互に権力争いを自己目的化することで政治が迷走するという点にあるからだ。
当時の問題は、大不況、外交(満州問題)、軍のクーデター、であった。これらは、政党の枠を超えて対応すべき「国難」である。にもかかわらず、二大政党は勢力争いに明け暮れた。むろん、今日と当時では状況は大きく異なっている。
しかし、経済・財政の不安定、外交(アメリカと中国)、生活基盤の崩壊、といった「国難」に直面している今日のわれわれがこの教訓から学ぶことは大きいといわねばならない。
流石の佐伯氏の論文に、勝手にご容赦を頂いて芥川が付け加える事は、今日の日本では、これにマスコミ等が加わって、対処すべき「国難」に対する解決策を無にして来た20年でもある。と