文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

It was December 16th, 2011.

2016年06月15日 21時43分17秒 | 日記

It was the 3rd experience for me in the season of the colored leaves about 10 years before but re- discovered Kyoto.

It took a picture, visiting Kyoto since then for each weekend.

When living the hospitalization life of 7 months, suffering from the serious illness about fate in 2011, it left hospital strangely, doing complete recovery by good fortune thanks to the doctors who learned in Kyoto University medical school and the wonderful nurses.

It was December 16th, 2011.

In the season of the colored leaves, it was already passing but colored leaves was still left in Shimogamo Shrine.

In the spring of the next year, I thought that it wanted to take a picture of the cherry tree in Kyoto, Shiga, and Nara completely.

At this time, Paris of the sprinkle, too, was good for Woody Allen but I wrote that Kyoto of the sprinkle was good for Paris equally.

Until then, Kyoto didn't enter even to the best ten in the world.

I continued to send a photograph in Kyoto and my word to the world.

It sent the amazing and free conversation with Ieyasu, Hideyoshi, and Nobunaga that became the commercial of Toyota, too, at this time.

I was the human being who visits Arashiyama as much as permitted to say that it is the best in the world but met the man and woman of about 30 years old working energetically to say that which came from New York in the corridor in this year, Daikaku-ji.

If hearing an occupation, it says that it is doing editorial work in the magazine publishing company.

I answer that it does “it is good work", and asked until when it was staying at Kyoto, two answered that that day was a home-returning day.

However, in the time, it says that it is much.

Next, it heard a heading place, it says that it doesn't decide.

Therefore, I did a story to them.

The place becomes contrary but going to Shoren-in on Higashiyama, see a garden here.

There is some the answer in this garden with peace in human being's living, the death.

I cried for the first time when visiting.

It told that tears didn't stop.

It said that two spread a map, that they confirmed a place and that they went from now.

Soon, Kyoto entered to the best 10 (the 10th) in the world.

In the next year, it is the 5th and the next year is the 1st continuously in the 1st, last year, too, (It was, the 1st by far the best).

I say to the people around that making Kyoto the best in the world is me, laughing.

The photograph of such me rose up to tens of thousands of sheets and lay only in the PC, being idle.

Some friend was saying that he made my photo studio in some time though.

It knew that there was a big photograph sale site the other day and that the various companies were using for a brochure and so on.

Because are very inexpensively made like the more fee than asking a professional cameraman, when doing prosperity.

Carrying here, it is the best that the people all over the world use for various uses.

Thinking so, it paid the examination five sheets to PHOTOLIBRSRY in May, to PIXTA in 20 sheets, in April.

Fortunately, passing a severe examination, now, in PIXTA, 10 sheets are carried on, and three sheets on PHOTOLIBRSRY.

Please, buying, use for the various uses.

If many photographs sell, my living, too, because it is that it isn't necessary to say that it becomes easy (´ 艸 `).

To say that it continues to take a picture if seeing, thinking in it takes a nice cost.

If it is possible to buy, catching everybody's eyes all over the world, it may be possible to go to take a picture of Paris which I like finally (´ 艸 `).

写真素材 フォトライブラリー

https://www.photolibrary.jp/img467/313344_4453839.html

https://www.photolibrary.jp/img469/313344_4475336.html

https://www.photolibrary.jp/img467/313344_4453847.html

https://pixta.jp/photo/22558733

https://pixta.jp/photo/22558426

https://pixta.jp/photo/22558338

https://pixta.jp/photo/22279841

https://pixta.jp/photo/22175085

https://pixta.jp/photo/22175054

https://pixta.jp/photo/22081882

https://pixta.jp/photo/22081651

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https://pixta.jp/photo/21718884

https://pixta.jp/photo/21718393

 

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この時ウッディ・アレンに小雨のパリも良いけど小雨の京都はパリに負けず劣らず良いよ、と書いた。

2016年06月15日 21時02分57秒 | 日記

私は約10年前の紅葉の季節に、私には3度目の経験だったが京都を再発見した。

以来、週末のたびに、京都を訪れて写真を撮影した。2011年、生死に関わる大病を患って7か月入院生活を送った時、奇しくも京大医学部で学んだ先生方と、素晴らしい看護婦さんたちのお蔭で、幸いにも完治して退院した。2011年12月16日の事だった。

もう紅葉の季節は過ぎていたが、下鴨神社には、まだ紅葉が残っていた。

翌年の春には、京都、滋賀、奈良の桜を撮りつくしたいと思った。

この時、ウッディ・アレンに小雨のパリも良いけど、小雨の京都は、パリに負けず劣らず良いよ、と書いた。

それまで京都は世界のベストテンにも入っていなかった。

私は、京都の写真と私の言葉を世界に発信し続けた。

トヨタのCMになった、家康、秀吉、信長との奇想天外、奔放な会話も、この時に発信したものである。

私は世界一と言って良いぐらい嵐山を訪れる人間だが、この年、大覚寺の廊下で、ニューヨークから来たと言う30歳前後のバリバリの男女と出会った。職業を聞けば、雑誌社で編集の仕事をしているという。「良い仕事だね」と私は答え、いつまで京都に滞在しているのか尋ねたら、その日が帰国日だと二人は答えた。だが時間はたっぷりあると言う。次に向かう場所を聞いたら、決めていないという。そこで私は彼らに話をしたのである。場所は正反対になるが、東山の青蓮院に行って、ここの庭を観なさい。人間が生きる事、死ぬこと、平和とはなにか、この庭には、その答えが在る。私は初めて訪れた時に号泣した。涙が止まらなかった、と話した。

二人は、地図を広げ、場所を確認し、今から行って来ます、と言った。

ほどなく、京都が世界のベスト10(10位)に入った。翌年は5位、その翌年は1位、昨年も連続して1位(だが、ダントツの一位だった)。

私は、周囲の人たちに、京都を世界一にしたのは私だよ、と笑って言う。

そんな私の写真が数万枚にのぼり、PCの中でただ眠っていた。或る友人は、いつか私の写真館を作りますよ、と言ってくれていたのだが。

先日、大きな写真販売サイトがあり、様々な企業が、パンフレット等に使用している事を知った。プロのカメラマンに頼むよりも、費用的に非常に安く出来るから、隆盛していると。

ここに掲載して、世界中の人たちに、様々な用途に使って頂くのが一番良い。そう思って、4月にPIXTAに20枚、5月にPHOTOLIBRARYに5枚を審査に出した。幸い、厳しい審査に合格して、今PIXTAに10枚、PHOTOLIBRARYには3枚が掲載されています。

どうぞ、御購入いただいて、様々な用途にお使いください。

沢山の写真が売れれば、私の暮らしも楽になるのは言うまでもないことですので( ´艸`)

それに考えて見れば写真を撮り続けると言うのは、結構な費用がかかるものなのです。

世界中の皆様の目に留まってご購入いただければ、やがて、私の好きなパリを撮りに行けるかもしれません( ´艸`)

写真素材 フォトライブラリー

https://www.photolibrary.jp/img467/313344_4453839.html

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今の中国の共産党の一党独裁者たちが、ありとあらゆることについて、恣意的に、自分たちの都合で、

2016年06月15日 16時54分19秒 | 日記

6月1日の朝日新聞の酷さもまた筆舌に尽くし難かったのである。

共産党の一党独裁者たちとは、黒を白と言い、白を黒と言う存在であることは、今、南シナ海問題などにおいて、世界中が痛烈に再認識させられている態様である。

毛沢東の二度にわたる大失政で、中国経済が破たんの危機に在った時、毛沢東と周恩来は日中共同声明を発令して、日本と平和友好条約を締結した。

この時、中国は人類史上最大の援助金を日本から得て、現在の経済的な発展につなげた。

そこには、以下のような条文が明瞭に書かれている。

中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

この事について、ウィキペディアには以下の事実も記載されている。

日中共同声明の効力

日中共同声明は「条約」という形式を少なくとも日本においては採られていないことから、その国際法上の法規範性が問題となる。2007年までに日本の最高裁判所において、2つの事件がこの声明の効力をめぐって争われた。

西松建設強制連行訴訟

1つ目は中国人の強制連行による損害賠償請求権がこの声明の第5項(戦争賠償の放棄)により放棄されたかという問題である。

最高裁判所は2007年4月27日、同声明5項の請求権放棄の条項について少なくとも中華人民共和国政府による国際法上の一方的な「宣言」あるいは日中平和友好条約前文において「…共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し」と規定していること、及び中国政府が国際法上の創設的規定として捉えてきたことに照らして国際法上の法規範性を認めた。

そして、同宣言はサンフランシスコ平和条約の枠組みを否定する趣旨で締結されたものでないことから、個人(法人も含む)の有する請求権を放棄したものと解した。

これらの明瞭な事実を朝日新聞の購読者の大半は殆ど知らないからだろうが、

6月1日の朝日新聞の夕刊関西版は、フロントページの大見出しに、どのようなことを書いていたのか。

今の中国の共産党の一党独裁者たちが、ありとあらゆることについて、恣意的に、自分たちの都合で、物事を推し進めている事は、まともな頭脳を持った世界中の人たちが知っている事実である。

以下の三菱マテリアルの問題や、先般の商船三井の問題は、そのような中国共産党の独裁者たちが、日本に対する難癖、嫌がらせの為に行っている事例である事、

日本が米国のような国ではないから行っている非道であることも、まともな頭脳を持った世界中の人たちは知っている事実である。

だが朝日新聞だけは何故か、そうではない事実を、この記事は伝えていたのである。

この新聞社は、もはや日本国を中国に売り渡している新聞社だと言っても過言ではない。

何故なら、彼等は信じがたい事に、この様な言葉を大見出しで書いて。読者に対して、日本に非があるかのように書いていたからである。

商船三井も、三菱マテリアルも、相手が共産党の一党独裁政権である事から、泣く泣く、和解しているのが真実であることは、まともな頭脳の持ち主には黙って分かることだ。

ところが、朝日は、歴史的責任認めと、この件についても、悪いのは日本であるとの論説を張ったのである。

私は、この新聞は、日本国民、日本人として、もはや許せない新聞社であると確信している。

記事を書いていたのは、以下の人間たちである。

編集委員・豊秀一、林望、北京=西村大輔

私の…朝日新聞社と言うのは、中国や韓国の諜報部から何事か暴露されたら、メディアとしては存在できない新聞社なのではないかととの懸念は、これらの記事を読んで確信に変わってはいるのだが。

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私が、そうであったように朝日新聞の購読者の大半と多くの日本人は事実と経緯を全く

2016年06月15日 11時51分39秒 | 日記

以下は、月刊誌「正論」3月号に掲載された東京基督教大学教授西岡力氏の論文を再度ご紹介するものである。

私が、そうであったように、朝日新聞の購読者の大半と、多くの日本人は、事実と経緯を全く知らないはずだからである。

前文略

「慰安婦問題」は朝日新聞などの誤報と調べもしないで謝罪した外務省の失策によって生まれたという主張を、この間私は繰り返し行ってきた。

確かに歴史的に慰安婦という存在はいたが、解決が求められる課題が残っているという意味での「慰安婦問題」は1990年代初めまではなかった。

慰安婦が外交問題になるという事態を中山議員が言うように「私たち自身がつくった」のだ。 

まず、朝日新聞が、事実に反する大キャンペーンを行って「多数の朝鮮人女性を挺身隊として戦場に連行して慰安婦にさせた」というウソを内外に拡散した。

外務省と官邸など当時の政府の政治家と役人がそのウソキャンペーンに動揺して、調べもせずに先ず謝罪を行い、あたかも「先祖がむごいことを平気でやった」ことを日本政府が認めてしまった。

それから、日本にとっての「慰安婦問題」は、内外に広がる事実無根のウソをどうやってなくしていくかという問題となった。 

後略。

以下は西岡力氏が、1992年に文芸春秋誌上に発表した論文からである。

前文略

先に結論めいたことを言えば、今回の従軍慰安婦問題の直接のきっかけとなった「韓国人戦争被害者」の訴訟に重大な役割を果たしたのは日本人なのである。

訴訟の原告探しにしろ、手続きにしろ、マスコミへのアプローチにしろ、そしてデモのきっかけ作りまでも、日本人が一役買っている。 

被害者である韓国人の痛みを加害者である日本大が代弁し、訴えるーこうした出発点からの歪んだ構図が、従軍慰安婦問題を複雑にし、不透明にしている。

私にはそう思えて仕方がない。

さらに言えば活発な報道活動を行った朝日新聞をはじめとしたマスコミが、その運動に積極的に屑入れする一方、誤報を重ね、事態をいよいよ悪化させたことも見逃せない。 

まずは今回の取材で集めた事実を積み重ね、ことの起こりから順序立てて説明していくことにしよう。 

訴訟をはじめたのは誰か 

一九八九年五月、風変わりな意見広告が『朝日ジャーナル』五月十九日号に掲載された。

題して「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」。

この広告の依頼主は「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」という九州・大分市に事務局を置く組織。

意見広告の内容は日韓併合による二十六年間の日本の植民地支配を糾弾し、その奴隷的支配によって被害を受けたすべての朝鮮人および朝鮮に対して日本は公式に謝罪せよというもの。

この広告はこれ以降十二月まで隔週で十五回にわたって掲載された。

一節を引用しておこう。

「その他軍人・軍属・労務者として死傷した者に対して、従軍慰安婦として戦場に投入して、言うに耐えない犠牲に供して置きながらこれらの者たちに対して『この人たちはもはや日本人ではない』の一言で一銭の補償も行わず、『気の毒な事をしました』の慰めの言葉もないままに四十余年が過ぎた。日本国は戦争によって被害を与えた全ての人々に対して陳謝すべきは当然の事として、なかんずく、朝鮮人及び台湾出身者に対して国家と国民の名をもって公式に陳謝し、その犠牲に対しては、日本国民と同等、それ以上の補償を行わなければならない、と我々は考えます」 

八九年十一月十九日~二十二目の四日間、大分市に住む日本人主婦青柳敦子氏が韓国を訪問した。

訪韓の目的は、韓国人戦争犠牲者の中から日本政府を相手どって「公式陳謝と賠償」を求める裁判を起こす原告になってくれる人を探し出すこと。

青柳氏は先の意見広告を出した「百人委員会」のメンバーの一人で、事務局として記された住所が青柳氏の自宅であることからも分かる通り、いわば事務局長のような存在だった。 

訪韓に際して、青柳氏が用意したのはこの意見広告のコピーと韓国語の訳文。韓国語を話すことのできない青柳氏はこの訳文を頼りに裁判の原告探しをするつもりだった。 

青柳氏たちのグループは以前から、朝鮮人問題に対して活発な活動を展開していた。

そのグループの実質的リーダー役を務めるのは在日朝鮮人の宋斗会氏という人物。

青柳氏はこの宋斗会氏に私淑し、宋氏の進める日本を告発する運動の事務局長的役割をずっと果たしてきたのである。「朝日ジャーナル」に載せた意見広告も宋氏の手になるものだった。 

宋氏の主張は、民族的誇りを強調する他の在日韓国・朝鮮人たちとはかなり違っている。

日本国はなぜ戦前「日本国臣民」であった自分たちを外国人の範疇に入れ、冷遇するのか、というのが宋氏の考え方の核心である。

日本が一九五二年に独立を回復した際、法務省局長通達によって当時日本に住んでいた旧植民地人の日本国籍離脱が決められたが、宋氏は、それは認められないと言う。

彼は自分をはじめ在日朝鮮入は現在も日本国籍を有していると主張して、これまで何度も日本国籍確認裁判を起こしてきたのである。 

さらに宋氏は、私の問いかけに対し「現在朝鮮半島に住んでいる朝鮮人にも潜在的に日本国籍があるとみなすべきだ。日本国は韓国政府との関係などがあろうがなかろうが、日本国臣民として戦争に動員して犠牲を強いた者に対して公式陳謝し然るべき賠償をすべきだ。

また国際情勢の変化などのため現在本国に住んでいる朝鮮人が日本に住みたいと考えた場合は、その国籍が認められるべきだ」とも語っている。 

主権国家としての韓国のとった政策や行勣に対する考慮をまったく欠いて、加害者「日本国」対被害者「朝鮮民族」という枠組みだけからすべてを見ようとするところに、宋氏や青柳氏らの特徴がある。

後略。

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言うまでもなく売春婦たちの胴元である経営者たちの中には多くの朝鮮人や中国人がいたはずである

2016年06月15日 11時16分07秒 | 日記

前章の続きは、後にして、6月1日の朝日新聞夕刊(関西版)の一面の大見出しは、5月17日の箱田哲也の記事に勝るとも劣らず、到底、日本国の新聞とは言えないもので、日本国に対する重大な犯罪に等しいものだった。

箱田は言うまでもなく、韓国人のような記事を書いている。つまり韓国側に立って(韓国と韓国人の一人の元売春婦の言い分が正しいとして)書いているのである。

全てが、酷いものだったと言っても過言ではないが、中に、こういう件があった。売春婦たちが結構な対価を得ていたことは、渋々認めていたような記事の最後に、彼女たちへの支払いが、滞っていた例もあったようだなどと、まるで日本軍=日本政府が、そうしたかのように書いていたのである。

言うまでもなく、売春婦たちの胴元である経営者たちの中には、多くの朝鮮人や中国人がいたはずである。だが、彼は、日本軍に寄生し、守られながら、暴利をむさぼっていた経営者たちの実態については何一つ書かず、まるで意図的に、日本国政府が、支払いを滞納していた例があったかのように書いていたのである。

私は、これは、もう本当に許せないと思った。

この男、箱田哲也を、まともな日本国民であると誰が言えようか?

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この結果として中国に支払う事になった大半が無償援助としての30兆円もの莫大なお金も、

2016年06月15日 10時57分28秒 | 日記

私が日韓基本条約を世界に向けて発信した理由は書いたとおりであるが、

朝日新聞の論説委員をしている箱田哲也が、日本国民であることすら信じがたいほどの人間であるかを、如実に示している様な記事を、5月17日に全段ぶち抜きの記事として掲載していたからだった。

安倍首相は、言うまでもなく、国際社会をとりまく政治状況等の中で、政治的に決着をつけようとして日韓合意に至ったのであるが、

従軍慰安婦問題が全くの捏造、偽造である経緯を、学者として、きちんと検証してきた、本物の学者である西岡力氏は、1992年に、その見事な論文を文芸春秋誌に発表していたのだが、当時、知っていた日本国民は、私を含めて殆どいなかった。

この問題をねつ造した最も大きな責任が朝日新聞社にあったことは言うまでもない。

やむを得ずの政治的な決着として、ソウルの日本大使館前に設置されていると言う、国際条約的にも、韓国の国内法的にも違法の、嘘で作り上げられた像を撤去することを条件に、日本国政府が拠出するとした10億円は、言うまでもなく、国民の税金である。

朝日新聞は、本多勝一などという戦後最低と言っても過言ではない、一介の新聞記者を大物に仕立て上げ、中国共産党から手渡された反日プロパガンダどおりの事を大スクープ記事をとして連載し、国際的に、これを定着させた。

この結果として中国に支払う事になった大半が無償援助としての30兆円もの莫大なお金も、言うまでもなく国民の税金である。

一昨年8月に、朝日新聞社は、終に、従軍慰安婦問題については、自分たちの間違いを認め、公式に謝罪会見を行い、社長は責任をとって辞任した。

本多勝一の南京大虐殺等々の、報道については、いまだ何らの謝罪も行ってはいない。

ところが箱田哲也が5月17日に書いた全段記事には、反省などは全くないものだった。

当然ながら、従軍慰安婦問題の決着金として支払われる国民の税金10億円については、

本来ならば、朝日新聞社が支払うべきである事に対する、申し訳なさなどは一片もないものだった。

だから、私は、先ずは、これまた日本国民の大半が知らない、(私も数年前までは全く知らなかった)、世界は知っているわけもない、日韓基本条約の内容と経緯を世界に向けて発信したのである。

この稿続く。

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En d'autres termes, le bâtiment le plus

2016年06月15日 10時08分59秒 | 日記

Ce qui suit est la suite du chapitre précédent.

En d'autres termes, le bâtiment le plus robuste qui est pas plus dans le bâtiment où la race humaine est en train de construire au sol est une centrale nucléaire.
Robuste un comme ça est pas exagéré, sauf la centrale nucléaire, même si elle dit qu'elle ne se compose pas de celui-ci.

Après cela, les nouvelles qui dit que la puissance à la centrale thermique de la région de Chugoku a volé a été annulée. La centrale thermique et ainsi de suite ne peut être comparé à la robustesse de la centrale nucléaire, aussi.

Il n'y a pas une seule personne qui était mort à cause de la centrale nucléaire au Japon.

La plupart des gens qui meurent en grand tremblement de terre, ce sont les gens qui vivaient dans la construction a été la construction des critères sismiques précédent 1983 est vrai sinistre.
En outre, le fait qui a été répété la même chose encore et encore.

Cet article continue

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In altre parole, la costruzione più robusta,

2016年06月15日 10時08分01秒 | 日記

Quanto segue è il sequel del capitolo precedente.

In altre parole, la costruzione più robusta, che non è più nell'edificio cui la razza umana sta costruendo a terra è una centrale nucleare.
una robusta come questo non è esagerato tranne centrale nucleare anche se si dice che non è composto di esso.

Dopo di che, la notizia che dice che il potere alla centrale termoelettrica di regione di Chugoku volato è stato chiamato fuori. La centrale termica e così via non può essere paragonata alla robustezza della centrale nucleare, anche.

Non c'è una sola persona che era morto a causa della centrale nucleare in Giappone.

La maggior parte delle persone che muoiono in gran terremoto, sono le persone che hanno vissuto in costruzione è stata costruendo a criteri antisismici precedente Il 1983 è vero triste.
Inoltre, il fatto che è stato ripetuto la stessa cosa più e più volte.

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En otras palabras, la construcción más robusta

2016年06月15日 10時07分28秒 | 日記

La siguiente es la secuela del capítulo anterior.

En otras palabras, la construcción más robusta que no es más en el edificio que la raza humana está construyendo al suelo es una planta de energía nuclear.
una robusta como este no es exagerada, excepto la central nuclear, incluso si dice que no se compone de la misma.

Después de eso, las noticias que le dice que la potencia de la central térmica de región de Chugoku voló fue cancelada. La planta de energía térmica, etc., no se puede comparar con la robustez de la planta de energía nuclear, también.

No hay una sola persona que había muerto a causa de la planta de energía nuclear en Japón.

La mayoría de las personas que mueren en terremoto de gran magnitud, que es la gente que vivía en la construcción ha sido la construcción de criterios sísmicos anterior 1983 es cierto sombrío.
Por otra parte, el hecho de que se ha repetido la misma cosa una y otra vez.

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Mit anderen Worten, die robusteste Gebäude

2016年06月15日 10時06分51秒 | 日記

Im Folgenden ist die Fortsetzung des vorhergehenden Kapitels.

Mit anderen Worten, die die robusteste Gebäude ist nicht mehr in dem Gebäude, die die menschliche Rasse zu Boden errichtet ist ein Kernkraftwerk .
Robust ein wie das ist nicht übertrieben , außer dem Kernkraftwerk selbst wenn sie sagt, dass sie nicht davon zusammengesetzt ist.

Danach werden die Nachrichten, die abgeblasen flog die Leistung am Wärmekraftwerk von Chugoku Region erzählt, dass wurde. Das Wärmekraftwerk und so weiter nicht auf die Robustheit des Kernkraftwerks zu vergleichen.

Es gibt nicht eine Person, die wegen der Atomkraftwerk in Japan tot war.

Die meisten Menschen, die in großen Erdbeben sterben, ist es die Menschen, die in Bau gelebt hat auf seismische Kriterien baut vorherigen 1983 düster ist wahr.
Darüber hinaus ist die Tatsache, dass die gleiche Sache immer und immer wieder wiederholt wurde.

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Em outras palavras, a construção mais robusta

2016年06月15日 10時06分02秒 | 日記

O que se segue é a sequela do capítulo anterior.

Em outras palavras, o edifício mais robusta que não é mais no edifício que a raça humana está construindo para o chão é uma usina de energia nuclear.
um robusto como este não é exagerada, exceto a usina de energia nuclear, mesmo se ele diz que não é composta por ele.

Depois disso, a notícia que diz que o poder na usina térmica da região Chugoku voou foi cancelada. A usina térmica e assim por diante não pode ser comparada com a robustez da usina nuclear, também.

Não há uma pessoa que estava morta por causa da usina nuclear no Japão.

A maioria das pessoas que morrem em grande terremoto, são as pessoas que viviam em construção tem vindo a construir com critérios sísmicos anterior 1983 é verdade desagradável.
Além disso, o fato de que tem sido repetida a mesma coisa uma e outra vez.

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換句話說,最堅固的建築物是沒有任何更多的建築物的人類

2016年06月15日 10時05分35秒 | 日記

以下是前章的續集。

換句話說,最堅固的建築是不是在人類正在建設的地面建築更多的是核電廠。
即使它說,它不是由它的強大的一個像這不是除了核電廠誇張。

在此之後,它告訴在中國地區的火電廠功率立馬被取消的消息。火電廠等無法比擬的核電廠的魯棒性,太。

沒有,因為日本核電廠的誰死了一個人。

多數誰在特大地震死的人,是誰住在建設的人員已經建設到地震之前的標準,1983年也是如此嚴峻。
此外,已被一遍又一遍地重複同樣的事情這一事實。

本文繼續

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换句话说,最坚固的建筑物是没有任何更多的建筑物的人类

2016年06月15日 10時05分03秒 | 日記

以下是前章的续集。

换句话说,最坚固的建筑是不是在人类正在建设的地面建筑更多的是核电厂。
即使它说,它不是由它的强大的一个像这不是除了核电厂夸张。

在此之后,它告诉在中国地区的火电厂功率立马被取消的消息。火电厂等无法比拟的核电厂的鲁棒性,太。

没有,因为日本核电厂的谁死了一个人。

多数谁在特大地震死的人,是谁住在建设的人员已经建设到地震之前的标准,1983年也是如此严峻。
此外,已被一遍又一遍地重复同样的事情这一事实。

本文继续

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즉, 건물 내에

2016年06月15日 10時04分10秒 | 日記

다음은 앞 장에서의 속편이다.

즉, 인류가 땅에 구축 된 건물에 더 이상없는 가장 강력한 건물 원전이다.
그것은 그것으로 구성되지 않는다는 것을 말합니다 경우에도이 같은 강력한 하나는 원자력 발전소를 제외한 과장이 아니다.

그 후,주고 쿠 지역의 화력 발전소에서 전원이 꺼 불렀다 날아 것을 알려주는 뉴스. 그래서 화력 발전소와 너무, 원자력 발전소의 견고성과 비교 될 수 없다.

때문에 일본에서 원자력 발전소의 죽은 한 사람이 없습니다.

큰 지진으로 죽는 사람들의 대부분은, 그것은 건설에 살았던 사람들이 지진 기준으로 이전 1983 냉혹 한 사실이다 구축 된 것입니다.
또한, 계속해서 또 다시 같은 일을 반복 한 사실.

이 문서는 계속

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Другими словами

2016年06月15日 10時03分37秒 | 日記

Ниже является продолжением предыдущей главе.

Другими словами, самый надежный здание, которое не является больше в здании, которое человеческая раса строит на землю является атомная электростанция.
Прочный один, как это не преувеличено, кроме АЭС, даже если он говорит, что он не состоит из него.

После этого, новость, которая говорит о том, что мощность на тепловой электростанции Тюгоку влетел была вызвана. Тепловая электростанция и так далее не может сравниться с надежностью АЭС, тоже.

Существует не один человек, который был мертв из-за АЭС в Японии.

Большинство людей, которые умирают в большом землетрясении, это люди, которые жили в строительстве строит к сейсмическим критериям предыдущего 1983 является истинным мрачным.
Более того, тот факт, что повторялось то же самое снова и снова.

Эта статья продолжает

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