以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之の最新刊「朝日は今日も腹黒い」(新潮社1400円)の前書きからである。
高山はこの前書きだけでも朝日新聞の実態を見事に日本国民に知らせている。
朝日新聞と一緒になって日本に対して、これ以上ない無礼を働いてきただけではなく、日本を侮蔑してきたニューヨーク・タイムズ(特に大西記者)や南ドイツ新聞などの記者たちには特に必読の書である。
文中強調と*~*は私。
実を言うと新聞記者時代、朝日新聞の記者に取材され、総合面トップの記事で叩かれたことがある。しかも実名で。
思い出したくもない話を思い出すと、入社10年目ごろだったか。
全日空のベテラン機長を取材していて話がたまたま全日空機東京湾事故に触れた。
昭和41年2月4日、千歳発のボーイング727型機は木更津上空を午後7時過ぎに通過して羽田に進入中に墜落した。最後の交信から30秒後だった。
状況から操縦士の高度の読み違いと見られたが、途中から変にこじれ出した。
東大の山名正夫が怪しげな機体欠陥説を持ち出し、それに朝日新聞が乗った。
あの新聞は思い込んだら一途だ。原発と同じ。やめちまえ。それ以外は許さん。このときもひたすら機体欠陥で押した。
乗客の一人が普段はしないロザリオを首にかけていた。
それが機体欠陥説の証拠にされた。
欠陥があって機が落ちていく。
最期を悟ってロザリオを取り出したと柳田邦男が書いて賞までもらった。
操縦ミスで決まりかけた事故原因はそのあおりで「不明」にされてしまった。
ベテラン機長はその事故の背景を語った。
腕に自信のある操縦士は計器飛行をキャンセルして有視界飛行で早駆けするのを楽しんでいた。
「昔の飛行機なら乗員の腕で操れた。今は違う。高性能化した飛行機を操ろうなんて不遜だ」と。
乗員の思い上がりをたしなめる言葉は操縦ミスを示唆していた。
事故から10年経っていた。
ある雑誌に機体欠陥説は集団妄想だと書いた。
新聞まで思い込んじゃあお終いだと。
ついでに機長の謙虚な思いも紹介した。
それで朝日の記者が来た。
最初からこう言わせたいという思いが質問の端々に窺えた。
*テレビ朝日の女性アナが小池東京都知事にインタビューしていた時のやり方が、正にこれだった*
一体、どういう趣旨かを尋ねた。その数日後の朝日の紙面に答えが載った。
平たく言えば「朝日と違う主張は許さない」ということだった。
逆らうやつは紙面を使って叩く。
腹がたったが、世の中面白いもので朝日新問の記事にモノ申す機会がやってきた。
朝刊デスクのとき、社会部遊車の石川水穂が原稿を持ってきた。
少し前の朝日の一面に出た「これが毒ガス作戦だ」の記事も写真もいんちきだという。
記事では「南昌で毒ガスを使った」とあるが、正しくしくは洞庭湖近くの「新艢河」で、写真に十数条、立ち上っているのは毒ガスではなく「煙幕」。
例によって朝日が嘘っぱちでまた日本軍を中傷しているという。
朝日と違って石川記者は裏取りも証拠資料もきっちりまとめていた。
当時、他社の記事の批判はタブーとされたが、この「嘘の自虐ネタ」は悪質が過ぎる。
で、社会面トップで派手にやった。
誓って報復とか私怨とかではなかった。
翌朝、仮眠室で気分よく寝ていたら「朝日新聞の部長」からの電話が取りつがれた。
電話口から怒声が飛び出した。
あのインチキ写真の出稿責任者、佐竹昭美学芸部長だった。
「そっちに行く。編集局長なり、責任者に伝えておけ」と来意を伝えてきた。
他社の社会部に殴り込みとはいい度胸だ。
みんなで袋叩きにしますかと編集局長に伝えると、残念だな。用事がある、応接は局次長に頼んでくれ。
いつも暇な局次長に事の次第を伝えると二人ともアポイントがあった。
社会部長でいいだろう。その社会部長も急な用事で出かけてしまった。
結局、一人で佐竹部長を迎えた。
彼は記事も写真もインチキと報じられてホントに逆上していた。
来客用のソファに座ると「どういう了見か」と叱責口調できた。
「毒ガスは天に上らない」と答えた。
佐竹部長は青筋を浮かべた。
「産経風情が朝日に盾突く気か」
「いや、そちらと違って事実を大切にしたいだけで」
「なんだと。謝らない気か。いい度胸だ」
「有難うございます」
「褒めたんじゃねえ」
最後の文句は「産経など潰してやる」で、席を蹴立てて帰って行った。
気がついたら若い記者たちが遠巻きにこっちを見ていた。
この一件で朝日新聞が内情はともかくとして新聞界に隠然たる力をもっているのを初めて知った。
編集局長や社会部長も朝日とはコトを構えたくないと思っている。だから逃げた。
佐竹部長もよその新聞社に一人で殴り込んでいける、朝日はそれほど偉い、と思っている。それを不覚にも自分だけが知らなかった。
そう言えば60年安保のとき、樺美智子が死んだ。
一挙に革命ムードに突人したとき朝日の笠信太郎が在京新聞社を集めて同じ文面の社説を全社に載せさせた。
「暴カデモはやめろ」と鎮静化を呼び掛けたものだ。
他社の社説も牛耳る。それほどの威光があった。
しかしその威光もこの毒ガス騒ぎでひびが入ったと思う。
朝日が数日後、誤りを認めて訂正を出した。
佐竹部長があれだけ豪語したのに産経新聞も潰せなかった。
各紙はそれを見て、もしかしたら朝日新聞は単に新聞界の裸の工様だったのではと思い始めた。
名文家、記者の鑑と言われた荒垣秀雄が女のスカートをめくって警察の世話になったとかの風説が流れたのもこのころだった。
追い打ちをかけたのが朝日自作自演の珊瑚落書き「KY」事件だった。
裸の王様、一柳東一郎のクビがとんだ。
朝日の過去が堀り返され、本多勝一から吉田清治まで暴かれていった。
自分の体験で言うと朝日の正体は一つに裏付けのない傲慢、もう一つが知的障害になるか。
自虐ものがいいと言われたらもう猿のなんとかみたいに後先考えずに擦り切れるまで自虐ものに耽る。
慰安婦の嘘、毒ガスの嘘がその典型だろう。
慰安婦像が世界に広まって「えっ、僕の責任?」ときょとんとする。
日本の恥部がどう振る舞っているか、本編で理解を深めてもらえれば幸いだ。
二〇一六年 夏 高山正之