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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

以下はリアルタイムのベスト10である。

2019年10月23日 19時33分02秒 | 全般

1

本多自身の評価基準に従って、『中国の旅』を書いた本多を「中国共産党の盲従分子」と呼んで差し上げよう。改めて思う。本多は実に「虚人」の名にふさわしい人物であった

2

ティエン・ハオ師とは、共産党支配下の愛国仏教会の幹部で、その記者会見には読売や毎日の記者も同席していたが、あまりに嘘くさいと思ったのか、一行も報道せずに無視していたものである

3

中国側は40日間、強行スケジュールで中国各地を引き回し、共産党がお膳立てした「語り部」に日本軍によって受けた「被害」を本多に語らせた。

4

本多の行動はすべて朝日新聞の人事・方針と一体化している。そこで、殿岡の結論は、本多は「朝日左翼」、「辞令左翼」、「自己喪失左翼」であったというものである

5

連載を単行本にした『中国の旅』(1972年)は日教組の社会科教師のバイブルになった。愚かなことに、彼らはそこに書かれていることを「事実」として読むのである。

6

その時の保険として、本多自身ではなく、本多側の文章の9割を占める「A記者」の発言にしておけば、逃げを打つことができる。

7

以下はリアルタイムのベスト10である。

8

トップページ

9

NHKの報道部を支配している連中は、それでも彼らにとって不都合な事は言わば隠し通したのである。誰が見ても明瞭に分かる事を幼稚園児の様に隠し通したのである。

10

it is a popular page yesterday

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However, this article wasn't really anything that Honda independently covered.

2019年10月23日 19時26分26秒 | 全般

The following is from 'A speech agency that doesn't fight in the speech' of extra issue Sound Argument entitled 'Media that fell.'
A 'lie person' called 'Katsuichi Honda.'
Nobukatsu Fujioka
Preface omitted.
During this period, on December 1966, Honda was sent to South Vietnam as a correspondent.
It is the beginning of the era of Vietnamese news.
Honda, who began interviewing under the U.S. military and Saigon administration, eventually encountered a village controlled by Viet Cong, who was secretly located in the Mekong Delta and became a secret veil by his usual participant observational method. The fact of the closed liberation zone was sent to the world as a reportage.
The series of reports was compiled in 'Battlefield Village' published in 1968.
Honda thus unexpectedly discovered the 'Vietnamese People.'
However, this work cannot be collocated with the first ethnographic trilogy.
This is because the battlefield village had to be engraved with a sharp political character that was not found in the trilogy, and even in the process of interviewing, it is unlikely that Honda would have allowed free coverage.
After all, the interview was done with the help of Viet Cong. It can't be a free journalist interview.
So if Honda persuaded the third-party nature of Viet Cong's battlefield village, it would, in turn, be an advocate of Yale to North Vietnam and anti-American public opinion.
It means a definitive transformation from the reportage method of the trilogy period.
Defeated in a lawsuit with Tonooka
It's not clear when I got the book 'Empirical Katsuichi Honda theory' by Tonooka Akio (Nisshin Hodo, 2003).
I was impressed with the reading and deep impression, and I was amazed at the fact that the experience report that achieved the 'Proof of Honda Reportage Bankruptcy' (the subtitle of the book) was written, and I have great respect and gratitude for the author. I remember that.
I think it will be one of the masterpieces of non-fiction works written after the war.
Akio Tonooka was a political scientist born in 1941, whose research subject was 'Communism in Southeast Asia and the Vietnam War.'
Tonooka has been an assistant professor at Tokyo Gakugei University since 1974.
In Vietnam, Saigon was released in 1975 by North Vietnamese tanks, and the US withdrew.
All of Vietnam became a country controlled by the Communist Party.
However, when the Communist Party gained power, the repression of Buddhists began.
Under these circumstances, on November 2, 1975, in the Vĩnh Nghiêm Pagoda in Can Tho, Mekong Delta, 12 monks and nuns (three monks and nine nuns) committed mass suicide in protest against religious repression.
It was in the evening edition dated September 9, 1976, that Japanese newspapers reported on Reuters from Paris.
In this regard, Honda pretends as if he had interviewed himself, and the suicide mastermind, Fam Vam Kho, was a spy of the Saigon government, because it was corrupted ideologically, has sexual relations with many nuns in the temple, suppose he has a total of 26 wives, this lost public support, Honda wrote that he was desperate and dragged other nuns and disciples to suicide.
Those articles are 'What's going on in Vietnam?' (1977, Asahi Shimbun).
However, this article wasn't really anything that Honda independently covered.
After writing things like the right, Honda added at the end of the sentence that 'Tien Hao spoke as above.'
Thien Hao, an executive of the Patriotic Buddhist Church under the Communist Party rule, was accompanied by Yomiuri and Mainichi reporters at the press conference, but why they thought it was too lie, they ignored it without reporting.
Honda misleads the reader as if it was the result of an original interview and secretly added in an alibi manner in the last sentence that it was just a Communist party view.
In short, Honda escaped without being held accountable at the end, but, interestingly, this behavior pattern is precisely the same as the response to the later criticism of 'Journey to China.'
Here, the method of Honda reportage in the time of the ethnological survey trilogy has neither shadow nor shape.
In September 1978, Tonooka met with the high priest Man Zac of the Vietnam Unified Buddhist Church.
Tonooka described the reaction of Mr. Man Zack when he told the contents of Honda's article.
'… The teacher got up from the chair he had been sitting on and started walking in the room with excitement. / The expression at that time is unforgettable. Tilt to one side to think of the shaved head, he swelled his nasal cavity and took a rough breath, and It cracked the joint of the finger of both hands made to recriminate with POKIPOKI.'
Tonooka wrote Honda's criticism on the mini-community paper 'Monday Criticism,' 'Shokun! In the May issue of 1981, I wrote a paper titled 'Now is Peace in Vietnam.'

The article on 'Monday Criticism is recorded in 'Ecology of media figure: Strikes Thinking, Action and Intelligence' (1981, Takagi Shobo).
On the other hand, Honda filed a defamation lawsuit against Shokun! Editor-in-Chief Tsutsumi Gyo and Tonooka.
The case went to the Supreme Court and Honda lost three times.
This article continues.

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本多の行動はすべて朝日新聞の人事・方針と一体化している。そこで、殿岡の結論は、本多は「朝日左翼」、「辞令左翼」、「自己喪失左翼」であったというものである

2019年10月23日 15時56分08秒 | 全般

以下は前章の続きである。
本多勝一とは何者か  
本多勝一は左翼であることは間違いない。 
しかし、「どんな左翼か」と殿岡昭郎は前掲書で問う。 
本多は確信的左翼であったわけではない。 
マルクスもレーニンも読んでいないだろうと殿岡は推測する。 
もともとは、「素朴な登山家、冒険家、探検家、文化人類学徒であった。それが本多の本領だっただろう」。  
本多の行動はすべて朝日新聞の人事・方針と一体化している。 
そこで、殿岡の結論は、本多は「朝日左翼」、「辞令左翼」、「自己喪失左翼」であったというものである。  
ベトナム以後の本多は、「ルポルタージュの方法」を放棄し、彼自身の定義によってルポルタージュといえないものを、ルポルタージュであるかのように装って書きまくった。 
民族学的調査三部作などの過去の業績はそのカムフラージュに使われた。 
私がそう推測するのには理由がある。  
本多白身がベトナムの取材に7、8人の政府の案内人がつく取材体制についてこう書いている。  
「これは、これまで私がルポルタージュを書くためにとってきた取材方法によれば、とうてい『取材』ではありえない。しいて分類すれば『儀式』に近いだろう。儀式の中では、民衆はホンネを語らぬものだ。タテマエだけを聞いて歩いて、あたかも自由な取材であったかのようなルポを書くわけにはゆかぬ。それではいわゆる'盲従分子'になるだけであり、ジャーナリストの自殺行為になろう」(『ベトナムはどうなっているのか?』275ぺージ』  
なんだ、本多は、事の核心を全部みずから語っているではないか。 
これで決まり。 
本多自身の評価基準に従って、『中国の旅』を書いた本多を「中国共産党の盲従分子」と呼んで差し上げよう。 
改めて思う。 
本多は実に「虚人」の名にふさわしい人物であった。

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本多自身の評価基準に従って、『中国の旅』を書いた本多を「中国共産党の盲従分子」と呼んで差し上げよう。改めて思う。本多は実に「虚人」の名にふさわしい人物であった

2019年10月23日 15時54分39秒 | 全般

以下は前章の続きである。
本多勝一とは何者か 
本多勝一は左翼であることは間違いない。
しかし、「どんな左翼か」と殿岡昭郎は前掲書で問う。
本多は確信的左翼であったわけではない。
マルクスもレーニンも読んでいないだろうと殿岡は推測する。
もともとは、「素朴な登山家、冒険家、探検家、文化人類学徒であった。それが本多の本領だっただろう」。 
本多の行動はすべて朝日新聞の人事・方針と一体化している。
そこで、殿岡の結論は、本多は「朝日左翼」、「辞令左翼」、「自己喪失左翼」であったというものである。 
ベトナム以後の本多は、「ルポルタージュの方法」を放棄し、彼自身の定義によってルポルタージュといえないものを、ルポルタージュであるかのように装って書きまくった。
民族学的調査三部作などの過去の業績はそのカムフラージュに使われた。
私がそう推測するのには理由がある。 
本多白身がベトナムの取材に7、8人の政府の案内人がつく取材体制についてこう書いている。 
「これは、これまで私がルポルタージュを書くためにとってきた取材方法によれば、とうてい『取材』ではありえない。しいて分類すれば『儀式』に近いだろう。儀式の中では、民衆はホンネを語らぬものだ。タテマエだけを聞いて歩いて、あたかも自由な取材であったかのようなルポを書くわけにはゆかぬ。それではいわゆる'盲従分子'になるだけであり、ジャーナリストの自殺行為になろう」(『ベトナムはどうなっているのか?』275ぺージ』 
なんだ、本多は、事の核心を全部みずから語っているではないか。
これで決まり。
本多自身の評価基準に従って、『中国の旅』を書いた本多を「中国共産党の盲従分子」と呼んで差し上げよう。
改めて思う。
本多は実に「虚人」の名にふさわしい人物であった。

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その時の保険として、本多自身ではなく、本多側の文章の9割を占める「A記者」の発言にしておけば、逃げを打つことができる。

2019年10月23日 15時51分16秒 | 全般

以下は前章の続きである。
ミニチュア版「体験的本多勝一論」 
さて、その本多の本性を私自身も体験する機会があった。
といって殿岡の20年に比べるとわずか2ヶ月間くらいのミニ体験に過ぎないが、それでも希有の体験ではあった。
発端は、朝日新聞が慰安婦問題での吉田清治の証言報道を虚偽であったと認めた直後に出た、『週刊文春』2014年9月4日号(発売は8月28日)の特集記事だった。
特集のタイトルは「朝日新聞『売国のDNA』」。 
この中に私の短いコメントが出てくる。 
「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」 
私は、こんなありきたりのコメントが問題にされるとは露とも思わなかった。 
発売翌日の8月29日付で、『週刊金曜日』編集部から『週刊文春』編集部に配達証明郵便が届いた。
「藤岡信勝様『週刊文春』へのコメントに対する公開質問状」と題されていた。
そこには、6つの質問が記されていた。
その第1番目は、「約30万人戸殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっている。
姜眼福は『中国の旅』に登場する南京港湾局勤務の43歳の船員で、彼が「30万人」と証言した(文庫版230ページ)から書いたまでだ、と本多は言いたいのである。 
これを受け取った『週刊文春』編集部は、細かい公開質問に私が答えるよりも、いっそのこと、『週刊文春』と『週刊金曜日』の両編集部立ち会いのもとで本多と私の公開討論を行い、それを両編集部がそれぞれの責任で記事にする、という企画を提案した。 
以下、いろいろないきさつがあったが、一応のルールが決められ、両誌での論争が始まった。
第一信で本多は自ら文章を書かず、「発端が『週刊金曜日』なので、俺の担当A記者との対話を紹介することにしよう」と言って、そのあとは専ら「A記者」「本多」という発言者名をゴシックにした、雑誌の対談などと同じ形式の文書になっているのである。 
これには心底驚き、呆れた。
私は本多との誌上討論には同意したが、正体不明の「A記者」なるものと討論することを承諾した事実はない。
極めて失礼であり、ルール違反である。 
両編集部が明文化したルールには「原稿は本人が書くこと」という項目はないが、それは当然の前提だから書かなかっただけである。
「俺」という一人称も公的な場の発言として不適切で、相手を馬鹿にしている。
もうこの時点で、私にはこの討論を拒否する十分な理由があった。 
そもそも、「A記者」とは誰なのか。
私の周りの読者から聞こえてきた声は三通りある。
(1)本多の言うとおり、『週刊金曜日』の担当記者であろうという常識的な見方。もしそうなら、せめてその氏名を明らかにすべきである。
(2)「A記者」なるものは実在せず、集団でこの論争に対処しているグループ名ではないかという推測。
(3)そもそも、「A記者」は架空の創作された人物であるとする説。様々である。
いずれにせよ、「A記者」なるものを登場させる手法の目的は明白だ。
責任逃れである。
将来、誌上討論の発言で責任を問われかねない事態が生じるかもしれない。
その時の保険として、本多自身ではなく、本多側の文章の9割を占める「A記者」の発言にしておけば、逃げを打つことができる。 
私は討論を続けるために、「A記者」の発言も含めて、書簡に書かれていることの全てを本多の発言として扱うことを宣言した。
論理的には、それ以外に討論を続ける理由は考えられない。 
驚いたことに、本多の第三信では、「A記者」が「私の発言を本多さんの発言とみなすのは『捏造』ではないでしょうか」と言い、それに本多が「俺の発言とごっちゃまぜにしてもらっては困る。藤岡氏の史料に向き合う姿勢がわかりますね」と応じて、私の個人攻撃のネタにまでしている。 
この誌上討論はこういう調子で、本多側のふざけた態度と私の質問に答えなかったことによって、まともな討論として成立しなかった。
読者の方には申し訳なかったが、本多が論争のマナーもわきまえない不誠実な人物であることがよーくわかった。
この稿続く。

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連載を単行本にした『中国の旅』(1972年)は日教組の社会科教師のバイブルになった。愚かなことに、彼らはそこに書かれていることを「事実」として読むのである。

2019年10月23日 15時46分47秒 | 全般

以下は前章の続きである。
『中国の旅』の荒唐無稽  
1970年代に入ると、いよいよ本多の業績の最後のカテゴリーたる中国関係ものが始まる。 
日中国交回復の流れを背景に、1971年、中国共産党中央委委員会は、本多を招待し、40日間にわたって国内を取材させた。 
中国共産党に仲介したのは、ぬやまひろしこと西沢隆二であった。 
西沢は徳田球一の娘婿で、1950年、日本共産党が分裂して以後、中国共産党の「盲従分子」の流れに属していた人物である。  
中国側は40日間、強行スケジュールで中国各地を引き回し、共産党がお膳立てした「語り部」に日本軍によって受けた「被害」を本多に語らせた。 
本多はこれをひたすら書き取って記事にする。 
このセッティングからして、本多はもはや完全な中共の代弁者であり、伝声管である。 
あてがい扶持の証言以外に、何の証拠もなく、何一つ検証も行われない。 
そもそも日本人が思いつかないような残虐行為が語られている。  
「ときにはまた、逮捕した青年たちの両手両足を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した。集めておいて工業用硫酸をふっかけたこともある。苦しさに七転八倒した死体の群れは他人の皮膚と自分の皮膚が入れかわったり、骨と肉が離れたりしていた」(『中国の旅』文庫版、231ページ)  
連載を単行本にした『中国の旅』(1972年)は日教組の社会科教師のバイブルになった。 
愚かなことに、彼らはそこに書かれていることを「事実」として読むのである。 
日本人は、人間は嘘をつかない者だと思い込むことで一人前になる。 
この民族的属性が最大限に利用される。
この稿続く。

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中国側は40日間、強行スケジュールで中国各地を引き回し、共産党がお膳立てした「語り部」に日本軍によって受けた「被害」を本多に語らせた。

2019年10月23日 15時45分19秒 | 全般

以下は前章の続きである。
『中国の旅』の荒唐無稽 
1970年代に入ると、いよいよ本多の業績の最後のカテゴリーたる中国関係ものが始まる。
日中国交回復の流れを背景に、1971年、中国共産党中央委委員会は、本多を招待し、40日間にわたって国内を取材させた。
中国共産党に仲介したのは、ぬやまひろしこと西沢隆二であった。
西沢は徳田球一の娘婿で、1950年、日本共産党が分裂して以後、中国共産党の「盲従分子」の流れに属していた人物である。 
中国側は40日間、強行スケジュールで中国各地を引き回し、共産党がお膳立てした「語り部」に日本軍によって受けた「被害」を本多に語らせた。
本多はこれをひたすら書き取って記事にする。
このセッティングからして、本多はもはや完全な中共の代弁者であり、伝声管である。
あてがい扶持の証言以外に、何の証拠もなく、何一つ検証も行われない。
そもそも日本人が思いつかないような残虐行為が語られている。 
「ときにはまた、逮捕した青年たちの両手両足を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した。集めておいて工業用硫酸をふっかけたこともある。苦しさに七転八倒した死体の群れは他人の皮膚と自分の皮膚が入れかわったり、骨と肉が離れたりしていた」(『中国の旅』文庫版、231ページ) 
連載を単行本にした『中国の旅』(1972年)は日教組の社会科教師のバイブルになった。
愚かなことに、彼らはそこに書かれていることを「事実」として読むのである。
日本人は、人間は嘘をつかない者だと思い込むことで一人前になる。
この民族的属性が最大限に利用される。
この稿続く。

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ティエン・ハオ師とは、共産党支配下の愛国仏教会の幹部で、その記者会見には読売や毎日の記者も同席していたが、あまりに嘘くさいと思ったのか、一行も報道せずに無視していたものである

2019年10月23日 15時40分34秒 | 全般

以下は「堕ちたメディア」と題した別冊正論の、言論で闘わない言論機関、の特集からである。
「本多勝一」という「虚人」
藤岡信勝
前文省略。
こうした時期の1966年12月、本多は特派員として南ベトナムに派遣された。
ベトナム報道ものの時代の始まりである。
アメリカ軍とサイゴン政権のもとで取材を始めた本多は、やがて、メコン・デルタ地帯に秘密に存在した南ベトナム解放戦線(ベトコン)が支配する村に遭遇し、例の参与観察的な方法によって秘密のベールに閉ざされた解放区の実情をルポルタージュとして世界に発信した。
この一連の報道をまとめたのが、1968年に出版された『戦場の村』であった。
こうして、本多はゆくりなくも「ベトナム民衆」を発見した。 
しかし、この作品を初期の民族学的三部作と同列に並べることは出来ない。
なぜなら、『戦場の村』には三部作にはなかった鋭い政治性が刻印されざるを得なかったし、取材の過程においても、本多に全く自由な取材を許したとは考えられない。
取材は結局はベトコンのお膳立てでなされたものである。ジャーナリストとしての自由な取材ではあり得ない。
だから、本多がベトコンの戦場の村の第三者性を説得的に描いたとしたら、それは結果として、北ベトナムへのエールと反米の世論を煽るものにならざるを得ない。
これは三部作の時期のルポルタージュの方法からの決定的な変質を意味した。
殿岡との訴訟に敗北 
殿岡昭郎著『体験的本多勝一論』(日新報道、2003年刊)という本を手にしたのがいつのことか、今ではハッキリしない。
一読、深い感動を味わうとともに、これ程見事に「本多ルポルタージュ破産の証明」(本のサブタイトル)を成し遂げた体験記が書かれていたことに驚き、著者に対して深い敬意と感謝の念を抱いたことを記憶している。
戦後書かれたノンフィクション作品の中の名著の一つに入ると思う。
殿岡昭郎は1941年生まれの政治学者で、「東南アジアの共産主義とベトナム戦争」が研究対象の一つであった。
殿岡は、1974年から東京学芸大学の助教授をつとめていた。 
ベトナムでは1975年にサイゴンを北ベトナムの戦車が解放し、アメリカは撤退した。
ベトナム全土は共産党が支配する国になった。
しかし、共産党が権力を握ってしまうと、仏教徒に対する弾圧も始まった。 
こうした中で、1975年11月2日、メコン・デルタの都市カントーにある永厳寺で、宗教弾圧に抗議して12の僧侶と尼僧(僧侶3人、尼僧9人)が集団自殺を遂げる事件が起こった。
日本の新聞各紙がパリ発のロイター電でこれを報道したのは、1976年9月9日付け夕刊でだった。  
これについて、本多は独自の取材をしたかのように装い、集団自殺の首謀者の僧侶ファム・ヴァム・コーはサイゴン政府のスパイで、思想的に堕落していたため、寺の中で多くの尼僧と関係を持ち、合計26人を妻にしていたとし、このため大衆の支持を失い、絶望的になって自殺の巻き添えに他の尼僧や弟子たちを引きずり込んだものであったと書いた。
それらの記事は『ベトナムはどうなっているのか?』(1977年、朝日新聞社)に収録されている。
しかし、この記事は、本当は本多が独自に取材したものでも何でもなかった。
右のようなことを書き連ねたあと、本多は文章の最後の最後に、「ティエン・ハオ師は以上のように語った」と書き加えていた。
ティエン・ハオ師とは、共産党支配下の愛国仏教会の幹部で、その記者会見には読売や毎日の記者も同席していたが、あまりに嘘くさいと思ったのか、一行も報道せずに無視していたものである。
それを本多は、あたかも独自の取材の結果であるかのように読者を誤導し、実は共産党系組織の見解に過ぎないことを最後の一文でアリバイ的にこっそりと書き加えていたのであった。
要するに本多は、最後に責任を問われないように逃げたのだが、この行動パターンは、後の『中国の旅』に対する批判への対応と全く同型である点が興味深い。
ここには、民族学的調査三部作のころの本多ルポルタージュの方法は影も形もない。 
殿岡は1978年9月、ベトナム統一仏教会の高僧マン・ザック師に面会した。
本多の記事の内容を告げた時のマン・ザック師の反応を、殿岡はこう描写している。 
「…師はそれまで座っていた椅子から立ち上がり、興奮からか部屋の中をしきりに歩き始めた。/そのときの表情が忘れられない。青々と剃り上げた頭を考え込むように一方に傾け、大きく鼻腔を膨らまして荒い息をつき、擦り合わせた両手の指の関節をポキポキと鳴らした」 
殿岡はミニコミ紙「月曜評論」に本多批判を書き、『諸君!』1981年5月号で「今こそ『ベトナムに平和を』」という論文を書いた。
「月曜評論」の記事は、『言論人の生態-思考と行動と知性を衝く』(1981年、高木書房)に収録されている。
これに対し本多は、『諸君!』編集長・堤堯と殿岡を相手取り、名誉毀損訴訟を起こすのである。
訴訟は最高裁まで進み、本多は三度にわたって敗訴した。
この稿続く。

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2019年10月23日 10時57分32秒 | 全般

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3

ここで禄を食んだ中にインド人のラメシュ・タクール(注:Ramesh Thakur)がいて、ジャパンタイムズに日本の悪口ばかり書き並べている。

4

オランダもイランもブルガリアも半分破綻国家だ。自分の国の始末もできずに日本にたかり、根拠のない嘘や中傷で日本を貶めようとする。

5

でたらめの告発で200人以上のBC級戦犯を処刑し、戦時賠償は取らないと表向きはいいながら、裏で2度も賠償を脅し取った嘘つき国家だ。

6

While they can't manage their own country, extort money to Japan, and try to disparage Japan with

7

By the way, all the extravagant travel expenses to Japan for her to make this lie report and

8

The lie of Yoshida Seiji comes out, and South Korea that rides it is in serious trouble now

9

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10

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2019年10月23日 08時38分27秒 | 全般

1

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2

記事一覧

3

この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。

4

彼らがやっているのはGHQが敷いたWGIP路線を忠実に守ることで、とにかく日本に贖罪意識をすり込む。

5

さすがの朝日も、この「法の支配」さえ否定する韓国を記事で応援することはできなかったようだ。

6

もし朝日新聞がまともになって、本当のことを伝えるようになれば、日本は半年も経たずに良い方向へ大きく変わるだろう。

7

でも、ここまで日本を堕としたのは、政治だけのせいじゃない。世論を動かすマスコミに過半の責任がある。

8

This is a strange phenomenon not found anywhere in the world.

9

google社はSEO対策等と言うしょうもないものを公開して上記の様な悪党を蔓延らせた責任を取って即刻削除せよ。

10

「逆SEO」を行うのは、主に好ましくない過去がある個人や、犯罪用の裏サイトを運用する犯罪組織などだ。社会の公器たるべき新聞社が自社の記事に「逆SEO」をかけるとは前代未聞だと言っていいだろう

11

Asahi Shimbun that continued to conceal the comfort woman correction in an English article.

12

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

13

Japanese aesthetics that do not clarify the objection to lies by 'words' are defeated by propaganda

14

If the Asahi Shimbun becomes decent and tells the truth, Japan will change significantly

15

中国や朝鮮半島の意向通りに日本の原子力技術を無きものにする…日本には絶対的に核を持たせない=いつでも攻撃できる国、何時でも侵攻できる国にしておきたい、

16

朝日に文氏を指弾する姿勢は皆無で、どこまでも「安倍=悪」の取り上げ方を崩さない。この新聞は「どこの国の新聞だ?」と問われれば、おそらく百人が百人「韓国の新聞」と答えるに違いない

17

そんなアホなGHQがつくった憲法をやたらありがたがり、国が滅んでも、いい憲法を守ろうという新聞がある。困ったものである。

18

L'estetica giapponese che non chiarisce l'obiezione alle menzogne

19

The Asahi Shimbun has crafted so that it cannot be searched!

20

朝日の刃は、「盗人猛々しい」「今後起こる事態の責任は日本政府にある」といった常軌を逸した言葉を発する側ではなく、あくまで日本に向くのである。

21

この記事の場合、さらに検索回避のメタタグを追加していた。朝日新聞には、どうしてもこの記事を隠したい特別の理由があるのだろうか。疑惑は深まるばかりだ。

22

文氏が引き起こす問題は、日本人をあらゆる意味で「覚醒させた」という点で歴史に残るものとなったことだけは間違いない。

23

朝日がなかったら、日韓関係がここまでこじれることはなかったと思うと日本人のひとりとして本当に残念であり、腹立たしく思う。

24

日本も、中国はひどいことする国だって分かってるんだけども、政府開発援助(ODA)を長年にわたって三兆円以上も中国にあげるわけですよ。

25

La estética japonesa que no aclara la objeción a las mentiras por

26

Not only that, all the 11 English articles were written in Japanese on Japanese sites.

27

朝日の役割はGHQが創った話を風化させないよう折に触れて繰り返す。朝日は米国への忠誠の表れに自作の自虐話、慰安婦も創った。米国が関与しないデマだからぼろも出る。

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There is a newspaper that is grateful for the constitution made by such a stupid GHQ

30

We must confiscate their assets at once and use it for disaster prevention work

31

L'esthétique japonaise qui ne clarifie pas l'objection au mensonge

32

拉致事件が暴かれるちょっと前までは朝日が北朝鮮はパラダイスだ、さあ人民の国へ帰ろうっていう長いキャンペーンをやっていたわけです。

33

メディアが中国の膨張を許した…天安門事件の時に戻るけど、あの後、徹底的に批判して、天皇訪中を絶対許すなっていう論調を張って、中国の首根っこを押さえていれば

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「福島の死者」を待つ朝日新聞…学ばない朝日新聞…嘘を上塗りする朝日…わずか5ミリの被曝で1年後に白血病を発症した例は、世界のどこにもない。

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there was another article with an embedded search escape meta tag.

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Die japanische Ästhetik, die den Einwand der Lüge nicht durch

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'Inner enemy' to neglect national interest and support Korea

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一方、欧米の多くのジャーナリストや歴史家が、「南京大虐殺」や「慰安婦=性奴隷説」を信じる最大の理由は、膨大な英文での情報があるからだ。

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何度も読み返したが、これほど詳細な英文情報を初めて目にした。本来外務省がすべきことを、産経新聞社が奮闘している。

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這與他們為慰安婦所做的假運動相同。

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希望のたね基金(慰安婦問題を終わらせまい)とする団体と、挺対協の尹美香代表(合意の行き先はゴミ箱だ)と言った人が日本の議員会館で

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A estética japonesa que não esclarece a objeção às mentiras

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C'est la même que la fausse campagne qu'ils ont faite pour les femmes de réconfort.

49

'말'에 의한 거짓말에 대한 반대를 명확히하지 않는 일본의 미학은 선전에 의해 패배한다

50

我々は即座に「なぜこれらふたつの記事にだけ検索を回避するメタタグが挿入されているのか?」という質問状を朝日新聞に送った。

 

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2019年10月23日 08時31分42秒 | 全般

1

吉田清治の嘘がばれてそれに乗っていた韓国が今やばいことになっている。

 

2

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3

結局、日本はいいように使われ、知恵も金も与えたんだよ、中国に。 

 

4

日本の議員が部屋を貸さない限りこういう活動は出来ない…誰が貸したのか調べたら『辻元清美』だった

 

5

「メディアはなぜ堕ちたのか」国益そっちのけで韓国の肩を持つ'内なる敵' 

 

6

小泉内閣になってから、精神分裂病という病名は、統合失調症というオブラートにつつんだような名称に変

 

7

福島の死者」を待つ朝日新聞…嘘を上塗りする朝日…津田敏秀…吉野太一郎記者…大岩ゆり記者

 

8

それだけに歴史が捏造されていくきっかけを創った日本の新聞の罪は重い。

 

9

There is nothing as stupid as this.

 

10

正式には「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」と言われるもので、1972年に橋本恕在中国日

 

11

すると安倍は「あなたの新聞が吉田清治という詐欺師の話を広めたためじゃないですか」と切り返した。

 

12

若い世代ほど、フェイクニュースをフェイクだと感知できるようになっている。これは大きな変化だ。

 

13

朝日がまたやった…悪意の記述は継続されていた…全てに共通する誤報…元は朝日新聞

 

14

google社は、こういう犯罪者の温床を自ら作って来た事を反省して即刻以下の犯罪リンクを削除せよ

 

15

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16

彼らは、ただ「自己陶酔型シャッター症候群」にかかっているだけなのです。

 

17

そういうことを全くせずに、昨夜の様な講釈を垂れる態様を、「おためごかし」というのであり、

 

18

こんな連中ばかりがのさばり、もっと有害な中共が拒否権を持つ国連。日本は本気でを考えたい。

 

19

このおばさんは、こう言ったのである。「日本も(そういうことができるようになった)

 

20

マッカーサーに阿る南原繁も東大総長として学生にキリスト教入信を説いた。

 

21

堕ちたメディア…メディアはなぜ堕ちたのか…本当のことを書かないからだよ

 

22

国民に対して説明責任のあるA級戦犯記者どもは以下の3名。①読売新聞 越前谷知子

 

23

あなたは、この世で最も不実な人間達…何よりも、これ以上ない売国奴達の論説を正しいと思って来た、

 

24

合計して8億ドルである。この金額は当時のものであるので、貨幣価値を今の時代に換算してみる。

 

25

あんな中国や韓国に人類史上最大の莫大な援助をしてしまった様な馬鹿な事をせずに、あの巨額を日本全土

 

26

不自然な説明と新たな衝撃事実…隠したかったとしか思えない 

 

27

節目でマスコミが弱腰、政府も弱腰。それで増長を続けた共産主義の親玉の中国がここまで膨張しちゃった

 

28

こんな悪だくみに、NHK=日本国営放送が協働する態様…これ以上反吐が出る態様が何処にあろう。

 

29

戦後70年、日本はその名誉を守るために、『歴史戦』に勝利せねばならない。

 

30

以下はgooにおけるリアルタイムのベスト10である。

 

31

因みに彼女がこの嘘報告を創るための日本への大名旅行費も彼女の高給もすべて国連分担金から出される

 

32

英語記事で慰安婦訂正を隠し続けた朝日新聞…検索できない細工をしている!  

 

33

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34

この三十年間、あれが踏み台になって中国はとんでもなく増長した国になった。 

 

35

TBSが反日的報道をする理由を知っていますか?

 

36

読者が朝日のやり方についてこない場面が増えてきた。 安倍政権の大きな成果だ。

 

37

朝日新聞やNHK等の悪に遭遇し続けた戦後74年…

 

38

つまり、一度の合意で歴史問題は解決しないというのだ。歴史認識を蒸し返す朝日と全く同じやり方である

 

39

ここの所長を務め、いまも高級顧問の名でたかっているのがイラン人女性のナスリーン・アジミだ。

 

40

John Lennon Help Me To Help Myself

 

41

彼は実態は北朝鮮の工作員であると言っても全く過言ではない人間である。

 

42

しかしそこで行われるのは北朝鮮と親しい元副学長武者小路公秀のシンパによる反日セミナーが多く、

 

43

もし彼らが貴方達の国を代表する新聞だったら、貴方達はどう思うだろうか?

 

44

連日、テレビ等が嬉々として報道している関電の問題、あれは加害者と被害者があべこべなのである。

 

45

何故、外国人の彼らがスパイ法案に激しく反対したのかは言うまでもないだろう。

 

46

知事の国連演説は、眼前の危機から目を背ける反基地派の不誠実さをも浮き彫りにした。

 

47

当初の珍しさはすぐに薄れ、彼らも『いかに語るか』より『何を語るか』によって採点され始め、まもなく

 

48

中国、新型原発の稼働ラッシュ。30年、発電能力4倍目指す。

 

49

世の中には多くの権力が存在します。巨大な宗教団体をはじめ権力そのもののような圧力団体が多数存在し

 

50

NHKの左翼ドキュメンタリー屋にとって目の上のたん瘤だった籾井会長が2017年初頭に退任し、

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