文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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一方、野生動物市場が発生源だとする説にも「確固たる証拠はない」と指摘。「私にとって、パンデミックの起源は依然として未解決の疑問だ」と語った。

2020年04月22日 23時53分18秒 | 全般

以下はmsnニュースからである。

【解説】新型コロナの流出源? 武漢研究所を取り巻く疑惑

<main id="main" role="main" data-region="main" data-id="49" data-m="{"> <article class="articlecontent allowvig loaded" data-id="52" data-m="{" data-nativead-placements="article_aside:3;singlecard1:1;singlecard2:1;singlecard3:1;singlecard4:1;singlecard5:1;singlecard6:1;singlecard7:1;singlecard8:1;singlecard9:1;singlecard10:1;singlecard11:1;"> <section class="flexarticle" data-id="53" data-m="{"> <section class="articlebody " data-id="54" data-m="{">中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(2020年4月17日撮影)。</section> <section class="articlebody " data-id="54" data-m="{">© Hector RETAMAL / AFP 中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(2020年4月17日撮影)。

【AFP=時事】新型コロナウイルス流行の中心地となった中国・武漢(Wuhan)のはずれの山沿いに位置する「武漢ウイルス研究所(Wuhan Institute of Virology)」──。厳重な警備下に置かれたこの施設が新型ウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の発生源だった可能性があるとの疑惑が今、米国で取り沙汰されている。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。

 以下に、同研究所をめぐる主な疑問をまとめた。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(中央、2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(中央、2017年2月23日撮影)。

■どのような施設なのか?

 同研究所内には中国ウイルス培養物保存センター(CCVCC)がある。公式ウェブサイトによると、同センターはアジア最大のウイルス保管施設で、1500株以上を保管している。

 同研究所では2015年、病原体レベル4(P4)を扱える最高水準の安全性を確保した実験室が完成し、2018年に稼働を開始。P4は人から人への感染の危険性が高いウイルスを指し、エボラウイルスなどが含まれる。

 P4実験室の建設に当たっては、仏バイオ企業の創業者アラン・メリュー(Alain Merieux)氏が顧問を務めた。同研究所では病原体レベル3(P3)実験室も2012年に稼働を開始している。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。

 AFP記者が最近、同研究所を訪れたところ、内部に人の動きはみられなかった。

■新型ウイルスはここで発生したのか?

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)とFOXニュース(Fox News)は匿名の情報筋の話として、新型ウイルスがこの研究所から誤って流出した可能性があると報じた。

中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(中央奥、2020年4月17日撮影)。© Hector RETAMAL / AFP 中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(中央奥、2020年4月17日撮影)。

 ワシントン・ポスト紙が入手した外交公電からは、当局者らが特に重症急性呼吸器症候群(SARS)に類似したコウモリコロナウイルスの取り扱いをめぐる安全対策の不備に懸念を示していたことが明らかになった。

 FOXニュースは、同施設で研究対象となっていたコウモリ由来のウイルス株に感染した人物が「0号患者」となり、そこからウイルスが武漢の住民に広まった可能性があると伝えた。

 中国の科学者らは、新型コロナウイルスは武漢の野生動物市場で動物から人へと感染した可能性が高いとしているが、インターネット上では武漢ウイルス研究所が起源だとの疑惑をめぐるさまざまな陰謀説が拡散。ついには米政府もこの疑惑に言及し、当局がウイルスの出所をめぐり「徹底的な調査」を行っていることをマイク・ポンペオ(Mike Pompeo)国務長官が表明するに至った。

 同研究所は17日、コメントを拒否したものの、今年2月にはうわさを否定する声明を出していた。また中国外務省の趙立堅(Zhao Lijian)報道官は17日、同研究所から新型コロナウイルスが流出したとの説を否定した。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。

■新型ウイルスについて分かっていることは?

 科学者らは、新型ウイルスの起源はコウモリだと考えており、そこからセンザンコウを媒介して人へと感染した可能性があるとみている。センザンコウは絶滅が危惧されているが、中国国内ではそのうろこが伝統薬の材料として違法に取引されている。

 だが今年1月、英医学誌ランセット(Lancet)に発表された中国科学者チームの論文では、最初の感染者と、初期に感染が確認された41人のうちの13人が、ウイルス発生源とされる武漢の野生動物市場とはつながりがなかったことが明らかにされた。

中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(中央、2020年4月17日撮影)。© Hector RETAMAL / AFP 中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(中央、2020年4月17日撮影)。

 中国を代表するコウモリコロナウイルス研究者の一人で、武漢ウイルス研究所P4実験室の副所長でもある石正麗(Shi Zhengli)氏は、新型コロナウイルスがコウモリ由来であることを初めて示した論文を出した研究チームの一員だ。

 米科学雑誌サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)のインタビューに応じた石氏は、新型コロナウイルスのゲノム配列は自身の研究所がこれまでに収集・研究したコウモリコロナウイルスのいずれとも一致しなかったと述べた。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(前列右、2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(前列右、2017年2月23日撮影)。

 英ロンドン大学キングスカレッジ(King's College London)のバイオセキュリティー研究者、フィリッパ・レンツォス(Filippa Lentzos)氏はAFPに対し、新型ウイルスが武漢の研究所から流出したとする説には今のところ証拠がないとする一方、野生動物市場が発生源だとする説にも「確固たる証拠はない」と指摘。「私にとって、パンデミックの起源は依然として未解決の疑問だ」と語った。

中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。

【翻訳編集】AFPBB News

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1月11日に新型コロナのゲノムを発表した上海の研究所はすぐに閉鎖され、医者や初期に感染拡大を報じたジャーナリストは姿を消してしまった

2020年04月22日 23時39分57秒 | 全般

以下は、先ほどネットで発見した記事からである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200419-00174088/
安全運営が不十分な研究所
武漢研究所の安全運営の問題について報じたのは、4月14日付のワシントン・ポスト電子版だ。
2年前、北京のアメリカ大使館の外交官が、武漢研究所を数度訪問、その際、研究所の安全性に問題があることに気づかされた外交官は、米政府に「コウモリのコロナウイルスに関する危険な研究を行なっている研究所の安全性が不十分である」と警告する公電を2回送っていたという。
2018年1月19日付の公電は、「この研究所には、高度に密閉された研究室の安全運営に必要な、訓練された技術者や調査員が非常に不足している」と安全運営の問題を指摘。
さらに、公電は、コウモリ由来のコロナウイルスは人に伝染して疾病を引き起こし、将来、コロナウイルスによる感染爆発が起きる可能性も指摘している。
「最も重要なのは、研究者が、SARSのようなコロナウイルスは、ACE2という人の受容体と結びつくことを示したことだ。これは、コウモリ由来のSARSのようなコロナウイルスが人に伝染し、SARSのような疾病を引き起こすことを示唆している。公衆衛生の観点から、コウモリが持っているSARSのようなコロナウイルスの調査と、将来発生するコロナウイルスの感染爆発の防止に重要なアニマルーヒト・インターフェイスの研究を継続して行う必要がある」
トランプ政権の国家安全保障担当の高官らは、武漢研究所から新型コロナが流出した可能性と、新型コロナが人工的に開発された生物兵器であるという可能性を考えていた。
しかし、後者の可能性はゲノム解析の結果、人工的に作られたものではないとわかり、否定された。
そして、2ヶ月前から、2年前のこの公電がトランプ政権内を駆け巡り始め、安全運営に問題があったと指摘されていた武漢研究所から新型コロナが流出した可能性が議論され始めたという。
米政府は研究資金を援助
では、どうやって新型コロナは流出したのか?
英紙デイリーメールは、新型コロナを含んだ血を浴びた武漢研究所の科学者が感染者第1号となり、その科学者が地域に感染が広めた可能性があると報じている。
公電はまた、コウモリのコロナウイルス研究は重要かつ危険であることから、米政府は武漢研究所を支援するよう訴えているが、実際、米政府は研究所に研究資金を援助をしていたと英米のメディアは指摘している。
英デイリーメールが入手した書類によると、アメリカは武漢研究所のコロナウイルス研究に370万ドルの資金援助を行なっていたという。
武漢研究所は、研究所から1千マイル以上離れた雲南省の洞窟に住むコウモリをコロナウイルスの実験に使っていたが、同紙によれば、その実験には、米国立衛生研究所(NIH)が出した370万ドルの研究資金が投じられていたというのだ。
また、フォックスニュースも、武漢研究所は、米国立衛生研究所から710万ドル相当の研究資金を得ていたと報じている。
うち、370万ドルが前述のコウモリのコロナウイルス研究に関する研究資金で、340万ドルがウイルスをねずみの脳に注入する研究資金だったという。
ちなみに、中国は、コロナウイルス研究を通して、中国はアメリカ並みかアメリカ以上に、コロナウイルスの発見に取り組んでいることを示したかったようだ。
新型コロナの感染爆発を警告していた
また、武漢研究所の主任研究員で「コウモリ女」というニックネームを持つジェンリー・シー氏は、1年前に発表した論文で、コウモリに由来するSARSのようなコロナウイルスの感染爆発が中国で起きることを、以下のように警告していたという。
「将来起きるSARSやMERSのようなコロナウイルスによる感染爆発はコウモリに由来する可能性が非常に高い。そして、感染爆発は中国で起きる可能性が高まっている」
アメリカ人の死は中国の責任
米政府の資金援助で行われたコロナウイルス研究の過程で新型コロナが流出し、感染が世界に拡大した可能性があることに対し、アメリカの議員たちは怒りを抑えきれない。
「米国立衛生研究所は370万ドルの研究資金を武漢研究所に提供し、研究所はそのお金でコロナウイルスの研究者を募集、その後に、武漢で新型コロナ感染が発生した。アメリカ政府が何年間も、武漢研究所の危険で残酷な動物実験に資金提供を行い、それが、新型コロナ感染の世界拡大を引き起こした可能性があることを知り、むかついている」(共和党下院議員のマット・ガエズ氏)
「アメリカ人が死んでいるのは中国共産党政府の責任であることに疑いの余地はない。彼らは、新型コロナの起源を隠蔽することで、アメリカ人の命を危険にさらしている。米国立衛生研究所はすぐにアメリカ人の税金を中国の危険な研究に投じるのをやめなければならない」(共和党上院議員のマーサ・マクサリー氏)
ところで、武漢研究所に資金提供していたのはアメリカだけではなかった。
カナダも、直近では、先月、この研究所に資金提供していたことを、カナダのレベルニュースが伝えている。
カナダの研究機関は、3月初め、新型コロナと闘うための研究開発資金を同研究所に提供すると発表したという。
海鮮市場起源はおかしい
信憑性を帯びてきた、武漢研究所起源説。
しかし、武漢研究所も中国政府も感染爆発は研究所とは無関係と主張しており、多くの専門家も関係性を否定している。
一方で、新型コロナが武漢の海鮮市場に由来するという中国政府の主張はおかしいという指摘もある。
ランセットに出された中国人研究者の論文によると、昨年12月1日に確認された最初の感染者や、最初の感染者集団の3分の1以上の人々は海鮮市場と繋がりがなく、また、市場ではコウモリが売られていなかったからだ。
また、中国政府は新型コロナの感染源に関する情報を完全に封じ込め、アメリカ人専門家に、初期の患者から採取した新型コロナの検体をまだ提供していないという。
1月11日に新型コロナのゲノムを発表した上海の研究所はすぐに閉鎖され、医者や初期に感染拡大を報じたジャーナリストは姿を消してしまったとも言われている。
新型コロナは武漢研究所発なのか?
トランプ政権がこの研究所から新型コロナが流出したという証拠を突き止めるのは難しいという声もあるが、今後の行方が注目されるところだ。


中国政府は新型コロナの感染源に関する情報を完全に封じ込め、アメリカ人専門家に、初期の患者から採取した新型コロナの検体をまだ提供していない

2020年04月22日 23時37分24秒 | 全般

以下は、先ほどネットで発見した記事からである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200419-00174088/
安全運営が不十分な研究所
武漢研究所の安全運営の問題について報じたのは、4月14日付のワシントン・ポスト電子版だ。
2年前、北京のアメリカ大使館の外交官が、武漢研究所を数度訪問、その際、研究所の安全性に問題があることに気づかされた外交官は、米政府に「コウモリのコロナウイルスに関する危険な研究を行なっている研究所の安全性が不十分である」と警告する公電を2回送っていたという。
2018年1月19日付の公電は、「この研究所には、高度に密閉された研究室の安全運営に必要な、訓練された技術者や調査員が非常に不足している」と安全運営の問題を指摘。
さらに、公電は、コウモリ由来のコロナウイルスは人に伝染して疾病を引き起こし、将来、コロナウイルスによる感染爆発が起きる可能性も指摘している。
「最も重要なのは、研究者が、SARSのようなコロナウイルスは、ACE2という人の受容体と結びつくことを示したことだ。これは、コウモリ由来のSARSのようなコロナウイルスが人に伝染し、SARSのような疾病を引き起こすことを示唆している。公衆衛生の観点から、コウモリが持っているSARSのようなコロナウイルスの調査と、将来発生するコロナウイルスの感染爆発の防止に重要なアニマルーヒト・インターフェイスの研究を継続して行う必要がある」
トランプ政権の国家安全保障担当の高官らは、武漢研究所から新型コロナが流出した可能性と、新型コロナが人工的に開発された生物兵器であるという可能性を考えていた。
しかし、後者の可能性はゲノム解析の結果、人工的に作られたものではないとわかり、否定された。
そして、2ヶ月前から、2年前のこの公電がトランプ政権内を駆け巡り始め、安全運営に問題があったと指摘されていた武漢研究所から新型コロナが流出した可能性が議論され始めたという。
米政府は研究資金を援助
では、どうやって新型コロナは流出したのか?
英紙デイリーメールは、新型コロナを含んだ血を浴びた武漢研究所の科学者が感染者第1号となり、その科学者が地域に感染が広めた可能性があると報じている。
公電はまた、コウモリのコロナウイルス研究は重要かつ危険であることから、米政府は武漢研究所を支援するよう訴えているが、実際、米政府は研究所に研究資金を援助をしていたと英米のメディアは指摘している。
英デイリーメールが入手した書類によると、アメリカは武漢研究所のコロナウイルス研究に370万ドルの資金援助を行なっていたという。
武漢研究所は、研究所から1千マイル以上離れた雲南省の洞窟に住むコウモリをコロナウイルスの実験に使っていたが、同紙によれば、その実験には、米国立衛生研究所(NIH)が出した370万ドルの研究資金が投じられていたというのだ。
また、フォックスニュースも、武漢研究所は、米国立衛生研究所から710万ドル相当の研究資金を得ていたと報じている。
うち、370万ドルが前述のコウモリのコロナウイルス研究に関する研究資金で、340万ドルがウイルスをねずみの脳に注入する研究資金だったという。
ちなみに、中国は、コロナウイルス研究を通して、中国はアメリカ並みかアメリカ以上に、コロナウイルスの発見に取り組んでいることを示したかったようだ。
新型コロナの感染爆発を警告していた
また、武漢研究所の主任研究員で「コウモリ女」というニックネームを持つジェンリー・シー氏は、1年前に発表した論文で、コウモリに由来するSARSのようなコロナウイルスの感染爆発が中国で起きることを、以下のように警告していたという。
「将来起きるSARSやMERSのようなコロナウイルスによる感染爆発はコウモリに由来する可能性が非常に高い。そして、感染爆発は中国で起きる可能性が高まっている」
アメリカ人の死は中国の責任
米政府の資金援助で行われたコロナウイルス研究の過程で新型コロナが流出し、感染が世界に拡大した可能性があることに対し、アメリカの議員たちは怒りを抑えきれない。
「米国立衛生研究所は370万ドルの研究資金を武漢研究所に提供し、研究所はそのお金でコロナウイルスの研究者を募集、その後に、武漢で新型コロナ感染が発生した。アメリカ政府が何年間も、武漢研究所の危険で残酷な動物実験に資金提供を行い、それが、新型コロナ感染の世界拡大を引き起こした可能性があることを知り、むかついている」(共和党下院議員のマット・ガエズ氏)
「アメリカ人が死んでいるのは中国共産党政府の責任であることに疑いの余地はない。彼らは、新型コロナの起源を隠蔽することで、アメリカ人の命を危険にさらしている。米国立衛生研究所はすぐにアメリカ人の税金を中国の危険な研究に投じるのをやめなければならない」(共和党上院議員のマーサ・マクサリー氏)
ところで、武漢研究所に資金提供していたのはアメリカだけではなかった。
カナダも、直近では、先月、この研究所に資金提供していたことを、カナダのレベルニュースが伝えている。
カナダの研究機関は、3月初め、新型コロナと闘うための研究開発資金を同研究所に提供すると発表したという。
海鮮市場起源はおかしい
信憑性を帯びてきた、武漢研究所起源説。
しかし、武漢研究所も中国政府も感染爆発は研究所とは無関係と主張しており、多くの専門家も関係性を否定している。
一方で、新型コロナが武漢の海鮮市場に由来するという中国政府の主張はおかしいという指摘もある。
ランセットに出された中国人研究者の論文によると、昨年12月1日に確認された最初の感染者や、最初の感染者集団の3分の1以上の人々は海鮮市場と繋がりがなく、また、市場ではコウモリが売られていなかったからだ。
また、中国政府は新型コロナの感染源に関する情報を完全に封じ込め、アメリカ人専門家に、初期の患者から採取した新型コロナの検体をまだ提供していないという。
1月11日に新型コロナのゲノムを発表した上海の研究所はすぐに閉鎖され、医者や初期に感染拡大を報じたジャーナリストは姿を消してしまったとも言われている。
新型コロナは武漢研究所発なのか?
トランプ政権がこの研究所から新型コロナが流出したという証拠を突き止めるのは難しいという声もあるが、今後の行方が注目されるところだ。


たった2か月や3か月で消えてなくなる様なものは文化でもないことすら、NHKの報道部を支配している連中は分からない。 一体全体、この連中は何者なんだろうか。

2020年04月22日 21時47分17秒 | 全般

NHKの職員達は、「おためごかし」、という病に罹患している。
食後に林檎が食べたくなってキッチンに立って皮をむいていた私の耳に、新たにブラタモリに登場した若い女性アナのアナウンスが届いた。
自粛で様々な催しが中止されている。彼女は何の疑いも持たたないどころか、全知全能的に正しい事をコメントしている、確信に満ちた声で言っていたのである。「文化は守れるのか」
世界中が、極めて危険な中国発の得体の知れないウィルスとの戦いに専念している時に、である。
たった2か月や3か月で消えてなくなる様なものは文化でもないことすら、NHKの報道部を支配している連中は分からない。
一体全体、この連中は何者なんだろうか。
たった2か月や3か月で消えてなくなる様な文化?
そんなもの要らねえよ。
そんな下らない事を、公共の電波を使って言っている暇があるのなら、今すぐに、中国政府に対して、武漢ウイルスの正体を明らかにしろと、彼らが同意するまで、要求を繰り返せ。
毎日、全てのニュースで要求してみな。
そうすれば、さしものCCPの、ろくでなし(悪党)どもでも、終に、根を挙げて白状するだろう。
日本国営放送が、至極当然な、本当の怒りを持って、毎日、全ての報道番組で、要求を続けたら、初めて、彼らは真相を明かすだろう。
連日、言い続けたら、必ず世界に届くからである。
嘘だと思うなら、本欄を見よ。


Then, even the bastards (villains) as CCP are, in the end, they will admit defeat and confess

2020年04月22日 21時33分40秒 | 全般

NHK staff are suffering from the disease's 'act of ostensible kindness done in one's own interest.'
After a meal, a young female announcer who appeared in Bratamori introduced the NHK program to my ear, who was standing in the kitchen peeling to eat an apple.
Various events have been canceled due to self-restraint. Far from having any doubt, it spoke in a confident voice, commenting on what was right. "Can culture be protected?"
That's when the world is devoted to fighting the unsafe virus from China that is extremely dangerous.
Even the things that disappear in just two or three months aren't culture, so the people who control the NHK news department don't know.
Who on earth are these guys?
Is it a culture that disappears in just two or three months?
Such one isn't needed.
If you have the time to say such a worthless thing using public radio waves, immediately repeat requests to the Chinese government until they agree to clarify the identity of the Wuhan virus.
Request every news item every day.
Then, even the bastards (villains) as CCP are, in the end, they will admit defeat and confess.
Only if Japan National Broadcasting continues to make demands on every news program every day, with the most natural and right anger, will they reveal the truth.
If you keep saying it every day, it will reach the world.
If you think it's a lie, look at this column.


we must thank God for having one of the best and most genuine post-war journalists in the world.

2020年04月22日 17時39分36秒 | 全般

In this chapter, who is Kiyomi Tsujimoto, who created the Moritomo issue together, and what the Asahi Shimbun identity is is written entirely. Reissue the section that I published on February 17, 2019.
They make such a person elected as a member of the Diet, and redistribute the chapter that I published on 2018-12-17, entitled 'National tax over 45 million yen per year.' All Japanese people must keep in mind and know because it was the history of yesterday.
Even so, everyone will think that the Asahi Shimbun and Kiyomi Tsujimoto and others are repulsive.
Japan suffers from the Korean Peninsula in every way possible, because it's a historical chapter that reveals that fact.
The chapter sent on March 28th is now in the top three goo searches.
This chapter is such a chapter that every Japanese must keep in mind so that all Japanese people will never forget it again.
Above all, we must thank God for having one of the best and most genuine post-war journalists in the world.
Readers will think, as my friend said, Masayuki Takayama and I are as alike as two peas in a pod.
In this chapter, who is Kiyomi Tsujimoto, who created the Moritomo issue together, and what the Asahi Shimbun identity is is written entirely.
Pseudo-moralists. It can't wait to say that their representatives are Oe Kenzaburo and Haruki Murakami. Many of the pseudo-moralists who have been following them are themselves, guilty people, for Japan and the Japanese people. Every reader should know that it was a felony for the world.
Masayuki Takayama, the world's only journalist in the postwar era, talked about what kind of land Moritomo Gakuen and its adjoining land were.
It tells us that Asahi Shimbun and NHK don't report at all for some reason.
It is a fact that all Japanese people and people all over the world must know.
Abbreviation
It is a land with a shady history.
In the first place, the land that Moritomo bought was with a shady history.
There is the approach route for the aircraft at Itami Airport. It's a so-called restricted area on the entry surface.
It is an important advance hint, and there was a lot of noise from jet planes around the area, and people in the surrounding area were making a lot of noise.
In particular, the residents of the Nakamura area, who dig into the Itami Airport premises, rushed to the airport and made noise at the JAL and ANA counters.
He says, 'Nosebleeds don't stop because of noise,' and sprinkle some bloody tissue paper in cardboard. 'What will you do with this responsibility?'
That kind of noise problem is under the jurisdiction of the Civil Aviation Bureau of the Ministry of Transport (at that time), but even if they talk to  them, there is no cup of tea. It's not a story that goes through initially.
However, since commercial airlines are service industries, if you make a noise in the lobby, you can get tea cakes by putting you in the office saying, 'Oh, here.'
if things go well you can get the fee of car, speaking of 'give an airline ticket' you will also get an airline ticket.
That has always happened. ‥
Why do people live in a place where a runway runs in the garden? Everyone wonders.
However, it was decided that the residents would pass, and Itami airport would be closed, and the new Kansai airport would be built.
I found the mystery of whether such an unreasonable sneak came through finally in an article in the 'People' section of the 2010 Asahi Shimbun. ‥
When I read it, the residents of the Nakamura area said, 'Before the war, people gathered from the Korean Peninsula to expand the airport' were 'turned around after the war and made into squatters.'
The reporter, Taichiro Yoshino, who wrote this article, writes that they are like Koreans who were forced to be taken and recruited, but that is a lie.
In fact, Asahi himself wrote that almost all Koreans recruited returned to the peninsula.
It's an article that deceives the reader. ‥
But in this article, it was made clear that the people who made the fuss were the Koreans who 'squatters' the airport grounds.
So I can understand that common sense doesn't apply and that if you start making a fuss, you can't touch it.
Takita
There was such a situation.
This article continues.


Personne ne savait rien de la vérité des choses pour les gens du monde entier.

2020年04月22日 16時53分14秒 | 全般

Kazuo Asami était un pilier qui soutenait un mensonge précieux. Par conséquent, la Chine a appelé Asami. Rééditez le chapitre que j'ai publié le 2019-02-16.
Ce qui suit est de p98.
Tous ceux qui se sont abonnés à ce chapitre auraient dû admirer que "Takayama est incroyable!"
Tous les Japonais qui savent lire les imprimés doivent se rendre à la librairie la plus proche et s'abonner immédiatement à ce livre.
Personne ne savait rien de la vérité des choses pour les gens du monde entier. Vous devez vous en rendre compte dans ma traduction.
C'est la ruse de la Chine qui a corroboré le journaliste qui a écrit l'article Contest pour tuer 100 personnes à l'aide d'une épée.
Takayama
Les Chinois sont aussi vicieux que les Américains.
La ruse, que les Japonais n'ont pas, peut être retirée calmement.
Un exemple est le mouvement de Liao Chengzhi dans les années 1960.
Avant le début de la Révolution culturelle en 1966, Liao Chengzhi a appris qu'Asami Kazuo faisait partie des journaux invités du Japon.
Asami Kazuo a écrit «Concours pour tuer 100 personnes à l'aide d'une épée! / Two Ensign, dès 80 ', il a écrit un article absurde intitulé Ensign Noda Tsuyoshi, et Ensign Toshiaki Mukai a rivalisé avec l'épée japonaise pour décider lequel tuer 100 tôt au moment où ils sont entrés à Nanjing.
Après la guerre, l'enseigne Noda et Mukai ont été condamnés à mort par un article d'Asami, bien qu'ils soient innocents.
Ce rapport «Concours pour tuer 100 personnes à l'aide d'une épée» a également été utilisé comme matériel de renforcement pour les mensonges du massacre de Nanjing créé en Chine et aux États-Unis.
C'est cet Asami qui l'a écrit.
À cette époque, j'étais membre syndical du Mainichi Shimbun.
Liao Chengzhi a immédiatement invité Asami et sa famille, sa femme et sa fille en Chine pour lui donner un bon travail, et sa fille a rejoint l'Université de Pékin.
Pourquoi a-t-il fait ça?
«Le concours pour tuer 100 personnes à l'aide d'une épée» était connu pour être un mensonge même si les preuves étaient collectées.
Si Asami était placé au Japon, Tomomi Inada était en fait en litige pour le fait, mais il était évident qu'Asami s'était excusé: «C'était un mensonge» et «désolé». ‥
Si le mensonge d'Asami est révélé, l'un après l'autre, la tromperie du massacre de Nanjing révélera.
C'est juste un trou dans une fourmi.
Si le mensonge du massacre de Nanjing était révélé, pourrait-il y avoir de l'APD (aide publique au développement) du Japon, qui était en plein essor à l'époque de Deng Xiaoping?
Lisez jusqu'à ce point et rapidement rassasié la famille Asami. ‥
Asami Kazuo était un pilier qui soutenait un mensonge précieux.
Ainsi, la Chine a appelé Asami.
Lorsque le concours pour tuer 100 personnes à l'aide d'une épée est devenu un problème au Japon dans les années 1970, Asami est venu de Pékin, témoignant que c'était réel et qu'il revenait à Pékin. ‥
La fille d'Asami a quitté l'Université de Pékin et le gouvernement de Pékin en a bien pris soin.
J'ai rencontré la fille par hasard.
Elle dirigeait une maison de thé dans le coin d'une installation pour les touristes japonais.
Il y avait une photo encadrée de Liao Chengzhi dans le magasin, et elle disait: «À Asami Kazuo».
Quand je lui ai demandé, elle a répondu: "Oui, c'est mon père."
Je lui ai demandé que les deux enseignes avaient innocemment péché dans l'article non-sens de votre père.
La fille a répondu: «Mon père sait s'ils sont innocents» d'une manière calme, en disant: «Mon père a également souffert».
«Votre père a tué quelqu'un, il serait donc naturel de souffrir», ai-je clairement indiqué à sa fille, mais elle n'avait aucun remords. ‥
Ce que je ressentais, c'était la grande lecture de Liao Chengzhi.
Depuis les années 1960, il avait décidé d'en faire une histoire.
Pour les japonais, une telle ruse ne fonctionne pas.
Depuis 1979, la Chine a retiré l'APD du Japon, mais en bref, il sait que si Asami se confesse, cela va tout gâcher, alors il a mis une ligne de précaution.
Je peux seulement dire que c'est un gros problème.


沒有人對全世界人民的事物真相一無所知。

2020年04月22日 16時52分16秒 | 全般

麻美和夫是支撐寶貴謊言的支柱。因此,中國占領了麻美。重新發布我在2019-02-16發表的章節。
以下來自p98。
訂閱本章的每個人都應該欽佩“高山真了不起!”
所有可以閱讀印刷品的日本人,必須到最近的書店並立即訂閱。
沒有人對全世界人民的事物真相一無所知。您必須在我的翻譯中意識到這一點。
正是中國的狡猾使撰寫這篇文章《比賽用劍殺死100人》的記者感到憤怒。
高山
中國人也像美國人一樣惡毒。
可以冷靜地擺脫日本人所沒有的詭計。
一個例子是1960年代的廖承志運動。
在1966年文化大革命開始之前,廖承志得知日本邀請的報紙之一就是淺見一雄。
麻美和夫(Asami Kazuo)撰寫了“比賽用劍殺死100人! /兩個少尉,早在80年代,他就寫了一篇胡說八道的野田剛義少尉,而少尉俊明少尉則與日本刀競爭,決定哪一個能在他們進入南京時殺死100人。
戰爭結束後,野田少尉和穆凱被無罪的一條文章判處死刑。
這份“用劍殺死100人的競賽”報告也被用作在中國和美國製造的南京大的謊言的佐證材料。
就是這個麻美寫的。
當時,我是《每日新聞》的工會會員。
廖承志立即邀請朝麻及其家人,妻子和女兒到中國給他乾一份好工作,他的女兒加入了北京大學。
他為什麼那樣做?
即使收集了證據,“用劍殺死100人的比賽”也是騙人的。
如果將麻美放在日本,稻田智美實際上是在就這一事實提起訴訟,但是很明顯麻美道歉說“這是一個謊言”和“對不起”。 ‥
如果麻生撒謊的謊言一次又一次被揭露,南京大的欺騙就會揭開。
這只是一隻螞蟻的洞。
如果揭露南京大的謊言,那麼是否會有來自日本的ODA(官方發展援助)在鄧小平時代盛行?
讀到那時,並迅速使Asami一家人為之動容。 ‥
麻美和夫是支持寶貴謊言的支柱。
因此,中國占領了麻美。
1970年代,當日本使用劍殺死100人的大賽成為一個問題時,麻美從北京來,證明這是真實的,然後返回北京。 ‥
麻美的女兒離開了北京大學,北京政府對此給予了很好的照顧。
我偶然遇到了女兒。
她在一家面向日本遊客的設施的角落裡經營著一家茶館。
店裡有一幅廖成志的相框,上面寫著:“致麻美和夫”。
當我問她時,她說:“是,是我父親。”
我問她,兩個少尉在您父親的廢話中無辜地犯了罪。
女兒平靜地回答:“我父親知道他們是否清白”,說:“我父親也受了苦。”
我明確指出他的女兒說:“你的父親殺了一個人,所以受苦是很自然的事。”但她沒有悔意。 ‥
我的感覺是廖承志的精彩讀物太多了。
從1960年代開始,他就決定把這個故事變成故事。
對於日語,這種狡猾不起作用。
自1979年以來,中國一直在撤出日本的ODA,但總而言之,他知道如果Asami認罪,它將毀滅一切,因此他採取了預防措施。
我只能說這很重要。


没有人对全世界人民的事物真相一无所知。

2020年04月22日 16時51分48秒 | 全般

麻美和夫是支撑宝贵谎言的支柱。因此,中国占领了麻美。重新发布我在2019-02-16发表的章节。
以下来自p98。
订阅本章的每个人都应该钦佩“高山真了不起!”
所有可以阅读印刷品的日本人,必须到最近的书店并立即订阅。
没有人对全世界人民的事物真相一无所知。您必须在我的翻译中意识到这一点。
正是中国的狡猾使撰写这篇文章《比赛用剑杀死100人》的记者感到愤怒。
高山
中国人也像美国人一样恶毒。
可以冷静地摆脱日本人所没有的诡计。
一个例子是1960年代的廖承志运动。
在1966年文化大革命开始之前,廖承志得知日本邀请的报纸之一就是浅见一雄。
麻美和夫(Asami Kazuo)撰写了“比赛用剑杀死100人! /两个少尉,早在80年代,他就写了一篇胡说八道的野田刚义少尉,而少尉俊明少尉则与日本刀竞争,决定哪一个能在他们进入南京时杀死100人。
战争结束后,野田少尉和穆凯被无罪的一条文章判处死刑。
这份“用剑杀死100人的竞赛”报告也被用作在中国和美国制造的南京大屠杀的谎言的佐证材料。
就是这个麻美写的。
当时,我是《每日新闻》的工会会员。
廖承志立即邀请朝麻及其家人,妻子和女儿到中国给他干一份好工作,他的女儿加入了北京大学。
他为什么那样做?
即使收集了证据,“用剑杀死100人的比赛”也是骗人的。
如果将麻美放在日本,稻田智美实际上是在就这一事实提起诉讼,但是很明显麻美道歉说“这是一个谎言”和“对不起”。 ‥
如果麻生撒谎的谎言一次又一次被揭露,南京大屠杀的欺骗就会揭开。
这只是一只蚂蚁的洞。
如果揭露南京大屠杀的谎言,那么是否会有来自日本的ODA(官方发展援助)在邓小平时代盛行?
读到那时,并迅速使Asami一家人为之动容。 ‥
麻美和夫是支持宝贵谎言的支柱。
因此,中国占领了麻美。
1970年代,当日本使用剑杀死100人的大赛成为一个问题时,麻美从北京来,证明这是真实的,然后返回北京。 ‥
麻美的女儿离开了北京大学,北京政府对此给予了很好的照顾。
我偶然遇到了女儿。
她在一家面向日本游客的设施的角落里经营着一家茶馆。
店里有一幅廖成志的相框,上面写着:“致麻美和夫”。
当我问她时,她说:“是,是我父亲。”
我问她,两个少尉在您父亲的废话中无辜地犯了罪。
女儿平静地回答:“我父亲知道他们是否清白”,说:“我父亲也受了苦。”
我明确指出他的女儿说:“你的父亲杀了一个人,所以受苦是很自然的事。”但她没有悔意。 ‥
我的感觉是廖承志的精彩读物太多了。
从1960年代开始,他就决定把这个故事变成故事。
对于日语,这种狡猾不起作用。
自1979年以来,中国一直在撤出日本的ODA,但总而言之,他知道如果Asami认罪,它将毁灭一切,因此他采取了预防措施。
我只能说这很重要。


전 세계 사람들의 진실에 대해 아는 사람은 없습니다.

2020年04月22日 16時48分17秒 | 全般

Kazuo Asami는 소중한 거짓말을지지하는 기둥이었습니다. 따라서 중국은 아사미를 상관했다. 2019-02-16에 게시 한 장을 다시 발행하십시오.
다음은 p98에서 가져온 것입니다.
이 장을 구독 한 모든 사람은 '다카야마는 놀랍습니다!'
인쇄물을 읽을 수있는 모든 일본인은 가장 가까운 서점에 가서이 책을 즉시 구독해야합니다.
전 세계 사람들의 진실에 대해 아는 사람은 없습니다. 당신은 내 번역에서 그것을 깨달아야합니다.
검을 사용하여 100 명을 죽이는 콘테스트 기사를 쓴 기자는 중국의 교활함입니다.
다카야마
중국인도 미국인처럼 맹렬합니다.
일본인이없는 길은 침착하게 풀릴 수 있습니다.
하나의 예는 1960 년대 랴오 청지 (Lao Chengzhi)의 움직임입니다.
1966 년 문화 혁명이 시작되기 전에 리아 오 청지는 아사미 카 주오가 일본에서 초청 된 신문 중 하나라는 것을 알게되었습니다.
아사미 카즈오 (Asami Kazuo)는 칼을 사용하여 100 명을 죽이는 콘테스트를 썼습니다! / Ensign Noda Tsuyoshi라는 제목의 넌센스 기사를 썼으며, Toshiaki Mukai Ensign은 일본 칼과 경쟁하여 그들이 남경에 들어올 때 100 명을 죽일 대상을 결정했습니다.
전쟁이 끝난 후, 소위 노다와 무카이는 무고한 아사미의 기사에 의해 사형을 선고 받았다.
이 '검을 사용하여 100 명을 죽이는 공모전'보고서는 중국과 미국에서 만들어진 난징 대학살의 거짓말을위한 강화 자료로도 사용되었습니다.
그것을 쓴 사람은이 아사미였습니다.
당시 저는 Mainichi Shimbun의 노조원이었습니다.
Liao Chengzhi는 즉시 아사미와 그의 가족, 아내, 딸을 중국으로 초대하여 좋은 일자리를 얻었고, 그의 딸은 북경 대학교에 입학했습니다.
왜 그랬어?
'검을 사용하여 100 명을 죽이는 공모전'은 증거가 수집 되더라도 거짓말로 알려져있다.
아사미가 일본에 배치 된 경우,이나 다 토미 미는 실제로 그 사실에 대해 소송을 제기했지만, 아사미가 '거짓말이다'고 '미안하다'고 사과 한 것은 분명했습니다. ‥
아사미의 거짓말이 계속 밝혀지면 난징 대학살의 속임수가 드러날 것입니다.
개미의 구멍 일뿐입니다.
난징 대학살의 거짓말이 밝혀 졌다면 덩 샤오핑 시대에 일본에서 온 ODA (Official Development Assistance)가있을 수 있을까요?
그 시점까지 읽어보고 아사미 가족을 신속하게 연관 시키십시오. ‥
아사미 카즈오는 소중한 거짓말을지지하는 기둥이었습니다.
그래서 중국은 아사미를 상관했다.
1970 년대 일본에서 검을 사용하여 100 명을 죽이는 대회가 문제가되었을 때, 아사미는 베이징에서 왔으며 그것이 진짜였으며 베이징으로 돌아 왔음을 증언했다. ‥
아사미의 딸은 북경 대학교를 떠났고 베이징 정부는이를 ​​잘 돌 보았습니다.
나는 우연히 딸을 만났다.
그녀는 일본인 관광객을위한 시설 구석에 찻집을 운영했습니다.
가게에 랴오 청지의 액자 사진이 있었고 'To As Asami Kazuo'라고 말했습니다.
내가 그녀에게 물었을 때, 그녀는 '네 아버지입니다.'라고 말했습니다.
나는 그녀에게 두 소위가 당신 아버지의 무의미한 기사에서 순진하게 죄를 지 었음을 물었습니다.
딸은 침착하게 '아버지가 결백한지 알고 있습니다'라고 대답했습니다.
'아버지가 누군가를 죽였 기 때문에 당연히 고통을 겪을 것입니다.'나는 딸에게 분명히 지적했지만 그녀는 후회하지 않았습니다. ‥
내가 느낀 것은 Liao Chengzhi의 훌륭한 독서였습니다.
1960 년대 이후, 그는 이것을 이야기로 만들기로 결정했습니다.
일본어의 경우 그러한 교활함이 작동하지 않습니다.
1979 년 이래 중국은 일본의 ODA를 철수했지만 요컨대 아사미가 자신을 고백하면 모든 것이 망가질 것이므로 예방 조치를 취한다는 것을 알고있다.
나는 그것이 큰 문제라고 말할 수 있습니다.


Nimeni nu știa nimic despre adevărul lucrurilor pentru oamenii din întreaga lume.

2020年04月22日 16時47分48秒 | 全般

Kazuo Asami era un pilon care susținea o minciună valoroasă. Prin urmare, China a coroborat Asami. Reeditați capitolul pe care l-am publicat pe 16.02.2019.
Următorul lucru este din p98.
Toți cei care s-au abonat la acest capitol ar fi trebuit să admire că „Takayama este uimitor!”
Toți japonezii care pot citi tipărit trebuie să meargă la cea mai apropiată librărie și să se aboneze la această carte imediat.
Nimeni nu știa nimic despre adevărul lucrurilor pentru oamenii din întreaga lume. Trebuie să realizezi asta în traducerea mea.
Vicleanul Chinei a corelat reporterul care a scris articolul Concurs pentru a ucide 100 de oameni folosind o sabie.
Takayama
Chinezii sunt și ei vicioși ca americanii.
Ghiliele, pe care japonezii nu le au, pot fi scoase calm.
Un exemplu este mișcarea Liao Chengzhi în anii '60.
Înainte de a începe revoluția culturală în 1966, Liao Chengzhi a aflat că Asami Kazuo se număra printre ziarele invitate din Japonia.
Asami Kazuo a scris „Contest pentru a ucide 100 de oameni folosind o sabie! / Two Ensign, încă din 80 ', a scris un articol prostesc intitulat Ensign Noda Tsuyoshi, iar Ensign Toshiaki Mukai a concurat cu sabia japoneză pentru a decide pe care să-l ucidă 100 mai devreme de la intrarea lor în Nanjing.
După război, Ensign Noda și Mukai au fost condamnați la moarte printr-un articol de Asami, deși erau nevinovați.
Acest raport „Concurs pentru uciderea a 100 de persoane folosind o sabie” a fost folosit și ca material de întărire pentru minciunile masacrului din Nanjing, creat în China și Statele Unite.
Acesta a fost cel care l-a scris pe Asami.
La acel moment, eram membru sindical al Mainichi Shimbun.
Liao Chengzhi i-a invitat imediat pe Asami și familia sa, soția sa și fiica sa, în China să-i ofere un loc de muncă bun, iar fiica sa a intrat la Universitatea Peking.
De ce a facut asta?
„Concursul pentru uciderea a 100 de persoane folosind o sabie” era cunoscut a fi o minciună, chiar dacă probele au fost colectate.
Dacă Asami a fost plasat în Japonia, Tomomi Inada a fost de fapt în litigiu cu privire la acest fapt, dar era evident că Asami și-a cerut scuze, „A fost o minciună” și „Îmi pare rău”. ‥
Dacă minciuna lui Asami este dezvăluită, una după alta, înșelăciunea masacrului din Nanjing se va dezvălui.
Este doar o gaură într-o furnică.
Dacă s-a dezvăluit minciuna masacrului din Nanjing, ar putea exista ODA (Asistența oficială pentru dezvoltare) din Japonia, care a fost în plină floare în perioada Deng Xiaoping?
Citiți până la acel punct și ați corelat rapid familia Asami. ‥
Asami Kazuo era un pilon care susținea o minciună valoroasă.
Așa că, China a încurcat Asami.
Când Concursul pentru uciderea a 100 de oameni folosind o sabie a devenit o problemă în Japonia în anii '70, Asami a venit din Beijing, care a mărturisit că este real și s-a întors la Beijing. ‥
Fiica lui Asami a părăsit Universitatea Peking, iar guvernul de la Beijing a avut grijă de ea.
Am întâlnit-o din întâmplare pe fiică.
A condus o casă de ceai în colțul unei instalații pentru turiștii japonezi.
În magazin era o imagine înrămată cu Liao Chengzhi și zicea: „Pentru Asami Kazuo”.
Când am întrebat-o, mi-a spus: „Da, este tatăl meu”.
Am întrebat-o că cei doi Ensigns au păcătuit inocent în articolul prostii al tatălui tău.
Fiica a răspuns: „Tatăl meu știe dacă sunt nevinovați” într-o manieră calmă, spunând: „Tatăl meu a suferit și el”.
„Tatăl tău a omorât pe cineva, așa că ar fi firesc să sufere”, i-am arătat clar fiicei sale, dar ea nu avea nici o remușcare. ‥
Ceea ce am simțit a fost o mare lectură a lui Liao Chengzhi prea mult în ea.
Începând cu anii 1960, a decis să facă din aceasta o poveste.
Pentru japonezi, o asemenea viclenie nu funcționează.
Din 1979, China scoate ADA Japoniei, dar pe scurt, știe că, dacă Asami se mărturisește, va strica totul, așa că a pus o linie de precauție.
Pot spune doar că este o afacere mare.


Tidak ada yang tahu apa-apa tentang kebenaran perkara untuk orang di seluruh dunia.

2020年04月22日 16時46分38秒 | 全般

Kazuo Asami adalah tonggak yang menyokong pembohongan berharga. Oleh itu, China menyalahkan Asami. Menerbitkan semula bab yang saya terbitkan pada 2019-02-16.
Berikut adalah dari p98.
Setiap orang yang mengikuti bab ini seharusnya mengagumi bahawa 'Takayama itu luar biasa!'
Semua orang Jepun yang boleh membaca cetakan mesti pergi ke kedai buku terdekat dan segera melanggan buku ini.
Tidak ada yang tahu apa-apa tentang kebenaran perkara untuk orang di seluruh dunia. Anda harus sedar bahawa dalam terjemahan saya.
Adalah licik China yang mengecam wartawan yang menulis artikel Peraduan untuk membunuh 100 orang menggunakan pedang.
Takayama
Orang Cina juga kejam seperti orang Amerika.
Tipu muslihat, yang tidak dimiliki orang Jepun, dapat ditarik dengan tenang.
Salah satu contohnya ialah pergerakan Liao Chengzhi pada tahun 1960-an.
Sebelum Revolusi Kebudayaan bermula pada tahun 1966, Liao Chengzhi mengetahui bahawa Asami Kazuo adalah antara surat khabar yang dijemput dari Jepun.
Asami Kazuo menulis'Pertandingan untuk membunuh 100 orang menggunakan pedang! / Dua Ensign, seawal 80 ', dia menulis sebuah artikel omong kosong yang bertajuk Ensign Noda Tsuyoshi, dan Ensign Toshiaki Mukai bersaing dengan pedang Jepun untuk memutuskan mana yang akan membunuh 100 pada awal ketika mereka memasuki Nanjing.
Selepas perang, Ensign Noda dan Mukai dijatuhi hukuman mati oleh sebuah artikel oleh Asami, walaupun mereka tidak bersalah.
Laporan 'Peraduan membunuh 100 orang menggunakan pedang' ini juga telah digunakan sebagai bahan penguat bagi pembohongan Pembunuhan Nanjing yang dibuat di China dan Amerika Syarikat.
Asami inilah yang menulisnya.
Pada masa itu, saya adalah anggota kesatuan sekerja Mainichi Shimbun.
Liao Chengzhi segera mengajak Asami dan keluarganya, isteri, dan anak perempuannya, ke China untuk memberinya pekerjaan yang baik, dan putrinya bergabung dengan Universiti Peking.
Kenapa dia berbuat demikian?
'Peraduan membunuh 100 orang menggunakan pedang' diketahui sebagai pembohongan walaupun bukti dikumpulkan.
Sekiranya Asami ditempatkan di Jepun, Tomomi Inada sebenarnya dalam proses pengadilan atas kenyataan itu, tetapi jelas bahawa Asami meminta maaf, "Itu adalah bohong" dan "maaf." ‥
Sekiranya pembohongan Asami terungkap, satu demi satu, penipuan Pembunuhan Nanjing akan terungkap.
Cuma lubang semut.
Sekiranya pembohongan Pembunuhan Nanjing terungkap, mungkinkah ada ODA (Bantuan Pembangunan Rasmi) dari Jepun, yang sedang berkembang pesat selama era Deng Xiaoping?
Baca sehingga ke tahap itu dan cepat-cepat mengetepikan keluarga Asami. ‥
Asami Kazuo adalah tonggak yang menyokong pembohongan berharga.
Oleh itu, China menyalahkan Asami.
Ketika Peraduan untuk membunuh 100 orang menggunakan pedang menjadi masalah di Jepun pada tahun 1970-an, Asami datang dari Beijing, memberi kesaksian bahawa ia adalah nyata dan kembali ke Beijing. ‥
Anak perempuan Asami meninggalkan Universiti Peking, dan pemerintah Beijing telah menjaganya dengan baik.
Saya bertemu dengan anak perempuan secara kebetulan.
Dia mengusahakan sebuah rumah teh di sudut kemudahan untuk pelancong Jepun.
Terdapat gambar Liao Chengzhi yang dibingkai di kedai, dan tertera: 'Kepada Asami Kazuo.'
Ketika saya bertanya kepadanya, dia berkata, 'Ya, itu ayah saya.'
Saya bertanya kepadanya bahawa kedua-dua Ensign itu berdosa dalam artikel karut ayah anda.
Anak perempuan itu menjawab, 'Ayah saya tahu jika mereka tidak bersalah' dengan tenang, dengan mengatakan, 'Ayah saya juga menderita.'
"Ayahmu telah membunuh seseorang, jadi wajarlah menderita," aku dengan jelas menunjukkan kepada puterinya, tetapi dia tidak menyesal. ‥
Apa yang saya rasakan ialah bacaan Liao Chengzhi yang hebat.
Sejak tahun 1960-an, dia telah memutuskan untuk menjadikannya cerita.
Bagi orang Jepun, licik seperti itu tidak berjaya.
Sejak tahun 1979, China telah menarik ODA Jepun, tetapi secara ringkas, dia tahu bahawa jika Asami mengaku dirinya sendiri, itu akan merosakkan segalanya, jadi dia meletakkan garis pencegahan.
Saya hanya boleh mengatakan bahawa ia adalah masalah besar.


जगभरातील लोकांच्या गोष्टींच्या सत्यतेबद्दल कोणालाही काही माहिती नव्हते.

2020年04月22日 16時45分01秒 | 全般

काझुओ असमी एक आधारस्तंभ होता ज्याने एका मौल्यवान खोट्याला समर्थन दिले. त्यामुळे चीनने आसामीला विरोध केला. मी 2019-02-16 रोजी प्रकाशित केलेल्या अध्यायची पुन्हा यादी करा.
खाली पी 98 मधील आहे.
ज्याने या अध्यायात सदस्यता घेतली त्या प्रत्येकाने 'तकायमा आश्चर्यकारक आहे!'
मुद्रण वाचू शकतील अशा सर्व जपानी लोकांनी जवळच्या पुस्तकांच्या दुकानात जावे आणि त्वरित या पुस्तकाची सदस्यता घ्यावी.
जगभरातील लोकांच्या गोष्टींच्या सत्यतेबद्दल कोणालाही काही माहिती नव्हते. माझ्या अनुवादामध्ये तुम्हाला हे जाणवले पाहिजे.
ही चीनची धूर्तता आहे ज्याने तलवार वापरुन 100 लोकांना ठार मारण्यासाठी कॉन्टेस्ट हा लेख लिहिलेला रिपोर्टर कोंडला.
तकायमा
चिनी लोकही अमेरिकांप्रमाणेच लबाडीचे आहेत.
जपानी लोकांकडे नाही, तो जादू शांतपणे खेचला जाऊ शकतो.
1960 च्या दशकात लीओ चेंगझीची चळवळ हे त्याचे एक उदाहरण आहे.
१ 19 in66 मध्ये सांस्कृतिक क्रांती सुरू होण्यापूर्वी, लाओ चेंगझी यांना समजले की जपानमधून आमंत्रित केलेल्या वर्तमानपत्रांपैकी असामी काझुओ आहेत.
तलवार वापरुन 100 लोकांना ठार मारण्यासाठी अस्मि काझुओने लिहिले 'स्पर्धा! / टू एनसाईन, as० च्या सुरुवातीच्या काळात त्यांनी एन्सेन नोडा त्सुयोशी या नावाचा एक मूर्खपणाचा लेख लिहिला आणि एन्सेन तोश्याकी मुकाई यांनी जपानी तलवारीशी स्पर्धा केली की नानजिंगमध्ये प्रवेश केला तेव्हा कोणत्या व्यक्तीला 100 मारले जायचे याचा निर्णय घेतला.
युद्धा नंतर, एन्सिग्न नोडा आणि मुकाई यांना निष्पाप असले तरी असमीने एका लेखाद्वारे मृत्यूदंड ठोठावला.
या 'तलवारीचा वापर करून 100 जणांना ठार मारण्याची' स्पर्धा अहवालात चीन आणि अमेरिकेत निर्माण झालेल्या नानजिंग नरसंहारच्या खोट्या आरोपांना सुदृढीकरण सामग्री म्हणून देखील वापरले गेले आहे.
हे असमी यांनीच लिहिले.
त्यावेळी मी मैनिची शिंबुनचा कामगार संघटनेचा सदस्य होता.
लियाओ चेंगझीने लगेचच आसमी आणि त्याचे कुटुंब, त्यांची पत्नी आणि मुलगी यांना चांगल्या नोकरीसाठी चीनमध्ये बोलावले आणि त्याची मुलगी पेकिंग विद्यापीठात दाखल झाली.
त्याने असे का केले?
'तलवार वापरुन 100 लोकांना ठार मारण्याची स्पर्धा' पुरावा गोळा केला असला तरी खोटे असल्याचे समजले जात होते.
आसामीला जपानमध्ये ठेवण्यात आले असते, तर टॉमोमी इनाडा खरं तर खटला चालवत होता, परंतु असामीने 'ते खोटारडे आहे' आणि 'माफ करा' अशी दिलगिरी व्यक्त केली. ‥
आसमीचे खोटे बोलणे उघड झाल्यास, एकामागून एक नानजिंग नरसंहारची फसवणूक उघड होईल.
हे मुंग्या मध्ये फक्त एक भोक आहे.
जर नानजिंग हत्याकांडाची लबाडी उघडकीस आली तर डेंग जिओपिंगच्या काळात पुष्कळ फुललेले जपानमधील ओडीए (अधिकृत विकास सहाय्य) असू शकेल काय?
आतापर्यंत वाचून लवकर आसामी कुटूंबाची स्थापना केली. ‥
असमी काझुओ एक आधारस्तंभ ज्याने एका मौल्यवान खोट्याला समर्थन दिले.
तर, चीनने आसामीला विरोध केला.
१ 1970 s० च्या दशकात जपानमध्ये तलवारीचा वापर करून १०० जणांना ठार मारण्याची स्पर्धा समस्या निर्माण झाली तेव्हा असमी खरी आहे याची साक्ष देत बीजिंगमधून परत आली आणि परत बीजिंगला परतली. ‥
आसामीच्या मुलीने पेकिंग विद्यापीठ सोडले आणि बीजिंग सरकारने त्याची चांगली काळजी घेतली आहे.
मी मुलीला योगायोगाने भेटलो.
तिने जपानी पर्यटकांच्या सुविधेच्या कोप in्यात चहाचे घर चालवले.
स्टोअरमध्ये लिओ चेंगझीचे फ्रेम केलेले चित्र होते आणि ते असे होते: 'असामी काझुओ यांना.'
मी तिला विचारले तेव्हा ती म्हणाली, 'हो, ते माझे वडील आहेत.'
मी तिला विचारले की तुमच्या वडिलांच्या मूर्खपणाच्या लेखात त्या दोन एन्सिन्सने निर्दोषपणे पाप केले आहे.
मुलीने उत्तर दिले की, 'माझ्या वडिलांना ते निष्पाप आहेत की नाही हे माहित आहे' असे म्हणत शांतपणे, 'माझ्या वडिलांनाही त्रास सहन करावा लागला.'
'तुझ्या वडिलांनी कुणाला ठार मारलं होतं, म्हणून त्याचा त्रास होणं स्वाभाविक आहे,' मी स्पष्टपणे त्याच्या मुलीकडे लक्ष वेधलं, पण तिला काहीच पश्चाताप नव्हता. ‥
मला जे वाटलं ते लियाओ चेंगझीचे खूप चांगले वाचन त्यात होते.
1960 च्या दशकापासून त्यांनी ही कथा बनवण्याचा निर्णय घेतला होता.
जपानी लोकांसाठी, अशा धूर्ततेने कार्य होत नाही.
१ 1979. Since पासून चीन जपानचा ओडीए खेचत आहे, पण थोडक्यात, त्याला हे माहित आहे की आसामीने स्वत: ची कबुली दिल्यास हे सर्व काही नष्ट होईल, म्हणून त्याने खबरदारीचा मार्ग मांडला.
मी फक्त इतकेच म्हणू शकतो की ही एक मोठी गोष्ट आहे.


Không ai biết bất cứ điều gì về sự thật của mọi thứ trên khắp thế giới.

2020年04月22日 16時43分59秒 | 全般

Kazuo Asami là một trụ cột hỗ trợ cho lời nói dối có giá trị. Do đó, Trung Quốc đã đối phó với Asami. Phát hành lại chương mà tôi đã xuất bản vào 2019-02-16.
Sau đây là từ p98.
Mọi người đã đăng ký chương này nên ngưỡng mộ rằng 'Takayama thật tuyệt vời!'
Tất cả những người Nhật Bản có thể đọc bản in phải đến hiệu sách gần nhất và đăng ký ngay cuốn sách này.
Không ai biết bất cứ điều gì về sự thật của mọi thứ trên khắp thế giới. Bạn phải nhận ra rằng trong bản dịch của tôi.
Chính sự xảo quyệt của Trung Quốc đã khiến phóng viên viết bài báo Cuộc thi giết chết 100 người bằng kiếm.
Takayama
Người Trung Quốc cũng độc ác như người Mỹ.
Guile, mà người Nhật không có, có thể được bình tĩnh rút ra.
Một ví dụ là phong trào của Liao Chengzhi trong những năm 1960.
Trước khi cuộc cách mạng văn hóa bắt đầu vào năm 1966, Liao Chengzhi biết rằng Asami Kazuo là một trong những tờ báo được mời từ Nhật Bản.
Asami Kazuo đã viết 'Tiếp tục giết 100 người bằng kiếm! / Two Oblign, sớm nhất là 80 ', anh ta đã viết một bài báo vô nghĩa mang tên Oblign Noda Tsuyoshi, và Oblign Toshiaki Mukai cạnh tranh với thanh kiếm Nhật Bản để quyết định ai sẽ giết 100 người ngay khi họ vào Nam Kinh.
Sau chiến tranh, Oblign Noda và Mukai đã bị kết án tử hình bởi một bài báo của Asami, mặc dù họ vô tội.
Báo cáo 'Cuộc thi giết 100 người bằng kiếm' này cũng đã được sử dụng làm tài liệu củng cố cho những lời dối trá của Vụ thảm sát Nam Kinh được tạo ra ở Trung Quốc và Hoa Kỳ.
Chính Asami đã viết nó.
Vào thời điểm đó, tôi là một thành viên công đoàn của Mainichi Shimbun.
Liao Chengzhi ngay lập tức mời Asami và gia đình, vợ và con gái của anh ấy đến Trung Quốc để cho anh ấy một công việc tốt, và con gái của anh ấy đã gia nhập Đại học Bắc Kinh.
Tại sao anh ta làm điều đó?
'Cuộc thi giết 100 người bằng kiếm' được biết đến là một lời nói dối ngay cả khi bằng chứng được thu thập.
Nếu Asami được đặt ở Nhật Bản, Tomomi Inada thực sự đang kiện tụng về sự thật, nhưng rõ ràng là Asami đã xin lỗi, 'Đó là một lời nói dối' và 'xin lỗi'. ‥
Nếu lời nói dối của Asami được tiết lộ, hết lần này đến lần khác, sự lừa dối của Thảm sát Nam Kinh sẽ được tiết lộ.
Nó chỉ là một cái lỗ trên một con kiến.
Nếu lời nói dối của Vụ thảm sát Nam Kinh được tiết lộ, liệu có thể có ODA (Hỗ trợ phát triển chính thức) từ Nhật Bản, đang nở rộ trong thời kỳ Đặng Tiểu Bình?
Đọc đến thời điểm đó và nhanh chóng nói xấu gia đình Asami. ‥
Asami Kazuo là một trụ cột ủng hộ lời nói dối có giá trị.
Vì vậy, Trung Quốc đã sai khiến Asami.
Khi Cuộc thi giết 100 người bằng kiếm trở thành một vấn đề ở Nhật Bản vào những năm 1970, Asami đến từ Bắc Kinh, làm chứng rằng đó là sự thật và trở về Bắc Kinh. ‥
Con gái của Asami rời Đại học Bắc Kinh và chính phủ Bắc Kinh đã chăm sóc nó rất tốt.
Tôi tình cờ gặp con gái.
Cô điều hành một quán trà ở góc của một cơ sở dành cho khách du lịch Nhật Bản.
Có một bức tranh được đóng khung của Liao Chengzhi trong cửa hàng, và nó nói: 'Gửi Asami Kazuo.'
Khi tôi hỏi cô ấy, cô ấy nói: 'Vâng, đó là bố tôi.'
Tôi hỏi cô ấy rằng hai Người hầu đã vô tội trong bài báo vô nghĩa của cha bạn.
Cô con gái trả lời: 'Bố tôi biết nếu họ vô tội' một cách bình tĩnh, nói rằng 'Bố tôi cũng đau khổ'.
'Cha của bạn đã giết một ai đó, vì vậy sẽ rất tự nhiên khi phải chịu đựng', tôi rõ ràng chỉ ra cho con gái mình, nhưng cô ấy không hối hận. ‥
Điều tôi cảm thấy là sự tuyệt vời của Liao Chengzhi khi đọc quá nhiều về nó.
Từ những năm 1960, ông đã quyết định biến điều này thành một câu chuyện.
Đối với người Nhật, sự tinh ranh như vậy không có tác dụng.
Từ năm 1979, Trung Quốc đã rút ODA của Nhật Bản, nhưng tóm lại, anh ta biết rằng nếu Asami tự thú, nó sẽ phá hỏng mọi thứ, vì vậy anh ta đặt một biện pháp phòng ngừa.
Tôi chỉ có thể nói rằng đó là một vấn đề lớn.


पूरी दुनिया के लोगों के लिए चीजों की सच्चाई के बारे में किसी को कुछ नहीं पता था।

2020年04月22日 16時42分44秒 | 全般

काज़ुओ असामी एक स्तंभ था जिसने एक मूल्यवान झूठ का समर्थन किया था। इसलिए, चीन ने असामी को भ्रष्ट कर दिया। 2019-02-16 को प्रकाशित किए गए अध्याय को फिर से प्रकाशित करें।
निम्नलिखित p98 से है।
इस अध्याय की सदस्यता लेने वाले सभी लोगों को स्वीकार करना चाहिए कि 'टेकायमा अद्भुत है!'
सभी जापानी लोग जो प्रिंट पढ़ सकते हैं, उन्हें निकटतम बुकस्टोर पर जाना चाहिए और तुरंत इस पुस्तक की सदस्यता लेनी चाहिए।
पूरी दुनिया के लोगों के लिए चीजों की सच्चाई के बारे में किसी को कुछ नहीं पता था। आपको मेरे अनुवाद में यह महसूस करना होगा।
यह चीन की चालाकी है जिसने उस रिपोर्टर को ललकारा है जिसने एक तलवार का उपयोग करके 100 लोगों को मारने के लिए लेख प्रतियोगिता लिखी थी।
Takayama
चीनी लोग भी अमेरिकियों की तरह शातिर हैं।
जापानी लोगों के पास जो गिले-शिकवे नहीं हैं, उन्हें शांति से निकाला जा सकता है।
एक उदाहरण 1960 के दशक में लियाओ चेंगझी का आंदोलन है।
1966 में सांस्कृतिक क्रांति शुरू होने से पहले, लियाओ चेंगज़ी ने जाना कि असामी काज़ुओ जापान से आमंत्रित समाचार पत्रों में से थे।
असामी काज़ुओ ने लिखा 'एक तलवार का इस्तेमाल करके 100 लोगों को मारना! / टू एनसाइन, 80 की शुरुआत में, उन्होंने एनसोन्ग नोदा त्सुओशी नामक एक बकवास लेख लिखा, और एनसाइनिंग तोशीकी मुकाई ने जापानी तलवार के साथ यह तय करने के लिए प्रतिस्पर्धा की कि कौन नानजिंग में प्रवेश करने के समय तक 100 को मार डालेगा।
युद्ध के बाद, अस्सिनग नोदा और मुकाई को असामी द्वारा एक लेख द्वारा मौत की सजा सुनाई गई थी, हालांकि वे निर्दोष थे।
चीन और संयुक्त राज्य अमेरिका में निर्मित नानजिंग नरसंहार के झूठ के लिए सुदृढीकरण सामग्री के रूप में एक तलवार का उपयोग करके 100 लोगों को मारने के लिए इस 'प्रतियोगिता का उपयोग किया गया है।
यह आसामी ही थी जिसने इसे लिखा था।
उस समय, मैं मेनिची शिंबुन का एक ट्रेड यूनियन सदस्य था।
लियाओ चेंगज़ी ने तुरंत अस्वामी और उनके परिवार, उनकी पत्नी और बेटी को चीन में आमंत्रित किया ताकि वह उन्हें अच्छी नौकरी दे सकें और उनकी बेटी पेकिंग विश्वविद्यालय में शामिल हो गई।
उसने ऐसा क्यों किया?
Sword तलवार का इस्तेमाल कर 100 लोगों को मारने की प्रतियोगिता ’को एक झूठ कहा जाता था, भले ही सबूत एकत्र किए गए हों।
यदि असामी को जापान में रखा गया था, तो टॉमोमी इनाडा वास्तव में इस तथ्य पर मुकदमा दायर कर रहा था, लेकिन यह स्पष्ट था कि असामी ने माफी मांगी थी, 'यह एक झूठ था' और 'क्षमा करें।' ‥
अगर असामी का झूठ सामने आता है, तो एक के बाद एक, नानजिंग नरसंहार के धोखे का खुलासा होगा।
यह चींटी का सिर्फ एक छेद है।
अगर नानजिंग नरसंहार का झूठ सामने आया, तो क्या जापान से ओडीए (आधिकारिक विकास सहायता) हो सकता है, जो डेंग शियाओपिंग युग के दौरान पूरी तरह से खिल गया था?
उस बिंदु तक पढ़ें और जल्दी से असामी परिवार को भ्रष्ट कर दिया। ‥
असामी काज़ुओ एक स्तंभ था जिसने एक मूल्यवान झूठ का समर्थन किया था।
इसलिए, चीन ने असामी को भ्रष्ट कर दिया।
1970 के दशक में जब जापान में तलवार का इस्तेमाल करके 100 लोगों को मारने की प्रतियोगिता शुरू हुई, तो अस्मी बीजिंग से आए, यह गवाही देते हुए कि यह वास्तविक है और बीजिंग लौट रहा है। ‥
असामी की बेटी ने पेकिंग विश्वविद्यालय छोड़ दिया, और बीजिंग सरकार ने इसकी अच्छी देखभाल की है।
मैं संयोग से बेटी से मिला।
वह जापानी पर्यटकों के लिए एक सुविधा के कोने में एक चाय घर चलाता था।
स्टोर में लियाओ चेंगज़ी की एक फ़्रेमयुक्त तस्वीर थी, और इसने कहा: 'To Asami Kazuo।'
जब मैंने उससे पूछा, तो उसने कहा, 'हां, यह मेरे पिता हैं।'
मैंने उनसे पूछा कि आपके पिता के बकवास लेख में दो पताकाओं ने निर्दोष रूप से पाप किया था।
बेटी ने जवाब दिया, 'मेरे पिता जानते हैं कि क्या वे निर्दोष हैं', यह कहते हुए कि 'मेरे पिता भी पीड़ित हैं।'
'आपके पिता ने किसी को मार दिया था, इसलिए यह दुख होना स्वाभाविक था,' मैंने स्पष्ट रूप से उसकी बेटी को इशारा किया, लेकिन उसे कोई पछतावा नहीं था। ‥
मैंने जो महसूस किया वह लियाओ चेंग्झी का शानदार पढ़ना था।
1960 के दशक से, उन्होंने इसे कहानी बनाने का फैसला किया था।
जापानी के लिए, इस तरह की चालाक काम नहीं करती है।
1979 के बाद से, चीन जापान के ODA को बाहर निकाल रहा है, लेकिन संक्षेप में, वह जानता है कि अगर असामी ने खुद को कबूल कर लिया, तो वह सब कुछ बर्बाद कर देगा, इसलिए उसने एहतियातन लाइन लगा दी।
मैं केवल यह कह सकता हूं कि यह एक बड़ी बात है।